所変われば

朝鮮桐先ず今日は、実際に原稿を書いている日付をばらしちゃうことにしましょう。
11/15です。昨日、一昨日は無粋な文面を見せてしまって失礼しました。
と、書いて何のことか分かった人は、常に最上位表示される『はじめにお読みください』を見てくださいましたね。
まあ、あの件について話題にするのは本ブログの趣旨にあらず、ですので、くどくは書かず、広告クリックなるものを無事消し去ることができたので、投稿を再開した旨だけのお知らせに留めます。

さて、僕自身も久々に見ることとなった最上位記事には、管理人コメントがついてます。
改めましてお恥ずかしい話、僕は開設当初、花札の11月と12月を逆に覚えてました。11−桐 12-柳 と。
ところがね、広くの地方で遊ばれてる花札ですよ。地方によっては、これで正解というところもあるらしいですよ。
うん、堂々今日11/15・七五三の日に、桐の話題を書いてもよい土地もあるということなんですよ。
朝鮮花、その地方とは朝鮮半島のことです。

なんで、ひっくり返ってしまったんでしょうねえ?
所変われば土地も変わる?
郷に入りては郷に従え?
そういや、日本語の道路が英語ではひっくりかえりのロードだったり。
平和の表記が本場中国語では和平になったり。

あんま、関係ありませんけどね。
ただ、土地土地によって習慣風習というものは異なってくるということです。
これを発展させれば、書物というものは時間空間を調整しなければ正確に理解できない、という原理にも通じていきます。
あ、某巨大掲示板群某スレッドに書いたことがあります。

実はこれ、万葉学者の犬養孝先生の受け売り。
今日はこの原理を、万葉ではなく孔子に当てはめてみましょう。

「無信不立」、多くの政治家・財界人が座右にしてるみたいで、検索に引っかかるは、引っかかるは。

「子貢政を問う。子曰く、『食を足し、兵を足し、民之を信ず。』子貢曰く、『必ず已むことを得ずして去てば、斯の三者に於いて何をか先にせん。』曰く、『兵を去てん』子貢曰く、『必ず已むことを得ずして去てば、斯の二者に於いて何をか先にせん。』曰く、『食を去てん。古より皆死あり。民信なくば立たず。』」

(意味)子貢が政を行う道を孔子に尋ねた。孔子は、「食物を十分にし、兵備を十分にし、民に教育して為政者を信じるようにするのだ。」と言った。子貢は「どうしてもやむを得ずして捨てるなら、この3つのうち、何を先に捨てますか?」孔子「兵を捨てよう」子貢「どうしてもやむを得ずして捨てるなら、残った2つのうち、どちらを先に捨てますか?」孔子「食を捨てよう。民は職が無ければ必ず死ぬ。しかし、死は古から誰も免れることができないものだ。民が為政者を信じなければ、自立することができない。それならばむしろ死ぬ方がいい。」と。

食を捨てるほうはいいでしょう、今も同じですから。
けど、兵を捨てるほうは、今の感覚で読んでしまったら大間違いです。

そう、この時代は中国は分裂時代、群雄割拠して各国が凌ぎを削っていた時代です。
軍縮とか何とかで、兵力削減が美徳とされる現代の、しかも平和ボケした国の感覚で読んでしまったら大間違い、この時代にこの国で兵を捨てたらたちどころに他国に併呑されてしまいますよ。

国が滅びたらどうなるか? 家来たちはいいでしょう。
うまくすれば他国に再就職できますから。
民草は更に影響なし。
どうでもいいことといってもいいくらい。
但し、国王以下首脳陣だけは話は別、確実に殺されてしまいます。

そして、孔子という人が国王の私的諮問機関であったことを思い出してください。
兵を捨てる発言は、雇い主に対し死ねと薦めるのに同値です。
だから子貢は聞き返したわけです。
信が重要なのは判るけど、果たして兵や食と同列に置くほどのものかと。

得たりと孔子、兵を捨てるで国の上層部が死ね、食を捨てるで下々まで含め皆死んでしまう、
と2段階で論を繰り広げ、命よりも信のほうが大事、と説いたわけです。
これが正解。

と、この言い回し、



「無信不立」――信なくば立たず

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!