開設にあたって



 このブログは巷間Webサイトで取り上げられているフェムドムの欺瞞性に関する理解を深め、未成年者を含むすべての認識あるネット人の方々への情報発信を意図しています。
内容は全てネット人の言論レベルであり、価値観の押し付けやネット外に波及するイマイマシイ現象の勃発を目的とするものではありません。
特定の集団に限定されずに、広く一般の読者を対象としていますが、なれあい以外には関心ない方には退屈感を与える可能性はあると思います。
 その点をご理解いただきご覧ください。また、コンテンツの二次利用、再配布等はご随意ですが、全ては自己の名・自己の責任にておいて願います。



さて昨今、目にすることも少なくなくなってきた、『フェムドム』(Female Domination = 女性支配)…
論者はこの言葉に大いなる懐疑を抱いている。
結論を先に言えば、男性が頭の中で作り上げた虚構の世界ではなかろうかと思料しているのだ。
少なくても、フェムドムの世界に登場する女性とサディスティン(女性のサディスト)とは距離がある。
以下、本ブログはサディズムを始めとする世に言うところの特殊性癖を検証していくのであるが、二点ほど論者である管理者の我侭をお許し願いたい。

1.特殊性癖を取り上げる以上アダルトカテゴリにおくのが通念であることを知りながら、あえて一般カテゴリにおくこと。
2.コメント・トラックバックを受け入れず、不特定多数の閲覧のように供するネットにおいて評論すること。

もし、お許し願えないということであるのなら、『不適切なブログ』としてブログ運営会社まで通報されたい。

 ※ 一部原文を変更してあります。


posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


世に言う『サディスト』なるものは存在しない

冒頭申し上げておく。
この記事に関しては論者の私見ではなく、現行分析学等における通説を示す。
その点を踏まえてお読み願いたい。

さて近年、「自分はS(サディスト)だ」「彼はM(マゾヒスト)だから」亜流の言い回しがされる。
そもそもの成り立ちに立ち返れば、これは明らかに誤った用例である。
本ブログ第1稿は、この点の擦り込みを目的としよう。

『粘着』。このネット符牒はご存知であろう。
おそらくは、ドイツの精神医学者 エルンスト・クレッチマー の『体格と性格』に登場する粘着性気質の略。
彼は同書において、性格三分類(粘着、躁鬱、癲癇)を行った。

ここで注意しなければならないのは、粘着性気質の人間、躁鬱性〜、癲癇〜なるものはいないということである。あたかもドンキホーテ型・ハムレット型の人間はいたとしても、ドンキホーテ・ハムレットという人物はいないが如くに。
挿絵つきの書であるので、3つのうち体型の一番近いものを指して「ああ、自分はこれだ」という人がいるがこれは、そもそもの根底を理解していないがための誤解だ。

人間だれしも3つを持ち合わせている、状況いかんでその何れかが表にでる、というのがクレッチマーの理論なのである。ご確認のほどを。
人間、十人十色、千差万別の性格…この分析であることに留意されたい。

サディズム、マゾヒズム、フェチシズム…全く同じ事情である。
これらも万人が大なり小なり持ち合わせている性格因子の一に過ぎない。
何れかの時に何れかの人物のサディズムが表に出たとしても、彼もしくは彼女が即サディストというわけではないのだ。

冒頭掲げたような意味でのサディスト、即ち、マゾヒズムを全く持ち合わせない、いや全人格がその正反対の極にある、サディストなどいうものは存在しないのである。
ましてや、S、M、ノーマルの『性癖三分類』などナンセンスの極み。

さらに付け加えれば、クラフト・エービングの時代からは年月を経過した現在のこと、生活様式、価値観その他、かの時代からは大きく変化している。
かのサディズム命名者の分析自体にも陳腐化が生じつつある。
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


魔女性

男性よりも女性のほうが、残酷なことを平気でする。
これを魔女性という。

この魔女性はアニマ論で説明がつこう。
アニマ… これは男性の心に存する『永遠の女性像』である。
全ての男性の内面には女性がいる。
逆に、全ての女性の心にはアニムス = 『永遠の男性像』が住まっている。
その内心の男性が女性をして、過酷な振る舞いをさせるのである。

男たるもの立場上、厳格に振る舞わなければならぬことが多い。泣いて馬謖を斬る…
「可愛そう」と泣きながら、心の中では「なにさ、いい気味」とせせら笑うのが女。
論者も大いに覚えがあるのだが、それはさておき。

では実際問題として、残酷好きの女のほうがサドが多いか?
答えは明らかにNOであろう。
そこらが、フェムドム神話の非現実性なのであるが。

この原因として考えられるのは、体格体力体型の男女(格)差だ。
女性とすれば、これらに勝る男性をいたぶり辱めることは逡巡していまう。
なぜならば、いつ何時気が変わった相手からやり返されないとも限らないから。
恐怖が先にたってしまうのだ。

それ故に、女性のサディズムは同性に向くことが多い。下世話に言うところの『レズボス』。
この事象は、フェムドム信奉者たる紳士たちにとって慰めとなるか、はたまた…

posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


サロメ − 舞踏の報償として洗礼者ヨハネの首を求めた舞姫

サロメさて女性のサディズムを探る上で、いの一番にあげなければならないのは、この人物であろう。
キリスト教の新約聖書中のエピソードで史実と言えるかは疑問であるが、人類史上最古のサディスティンの一人と位置づけられている。

正直論者はサロメに詳しいというわけではないのだが、話によればサロメは皿に盛られたヨハネの生首に口付けたとある。
これはある種、屍姦。そして艶かしくもある。
立派なサディズムである。

だがこの逸話からは、もっと別のファクターを色濃く感じる。
何かといえば、女性型の独占欲とでも言おうか。
ここに、一つの戯曲がある。木下順二『夕鶴』、論者はずばり嫌いだ。
鶴女房つうは、愛する与ひょうのためと思い自らの羽で布を織り上げた。
ご存知のとおり、結果的には裏目に出て与ひょうをダメにしてしまい、悲しみにくれることになるのだが。
サロメの生首逸話の根底に、つうの布織と同種の心理状態が感じられてならない。

それにつけても、目的の為より強大な権力にすがらなければならないサロメのような女性像は、見ていて限りなく物悲しい。
巨大掲示板群に好事例があった。
年下の女上司…、役員の愛人であるがために若くして管理職についた女性になりきった書き込みに、論者は物悲しさを覚えた。
脇から入り込んで件の女性像をぶちこわしたのは論者の仕業である。

posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


売買春の変態性

ブログのテーマからは少々外れるのだが、是非にも書きたいのでここに。

巷間あふれる時事報道のなかで、論者が激しい憤りを感じるトピックスがある。
それは『児童買春』。
誤解のないように願いたい。『買い手』ではなく『売り手』に憤っているのである。

懲罰を定めた法規の立法趣旨によれば、「わずか、18歳、17歳、16歳、15歳…」だから?
冗談ではない。その年代なら十分に物事の善悪の判断はつくではないか!
「18歳、17歳、16歳、15歳… にもなって」である。
何が『児童』であるか!?

買い手の行為は勿論悪事であるが、心理はノーマルであろう。
男性が若い女性を求めるのは優勢生殖のための自然の摂理。
それ故に、女性、とりわけ若い女性には貞操観念というのがあるのだ。
生活のためならばいざ知らず、ただの遊び金欲しさ・興味本位から春をひさぐような女は変態としか言いようがない。

中高生が売春をしているのではない。
売春婦が高校・中学に通っているのだ。
と、月並みではあるが全くの正論であるこの言葉で締めくくる。

posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


阿部定 − ご存知「チン切り」

阿部定フェムドム神話の非現実性を述べるにあたり論者は、『体格体力体型の男女(格)差』という言葉を使った。
体格体力の2つは個別差がある。従って男女の逆転もありうる。
だが、残りの一つである体型。これは苦しい。
とりわけ性器の形状だけは、いかんともし難い宿命である。

男性は凸状の性器に優越感を持ち、女性は凹状のそれに劣等感を持つ。
よって、男性は優越感のある性器を見せ付けたがる傾向に走る。
大凡女性たるもので、男性から性器を見せ付けられた体験のないものはないであろう、と言われるくらい男の露出癖はポピュラーな事例である。

幸いにして論者はその被害にあったことはないのであるが、ただ…
ネット巷間における『2次元露出狂』から男性器を見せ付けられつづけ、少なからず不快な思いはしている。
それ故、「チン切り『定』」には密かなる喝采を送りたいところだ。

かの有名な阿部定である。
文字通り男性のシンボル、誇りの象徴であるペニスを切り取ると云う行為は、勿論サディズムであろう。
ただ、その心底にあったものは?

ここで考えなければならないのは、当時の社会背景だ。
思えば、幕末から終戦までに至る時期は日本史上女性の地位が最も低かった時代である。
対等な立場で自らの充足のため、チン切り行為に及んだとなればサディスティンでもあろうが、そうでないとすれば。
この阿部定も、箱屋殺しで毒婦中の毒婦と謳われた花井お梅あたりと同列に置かれるべき人種ではなかろうか。

それにしても、大陸に目を転ずれば東西を問わず、何百何千のペニスをチョン切った女などウジャウジャいると言うのに!
たった一本切っただけで、歴史に名が残ってしまう日本はやはり島国である。
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


サディスト vs マゾヒスト はベストカップルにあらず

この記事ではSMプレーの話題に触れる。

この話はご存知だろうか?
「マゾヒストなるものはいない」

マゾヒストとは嗜虐性向者、ひらたく言えば、苛められて悦ぶ者、という意味である。
ところが、「悦んでいるのなら苛められてるわけでもなんでもない」、極めてシンプルな壁に突き当たるのだ。

念のために言っておくが、これは言葉の遊びでもなければ哲学や宗教の問答の類でもない。
れっきとした論理学の問題である。
「落書きするなと落書き」「張り紙するなの張り紙」、論理のブラックホールは極身近にある。

これを突き詰めるのは、本ブログの趣旨ではないので本題に移ろう。SMプレー。
出会い系サイトを覗けば、よく目にするであろう「Sです。M募集」、一見正しいように思える文言である。
が、考えればすぐにおかしいと気づく。

S = サディストとは加虐性向者、ひらたく言えば、苛めて悦ぶ者、という意味である。
マゾなるものの存在の如何に拘らず、『相手を充足させて昂ぶる者』ではない。
どうも、女性S男性Mの世界では、S = マゾ理解者 という位置に置かれているきらいがある。
気の毒ながら、サディストはそんな寛大な存在ではない。むしろ峻烈な存在ですらある。

そして何よりも。
事実、真のサドはマゾなど相手にもしないのが現実だ。
色々検証していくつもりの論者である。

下世話に言われる「サービスのS、満足のM」。
これもフェムドムワールド信奉者が作り出してきた虚構のひとつといったところであろうか。


posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


織田信長 − 鳴かぬなら殺してしまえ

d839a9e2.jpg日本人2番手は男性である。
表題のホトトギス3様であらわされる様に、数々の残酷エピソードを残す織田信長だ。

が、よくよく伝記を読めばイメージとは少し違う信長像が見えてくる。
信玄や謙信を「御館様」と呼び、世辞たらたらにへつらっていたことはご存知だろうか?
大凡「殺してしまえ」の信長とは思えない。
彼は短気者どころか、目的のためなら百年でも我慢できる男なのだ。
こうしてみると、残酷エピソードは彼のサド性癖から発せられたものとは思いがたい。

むしろ論者が興味を覚えるのは、若き日のかぶいていた頃である。
信長は女の着物を着て女踊りばかり踊っていたという。
そして、御馴染みのこの肖像。極めて中性的な面持ち…伝承とも一致する。

つまり織田信長という人は、今日で言うところの性同一性障害の傾向があったように思えるのだ。
彼が残酷行為に及んだのは『女性』が爆発したときなのではなかろうか?
例えば、秋山信友を長良川で逆さ磔に処したあたり。
将にそう感じる論者である。

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エリザベス一世 − スペイン無敵艦隊を討ち破る

5b489871.jpg名実ともに女王様である人物を登場させよう。
ヨーロッパの女性君主には、あちらの意味でも女王様であるケースが多い。
中には自分宛の手紙を配達してきた配達夫を全て断頭台にかけた女王もいたとか。

かの『流血のメアリー』の後を継いだエリザベス一世も処刑にかけては先代にひけはとらない。
どうも彼女は、好きになった男を断頭台に送ってしまう癖があったようだ。
だから、生涯子をなすことがなかったのであるが。
その分、為政でカタルシスしたのかもしれない。

さて、エリザベス一世即位当時はスペインが世界最強国であった。
彼女は考える。どうやってあの無敵艦隊を破るか?
そして一つのアイデアが浮かぶ。
もうひとつの頭痛のタネ、海という海を荒らしまわっている海賊連中。
彼らを使えないものかと。毒をもって毒を制す。

紆余曲折あって、いよいよ海賊首脳部との会見に及ぶ。
彼女は、本題から入らず古典文学の話を用いだし海賊どもの機先を制した。
頃やよしと見て女王は切り出す。「さて、最近、そのほうら…」

いよいよ説教が始まるのかとビクついた海賊どもの耳に飛び込んできたのは、意外や意外、「もっと、おやりよ」という励ましの言葉であった。
「海賊船であることさえ示めさなければ、我が国どの港への寄港も許す」
「水・食料・燃料を提供する」
海賊にすれば、どれひとつとっても、耳を疑うようなおいしい話ばかり。女王の申し出を辞退する理由はない。
全ての条件に合意し、下がろうとした彼らをエリザベスは呼び止めた。

「お待ちよ。これだけ有利な条件出してるんだから、そっもアガリの…」

この瞬間、エリザベス一世は海賊集団の『大姉御』となったのである。
そして、彼女は子飼いとなった海賊どもに教育を施しスペイン無敵艦隊に勝る海軍を育成していく。

さて、この記事における論者の目的は、フェムドム信奉者の描くサド性むき出しの支配者像に一石を投ずることある。
もしエリザベス一世がサド性を爆発させ海賊狩りをしていたのであったなら、以後の大英帝国は存在しなかった。
耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び…支配とはむしろ忍従的なものでおる。

ここまでが本論であるのだが、少々余談を。

このブログもお世話になっているライブドアは、M&Aという言葉を世間に広めてくれた。
そしてその企業買収路線の暴走からの脱線した。
エリザベス一世の海賊集団買収はM&Aそのもの。
16世紀のヨーロッパには、世界最強艦隊以上の海軍を只で買収してのけた『天才女社長』がいたのである。
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


北条政子 − 我が子を謀殺した尼将軍

760a00ee.jpgでは、我が国における女性支配者をとりあげよう。
北条政子、源頼朝の正室。
論者は別所で、源平時代一の女傑と評した。

頼朝なきあと、政子は幕府実権を手中にし徐々にその勢力を磐石にしていく。
詳細には触れぬが、2万の武装兵の前に単身立ちはだかり睨み返したり、尻込みする兄に発破をかけ朝廷と一戦交えさせたりと、将に将軍そのものである。
そして、何よりも。
能力がないと見て取ると、自分の子供であっても容赦なく切り捨てる徹底振りは特筆に価する。

かつて古代にも、夫亡き後夫婦で築き上げた権力を守り拡大していくため、謀略を巡らせた女性支配者がいた。
持統天皇である。この女帝もかなりの血塗られた支配をしてのけている。
だが、政子とは決定的な差異がある。
持統帝が葬り去ったのは、我が子・孫の政敵である人々である。

母たるものが自分の子を守り立てるために血を流すのは、むしろありがちなことだ。
そして、極めて女性的である。
だが、尼将軍・北条政子の場合はかくのごとし、もし夫・頼朝が能力がないと見て取っていれば、これをも切り捨てていたであろう。
母性をも殺した、究極の女性支配者…

さりとて、政子の性格の部分に母性欠如の傍証は見出せない。
ましてや、サディズムに至っては匂いすらも感じられない。
思うに尼将軍は、その支配目的のためにありとあらゆる感情を殺し去っていたのではあるまいか?

