ファンタジー

 子どものころ、きれいな女の人がトイレに入るところを目撃して、幼心に「あんなに奇麗な女の人でもウンコするんだろうか?」な〜んていうきわめて古典的な想いを純粋にしてたりしたものですけど、その時でもそのウンコを「食べたい」とまでは思わないんじゃないですかね、いくらマゾでも。

 いや、思う人もいるのかもしれない。

子どもの頃から既にそこまで思うことが出来るのは、なにかのきっかけがあるというよりは、もしかしたら、「Mの遺伝子」(この場合はスカの遺伝子か?)のようなものがあるのかしらと、ふと思ったりもする。

 ウンコはイヤだけど、おしっこならまだいいのか?

う〜む...どうでしょう。「汚さ」という点では、おしっこの方が少し(清潔とは言わないが)、ウンコほどは汚くはない、とは言えるかもしれない。だから飲めるのか?というのとはまた別問題ですが、「黄金」よりは「ご聖水」の方がやや抵抗なさそうとは言えると思う。ノーマルなご夫婦さんでも、奥さんにおしっこかけてもらって喜んでる旦那の話(←SMと比べればかわいいもんだ、という意味でノーマル)が、昔の投稿雑誌に載ってました。愛する人のものならば、唾でもおしっこでも尊いという気持ちは、「普通の」マゾヒズムよりは理解しやすい気もするけれど、ただウンコまで尊いと思えるかどうかで、ひとまず線引きができそうな気がします。

 線引きと言っても、変態とノーマルの境界線ではありません。そんなラインは存在しないと思っていますが、おしっこなら飲めても、ウンコは食べられない、とかいうようなラインがなんとなくありそうな気がします。少なくとも、僕の中にはありますね。

「家畜人ヤプー」のような作品世界を、脳内で受け入れることは可能であっても、現実にあのような世界で暮らす、または実践するというようなことは、ほとんどの人にとっては不可能だと思われます。ただ想像するだけで楽しいっていうのはある。幻想として憧れ、ファンタジーに浸る喜びは、変態であろうとなかろうと(たまには)あるでしょう。
 
 ところが世の中には、あそこまで過激な肉体改造はしないまでも、似たようなところまで追求しようとする人たちが現実にるわけでしてね。

 一過性の「プレイ」としてではなく、現実の日常生活にまで倒錯した快楽(苦痛)の世界を追い求める人々。ボディーピアスやタトウゥーなどもその世界の一歩手前のような気がしますが、スカトロも、本当に食べちゃう人はもう、あちらの世界に逝っちゃってるんじゃないかっていう...。

 聖水ぐらいまでならね、ま〜なんとか勢いでいけちゃう気もするのですが、大きいほうは考えるだけでもためらわれます。よく「脳内スカはオッケー」なんて言う人もいるみたいですが、いったいどこまでがオッケーなのか...

 でも、何事も経験で、死ぬ前に一度くらいは経験してもいいかな?とは一瞬(ほんと一瞬ですが)思ったりもします。


posted by homer_2006 | Comment(0) | マゾヒズムに花束を!
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