梅里

大石金時梅梅雪はちと、つながりが悪かったですかな?
さてさて、同じく梅の字がついた人物の話題で、梅カテゴリに連日の投稿です。

梅里。これは誰のことか知ってますか?
ほら、水戸の黄門様のことですよ。
徳川光圀という人は、梅里と号してました。

梅の里住人。
うん、今でも水戸の偕楽園は梅の名所ですよねえ。
黄門様の昔もそうだったのでしょう。
加えて言うならば、水戸というのはイメージよりも北に位置します。
関東というよりも奥州と考えたほうが、当時の地理分類に近いかもしれない。
そんな土地柄ですから、梅の咲いたときの喜びは一段だったことは想像に難くはありません。
将に花札図柄そのもののイメージ、水戸黄門の遊び心が、花札を完成させていった江戸庶民のそれと根を同じくすると言っても穿ち過ぎでないと思います。

ああ、水戸黄門って人は文化人であると同時に有名な遊び人だったんですよ。
意外に感じた向きもあるやもしれません。
特に若いころはあの吉原に入り浸り、酒と喧嘩に明け暮れていたとか。
これには訳があります。

「水にせよ」
なんの意味だと思います?
水子にせよ、堕胎せよ、オロせ、ということです。
光圀の父である初代水戸藩主・頼房は、光圀の母にこう命じました。
というのはです。光圀の母というのは、非常に身分の人、正室は言うに及ばず側室にすらなれないような立場の人だったからです。
そんな卑女に手を出したことが公になれば、水戸藩主としてのスキャンダルねたになります。
ですので、かくのごとしなんですが。

でも光圀はちゃんと生まれてきた。そうですよねえ。
紆余曲折ありました。
家来がこっそり、光圀の母をかくまい、生まれてきた落胤を我が子として育てる…
やがて、頼房の元に引き取られ、なんと世継ぎにまで。
まあ、そんな訳で、徳川光圀という人は父に対する反発から、グレまくってたわけですが。

子供の頃に話を戻しましょう。
シンデレラボーイの光圀ですから、城内の者達からの突き上げはありました。
ことに口さがのない、女どもですよ。大人気なくも、年端もいかぬ千代松少年に「水にせよ」の話を聞かせてよこします。
ま、大ブームのいじめですな。
小説等によれば、流石の剛毅の千代松、のちの黄門様も傷つき、泣きながら那珂川で水練を指揮していた父の元に走ることになってます。

「父上、私は生まれてくるべきではなかったのですか?」

家康末子で同じく若い頃散々放蕩していた頼房は、それを聞き、やにわに光圀を抱え上げ、川に放り込みます。

「向こう岸まで泳げ。泳ぎ着けたら答えてやる。できないのならば、溺れて死ね!」

そして、褌一丁なって艪を漕ぎながら光圀を励まし、生きるということの意味を教えて聞かせるという話なのですが。

と、この言い回し、



続けてもう一項中国の話

にたった今加筆されたばかりの部分を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!