支配とは限りなく忍従的である。

posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


則天武后 − 中国歴史上で皇帝と名乗った唯一の女性

aec73555.jpg同じく我が子をしいして帝位についた女性をとりあげよう。

女性でありながら皇帝にまで上り詰めたくらいであるから、彼女も相当に血なまぐさいことをした。
だが、なかなかの名君であったようだ。
政治だけではなく、文化の面でも功績あり。文字を作るといった業績も残してる。
水戸光圀の圀の字、これが則天文字である。

さて、『后』というくらいであるから、もともとはこの人は女官の出である。
若き日、太宗皇帝から癖馬の扱いを問われた折の逸話をひとつ。

「私なら先ず鉄鞭で打ちます。それでも従わなければ鉄撾を首につきたててやります。それでもなお従わないときは匕首で喉をかっきってやります。」

因みに論者が同じ質問をうけたとしたら全く同じことを言ったであろうが、それはさておき。
二代の皇帝の寵愛を受けただけあって、則天武后という人は美しい女性であったようだ。
そして、非常に若作りだったようである。なんでも70歳過ぎても30歳くらいにしか見えなかったとか伝えられる。

にも拘らず、武后からは女性のイメージがあまり浮かばない。
なぜか? 上述の為政者手腕のせいもあるだろう。
が、それよりも大きいのは彼女の『遊び方』から、ではあるまいか?

お気に入りの家来に陰核をしゃぶることを許したり、美少年を集めたハーレムで乱交にふけったり…
将に男の遊びそのものである。
事実、臣下から乱行を咎められたおり、武后は「男の皇帝ならば…」と愚痴ったという。

性格面という切り口からすれば、皇帝としての則天武后はドミナントを通り越して『男そのもの』であったといえるのではなかろうか?
少なくとも論者には同性の匂いが感じられない。




posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


曹植 − 兄・魏帝にうとなまれ続けた天才詩人

63167cad.jpgここで、フェムドムからは完全に離れた1稿を挟む。
後期三国志演義で名高いのが、この曹丕曹植の兄弟げんかである。

演義によれば、曹丕は弟・曹植をなきものにしようと様々な難題を吹っかける。
その極めつけが、背中に刀を突きつけ、七歩歩くうちに漢詩をひとつ作ってみろ、の帝命、ご存知『七歩詩』である。

この心底には勿論サディズムは存在する。
が、メインをなすのは近親憎悪であろう。
人というのは、自分により近しいものに嫌悪感を抱くものである。
曹兄弟は同腹である上に、詩という特技まで同じ、激しくいがみ合ったとしても不思議はあるまい。
まあ演技では、悪玉善玉を仕立てる必要があるので植が一方的な被害者に描かれるが、史実では決しておとなしい弟というわけではない。
純然たる喧嘩であったと見るほうが自然だ。

けど、その兄弟がかたや皇帝として栄華を極め、かたや敗残者として『匹夫に等しい』余生を送ることを余技なくされたことは、紛れもない史実だ。
王とは名ばかりで実態は匹夫に等しい… 帝位につけなかったきょうだいたちの生活は本当に悲惨なものであったそうだ。
いや、まだ命があるぶんだけマシか?
同じアジアでも西のほうでは、敗者は消石灰と一緒に麻袋に詰め込まれ海に放りこまれてしまうのである。骨も残さないために。
何百人もいるきょうだいたちのうち、たった一人を残した全員が辿る運命、惨い話だ。

何百人もいるきょうだいと言った。
実際、イランあたりには15歳のとき既に700人以上も子がいた王もあったらしい。
ここで『たった一人』のほう、王なり皇帝なりに話を戻そうか。

このような酒色三昧の生活が身体にいいわけがない。
皇帝(王)などというものは、それが原因で並べて早死である。
後漢の皇帝はほとんど30まで生きられなかったのではなかったろうか?
これが勝者の辿る運命、いやこれでは到底『勝者』とはいえまい。
どうやら支配者もまた、勝者たりえないようである。

いつの時代も、勝者なき戦いは空しい。


posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


永田洋子 − 総括の名の下、次々に同志を私刑

5065e104.jpgぐっと時代をあがって戦後日本史から。本稿を書いている今このときも、東京拘置所内で存命であろうと思われる人物である。

連合赤軍事件。
あの浅間山荘銃撃戦に震撼した国民は、永田ら幹部逮捕の安堵感もつかの間、リンチ殺人の発覚に更なる戦慄を覚えるのである。
なんと、12人もの同志を殺害して埋めていたとは!

素手で人を殺すのは相当な抵抗があるものだ。
それを、この小柄でおとなしそうな女性は…

リンチ殺人は主に永田、獄中自殺した森恒夫、そして最後は犠牲者となる山田孝の手により行われた。
圧巻は、この山田のときの逸話である。
山田は断末魔の中、地面の雪を口にし、そして息絶えたという。
さすがに一同しんとなるなか、永田は、
「コイツ、最後まで食い意地がはってやがる」
と、せせら笑いながら死体をつま先で小突いたとある。

いやはや、書いていても背筋が寒くなるような話だ。
が、その一方、例えば夫の坂口弘に対しては。
少ない食料の中肉は全て坂口に食べさせ、自分は西瓜だけですき腹を膨らませていた、などという優しい面も覗かせている。
これは当時流行していた尽くす女…
彼女は冷血殺人鬼であり、そして間違いなく女だったのである。

ようやく、サディズムによる女性支配の実例を見つけられた、か…
どうであろうか?
論者とすれば、フェムドム信奉者諸氏には甚だ申し上げにくいのであるが。

災害時・戦争時においては、永田類似の事例はよくある。
極限下においては、人の本性すらが変わってしまうということだ。
そして連合赤軍の面々は、その主観においては将に戦闘中であった。

永田洋子という人物が、平時において同じ行っていたのならば。
間違いなく真性サディスティン、サディズムによる支配を実現した人物と言うことになるのだが、悲しいかな立証する術はない。

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S女とは「サディズムに『濡れる』女」?

サディズム、マゾヒズム、フェチシズム等々耳にする機会も少なくなくなってきた昨今、これらを冠した創作めいたものを目にする機会も多い。
これらの大多数は、「濡れた」「勃起した」「射精した」「イッた」と性的昂ぶりに行き着く。
これらは、完全なる誤りである。

そもそも、これら特殊性癖はそれぞれ『性向』『嗜(愛)好』であり、少なくても語義には肉体的変化を内包するものではない。
よしんば『性的昂ぶり』を必前提とするものであったとしても、肉体的なものである必然性はない。

SMプレー、フェチその他に因する行為。
ひとくくりにして、なんと言ったらよいのであろう? 特殊性癖を基とする性行為?
これらは(性行為と呼べるかどうかは大いに疑問なのであるが)『生殖を目的としない性行為』である。
だからこそアブノーマルなのであるが。

ドライオルガスムスということがある。
ホモサピエンスは思考することができるだ。

性的昂ぶりを前面に押し出す自称『特殊性癖』作家。
まあ一部早飲み込みに乗じたインチキな連中が、商売や自己満足のために称しているのであろうが、かかる人種に関して多く紙面を割くのは本意ではない。


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高坂 弾正 − 信玄の『ホモ達』

65b86af3.jpg戦国時代最強の部類に数えられた武田軍。
その武田軍随一の用兵家にすれば、表記の副題は大いに不本意かもしれない。

事実、信玄の信州の平定は弾正の力なくしてはありえない。
その地の豪族高坂氏を名乗るようになった彼は最前線を任され上杉謙信に備えた。
また文の方にも優れた弾正は、かの甲州流軍学書「甲陽軍鑑」の著者でもある。

が、信玄と男色関係であったことも紛れもない史実だ。
近習として出仕した彼は信玄には寵童として非常にかわいがられ、信玄が弾正に対してしたためた嫉妬の手紙、浮気の謝罪文も見つかっている。

これは、別に両人が特異だったわけでもなんでもない。
戦国時代、ほとんどの大名は幼い男子を側に侍らせした。
小姓… あれである。
また一説によれば、盟友の証として大名どおし肛腔性交に及ぶこともあったという。
けっして男色は不潔視されてなかった。
いや、むしろ不潔視されるようになったのが極近年になってからなのである。

古く古事記の時代に遡ろう。
有名なヤマトタケルのクマソ征伐。
記載を読むと、

女に化けてクマソタケル兄弟に近づき刺し殺す、先に兄を刺し弟のほうは尻から貫いた。
この勇敢さに敬意を表した弟はタケルの名を譲り息絶た。

とある。
女に成り済ませるほどの美青年、寝所、尻から、敬意を、このキーワードから読めるとおりであろう。
非常に艶かしい。

さて、論者はなぜ同性愛の話題に1稿を費やしたか?
『生殖を目的としない性行為』の典型例であるから、勿論それもある。
が、それ以上に大きな意図は、時代背景を元に戻さなければ歴史文書などは正しく読めやしない、ということを訴えるためである。

論者は、ヤマトタケルは非常に艶かしいと言った。
これは取りも直さず、クマソ征伐をした人物は現在の価値観に置き換えれば『女である』と読むべきである、という意味で言ったのである。
同様の例が、京の五条の橋の上・牛若の弁慶退治。
これは、『女』が大男をやっつけたという伝承である。

男色が異端視されるようになったのは、いつの時代からなのであろうか?
おそらくは男女同権の思想の元、女性が男性の領域に入るようになってからだろう。
ついでにいえば、戦前までは男女共学は変態中の変態という価値観で見られていた。
ノーマル・アブノーマルの線引きなるものは、全く以って曖昧模糊としたものであるのだ。
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


アブノーマルへの目覚はノーマルな性行為に目覚めるよりも先

男色の話題のついでに、もうひとつ肛門にまつわる話をしよう。

ご存知であろうか?
人間はその幼児期において、性器より先に肛門に関心を示すものである。
行動心理学の書で確認されたい。

これも、自然の摂理だ。
つまり、育児可能の年限に達してない者が、『せいき』の性行為に及び子をなしたとしても育てることが出来ないというわけである。
自然の摂理の、なんと偉大なことか!

因みにサディズムの目覚めは更に早い。
歯の生えた乳児は、しばしば母親の乳房に噛み付くものである。

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イサベル一世 − 一風変わった願掛けをしたレコンキスタ完成者

3f0ab977.jpg今度はスペイン黄金時代の基礎を作った女王にスポットライトをあてよう。
彼女は、かのコロンブスの支援者としても歴史に名を残す。

さて、レコンキスタとはキリスト教国によるイベリア半島の再征服活動の総称である。
なんとか自分の代でそれを完成させようと悲願したイサベルは、とある方法で願掛けをする。
そもそも、「欲しがりません。勝つまでは」が20世紀日本以外で行われていたこと自体が驚愕ものなのであるが、その方法を知ると更に驚愕することになる。

なんと彼女は、下着の履き替えを絶ったのである。
回教徒を駆逐するまでは下着を変えない、と誓ったイサベル一世のパンティは黄ばみ、やがては薄茶色に変色していった。
薄茶色のことを別名『イサベル色』という言い回しが今でもあるらしい。

いやはや、肌着フェチ諸氏にすれば垂涎のアイテムになろうが、なにか、聞くだけでも気持ちが悪くなってくる。
湯上りに再度同じ下着を着けなければならないときの、あの不快感!
こればかりは、異性には伝えようがない。
つくづく支配者とは忍従的なものだ。

ときに、禁欲とマゾヒズムの違いとは?
同質である、と、どこかで論じられているのをみたことがある。
して、もし論者がこれに反論するのであれば、やはり性的昂ぶりの有無を持ち出すことになるのだが…
「禁欲に昂ぶったらば?」と返されることを想定すると、少々自信がなくなってくる。




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岡口逸堂 − 日本のサド侯爵

b7186fba.jpg本稿・岡口逸堂とは大正時代に中国某県に在住した僧侶である。
記録によれば、同棲している二人の女性をしばしば鞭打ってはお楽しみにふけっていたという。
うち一人が悲鳴をあげて逃げ回るので、近所で評判になり岡口は検挙されることになるのだが。

ここで注目されることが二点ある。
一点目は、農耕国である日本では余り馴染みがないとされている鞭打ちが事例として記録されていることである。
実際歴史を遡ると、江戸時代あたりにもスパンキングの事例を見出すことが出来るし。
日本における鞭打ちは、むしろSMが市民権を得だしてきた近年に廃れたともいえよう。

もう一点は、保護された二女性が取り調べに際し、それほど恨みがましい様子でもなかったということ。
ことによると、『愛あるSM』だったのかもしれない。

まあこのように事例にみる鞭打ちは、大概男性が女性を打ち据えるパターンである。
理由はといえば、女性が非力で打つ側に回るに不向きであることと、そもそもセックスにおいては女性が受身であることの二点であろう。
鑑みるに。
ボンデージ・ルックに身を固めた女性が男性を打ち据える、かの定番パターンは虚構に過ぎないのかもしれない。
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妲己 − 炮烙を考案したとされる傾国の悪女

