佐倉宗吾

季節松花札1月は松。短冊札には「あかよろし」と記され、光札には鶴と日輪が配される、
正月にふさわしくめでたづくし…
と、この言い回しは、もう耳にタコですか?
では、今日は、少々床しい松の話と趣向を変えましょう。

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  「甚兵衛供養壁」床しい松の中 神田松鯉

 徳川四代将軍家綱の時代、下総国(千葉県)佐倉領公津村の名主佐舎宗吾(本姓木内惣五郎)は、打ち続く凶作と重税に苦しむ農民を救うため、代官所や藩邸へ訴え、更に時の老中に駕篭訴に及ぶが取り上げられず、万策尽きて死罪覚悟で将軍への直訴を決意する。
 すでにお尋ね者になっている宗吾は愛しい家族に最後の別れを告げるため故郷に戻ってくる。印旛沼の渡し守・甚兵衛は禁制を犯して鎖を断ち切り、吹雪の中宗吾を渡し、家族に対面させた後再び送り返す。のち自ら湖に身を投じて果てるのである。講談「佐倉義民伝」や芝居で人気の高い「甚兵衛渡し」の名場面だ。
 京成成田線公津の杜駅からバスで15分。「甚兵衛渡し」の旧跡は古くから「水神の森」と呼ばれた所だ。昭和43年(1968)甚兵衛大橋が完成し、さらに干拓で水辺も遠くなり往年の渡し場の風情はないが、古松の美しい森は日本の名松百選のひとつで、床しい松に囲まれて「甚兵衛供養堂」がひっそりとたっている。

  百選の枝に跨がる松手人 松鯉

 これよりバスで5分の「宗吾旧宅」は現在も16代目当主の木内利左衛門氏が生活する住宅で、居間の真っ黒に煤けた大きな仏壇が旧家を物語る。満86歳の利右衛門氏は「この前、観光客が火鉢の火箸を持ってっちゃった」と非常識を嘆く。特に頼んで、宗吾遺品の九曜星定紋入りの脇差しを拝見した。鞘払いして刀身をかざす当主の姿には、宗吾は髣髴とさせる風格が漂っていた。(講談師)

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某全国紙のなぜか首都圏版から切り抜いたのですが。

思えば江戸幕府の力は絶大なものでした。
それだけに治安等は非常によかった、逆にそれだけにこうした悲話もまた生まれるのです。
光と影、とででも言いましょうか?

花札・松の光札を見てください。
今更ながら、非常に縁起のいい札です。
そして、その裏側です。
うん、花札ですから裏地は全て同じ、他の札(の裏)と区別が付きません。
まあ、そうですよ。さもなければ、遊戯具として使えませんもの。
でも、僕は敢えて言います。この非常に縁起のいい札の裏を見るようにしてください。
そうやって、目を鍛えるのです。
目出度さの裏側にあるものが見えるようになれば、あなたの人生、きっと実りあるものになると保証します。

と、説教くさいですね。振りましょう。
漢詩の世界から、もうひとつ、床しい松を拾います。

秋夜丘二十二員外に寄す 韋応物

君を懐(おも)うて秋夜(しゅうや)に属(ぞく)す
散歩(さんぽ)して涼天(りょうてん)に詠(えい)ず
山空(むな)しうして松子(しょうし)落(お)つ
幽人(ゆうじん)応(まさ)に未(いま)だ眠らざるべし

つーことで、ひとつ和訳をつけときましょうか。

  秋ノヨフケノヒトコイシサニ
  サンポシナガラウタクチズサム
  山ノ小屋ニハマツカサ落チテ
  オヌシヒトリデ寝ラレマイゾ
            (松下緑)

うーん、これも、ちと季節が早かったですかな、

と、この言い回し、



お隣の国のお月様
○七捕物帳、って小説は多いんですね

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!
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