話せる楽しみもあれば秘める楽しみもある

本稿はまた時事報道から。
数日前であるが、人ごみの交差点でアダルトビデオ撮影をしていた業者が逮捕された。
曰く、「逮捕は覚悟の上だった」と。
心意気かくあるべし、好意的に受け止める。
なんとなれば、この種の営業は「御法度の裏街道をいく渡世」であるべき、なければ面白みがないと思料するからだ。

少し前であるが、『ビニ本』の話を聞く機会があった。
これとて、生きた歴史証言である。
掻い摘めば、昔、銭湯の前や高速道路の脇に、マジックミラーばりの自販機があり100円玉5ついれると、ビニ本と呼ばれていた禁制エロ本が出てきたらしい。
その楽しみはといえば、100円玉5つ持って(人目のない)深夜早朝の自販機に赴き、ようやくのことで入手した本のビニールをはがすまでのところにあったとのことだ。
中身は全然面白くない。そこにいたるまでのハラハラドキドキ感が楽しい…
現在のように、アダルトビデオが駅前の書店に堂々並ぶようでは、この楽しみは味わえはしないだろう、と聞かせれ、さもありなんと納得した。

このように、異性親・男きょうだいと『ビニ本』の話をフランクにする機会を持っている論者であるが、それでも彼らには絶対に話せないこともある。
ああ、異性であるからという理由からではない。異性であろうが同性であろうが、家族であろうが赤の他人であろうが、ともかく他の人間には絶対に話せないという意味だ。

人に話せないのは苦しい?
何でも話せる友達がいないのは寂しい?

とんでもない!
あべこべもいいところだ。
もしこの世に私のことを全て理解している人間などがいたら、それこそ堪ったものではない。

秘める楽しみ…
誰にも話すことが出来ない、少々背徳的な秘密を持つのは楽しいものだ。
至上の喜びといっても過言でなかろう。
"『何でも話せる友達』なるものにさえ話せないこと"をつくる…

述べてきたように、数十年前の少年は『ビニ本』なる埒もないものを使い、実現化した。
その機会を奪い去ってしまったのが近年のアダルトビデオ業者、盛んにメディアに登場し、中にはいっぱしの芸術家文化人を気取る者すらある始末…
それ故裏街道を行くべきと述べた。

もう、ここまで書けば、結論はお分かりであろう?
サディズム、マゾヒズム、フェチシズム、こんなものは、内に秘め他人には公開すべきでないと言いたいわけだ。
奇しくもいつぞやの稿で触れた鬼平犯科帳に登場した老盗・蓑火の喜之助が、大店に仕掛けた盗み仕掛けの残りを冥土へ持っていく楽しみとしたように。

おっと、論者であるか?
このプログその他に書いていることが、『秘密』ではない。
まだまだ秘め事ならある、こんなものではない。短絡的に評価されるのは迷惑だ。
第一、何より。

ネットとは秘密を書くに最も適さない場所なのである。



posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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