9325c917.jpg近年創作等においてよく登場する人物であるので比較的ポピュラーといえるか。
殷の紂王の后である。

炮烙とは、猛火の上に多量の油を塗った鉄の丸太を渡し、罪人に無理やり渡らせ、渡りきれば釈放するという中国の伝承的な刑罰である。
罪人は鉄の丸太を必死の形相で渡ろうとするが、滑って丸太にしがみつき、熱くてたまらず、しがなく猛火に落ち焼け死んでしまう。
この二人が見て楽しむために考案したと伝えられる。
イエスキリストが誕生する千年以上も前の話であるので、どこまで正確であるかは定かでないが。

この手の伝承はよく聞く。
奴隷が油で煮殺されるのを見るときだけ、ケラケラ笑う聾美姫とか。
恐ろしい話だ。
けど艶かしい。同性から見ても。
論者は、逆趣向、女奴隷を蛇の穴に投げ込み体中の穴という穴に食い入られもがき苦しむさまを楽しんだ悪王の逸話よりも、こちらのほうにより多くのサディズムを感じる。
こうした中国伝説の悪女こそが、もっとも進化したサディスティン像であろう。

残酷な時代であった。
周公の時代の遺跡から、人骨で出来た鏃や釣り針が出土されたことがあった。
勿論奴隷の骨で作られたものだ。
つまりは古代における奴隷とは牛馬と同じ、死したる後もこのような形で利用された訳である。

安っぽく「奴隷でございます」と口にするSMプレー愛好者たちよ。
かの孔子が聖人政治と絶賛した周公の時代ですら、かくの如きなのである。
どうか、この事実を頭の片隅にとどめられたい。


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平貞文 − 平安時代の実践スカトロジスト

63ddd4e1.jpg平貞文は中古三十六歌仙の一人で多情多感な風流子といわれたドンファンである。
あるとき、本院ノ侍従という美女に恋して、さまざま手をつくしたが彼女が逢おうとともしない。
可愛さ余って憎さ百倍、そこで彼女の尿尿を見たり嗅いだりすれぱ、その疎ましさのため一度に恋情が思いとどまるだろうと考えたのである。

この時代は虎子筥といわれる『おまる』を使っているので、尿尿の入手も比較的容易だ。
貞文が尿尿の入った虎子筥を奪って来させ、三重がさねのその筥(はこ)をあけてみたところ外にも中は薫香に充ち、丁子を濃く煎じて入れた匂い物がこめてあった。あきらめようとしたのに「かく心ある人やある」と思われ……「いとど死ぬばかり思へど甲斐なし」と失恋のどん底にしずんだという。
これが『今昔物語』巻三十に書き残されている『平中の遊び』。芥川龍之介が『好色』に、谷崎潤一郎が『乱菊物語』にそれぞれそのままの形で創作化したことは有名である。

尿尿を見たり嗅いだりする…
さて、これを女性の立場から、しかもサディズムという切り口で論じなければならないのだが。

論者も時々「貴女の排泄物を頂戴したい」といわれることがある。
これは排泄物に対するフェチシズムというよりも、俗に言うところの『便器マゾ』の心理に基づくものであろう。
因みに便器マゾは圧倒的に男性が多いとされていることを補足しよう。

確かに「糞食らえ」という罵り言葉が複数言語にあるように、他人に自分の汚物を食べさせるというのは最大級の辱めには違いない。
「貴女のお尻の下で口をあけて待っています」
などと、言われると、くすぐったい気持ちにさせられるのも事実である。

だが、はっきり言って現実味はない。
いやそれどころか、プレーSMにおけるところの『黄金プレー』なるものは、むしろ責め手(排泄物を食べさせる女性)が責められているとさえ感じられる。
最大の理由は衛生上の観点から、ほかにも色々あるのだが、これだけで十分だ。
自分のものとはいえ、排泄物が体にかかったり、甚だしくはそれを手でつかんだりすることを快しとするであろうか?
便器願望者の思い描くフェムドムワールドの虚構性がここにもあった。

とは言うものの、汚物が非力な女性にとって有効な責め具となることもまた事実だ。
かの昔スケバン全盛期、汚物を使ったリンチがしばしば行われたという。
この場合責め手はただ普通に排便するだけ、排泄物を手でつかみ犠牲者の口に押し込むのは子分たちの役目となるので、前述の不快感は伴わない。サディズムである。

それにつけても、女性のサディズムは同性に向くことが多いという傍証の、なんと多いことか!

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秦の始皇帝 − 少女の尿を愛飲したと伝えられる初代中国皇帝

46589c0a.jpgご存知、古代中国の帝王。
初めて中国を統一し、紀元前221年から中国史上はじめて皇帝と称した人物である。

古今東西問わず、ひとたび権力の座についたものは、とこしえにと願うものだ。
彼の不老不死願望は名高い。色々なことをやった。サブタイトルに掲げたものは、そのうちの一つである。
若い女性の尿が若返りの妙薬であると聞いた始皇帝は、それを実践したというのだ。
飲尿健康法なるものは、紀元前からあったということか。

これは、排泄物に対するフェチシズムであるが、マゾヒズムではない。
絶大な権力を持っていた彼のことだ。
あやしげな「くすし」が、生き血がいいと言えばそれを飲んだであろうし、生き胆がいいと言えば少女の腹を割いてそれを取り出したに違いない。
それをさておいても、少女の若さを吸収しようと試みるのは、むしろサディズムに近いといえよう。

このような事例なら、女性にもある。
いや、男の尿臭を愛好する女性は男に仕えるためでなく、むしろサディスティクに願望で尿臭を嗅いでいることが多いくらいだ。
これが、エスカレートするとカニバリズムへと発展するのであろうが、それはまたの機会に。





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劉備玄徳 − 逃走時、土豪・劉安より受けた饗応とは?

劉備玄徳劉備玄徳、かの三国志のあの劉備玄徳である。
ご存知のとおり、蜀建国まで劉備は背走に告ぐ背走を続けるわけだが、そのうちの一つのエピソードにこの話がある。

尾羽打ち枯らした劉備は主人劉安より暖かく迎えれる。
肉料理を馳走になり、翌日立ち去ろうとする劉備は偶々、むごたらしく肉をえぐりとられた女性の死体を目にすることになる。
驚いて問うてみると劉安は泣きながら、
「お察しのとおり、これは愛妻です。貴方様をお迎えしてもおもてなしも出来ないので、二人して話し合い…」
ああ、昨夜の肉料理は… と、劉備は厚く感謝する…

これが、三国志演義では美談として語られるのである。
まあ演義は物語であるので史実はどうであるか分からないのだが、中国にカニバリズム(食人)が存在したことの傍証にはなる。
中国カニバリズムはかなりあとの時代まで風習として残っていたようだ。同じ四大希書である水滸伝あたりを読めばわかる。
吉川栄治氏は、日本人には馴染まないので、と評したかの逸話であるが、なかなかどうして。
大森貝塚発見のE.S.モールス博士の研究では日本にも食人風習は、存在したようである。

人間が人間を食らう… ネットのある場所で「食人こそ究極のセックスだ」と評した書き込みを見たことがある。
相手の精神も肉体も完全に自分に取り込んでしまう… なるほどと頷ける。
その意味においては、女性が男性を食わねばならぬ。表題の逸話とは逆志向となるのだが。

件の書き込みで続けて紹介されていたのが、『アシュラ』 (ジョージ秋山 作) という漫画だ。
舞台は室町時代、飢饉のおりの日本。
導入部において、1妊婦が人を殺し食らい続けながら命を保ち、主人公を産み落とすという逸話があるとか。

男は女より出でしもの、女に取り込まれ、そしてまた新たな生命となって生まれ出でる。
艶っぽくも神秘的である。

実際、生物の世界では雌が雄を食うのが摂理なのであるが、これが人間界になると。
どうも、大半は雄が雌を食ってしまうようである。
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フェムドムと逆転

フィーメール・ドミネーションのキーワードの一つとしてあげられるのが『逆転』である。
即ち、小柄なはずの女性が男性を上回る、非力な女性が荒事で男性を凌駕する、そして宿命ともいえる性器の形状においてもペニスバンドの装備によりその逆転を可能にさせしむる、というものだ。

大きなファクターである。
がしかし、フェムドムには『逆転』が不可欠というわけでもない。
それどころか、あまり逆転にこだわりすぎると、男性の女装癖・女性の男装癖のような『役割逆転の倒錯』へと変質してしまう危惧すらある。
漠然としたか? 流行の『男性受け』とか『逆レイプ』とか言われている範疇のことを言った。

我が国においてこれらが出現してきた背景として、男女両性ともに中性化しつつあることが考えられるよう。
さらにその中性化の原因を歴史的に掘り下げるに、敗戦後の占領軍の持ち込んだデモクラシーの思想が遠因しているのである。
とうの昔に独立国である日本。
しかし、精神世界における米国支配は未だ続いているのである。
いや、それどころか、時をおうごとに一層激しさを増しているとさえ言えよう。

話を戻そう。
男女両性ともに完全に中性化してしまったとなったら、逆転など生ずる可能性すら消滅する。
いや、それどころの話ではなくなる。まあ、敢て言うまでもなかろうが。
だが、幸い我が日本には…

ますらおぶり、たおやめぶり。
言葉さえピンとこない向きもあろうが、これが日本伝統の男女のありようだ。
先ずは、この復権だ。
これを実現せねば国が滅ぶ、論者は繰り返している。

さて、たおやめがますらおを支配する、日本型フェムダム。
いかなるものにあいなろう?
今の段階では、せいぜい文学作品でしか語れないような、この世界に思いを馳せるのも一興ではないのだろうか。


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ルイス・キャロル − 数学者ドジスンである『アリス』作者

b00e3038.jpg『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』、この二部作を知らない人はないであろう。
作者ルイス・キャロルが本名チャールズ・ラトウィッジ・ドジスンという数学者であったことも有名である。

アリスのモデルになったのは、実在のアリス・リデルという少女。
キャロルは暇さえあれば、このアリスを川端までいざない、他愛のない話を聞かせては楽しんだ。
それを纏めたのが『アリス』なのであるが。

もうここまで書けば、くどくは言う必要もあるまい。
キャロルは少女愛性向、平たく言えばロリータコンプレックス(のファクターを強く有する人物)だったのである。
実際キャロルは写真家としても知られ、少女のヌード写真も多く撮っていた。
いやいや、今日だったら大変なことになるが。

ここで話にするのが、その今日のことである。
先般死刑が確定した宮崎勤被告の出現以来、少女愛性向は極めて旗色の悪い状況下に置かれている。
「『ロリータ』は犯罪だ」などと、真顔で言う人さえもある始末だ。
ちょっと考えれば冷静になれるのであろうが。

ちょっと他所の子に近づいただけで物議をかもし出すことになる…
このような時代に生まれた少女たちこそ不幸である。
幼いものというのは可愛いものだ。
幼児期というのは人から可愛がられるよう天から与えられた期間だ、と言えば文学的になろう。
可愛がられるべき時期にその機会を得られなかった損失は、長寿時代の長き人生を終わるまで負の資産として残る。

一部犯罪者のために、このような風潮が…
なんとも嘆かわしい限りである。
蛇足ながら、幸いにして論者は幼児期、ちゃんと可愛がられてきた。
念のために付け加える。

人間、思うなと命令されても思うことは思う。
思えと命令されても、思わないことは思わない。
こればかりは仕方ない。
仕方ない、はずなのだが…

未だかつて地球上には、人の心の中まで支配できる権力は存在しない。
過酷な支配を受けてきた古代の奴隷たちも、心の中までは支配されはしなかった。
思えば。
『心の中まで支配できる権力』に最も近い権力が出現し始めているのは、現代なのかもしれない。

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お市の方 − よくも悪しくも日本戦国時代の女性

0e920771.jpgさて、ここで取り上げるのは、かの織田信長の妹にて浅井長政の正室、そして淀の方らの母である、この人である。

なにせ、支配者の側からの記録しかない時代の女性を、しかもSMという観点から取り上げるであるから、演劇等の創作から切らざるを得ないであろう。
先ずは、鷲尾いさ子演じたところのお市から入ろうか。

「信長の妹は雲つく大女」
長政との婚礼前に近江に流れた風聞として語られる。
これは、かすかに史実の検証ができる。彼女は大変背が高かったと記録にある。
トールフェチの男性諸氏は聞いただけで生唾がわくのではないか?
そして、身長に関するフェチシズムはSMに結びつきやすい。

すなわち大女を組み敷くことに、肉食獣が大型草食獣をしとめるがごとくの快感を見出すサド嗜好。
本来小柄である筈の女性に見下ろされることに嗜虐の快感を見出すマゾ嗜好。
いずれも、『逆転の志向』にして、女性の心理がそれの裏返しになるという理想的カップル誕生の条件をも備える。
下世話にも『ノミの夫婦』というし。
もっとも、浅井長政がどう感じていたかは不明だが。

とご存知、その長政は、後に信長と敵対することになり、時あって滅ぼされることになる。
ここで、黒木瞳がお市を演じた別のドラマの話に移ろう。
髑髏の杯… ご存知か?
信長は、浅井親子と朝倉義景の頭蓋骨で金塗り杯を作り、ある正月の宴の余興にしたというのである。
かのドラマでは、その場いた黒木お市が信長から酒を勧められることになる。
而して、お市、

「できますれば、亡き夫・浅井備中守の髑髏でいただきとうございます」

恐らくはサロメの逸話からヒントを得た脚色であろうが、なかなかのものであった。

 お前死んでも墓へはやらぬ 焼いて粉にして酒で飲む (江戸・市井の唄)

その後、お市は柴田勝家と再婚することになる。
そして北庄にて勝家と運命を共にすることに…
歴史参考書は、こんなお市の方を戦国女性の悲劇として記す。

けど論者はその意見には与しない。
長政からも愛され、勝家からも大切にされた上々の人生といえるのではないか?
戦のために平均寿命の短かったこの時代において、二人分の結婚生活を送ることができたのである。

戦国女性の悲劇を記すのなら、戦で夫を失い子を死なせ、自らも失意の中飢えで果てた名も無き女性をもってすべきと思料するのだが、如何であろう?


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ベラ・レンツィ − 35人もの男性を永久に独占するために

b4019705.jpg馴染みの薄い人物である。

時は1925年、ところはユーゴ、世にも奇異なる性犯罪が歴史に記されている。
かの地の郊外にあるベラ・レンツィという妖艶な未亡人邸の地下室から35基の寝棺が発見された。
一つ一つに男の名前と年齢が記されたカードが付されている。
なんと、その中にはベラの前夫二人と息子の死体も入っていたのである。

何でこんなに殺したのか、と問われ彼女はこう答えた。

「男だったからです。私は、あの人たちが私を抱きしめたあの手で、また誰か他の女を抱いたりするんだろうと、そう思っただけでたまらなかったんです。」

いやはや、なんたる独占欲!
なんたる嫉妬心!

サロメに夕鶴のつうを絡めた過去投稿で触れた、あの心理そのものである。
女性が男性に対し抱く宿命的な憎しみ、男性性への反撃とも言える、女性サディズムである。

そしてベラは、なぜ息子までとの問いに微笑みながら答えた。
私から去りそうになったから、あの子だって男です、と。

愛するがゆえに殺す、いや、殺すために愛する…
愛あるがゆえに、憎しみ反撃する…

『愛あるSM』という言葉がある。将にベラ・レンツィはその典型例であろう。
サデイスティンと自負する女性は、並べてこの言葉が好きなようだ。
論者がどうであるかは、さておくとしても、「愛がなければSMにならぬ」というのは明らかに誤りだ。
でないと、奴隷たちを虐殺することに快楽を見出した中国歴代の悪女のサディズムが説明がつかぬ。
論を進める便宜上、後者を『愛なきSM』としよう。

一見『愛ある〜』の方がソフトモードのようだが、ベラの事例を見る限りそうとばかりもいえないだろう。
『愛なき〜』は別に対象が人間である必要もない。
ほら? 魚介類の調理などでも体験できるであろう。
過去投稿で触れたように、古代中国の奴隷は牛馬そのものだったのである。
だが、その対象が愛する異性限定となると…

鬼というのはそもそもは性別不明の魍魎であるようだ。
が、能の世界では、鬼は般若面を使う。この般若というのは女の嫉妬のあまり角まで生えたものの相である。
「道成寺」の女の霊、「葵上」の六条御息所の生き霊や、善意を裏切られて女鬼に変身の「安達原(黒塚)」のほか、「現在七面」の龍女…
我が国古典芸能は女性サディズムをよく演題にしていたものである。


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SMプレーとサディズム概念

直前の投稿を少しフォローしよう。

論者は決して、仲のよいカップルがセックスの前戯としてSMプレーをすることを否定しているわけではない。
ただ、「互いの愛と信頼がなければSMじゃない」と主張されれば、それは思い込みだよ、と返すわけであって。

さてさて、どちらにせよセックスなどというものには縁のあろうはずもないポジションにある、現在の論者。
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SMクラブなるもの


とはいうものの、所謂風俗SMには、少なからぬ反発を覚える論者だ。
なんでも、商業目的のSMクラブなるものは、諸外国にはあまり見出せない例であるとか。
さもありなんである。

こうした風俗店は、もっぱら男性が女性コンパニオンから接客を受けるバターンであろう。
だから、SプレーはまだしもMプレーは極めて自己矛盾的だ。
人類に商業主義があるかぎり、金銭を出捐している側が支配者なのである。

掲示板サイトでこのようなことがあった。
SM体験したいけどどうしたらいいか? の問いに空かさず、SMクラブに行け、の回答。
論者は、間髪をいれず、「おお、そうだ、そうだ。遊郭でも純愛が生まれることがあるからな」と茶化してやったのだが。

この話にはおまけがある。
いい加減後になってから、論者の茶々を支持ととって、SMクラブにおけるSMは云々と演説をぶちだしたものが現れたではないか!
もし件の演説者が商業関係者でないのなら、これは恐るべき風潮である。


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呂后 − 異姓王を謀殺し塩漬けの肉を諸侯に配る

a6f904fd.jpg香具師興行であるなら、お待たせしました! の口上から始まることになろう。
中国前漢高祖・劉邦の皇后の話題である。

この女性も本ブログで取り上げるべき話題は目白押しだ。
かの有名な『人彘』ではなく、副題の逸話で論を進めることにする。

時代は高祖晩年、すなわち漢朝も起動に乗り出し、そろそろ承継問題に着手すべき時期。
そうなると。
狡兎死して走狗煮らる、格言にもなっているとおり、建国に功績のあった韓信や彭越は呂后により謀殺された。
それだけにとどまらないのが、この逸話を取り上げた理由だ。
呂后は塩漬けにした肉を諸侯に配るのである。
つまり、政治的観点から見れば諸侯を試したということになるのであるが、彼女の心理は?
いやはや、すさまじいサディズムである! で結んでしまってもいいのであろうが、ここはもう少し掘り下げよう。

もし、仮にである。
初代皇帝の后が朝廷安泰のために、人を捨てて鬼になりきったとしたら? 過去投稿で話題にした北条政子に類するパターンだ。
これはサディズムではない。けど見かけ上は、同じことになってくる。

で、呂后の行動は本当にサディズムに分類していいか?
それはなんともいえない。が…
論者が考えるところの分水嶺は、呂后自身が韓信や彭越の塩漬け肉を食べたか否か、である。
彼女が諸侯らの前で、うまそうに食してみせて彼らに勧めたとあったなら、文句なしにサディスティンだ。
ちょうど、リンチ殺人の陣頭指揮にたった永田洋子のように。
けど、それをしなかったとなったなら、或いは…

いずれにせよ、権力者の粛清にみる残酷譚は…
全て、人外のドミナントに支配された事例であるといえよう。

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馬皇后 (中国・後漢) − 父は『画けるが如し』伏波将軍・馬援

8c99c9a6.gif殺伐とした話が続いた。
ここは、箸休めといこう。同じ漢朝の皇后から賢婦人の誉れの高い馬皇后である。

父は漢朝復興の功労者である馬援。
となると、どうしても日本の外戚を連想してしまうが実際はむしろ、娘である馬皇后の力によって以後の馬氏の発展があったようだ。
で、その皇后はといえば、『須髪眉目明らかにして画けるが如し』と称えられた馬援の娘だけあって、長身の絶世の美女であったらしい。
つやつやした髪は丈よりも長かったという。

と、こうなれば男性諸氏の心をくすぐらないわけがなかろう?
髪の毛に対するフェチシズムもトールフェチと並んで男性に多いフェチシズムであるから。
身長に関するフェチシズムはお市の方の稿で触れたので、ここでは髪フェチに進めよう。

ここで断っておかなければならないだろう。
『フェチ』と『魂の概念』の間に線引きをして論を進めたい。
例えば『遺髪』などはここでの範疇外となる。
「髪は女人の栄えなり」(キリスト) 、あくまでもリビドーの象徴としての髪の毛に対するフェチシズムを言っている。
そうなると、髪に関するフェチシズムは男性特有の心理といっていいだろう。
まあ、その点でもトールフェチと共通するのであるが。
そして、SMと結びつきやすい点も同じだ。

髪フェチとサディズムが結びつくと、『髪きり』『髪泥棒』、女性からリビドーの象徴を奪い取ってしまおうというのだ。
ここでは、あえて洋の伝承をあげよう。
ゲルマン神話の雷神トールの妻は大変美しい金髪をしていたとされている。
お馴染みいたずら好きのロキ神は、彼女が寝ている隙に丸坊主にしてしまうのだ。
以下は略すが、緑の黒髪ならずともリビドーの象徴足りうるということであろう。

リビドーの象徴に責められたい… 男性のマゾヒズム心理が入り込むと、メドゥーサのような怪物を生み出すことにもなる。
日本にもこの手の話はある。
苅萱道心の伝説によれぱ、その妻妾が仲よさそうにつきあっていながら、影法師をみると 髪は二区の蛇が噛み合っている姿になっていたため、男は世をはかなんで出家したという。

さてさて、男性がかくもこだわりを見せる女の髪。
持ち主のひとりである論者にすれば、こんなにもこだわるべきものなのかなあ? というところだ。
だからこそ、髪フェチは男性限定とまで言ったのであるが。
少なくても「髪は女の命」とまでは到底思えぬ。

論者の女性心理欠如なのであろうか?
時代の変化のせいなのであろうか?
兎も角、臍の尾切って以来一貫してショートヘア、と言えば聞こえもいいのであろうが早い話が『おかっぱ頭』で通している論者である。

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ブルセラ女子高生 − 男性を支配したと言えるか?

f0b039f1.jpgあらかじめ申し上げておく。
児童買春を取り上げた過去投稿にて、『買い手』ではなく『売り手』に憤っていると言った。
その論者が売春以上に許せないのが、汚れ下着を売る同年代の同性である。
その点を含んで読まれたい。

ブルセラという言葉が出来たのは、20年くらい前なのだろうか?
まあ、男性が異性の肌着類に興味を示すのは摂理とも言えよう。怪しからぬ話にせよである。
従前より密かに行われてきたことが爆発的に流行しだしたこの時期に、供給者になった女性、いや女子もまた歴史上の人物として扱う価値はある。

彼女たちはジャンヌダルクたりえたか?
男性たちを支配したと言えるであろうか?

確かに需要あるところに供給ありだ。
そして「指一本触れずして異性を興奮させる」という一点から切り下げれば、見方によれば支配とも言えよう。
だが、これは男性思考である。
実際問題、自分の汚れ物が他人の目に触れるとなると…

それを積極的に他人に見せるのは、露出癖である。
女性の露出癖は、劣位を抱いているものを晒すということでマゾヒズムの傾向に走る。
汚れ物を売るなどという心理は、将にこれに該当するであろう。

だが、ここからが肝心だ。
当時のブルセラ女子高生たちは、こうした心理が全く働いていないのである。
事例を紐解くに、本来あるべき汚れ物を隠したがるという本来あるべき若い女性の本能が雲散霧消している、という驚愕すべき事実を見出すことになるのだ。
これは最早性癖云々でなく、情緒障害の世界。
だからこそ、許せないと声高になるのであるのであるが…

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江戸・長屋のおかみさん衆 − 『うらなり打ち』で横暴亭主に反撃

d06634c1.JPGそもそも歴史の担い手は名前を残した人物のみにあらず、
前投稿に引き続き、もう一例名無しを主役にする。

この稿のヒロインをつとめるのは、時代劇でお馴染み、たくましいあの貧乏長屋のおかみさん達だ。
時代劇においても大体は暴力的に描かれる人物像である。
惚れに惚れた長屋小町のお花ちゃん、嬶にしたらば角丸出し、
お陰でオイラは生傷だらけ、でもさ、オイラにゃ過ぎた女房さ。
こんな感じであろうか?

前置きが長くなった。
うらなり打ち、これは女房に離縁した男を、長屋の女衆が打ち据えるという儀式である。
打撃具として使われるのが、しゃもじ・おたま等々の台所用具、女性が男性をスパンキングするにいかにも相応しい。

岡口逸堂の稿で触れたように、日本におけるスパンキングの歴史はかなり古い。
江戸時代どころか平安時代あたりにも記録を見ることができる。
子の出来ぬ女を神前に引き出し、男根状の棒で臀部を打ち据えるというものだ。
うらなり打ちは、将にこれの逆転、子が出来ないという理由で女房を離縁した男が女たちに打たれるのである。
セックスに関して受身の女性の反撃、ということで女性サディズムの正道と言えるだろう。

もうひとつの注目点は、子が出来る出来ないの生殖関係に直結したサディズム事例であることだ。
掲示板サイトで、「セックスとSMはイコールでいいじゃないか」などという突拍子もない意見を目にしたことがある。
突拍子もないと言った。事実そうなのである、が。
今この稿を書いていて、ふと、件の発言はスパンキングマニアの手によるものなのか、と考えた論者である。


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豊臣秀次 − 些か影の薄い殺生関白

f81616c2.gif太閤秀吉の甥・豊臣秀次は残虐な振る舞いから、殺生関白(摂政関白のもじり)と呼ばれた。
にも拘らず、あまりそうしたイメージを受けない。
即ち、秀吉の方がよっぽどひどい殺生関白のように感じるし、冷血漢と呼ぶに相応しいのは秀次の妻妾をためらわず処刑した光成の方だと思えるのだ。
これは何故であろうか?

勿論、最後切腹させられたことへの同情も大きいだろう。
けど判官びいきだけでは説明はつきにくい。
ずばり、結論を先に言ってしまおうか。
秀次のもっていたサディズムが女性型サディズムであるから。論者のみならず多くの人々が指摘している。

即ち彼は、秀吉という大きな大きな権力に怯え続ける人生を送ることを余儀なくされた。
その反動反撃が、より弱いものへ向かうのである。これが女性によく見られるサディズム事例だ。
辻斬りを好んだ秀次、これとて刀マニアが講じた標準的な辻斬りではない。
弱い者ならやり返されることもないであろうという反撃心理だ。

過剰防衛だけは叔父太閤に似てしまったということか?
秀次が妊婦の腹を割くことを好んだことからも検証できよう。

論者も幼い頃…
いやいや、勿論妊婦の腹を割くまではしていない。
ぎゅうぎゅう押して回っただけだ。
この攻撃心理を今、第三者的に分析するに。
やはり、新しく生まれ出でる者への警戒心・嫉妬心が潜在意識としてあったと思われる。
いつ何時、自分にとって代られないとも限らないから。

将に秀次が誅されるまで抱き続けた、かの心理である。
幸いなことに論者が、それを持っていたのは極々幼児期だけだ。
生涯5つ6つの女児であったのが、豊臣秀次という人なのであろう。

  月花を 心のままに 見つくしぬ なにか浮き世に 思ひ残さむ (辞世)

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徳川吉宗 − ドラマにはならぬ『暴れん坊将軍』もう一つの顔

204c1e94.jpg直前投稿より続ける。
徳川8代将軍・吉宗、この名君も忌むべき性癖があった。
サディスティクな彼はなんと辻斬りを好んだというのである。

辻斬り… 刃物に対する偏執がサディズムと結びついたものと言えるであろう。
そして、男性型の殺人淫楽と言えるか?
男性は概して刃物を好む。昔の男の子は殆ど例外なく肥後の守を宝物にしていた。
まあ刀の手入れは精神修養にもなるし、それはそれで構わない。
だが、実際に切れ味を試してみたくなると…
ともあれ、余り歴史には記録されていない話だ。

さて見かけは類似していても、吉宗のサディズムは秀次のそれとは性質を異にするものであろう。
これに近いのは秀吉のサディズムだ。
ともに成り上がった。だから権力からずり落ちることを異様に怖れ、その鬱積が他に向く。
権力に偏執するのは男性的である。

秀次類似の、実在するより大きな権力に怯え弱いもので鬱憤を晴らす、女性型サディズムの持ち主をあげるなら、徳川家康の長男・岡崎信康であろう。
信康も舅・信長に怯え、粗暴な振る舞いを続けた。
ある折、一人の僧を嬲り殺しにした信康はこう嘯いたという。

「岐阜の舅殿も叡山で何万の僧を殺したのだから…」

その話を聞きつけた信長は真顔になる。

「それは違うぞ。あの者たちは僧の形をした無頼の徒。再三再四の勧告にも拘らず一向に改まらないもので止むを得ず成敗した。余は己自身の勘気から只の一人の僧も殺したことはない …困ったものよ」

他に主目的のある虐待は、一見サディズムに似て実の処は似ても似つかないものである。


posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


少女漫画家時代の弓月光

ここで零れ話的な1稿を挟む。

本ブログは女性のサディズムがテーマであるので、女性の刃物マニア事例を探した。
だが、見つからなかった。それで吉宗になってしまったの訳ということだ。
いや、映画等に見る女性マッドサイエンティストのモデルがあると考えたのだが。

論者は、それを弓月光の漫画で見た。
弓月光… 現在はどうであるかは詳しくないのであるが、論者の知っている弓月は少女漫画家だ。
『りぼん』という誌名であるので、小学校高学年の女子を読者にしているのであろう。
ちょうどその年代である。論者が納戸で弓月の単行本を見つけたのは。
結構面白がって読んだものだ。

刃物マニアの女医が登場していたのは、そのうちの一作だ。
昭和40年代のギャグマンガである。
すごい美人が刃物を持った瞬間、文字通り漫画的な形相に一変し、ギヒギヒ笑いながら周りのものを片っ端から切り刻む。
その落差が笑いを誘うのであるが。

このように弓月光という漫画家の作には、様々なパターンのサディスティンが登場する。
いや、勿論女児向漫画であるので、明確なる設定がされているわけではないのだが。
ただ、論者は少なからず感化された。

SMという言葉が市民権を得た昨今、少女漫画でもSM女王とかそれめいた設定のされたキャラクターが登場することも珍しくない。
だが、論者に言わせれば徹底的に偽物だ。
本物のサディスティンが描かれているのは、弓月だけである。

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客氏 (中国・明) − 宦官・魏忠賢をクリンガにした皇帝乳母

a8858d09.JPG本来、主役として語るべきなのは魏忠賢の方であろう。
これも女性のサディズムがテーマであるためと許されたい。

宦官… 去勢された官である。
日本では例をみないものの、西は小アジア半島から東は朝鮮半島まで全アジアにあった制度だ。
中国の歴史を覗くに、ともすればこの宦官よって政治がゆがめられることも多い。
この明の時代が特にひどかった。

魏忠賢なる人物は、博打がもとで宦官になったと伝えられる。
さながらやくざ者が、指を詰めされられたようなものであろう。
官になったものの無頼の本性はおさまらない。
時の皇帝の乳母である客氏に近づき「舌と唇」を使って彼女の寵愛を得ることになるのである。
そうなれば、ということでお決まりのパターンとなるのであるが、本論に入ろう。

口唇性愛… かつては変態呼ばわりされていたこの行為がノーマルな性行為と認められたのは、日本では昭和30年くらいのようだ。
非常にSM的な性行為である。
とはいうものの本件の例では、男性、否、元男性に性器を舐めさせていた客氏がSと言い切っていいのであろうか?
確かに、奉仕させる、汚いものを口で扱うことを余儀なくさせる、という点からすればそうといえる。
が、しかし、見方を変えて、愛撫だけで昂ぶらされてしまう、その乱れ姿をさらしてしまう、という点に着目すれば…

奇書『家畜人ヤプー』には舌人形、唇人形という雌雄ヤプーが登場する。
それぞれ、逆性の人間に奉仕するための道具である。
ただ論者が読む限り、どうも作者意図どおりには見えない。
とりわけ、男性が雌ヤプー唇人形を使う場面である。
どう読んでも、逆にキミーがウィリアムスを責めているようにしか感じられなかった。
掲示板サイトでは、舌人形・唇人形のマゾヒズム性はその仕事にはあらず、肉体加工されているという一点にあり、で逃げた論者であるが。

ここで一つの叩き台めいたものをあげれば。
口唇性愛のSM関係は、どちらがイニシアティブを握っているかにより決定する、というのはどうであろう?
舐めさせる舐めさせられているは関係ない、安っぽく昂ぶったほうが負けということで。

こうしてみると、「セックスに関しては女性は受身」、どうもまたお決まりのこの壁に阻まれてしまうようだ。

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『ガールズ ビーツ ボーイズ』のSM性

ネットにおけるフェムドム事情を論ずるうえで論じなければならないのが、『ガールズ ビーツ ボーイズ』、略称GBBと呼ばれている世界であろう。
非常によく目にする。

何かといえば、女性が男性を凌駕する、ということで、主としてマゾヒストを認ずる男性諸氏に支持されている。
前提として、前に述べた『逆転』の哲学が働く。
つまり、マゾヒストを認ずる男性諸氏にすれば、下位であるはずの女性に負けてしまう、そこに生まれる屈辱感に昂ぶるということであるから、敗れた相手たる女性は本来下位の存在でなければならないのである。

となると、あくまでもイメージだ。
直接的なマゾヒズムではない。
眼前の世界に登場する男性の立場にわが身を置き換え、マゾ男性諸氏は昂ぶっているのだ。

では、女性の側から見たらば?
そもそも、GBBワールド登場女性にはサディズムの要因はない。
勝ったとしても感じるのは優越感である。相手が格上ならば達成感あたりが加わるか。
いずれにせよ可虐の満足ではない、これはSM以前の問題になってしまう。。
従って、このGBBのSM性はたとえ存在するとしても、マゾ男性視点方向からのみに限定されるということになるのである。

では、ひとつの事例をみてみよう。
これはその手のサイトのBBSに、投稿者である男性の中学時代の思い出として投稿されていた。
柔道をやっていた彼が高校まで寒稽古に行った折、自分よりも大柄な女子部員に徹底的に可愛がられてしまったというものだ。

逆転関係を鑑みるに。
男性が圧倒的に上位であるはずの格闘技において、女性にやられてしまう、これはいい。
だが、他の要因に注目すれば。
小柄な自分が、大柄な相手に負ける。
年下(初心)の自分が、年上(熟練)の相手に負ける。
これは当たり前のことである。なんらの逆転関係も生じない。
逆転がなければ屈辱感も生ずるはずもないのである。
だが、その分だけ現実的だ。
大柄な相手に歯が立たない、中学生が高校生に稽古をつけられるは極々常識的なことである。

続けて、別の事例を。
これは、件のサイト本体の作品である。
ちびの相撲部主将が、新体操部一年生にこてんぱんにされてしまう。勿論土俵上でだ。
さて、3要因のうち2つまで逆転したか。
更に進めて、3つとも逆転したら?
と、書けばもう気づかれたろう。どんどん現実から乖離し荒唐無稽になってくるのである。
この完全逆転を、現実性を持たせた形に描くのは非常に難しい。

いや、まだイラストならよいのだ。
視覚的に男性女性の区別を読み手に伝えることができるから。
これを文字だけで『逆転』を表現するとなると。
人間の固定観念をひっくり返すのは至難だ。いくら作者が「この人物は男性よりも体格のよい女性だ」と筆を尽くしたとしても、受け手にすれば男性としか認識できないのである。
そもそも入り口の部分に大きな関所が待ち構えている。

そんなわけで、今、GBBは男性マゾヒズムからも乖離し、異質の倒錯ワールドへと変質しつつある。
至当なことと言えるか。


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令嬢モレル − 1835年、パリで起きたロンシェル事件

1c8b8b69.jpgあまり有名な話ではないのので概要を説明しよう。

この事件は、十六歳になる将軍の娘モレルが寝室に侵入した暴漢により衣類を裂かれ猿轡のまま強姦されたという訴えから始まった。
しかも強姦の後メスで刺されたので、悲鳴をあげて隣室の家庭教師を呼んだけが、犯人はすでに逃走したあとだったという。
一通の無名投書もあり、バリ警察はロンシェルなる元少尉を犯人として逮捕し、裁判の結果彼は10年の懲役刑に処せられた。

ところがこれが冤罪だったのである。
そもそもモレルはひどいヒステリー症であり、メスの刺傷も怪文書もみな彼女自身が発作的にしたことだったということが事後に判明したのだ。

これが、かのロンシェル事件である。
類似の事件は、現代も、いや現代ほどよくおきているであろう?
この種の事件の走りともいえる。

さて、本論。
このモレルは症状は典型的な自虐症であり、マゾヒズム心理である。
これが定説であり動かしようもないことだ。

が、少々検証する機会が認められるのなら。
彼女は刃物で人間を傷つけている。この点はどうであろう?

周りに誰か他人がいたなら?
そこまでいかないとしても、例えば犬猫のように確実に斬ることができるものが目にとまっていたとしたのなら?

ここで分析学でいうところのSMとは何ぞや? をいえば。
個の持つ攻撃本能の昇華、外に向いたのがサディズム、内に向いたのがマゾヒズム、である。
だが、この内外というのがそれほど絶対的な区分わけになろうか?
話を元に戻せば、モレルがメスで斬りつける対象はいかなる状況下においても彼女自身でなければならなかったのか? という問いかけをしているのである。

もうここまで言えばいわずもがな、論者の考えるところの答えはNOである。
自分よりも弱いもの、確実に斬りつけられるものがその場にいたのなら、彼女はそちらを傷つけに出ていたと思われる。
偶々周りが全て自分よりも強いもの(少なくても主観的には)であったがために、対象が自己自身になったのである。
今までの投稿で繰り返し論じているように、残酷好きな女性にむしろサディストが少ないのは、女性というのが弱い存在だから。
もし仮に、その前提が取り払われるようなことになったら…

下世話にも、「SとMとは紙一重」とか「自分はSM両刀使いだ」とか、よく言われる。
そのとおりだと思う。
かつて別な精神病とされていた躁病と鬱病は、一見正反対のこの2つが現在では、同一の疾病・躁鬱病ということで落ち着いている。
ことによれば将来、サディズムとマゾヒズムは同一症状、というのが通例になるのかもしれない。
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


楊貴妃 − 『養子』安禄山におしめを与える

855ec46b.jpgともに有名な人物であるので、人物解説は割愛する。
中国は唐、玄宗皇帝の時代である。
西暦751年正月、宮中に参内した安禄山に楊貴妃は裸にし錦繍を施したおしめをつけさせる。

実はこのとき、禄山は貴妃と母子関係を結んでいたのである。
まあ彼にすれば後宮入り御免となるための方便で申し出ていたのであるが、「私の禄坊や」と戯れられては成り行きにまかせるしかない。
体重300キロの禄山は徹底的に赤ん坊のふりをすることにした。

大勢の官女が見守る前で産湯に使い体を洗ってもらう。
勿論彼は大人であるから、官女たちに股間をいじりまわられれば、それなりの反応をしてしまう。
それを見て楊貴妃筆頭に一同大爆笑、ということでその年の年賀は終わった。

まあ、今日でいうところの『幼児プレー』か?
意識してこの言葉は使わなかった。
というのは、安禄山がかかる仕儀は微塵も望んでなかったからである。
これは、専ら楊貴妃の戯れ、合意の『SMプレー』とは趣が異なる。
が、彼女のこの行為の心裏にはサディズムが存在する。母性が故のサディズムとでもいおうか?
それも、論者に言わせればかなり強いサディズムである。少なくても支配の構造ではあるだろう。

姉である女児は、ままごとに於いて大概弟や妹を自分の赤ちゃんにする。
そして、嫌がったりすると引っぱたく。
まあ、下のきょうだいのない論者は伝聞でしか知りえないのだが。

女性というのは独占欲が強いものだ。
ひとたび己が手に抱いたものがその手を離れることを認めたがらない。
自らの胎内から出たものを容易に独立人格たらしめようとしない。
そして、それが時には攻撃的な行動となって現れる。
母猫が子猫をとられることを恐れるがあまり、これを食べてしまうことがあるように。

世界各地の民話伝承の類では、大地が女性として描かれることが多い。
自然の慈しみ、そしてその過酷さ、母性のサディズム性を的確に表現しているといえるのではあるまいか。

それはそうと。
実在の楊貴妃という人物は、絵のような細身の女性ではなかったようだ。
肥満体も肥満体、超肥満体。
それ故、いつも彼女を湯浴みさせているおつきの官女たちにすれば、巨漢・安禄山を湯浴みさせるのはお手のものであったことだろう。
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裁判は究極のSMショウ?

偶には時事問題を挟もう。

436c5cb4.jpgオウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫被告の死刑確定の可能性が強まったようだ。
ひどい話である。
仮にも人一人の命の懸かっている法廷の場が、法曹の駆け引きの場に利用されていいわけがない。
もとより、所謂オウム裁判においては、裁判とは何かと疑わされる傾向が強かった。
例えば、死刑が確定したある被告の判決理由など、逮捕前に出ていた週刊誌の特集号そのままという感じだった。
こんなことで人の命を奪ってよいものであろうかと疑問に思っていたのだが、今回の東京高裁の決定で来るところまできてしまったかと憤っている処だ。

断っておくが、論者は死刑廃止論者ではない。
光・母子殺害事件などを見る限り、死刑制度は存続すべきだと考える。
だからこそ慎重が上にも慎重でなければならないと言っているのだ。
人が公権力を使って人の命を奪うのである。一切の感情の介入は許されないのだ。

裁判は究極のSMショウだなど発言している人を見たことがある。
不謹慎な話だ。なによりも大間違いだし。

勿論心の中でそう思うのは自由だ。
何人の人を殺しても全く罰せられることのない世界で、滝の白糸の男女を置き換えて女性裁判官に裁かれる自分をイメージし楽しむマゾ男性を責めはしない。
だが、本質だけは誤ってはならない。人は間違いをする動物、その間違いが絶対にあってはならない司法の場なのである。

そこにリビドーの極とも言えるSMを絡ませた件の発言者にも併せて猛省を促したい。


注* 画像は転載者の判断で加えました。元文にはありません。


アメリア・ブルマー − ブルマの考案者とされる女性解放運動家

436c5cb4.jpgブルマー女史がブルマの考案者であるというのはどうやら俗説らしい。
別の運動家が考案したものを彼女が自分の新聞で紹介したから考案者に間違えられたとのことだ。

女性解放運動はここでの論題に相応しいようで相応しくないと思料したので、ブルマで論を進める。
ご存知のとおり、女性が運動しやすいようにとの目的から発案された。
初期のころはだぶだぶ木綿の所謂ちょうちんブルマである。
絵のものとも少しことなるか?
いや、某元国会議員の女学校時代ブルマ姿の写真があるのだが…
ご紹介できないのは残念だ。

そして、その後のブルマが辿った運命もまた周知のとおり。
化繊の普及により、身体にフィットしたパンツタイプに変わる。
それがために、男性の劣情を…
ということで日本、とりわけ学校体育においては、廃れていくのである。

論者も(短パンタイプの)ブルマ体験のない一人だ。
別にこれで運動をしても構わないと思うのだが、言われてみれば確かに、パンツで野外を歩いているようなものだ。学校の体育授業で使われなくなったのは至当であろう。
まあ、女性解放のために考案された衣料が、もっぱら男性からの防御がために廃れていったというのは何とも皮肉なものである。

話は変わるが、FemDom (Female Domination)とつき物がごとくに登場する BDSMという略語。
このBDとは、ボンデージの略である。
いや、「略らしい」と言った方が正直か? 論者はよく知らないのである。

知らなくても別に構わないであろう。
女性サディズムを論ずるうえで、ボンデージルックのあの女王様スタイルの女性を語らなければならぬ必然性などないのであるから。
ましてや、あれを着ていなければサディスティンに非ずなどというバカげた話はどこの国にもない。

確かにボンデージは鎧兜足りえる。
本来受身であるはずの女性が、衣装の力によって大胆になるという要素はある。
けど、それはとりも直さず主客転倒ということだ。
もっぱら(マゾ)男性のためにボンデージに身を固めるとなれば…

ボンデージとブルマは本当によく似ている。
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江田文子 − 福岡美容師バラバラ殺人

6d95be4f.jpg連合赤軍・永田洋子よりも更に新しい、平成の御世の出来事だ。
本来この手の話題を取り上げるのは不穏当なのかもしれない。
が、これは、あくまでも歴史評論である。
論者に時事評論の意図はない。
事件当時の名前で扱っているあたりにも、そのへんの意図をおくみ取り願えればと思う。

さて、この事件は1994年3月、熊本県のパーキングエリアのゴミ収集場から人間の右腕が発見されたことが発覚の発端となる。
以降続々九州各地からバラバラ死体の一部が発見され、一躍世間の注目を集めた。

なぜ、文子は被害者の死体をバラバラにしたか?
運びやすくするためと本人が供述したとある。
だか、そんな真似をしたら、死体という物証を増やしてしまうだけだ。検事の専門家でなくてもわかる。

では真実は?
おそらく本人を含めて誰も知り得ないだろう。
ただ、わかることはその心裏に屍体加虐の意識がある、これもまた心理学の専門家でなくてもわかる。

この手の猟奇事例は男性の専門分野だ。
いや、専門分野だった。少なくてもわが国においては、この事件が起きるまでは。
非常に能動的な加虐は将に男性、という感じだ。
事実この事件においても、可也捜査が進んだ段階においても尚男性共犯者、或いは一歩進んで男性真犯人を探したであろう。
だか…

果たして江田文子という人物は心理的には男性だったのか、はたまた従前の男性心理女性心理という区分が間違っていたのか、それとも…
結論を出すには、まだまだ日が浅すぎる。
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トレイシー・ローズ − 後に未成年であったことが判明したハードコアポルノの女王

01ea5f82.jpg前稿に続き、近代の歴史である。
また別の意味で問題があるだろうか? どうか好意的にお読みいただきたい。

さて、1980年ころ全米、いや全世界にその名をとどろかせたポルノスターである。
日本にも来た。
当時のわが国にとってはトレイシーの出現は蒙古来襲にも匹敵するような驚愕事であったはずだ。
なにせ、コリーダあたりがハードコアポルノ最高峰であった時節なのだから。
論者ですらその名を知りうるくらいの記録が残っているというのが、論より証拠といったところか。

ところが、この彼女、あとになって未成年であったことが判明したのだ。
而して我彼様々な反響があった。

まずはご当地である。
トレイシーの相手をした男たちは震え上がった。
刑事罰を受けるのではないかと。
そうである。権利関係を重視する移民の国においては既にその当時、未成年との性交渉が禁じられていたのである。

わが国の反応はといえば。
ただただ信じられないという反響が大多数であった。
こちらの国はといえば、儒教が根付いた国であるからまず年齢という序列に目が行く。
年限に達してないものが、より上位の行為を行ったということを事実として受け入れることを妨げる潜在意識があるという言い方でよいだろうか?
ともかく、かくのごとき反応であった。

そんな中で、ひとつの大衆評論があった。
「遥かに年上で性経験豊富な男性陣が、未成年のトレイシーにあえ無く昂ぶらされてしまう。これは見方によってはマゾ趣味の男性の興味をそそるのでは?」
以前、掲示板サイトにおいて論者は「儒教の根付いた国では、力の逆転ならぬ序列の逆転によるSM関係が生まれる可能性があるのでは」と問題提起したことがある。
ある意味、この大衆評論がそれにあたろう。
ただ残念なことに、厳密なるSM関係ではない。もっぱら男性マゾヒストたちの琴線のみにしか触れないイメージの世界、GBBの稿で論じたとおりだ。

もうひとつの注目すべき点は、当時の日本にはこれを男性マゾヒズムの範疇に分類するものが性風俗関係にすらもなかったという点だ。
今ならば… 繰り返し論述していることであるので以下は繰り返さない。

さて、いまさら言うまでもないことだが、現在では日本でも未成年との婚姻外性交渉は法規で禁じられている。
風習や歴史、国民性の全く違う国の制度に右に倣えするのは如何なものであろうか?
顰に倣うということがある。

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○○の女王

前稿の副題として、『ハードコアポルノの女王』という言葉を使った。
「女王とは?」「女王と呼ぶに相応しいのは誰か?」
これらは、しばしば論じられるテーマである。

特にSMという言葉がよく聞かれるようになってからは盛んで、そこには多分にSM女王という意味合いが加わる。
而して、答えは?
まず大体はこうである。

「お姫様なら掃いて捨てるほどいるけど、女王(様)と呼ぶに相応しい女性はいない」

世のマゾ男性を侮るなかれといったとこか? 耳の痛い話だ。
これは、個人批判ということでなく聞いてほしい。
『貢ぎプレー』なるものを提唱した自称S女性が総すかんを食った事があった。
至極もっともである。
女王と称する以上は誰よりも厳しく自分自身を律しなければならないはず、他人に貢がせるなどもっての外、あべこべもいいところである。

論者は(単なる)S女性と女王(様)との間に一線引いたかたちで理解をしている。


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淀の方 (茶々) − 親兄弟の仇である秀吉の側室となった秀頼生母

2e1bc7a9.jpgそもそも、秀吉は茶々の母であるお市に憧れていたということになっている。
主人筋である女性への憧憬… しかも片や秀吉は短躯のうえ痩せぎす、片やお市は超長身とあれば、それなりのシチュエーションも用意できよう。
お市の稿で述べたよう、彼女は浅井に嫁ぎその後柴田勝家と再婚し運命を共にすることになる。

さて、茶々からみた秀吉であるが、まず小谷落城の折に実父である長政と兄・万福丸を殺されている。
しかも万福丸は処刑である。
更に紆余曲折あった後、再び秀吉に北庄を攻められ、今度は母・お市と養父・勝家を殺されてることになる。

言ってみれば茶々にとって秀吉は、母と二人の父、兄の仇と言うことになるのだ。
その秀吉の側室となるときの彼女の気持ちはいかなるものであったろう?
テレビドラマで鶴田真由演じたところの茶々はこうであった。

 「知っておるぞ。そなた母に懸想していたであろう?
 主人に対し…汚らわしい …よかろう、側室にでも側女にでもなってやるわ。
 但し。そなたのことは草履とりとして扱う! 聞き入れられぬのならこの場で舌を噛み切る!!」

条件をのんだ秀吉との間に奇妙な主従関係が始まる。
「茶々様」「サル」と呼び合う逆転関係。
圧巻は「秀吉、馬になれ」お馬ごっこであった。
鶴田茶々は勘九郎(当時)秀吉の背に腰を下ろし這い回らせる…
痴人の愛を意識した演出であろうが、中々妖艶であった。

仇に身を任せるということがある。
女性はセックスに関しては受身、これを言い方を変えて言うなら男性を受け止める、吸収するということにもなる。
文字通り、男性の『せい』を己のなかに呑み込むのである。
古来より仇の子を生むことによって、復讐を果たすという事例は多々あり、将に強者への反撃たる女性型サディズムの典型例といえよう。

史実の茶々がどうであったかははかり知りえぬ。
ただ事実だけいえば秀吉の死後、茶々は世継ぎ秀頼の生母・淀の方、淀君として権勢を振るうことになるのである。
結果的には秀吉から全てを奪い返している。

もう少し、件のテレビドラマの話を続けよう。
場面は秀吉臨終の場である。北の政所・おねが淀の方・茶々に声をかける。

 「お前様、まだこの人を恨んでますかえ?」

激しく頭を振る茶々。ということでサクセスストーリー終劇となるのである。
本当に男女の気持ちと言うものは理屈では説明がつきにくい。
昨今では、セクハラだ、ドメスティクバイオレンスだと法が割り入る風潮にあるが、これは嘆かわしい事態だと評しておこう。

余談である。
薄幸の美青年として描かれる豊臣秀頼という人は、実際は体重160`もある力士のごとき男性であったと記録される。
痩せぎすの太閤とは正反対、それがために秀頼の父は秀吉ではない、一部には実しやかに同じくでっぷりと太った家康の子だなどという噂が流れた。

して、その真偽は?
これを考察するには、まだまだその道の修行の足りない論者である。



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リンディ・イングランド − 捕虜虐待で有罪判決を受けた米女性兵士

8cbfc17a.JPG再び、現代史の一稿を。
未だ記憶に新しい、かの女性である。

公開された数々の写真を見て論者も多くの驚愕を覚えた。
勿論彼女の行動の裏にあるのは、文句なしのサディズム…
現場写真という大きな証拠がある以上、いくら言を連ねたところで覆しようがないであろう。

ただ。
残念というのも不謹慎な言い方になろうが、これは戦時下で行われたことである。
永田洋子の稿で触れたごとく、殺伐とした殺し合いの場においては人は変わる。
同時に公開された写真でもっと衝撃的なものがあった。
何かといえば、敵兵の死体をアーミーナイフで傷つけながら満面の笑みを漏らす別の女性兵士。
この女性が、平時においても同様な行動をとるとは考えがたいのだが…
戦争が人を変えてしまうのか、はたまた平時が凶暴なる人間に猫を被せてしまうのか、古来より論議はつきない。

8cbfc17a.JPGさて、リンディの事例で連想されるのが、アーロン収容所の話である。
いや、連想というよりはそのものと言ったほうがいいであろうか? 女物のパンツを顔に被された捕虜の写真があった。
これがリンディのものであるか、別の女性兵士のものであるか、はたまた新品であるのかはわからぬ。
わからぬのであるが、ブルセラの稿で論じたように、女性には自分の汚れ物を隠したがるという本能がある。
論者とて自分の履いたパンツを男性の顔に被せるようとは思わない。男性の顔に被せてあったパンツを履くなど、想像するも鳥肌が立つ。
ただし、これが『人間』の男性であるならば…

アーロン収容所.jpgここでアーロン収容所と結びつく。
かの収容所の英国人女性は日本兵に裸を見せることなど平気のへいざ、そのくせ同国の男性にはちょっとでも肌を見られようものならひどく恥ずかしがったものだとある。
アーロン著者は「あの女どもは、日本人を人間と思ってないんだろう。人種差別だ」と憤っていた。
少々ニュアンスが違おう。
人間誰しも自分から遠いものは人間と見られなくなってくるのである。
人間と見られない存在であるから、虐待するのも比較的抵抗感が薄い、パンツを顔に被せるのもさしたる抵抗もないのである。
行き着くところは…

そして、ここにもうひとつ大きなファクターである宗教が被さる。
これについては、また本格的に論ずる機会もあろう。

注* 下2枚の画像は転載に際し追加したものです。元記事にはありません。
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マーガレット・サッチャー − フォークランド戦争、是か?否か?

de68cca7.jpgさて、前稿に続いて近代の戦争に触れる。
女王の国の女性首相が在任中の1982年に、アルゼンチン軍がフォークランド諸島へ侵攻した。
この鉄の女は、間髪をおかずに艦隊を派遣、これを撃破したのである。

まあ、評価は様々あろう。
当事者にはそれぞれ言い分もあるはずだ。
だか、岡目八目ということもある。
英国内の評価を承知の上であえて言うなら、血を流さなければ同等の効用を得られなかったか否かは甚だ疑問である。
歯切れが悪かったか? 論者は目的以上の攻撃をしたのではないのかと言っているのだ。

まさか腹立ちに任せて派兵したわけでもあるまい。
サッチャーにすれば確実に鎮圧できる目算があるから軍を派遣したはずだ。
だとすれば、より弱い相手に虐待を加える女性型のサディズム。
いずれにせよ心裏には、攻撃本能が働いている。まあ分かり易く言えばヒステリー症状。

当時の日本の論客、卑近に言い方をすれば糞爺どもは、
「日本政府はサッチャーさんに婦人薬でも送ってやれ」
と揶揄したとか。
口惜しいが論者もそのとおりだと思う。

婦人参政。
男性にやらしておいたら意地の張り合いで、つまらぬ喧嘩ばかりする。オスの本能云々を持ち出すまでもなく、歴史をみれば瞭然である。
ならば女性にやらしてみたらば? 結果がこの体たらくである。

そういえば夫婦喧嘩で、青あざや引っかき傷を創られるのは、大概夫のほうであったか。これまた歴史に鑑みれば。

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幼いがゆえの残酷さ

書かれた時代背景もあろう。グリムの童話には残酷シーンが多々登場する。
例えば、ヘンゼルとグレーテル。
兄を助けるため最後、グレーテルは魔女を火の中に突き落とす。
これ以外にも、当時の拷問そのままの設定記述は枚挙にいとまがない。

この感覚は狩猟民族ゆえか?
いやいや、人のことはいえまい。かちかち山をもう一度読み直すとよい。
このように、子供というのはなべて残酷好きである。
童謡もそうであろう。

かの有名な米国の、10人のインディアン。これなぞは、白人社会に進出したネイティブアメリカンの青年が次々に惨殺されるという逸話を歌ったものだ。
そして、わが国の、花いちもんめ、五木の子守唄あたりも。いづれも女郎に売られていく女の子のことを、あっけらかんと歌い上げている。

幼いがゆえの残酷さ… あえて詳述するまでもなかろう。
人は本能にして生まれ、社会経験を積むにつれ理性でそれを抑えられるように育ってゆく。

してみると、サディストを自称する人間とは?
答えは書かぬが花…
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中近世・中国の女性たち − 纏足によって男性に支配されたのか?

8e938a3c.JPG纏足とは、幼児期より足に布を巻かせ、足が大きくならないようにするという、かつて中国で女性に対して行われていた風習である。
宦官と違い、日本には伝来しなかった制度だ。
一体なんでこんなことを?
表向きは足の小さい女性が上品だということになっていたためであるのだが、裏には明らかなる支配の構造があろう。
足に対するフェチシズムの傾向が強い男性による支配…

つまりは、逃げ出せないようにするためである。
この時代は古代と違い奴隷制度はない。だが民主主義の時代でもない。
農奴… とりわけ農村部においては女性たるもの、荘園主の財産であった味には変わりはないのだ。

魯迅の小説あたりにもここらの事情は出てくる。
小作の男は適齢期になると、貯めた金を持って荘園主の元を訪れる。
金を数えた荘園主、うん、この金額ならあそこにいるのはどうだ? と指をさす。
と、取引が成立すると華燭の典である。
纏足娘はちょこちょこよちよちと、伴侶となった男についていくのだ。

今の価値観で計ればひどい話であるのだが、それはそれで結婚制度ではあったのだろう。
さらにである。
纏足娘が、口をきく道具として生涯支配され続けたか? そこらの事情がきわめて懐疑的であることからも、嗚呼! あわれなるかな、中国纏足女性、とは断じられないのである。
民話伝承に登場する彼女たちは、おおかた夫に纏足の包帯の交換までさせる横暴妻である。
別の場所でも何度か論者は、この話題に触れている。

中国の笑い話集『笑府』から。

 ある男、女房にいいつけられて纒足の包帯をほどいてやっていたが、臭くてたまらないので、思わず片手で鼻と口をおおった。すると女房が怒って、
「何です、そのしぐさは。いやなら、してもらわなくてもいいのですよ」といったので、あわてて、「いいえちがうんです。さっぎ蒜(にんにく)を食ベたので、その息がおみ足にかかってはいけないと思いまして……」

話は話としても、男性の支配心理を逆手にとっての逆支配は、いかにも小気味いいではないか?
そして、女性的である。最後に笑ったものが勝ち。

わが国においてもそうであろう?
山の神ということがある。女は三界に家なし、と言われながらもなんだかんだ他に家に入り、ちゃっかりそこの主になってしまうのである。
家の中こそが女性が支配者となれるべき場所。男性は男性なりに女性は女性はなりに、自分が戦うべきグラウンドが与えられているということだ。
論者に言わせれば、女性の社会進出のなんのと言って、敢えて男の領分に入り込む女は阿呆である。女王様よ、ミストレスよとちょうされて、マゾ男の充足のために汗だくになって鞭をふるう人種と似たり寄ったりといったところか。
思えば、人間が天より与えられている選択肢は無限にあるように見えてその実、案外少ないのではなかろうか?
だとすれば無難な選択をするのが賢い。森羅万象、全ての物事にはそれに伴う原価があるのである。

今の時代このような考え方の論者は多分、へそ曲がり女の部類になるのであろう。


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最上御前 (義姫) − 実の子・伊達政宗に毒を盛った乱世の母

7dd4db87.jpg正宗の父・伊達輝宗は戦国には珍しいような温厚な人物と伝えられる。
奥州の暴れん坊・独眼竜政宗の気性は母譲りだというのが通例だ。

そもそもこの義姫の輿入れの理由が、凄まじい。
実家である最上家のため、隣国伊達の頭首・輝宗の寝首を掻くことを目的として嫁いだというのだ。
実際彼女は、戦場に出て大将首をとるような女丈夫であった。

当初の目的は果たせなかったものの、やはり武勇談を残さずに生涯を終える女性ではなかった。
副題にした事件である。
義姫はなぜ実の子である政宗を殺そうとしたのか?

お家安泰のため? 過去投稿で論じた北条政子や則天武后のパターンである。
確かにその説もある。小田原の秀吉の下に中々馳せようとしない政宗に伊達家を任せるに足りずと見切りをつけ、葬り去ろうとしたというものだ。
だが論者には、そうは思えぬ。
彼女にそれだけの情報収集力があったのなら、傑物・政宗の才能を見抜いていたばずだ。
第一、計算づくであるならば自らの手を汚しはしないであろう。
すばり、殺したいがために毒を盛ったと見るのが自然ではないか?

未遂に終わったこの事件であるが、政宗は首謀者として同腹の弟・正道を斬っている。
義姫はこの正道を溺愛していた、というよりは政宗のことを異様に嫌っていたのである。自らの手で殺そうと思うほどに…

これはある意味、非常に女性的だ。
下世話にも言うであろう? 可愛さあまって憎さ100倍と。
将しくそれである。
最上御前・義姫という人は、男性的な表向きとは裏腹に、内面は最も女性的な人物であったようだ。
そして、主観的には一番弱いものである自分の子供をサディズムの対象にしたのである。
或いは彼女は、自分に気性の似ている政宗に嫌気したのかもしれない。

きょうだいが多いと、どうしても差別が生まれる。
親に可愛がられる子と、そうでない子と。
人の子の親とて所詮は感情の動物である人間であるのだ。

そういえば、あの大家族。
かのオウム真理教の教祖・麻原彰晃の家では三女が大いに優遇されていたとのことだ。
これも、母親である松本知子の好き嫌いが大きな要因となっていたのであろう。



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ジャンヌ・ダルク − 救世主という比喩にも使われるようになったオルレアンの乙女

5136466e.jpg比喩に意味で過去投稿で使った。
本日の論題はこのフランスの国民的英雄としよう。

言わずともしれた英仏百年戦争の際のオルレアン解放の貢献者である。
女勇者の代表格…
して、このブログで論ずるべきエピソードはあろうか?

結論を先に言うなら、ないのだ。
いや、彼女だけではない。
強女というのは並べて、サディスティンにもドミナントにも結びつかない存在のようであるようである。
過去稿で論じたことであるので繰り返さないが、俗に格闘マゾと呼ばれている一部男性の願望は容易には実現しないものでありそうだ。

むしろ、ダルクはマゾヒスティックですらある。少なくても禁欲主義者であることは間違いないであろう。
そして、最後は魔女として火あぶりの刑に処せられ果てた。
処刑裁判での答弁によると、彼女は神のお告げにより立ち上がったということである。
これもまた彼女に限らず、古今東西の女傑は大概はそういうことになっている。

女勇者というのは神がかりでないとならないのであろうか? 
だとすれば、能力があるが故の悲劇。
論者は悲劇だと思う。
無残にも処刑され果てたとあっては、後に復権し英雄といかにたたえ続けられたとあっても何にもならない。
荘子『尾を塗中に曳く』である。

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エプロン奴隷なるもの

過去投稿のいずれかで述べる話題であったか?
女性が男性を傅かせ、家事その他一切の身の回りの世話をさせるのを、俗にエプロンプレーとか言うらしい。

言うまでもないが、このシチュエーションに於ける女性にはサディズムもなければ、間違っても彼女はドミナントではない。
もしそうでないとするのなら、動物園の雌獣はドミナントとして飼育係を支配していることになってしまう。

そういえば、家畜人ヤプーには牛セッチンなるヤプーが登場したか…
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神功皇后 (オキナガタラシヒメ) − 2世紀初頭海を渡った猛き皇后

0c825423.jpg前2稿を請けて、三韓征伐の女傑を論題としよう。
とは言ってもお馴染み『神功皇后が卑弥呼だったか?』ではない。
サイト趣旨に従い、あくまでも女性視点のフェムドムの切り口から論じたい。

記紀等によれば、皇后はお腹に応神天皇を妊娠しているときに、神のお告げを受け朝鮮半島に出兵したということになる。
キーワード、妊娠、神のお告げがここにも登場しているのだ。ジャンヌダルクの稿で意識した。
そんなかやで大車輪の活躍をした、この神がかりの妊婦は見事三韓征伐を成し遂げる。

で、俎上に上げたいのは、新羅王を馬飼いにしたというエピソードである。
自らの馬飼いにするとなれば…
と、副次的な話から進めよう。

轡を取らせる… これは家来を臣属させるときに用いられる手段だ。
有効な手段と言えよう。露払いに上から相手を見下ろすというファクターが加わる。
SMプレーでもこの物理的にも上にくるというのが重要な要素になる。特に女性がSになる場合は。
過去投稿で取り上げた、人馬や人間便器を思い出して欲しい。
いずれも男女の体格差で本来的には下になってしまう女性が男性の上に来ている。
話を元に戻せば。
男性に轡を取らることを好む女性がいたらば、彼女はS的性向が強いものと考えてよい。

さて、ここまで回り道をすればよいか? 副次的な話ではない主論に入ろう。
国王、馬飼い… 当時の価値観に直して新羅王の心底を考えてみよう。
国王たるものが馬飼いを志願することを余儀なくされるというのは、死に勝る屈辱ではないか!
そして、神功皇后が一国の王を馬飼いにまで貶めたこの心底。将しくサディズムに他ならない。
繰り返すが、当時の価値観による職業ステータスである。

まあ、現代でも女上司ものというのは人気があるのであるが、間違っても神功皇后三韓征伐と同列においてはならないだろう。
なんとなれば、現代の職位関係は。
ひとつには、人間みな平等の建前の元になされた上下関係であること。
そして今ひとつには…
真のドミナントは組織そのものであること。
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修道尼たち − 十字架上のキリスト像をみているうちにオルガスムスへ

27d3f022.jpgうまいタイトルがつけられなかった。
これも女性のサディズム事例は名前の記録がないことが多いため故にと、寛容されたい。

さて、標記の事例はサディズムのうちで、視虐症と呼ばれるものである。
これは、男性のみでなく女性にも事例が多いサディズムだ。
何ゆえか考察するに、自ら手を下すことがないという保険が掛かっているためと思われる。
自ら手を下すことがないのであるから、反撃がない。腕力勝負で勝ち目のない女性にすれば歓迎するところだ。

隠し立てはしない。論者もこの傾向はある。
複数の場所で、魚介類の調理時にぞくぞくすることを暴露してきた。
これもネットの匿名性の恩恵と感謝するところだ。
論じたようにサド性向というのは人間誰しも大なれ小なれ持ち合わせている性格因子であるので、恥じるべきことではない。
かといって、積極的に晒すべき性質のものでもなかろう。

話を冒頭に戻して。
女性のサディズム事例に名前の記録が少ないのは何ゆえか?
当時の女性観? それもあろう。
だか、もっと大きな理由は、そもそも女性には名前自体がなかったことではないのであろうか?
これは東西共通のことである。

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女伯爵サロルタ − 終始男装を通したハンガリーの貴族の末路は?

da626fdc.jpg余談から入ろう。
論題の人物は通例では、『伯爵夫人サロルタ』と呼ばれる。
これは誤訳であるが。
つまりは我彼の貴族事情の相違だ。日本の事情と異なり、ヨーロッパでは女性が爵位を継ぐこともあるのである。
だから、未婚の女性であっても邦訳は『伯爵夫人』となってしまうのだ。
と、そのような事情で、伯爵夫人といっても決して脂ぎったオバさんというわけではない。

本論に入ろうか。
終始男装で通していたサロルタは、ついに一人の処女と『結婚状態』に入る。
そして、人工陰茎をしていたことが1700年当時の法律に触れ、『ソドミー罪』で処刑されてしまうのだ。享年27歳。

このトピックス、サディズムの切り口からも切れるのであるが、今回は同性愛の検証事例としよう。
一口に同性愛といっても、意味はいろいろである。
生理学的に見れば件の事例、文句なしに同性愛の事例だ。

では、心理学的には?
同性愛のパターン、とりわけ女性のそれは、二大別できると思う。
先ずは、純粋な意味での同性愛、あくまでも互いに本来の性のままで愛し合うというパターンだ。
そして今ひとつは、擬似的に男役を定めての倒錯愛だ。
事例のケースは、そのパターンだ… と言っていいであろうか?

論者は否定的である。
注目点は、サロルタが終始男装で通していたという点だ。
それが、人工陰茎を装備して処女を貫いていたのである。
これは、心理的には彼女は男性そのものということに他ならない。

所謂レズであるのならば、少なくても時には男役を交代しなければならないはず。
でなければ、女役というのはなんなのか? いやいや、それ以前に、片方が『男』に徹してる以上『同性愛』では字面的におかしいではないか? ということになってしまう。

心理的には男性そのもの、というサロルタであるから彼女の男装は、男装癖でもない。
つまりはサロルタの倒錯性向は、性同一性障害、この一言に尽きる。
この言葉が出来たのはつい最近…

思えば心理学というのは非常に危うい学問である。
なぜならば、帰納の上に演繹的結論を積み上げなければならないから。
だからこそ語句の定義だけは、ゆめおろそかにできないのである。
どんなに時代や社会背景が変わったとしても、日の出は『東』、日の入は『西』。

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頭の体操

27cdce81.jpg本日はサイト趣旨から完全に離れよう。
偶には、このようなことも必要だ。
思えば論者… いや、私と称そう。この記事は論説休止である。
私の別サイト運営は、このような遊びの部分がなかったために、息苦しさを感じることがあった。
その学習からである。

さて、多湖輝氏はご存知か?
代表著書『頭の体操』は、心理学の入門書としては最良の一冊なので是非読んでみるとよい。
この『たこあきら』は、元祖タレント教授というべき人である。
まあ本人は響きを嫌って、『たご』と濁らせているが、同郷のものなら濁らないと知っている、余談ながら。

試験術を紐解いた氏の著書の一節にこのような記述がある。
迷ったときは、一番最初に思いついたものが正解。
陳腐化しているように見えるが、全くの公理だ。
これを守り通したおかげで、自分でいうのもなんであるが試験名人たりえた私である。

サイト運営に関しても、この公理が成り立つと思う。
最初に思いついたことが一番いいのである。
あれこれ考えるのは愚か。

と、この公理のもう一つの読み方だ。
最初に思いついたことが一番、つまりは、サイトというのは段々と先細りになっていく宿命にある、ということでもあるのである。

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みよ − ギネスに載っている江戸時代の大女

8c99c9a6.gif大女に関して数値記録するのは、昔から盛んなようである。
現在でも、よく目にする。
なんでも、最近亡くなったYMなる女性が、推定198cm・100kg超で、記録に残る日本人女性では最長身とか。

論題にしたみよなる農家の嫁は縦よりも横の方が凄かったようだ。
残念ながら、肝心のギネスブックが見当たらないのであるが、多分180cm台半ば150kg超程度だったと記憶している。
体重で通称名になっていたそうである。

彼女が一躍有名になったのは、夫が他の女に気を移したときの逸話からだ。
足の間に夫を挟みこみ、浮気をやめるようにせまる。
この体格であるから堪ったものではない。泣きの涙の夫は2度とみよ以外の女に触れないと誓ったそうだ。

お市の稿で論題にしたトールフェチ、そして今回の稿で心を動かされるであろう人たちを括るファットフェチ…
いずれも概念に対するフェチシズムである。
フェチシズムとはなんぞや?
邦訳としては、節片淫乱症・崇物症・性的愛玩症などが適用語となっているほか、物件恋愛、性的心酔、淫物症等がある。
これでわかるように、性愛の対象を生きた人間そのもの全身よりも、性対象の一部分(断片)に求める特異な心理態度である。
トールフェチ、ファットフェチというのは、数値という概念に性対象を求めている心理態度なのだ。
であるのだが、どうも昨今そこらが怪しげである。

即ち、背の高い女性・太った女性が好きな男性のことをトールフェチ・ファットフェチと言っているきらいがある。
彼らは別に特異な心理態度ではあるまい。
長いのが好き即トールフェチではない。異性に好みのタイプがあるのは至極当たり前のことだ。
そして、太った女性が好きな男性が痩せた女性に恋してしまったら?
あばたもえくぼということがある。これが微妙なる『正常な性愛心理』なのだ。

却って話をわからなくしたか?
もう一度フェチの邦訳を読んでほしい。
フェチシズムとは特異な心理態度、平たく言えば変態の一種、そう易々と使っていいような言葉ではない。
フェチとフェチシズムは別物、という考えを提示する人もいる。詭弁ではあるが、うまい妥協点ではあろう。
だが、それにしても…

誤解がないように願う。
論者は言葉の定義を云々することを目的にこの稿を書いているのではない。
通常の心理態度で説明が付くものに、なぜフェチだのSMだのとアブノーマルを冠するのか? と言いたいがためである。

正常なものに異常を表す語句を当てはめ、その語句が本来もっている異常性の側面が薄れてゆく… ある意味、言葉のインフレであろう。
断言していい。フェチ・SMの用例に関しては意図されたインフレである。
商業主義(アダルト)の販拡の都合上。ここに源を発し、恐るべし、現在ではかの恣意どおりに定着しつつあるとさえ言える。

大いに一家言ある論者である。
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正常は異常 異常は正常

さて、直前の投稿を請けて続けてみよう。

今はもう流行らなくなってしまったか? 三高というのがある。
即ち女性が男性に求めるものは、高身長・高学歴・高収入。
論者もそれなりに太めなので、これはそこ、やはり非デブ型の高身長男性が理想だ。
で、実際の未来の伴侶は?

ことによれば、チビデブ短足男かもしれない。
論者の現在の価値観からすれば、これは耐え難い欠点ではある。
が、それなりの魅力があったので、仮定に於ける未来の論者には、その欠点が見えなくなっている。
いや一歩進んで美点に見えているのかもしれない。
あばたもえくぼ、前稿でこう言った。

で、ここで考察あれ。あばたもえくぼ…
将にこの言葉、フェチシズムの本質ではないか!
正常な心理態度といわれているものが、特異な心理態度であるフェチシズムそのものということになるのである。
このように、性愛心理とは世にもまた複雑奇怪なものなのである。

本当に合理的な人は恋など出来ない、崇敬する万葉学者の博士がことあるごとに口にしていた。
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アドルフ・ヒットラー − もっとも有名な便器願望者

fbd4283e.jpgかのヒットラーが便器願望者であったことは名高い。
単にマゾヒストと書かれている記述が大多数であるが他の記録を照らし合わせるに、女性の排泄物を飲み食いしたいと願う『豚マゾ』と呼ばれるタイプのそれであったことは間違いないであろう。

排泄物に対するフェチシズムと便器願望とは同一のものであろうか?
平中・平貞文の稿で論じたとおり、若干の温度差があると思料する。
一番の根底部分である排泄物自体に対する興味、これを比較すれば両者の差異は瞭然であろう。

便器願望者は排泄物に対して興味がある必要はない。
汚くて臭いウンコ、それを嫌う正常な心理態度であっても構わないのである。
いや、むしろそうでなければならないはずだ。
それを飲み食いさせられる苦痛と屈辱感に昂ぶるからこそマゾヒストなのではないか?

プレーSMにおいては、大便のことを黄金と称する。
この手の老舗ビデオの主催はこう解説する。

「敬愛する女王様の体内から出るものである以上、ウンコであってはならない。『黄金』なのだ」

異議あり。
大胆に論じよう。この前提における便器男の心理態度は特異とは決め付けがたい。
あばたもえくぼは正常な心理態度だ。
今少し論じようか。

先ず、マゾヒズム性。
あるように見えてその実、皆無であろう。便器人間は屈辱感を感じてないのだから。
かかる状況を見て我と我が身に置き換え昂ぶる、見手の心理態度がマゾヒズムなのである。

では、排泄物のフェチシズムか?
これは少々迷うところだが、論者はNOに軍配をあげる。
理由は『敬愛する女王様』のもの限定であるという点だ。
フェチシズムと断ずる以上は、本来の性愛対象からある程度は切り離されてなければならないはず。
あまりにも本来の性愛対象の影が大きすぎる。

有名な東歌

    信濃なる 千曲の川の さざれ石も 君し踏みてば 玉と拾はむ

この(正常な)心理態度といかばかりの差異があろうか?
やはり便器願望者というのは、ヒットラーの如く、"汚くて臭い"大小便を否応なしに飲み食いさせられることを願う人物であると考察する。

話は替わるが、論者はそそっかし屋の部類だ。
和式便所で用を足して立ち上がる際に蹴躓き、便溜りに左足を踏み入れてしまったことがある。スリッパが脱げてしまった状態で…
自分が出したばかりのものをモロに踏んでしまったわけだ、お恥ずかしい話。
あの時足の裏に感じたなんとも形容しがたい気持ちの悪さたるや、今でも忘れられない。
あんなものを食べたい、食べさせられたいと願う人がいるとは!

既報のとおり、論者も時折「貴女の排泄物をいただきたい」と声をかけられる。
まあ、どこまで本気であるのかは知り得ないのであるが、もし心底そう願ってるのならば…

人間の性愛心理とはなんと不可思議なものであるかと驚かされる。

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SMビデオ視聴者であるマゾヒストは本当にマゾなのか?

修道尼の稿で論じた視虐症に関して続けよう。

男女ともに事例の少なくないこのサディズムを人はどのように昇華しているのか?
ものの本によれば、例えばスポーツ観戦である。就中、格闘技等の荒事。
プロレスの余興が一番の説明材料になろう。
血を流してみたり、凶器で攻撃して見せたり… 観衆はそれを見て興奮する。
痛いだろうに痩せ我慢して、とハラハラもしながら。

論者の心理態度に関しては別投稿に譲るとして、ひとつ問いかけたい。
この視虐症の発散としての格闘技観戦。何かに似てはいないだろうか?

そう、前稿でも俎上に上ったSMビデオ、この愛好者である。
サドのほうはさておくとしてマゾだ。
この手の映像も昨今においては、十分虚構の世界であることが知られている。
女(男)優が演技として男(女)優をいたぶっていることを百も承知の上で、マゾヒストと言われる男(女)性はそれに昂ぶる。
なんと、サディズムたる視虐症の昇華としての格闘技観戦とそっくりではないか!

反論は想定される。
「Sは責め役に、Mは責められ役に身を置き換えて昂ぶっているに決まってる。なにをバカな」と。
だか、そういい切れるであろうか? 少なくても双方とも双方を見ているのである。
スティックコーヒーの中から砂糖粒だけ抽出するにもに似た作業を、果たして人はその心底のなかで行うことが可能なのであろうか?

論者はこれを以って、モレルの稿で結んだ「SとMとは紙一重、ことによれば同じもの」の追加根拠としたい。


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ローマの貴婦人たち − コロシアムでの殺し合いに熱中

b17d7998.jpg思えば古代ローマ時代の奴隷も、中国のそれらとは別な方向で過酷な運命を余儀なくされた。
闘奴と呼ばれる奴隷たちである。
剣士として人間どおしの真剣勝負をさせられたり、猛獣と闘ったり。
格闘もギブアップやKOで勝負が終わるのではない。完全にどちらかが殺されるまで続くのである。

そしてコロシアム観衆は、今日と同じく熱狂した。
コロシアムには女性観客もいたということもまた同様。
後先になったが、これが視虐症の典型事例である。

随分と野蛮な時代だった。現代では考えられない。
と結ぶのは暫し待とう。
折も折、トリノ冬季五輪が行われたばかりである。

同大会でも随分と怪我人が出た。
そこで直前投稿で保留にしてあった論者の個別事情である。
論者とて人の怪我を積極的には喜びはしない。
けど、どこかでそれを望んでいることもまた否定できないのである。
よりスリリングにしてダイナミックな競技には事故の危険性が伴う。
それを含んだところで観戦を楽しむ論者もまた、視虐症に分類される人種であるといえよう。

が、論者一人が現代におけるローマ貴婦人の同類というわけではあるまい。
観戦は並べて、スリリングにしてダイナミックな競技が好きだ、視聴率がそれを証明している。
となれば、競技は如何なる方向に進むか? いうまでもなかろう、日を追うごとに危険なものになってゆく。
勿論安全対策も並行して進むのであるのだが、いかんせん大衆受けが大前提である以上抗いようがない。

事実、競技・練習中の事故死は絶えない。
トリノ五輪出場の選手中にも既にこの世の人ではない者もあるとか。

現代人は果たして古代ローマの蛮行を笑うことができるであろうか?

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ネロ − 名君転じて稀代の暴君と化したローマ帝国5代皇帝

9b9dbcd2.jpgコロシアムに関連して進めよう。
お馴染みのネロ、但し呂后の時のように「待ってました」の掛け声は掛からないかもしれない。
なんとなれば本サイトは女性のサディズムがテーマだから。
しかし、呂后と同じ殺人淫楽、つまりセックスの代償として人を殺すタイプのサディズムの持ち主であった点は共通だ。

ネロは何ゆえ暴走したか?
ものの本によれば、幼いころの記憶、今日風に言えばトラウマがフラッシュバックしたためと言われる。
臆病で神経質なネロ。女性的な性格である。

彼に限らないだろう。かのサード侯も同様だ。
このように、男性のサディストは女性的な人物が多い。
過去投稿で論じた豊臣秀次、そして織田信長の折は「残虐行為に及んだのは彼の中の女性が爆発した時」とまで論じた。

サド男性が女性(的)であるとしたのなら、マゾ男性はいかなる(心理)性を有する存在であるのか?
論者のことである。また減らず口を書いてしまいそうなので、この稿はこれにて終了とする。
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『妹マゾ』と呼ばれている男性たちは健全なる日本男児

全くの私事であるが、今日は論者の誕生日である。
本日午前零時を以って、論者はまた1歳満年齢を重ねた。

年というのは自動的に、そして誰でも平等にとっていくもの…
それ故に、年の差というのは絶対に詰まらないのである。
当たり前のことであるが、考えてみると面白い。

我が国もそうであるが儒教の根付いた国の民は、序列の概念というものを意識下に持っている。
年による序列、年上・年下というのを意識する。トレイシーの稿で論じたか。
年上は年下よりも上位でなければならないのである。
そして、それが逆転するとなると?

言わずもがなのこと、本来上位であるはずの年上にすれば忍び難い屈辱ということになる。
そして、その屈辱感に昂ぶるということになると…
かかる男性諸氏を『妹マゾ』と呼ぶらしい。
勿論学術上定着した用語ではないにせよ、可也一般的に用いられてるようだ。
掲示板サイトのこのテーマスレッドの多さが、それを証明している。

さて感想だ。論者は彼らを好意的に受け止める。
何故ならば、現行の社会に適合した価値観をちゃんと持ち合わせているからである。
年下に敵わないのは恥ずかしい、そう感じてなければ屈辱感など生まれやしない、ない屈辱感に昂ぶれる筈はありえない。
不幸にして現実社会生活においてかかる事態を引き立てた際には、それを打開しようと努力する…
常識という言葉は使いたくないが、まあ常識的である。

思えば。
論者曰くの昨今SMの脱線は、マゾと腑抜けがごっちゃにされている風潮が一因している。
腑抜けに構って女王と称している人種は、それこそバカ姫様、割れ鍋に綴じ蓋だ。

 注* 元稿投稿は4/14にされています。
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NEVADA − 級友を冷静に惨殺したカッター少女

c8de0048.gif未だに成人していないがため、現行価値観においては名を記すことの出来ないこの女性。今まで俎上に上げた中で最も後に生まれた人物である。
本稿の論題は些か問題があるかもしれない。否、大いにあるだろう。
だが。

結論を先に述べよう。
論者が見聞きする限りにおいては、彼女こそが最も強烈なサディズムを持ち合わせている女性だ。
この(通称)NEVADAを論ぜずして、何が『サディズムに花束を!』であろう?
もし問題が起こって最悪サイト自体が消滅するようなこととなったとしても、論者には悔いは残らない。

さて、本論に入る。
ご存知、佐世保市の小学校で2年ほど前に起きた事件であるが諸事情により、事件自体の解明が十分にされたものではない。先ずそこから検証していく必要があろう。
憶測やデマが乱れ飛び錯綜した報道の中で一点だけ確かな事実はといえば、被害者の首の傷の甚大さだ。
長さ10cm×深さ10cm… これはただやそっとの傷ではない。首が千切れる寸前ではないか!
流石の本職(立ち会った)消防隊員が衝撃のために精神加療を受けたとことが傍証となろう。

NEVADAの級友殺人は殺人淫楽に分類されるであろう。
身近な存在である被害者が死に至るプロセスを冷静に観察し楽しむ…
冷静でなければ、これだけの行動はとれない。
更に言えば、少しでも殺意を見せたらば被害者に気取られる。
あまりにもお寂しい凶器だ。ほぼ一撃で絶命させなければ殺人自体が不可能。

NEVADAは首にこだわったのか? だとすれば、去勢コンプレックスからということでサロメと同様。
何人も知りえない。が、遺体の損傷度から逆算することはできる。
繰り返すが、凶器に使われたとされるのは使い捨ての100円カッターナイフ。
こんなもので人間の首が千切れる寸前にまですることが出来るのか?
いやそれ以前に、11歳の女児の力で、人一人殺害することが出来るのか?
どう考えても答えはNOだ。
不可能を可能にならしめた彼女の行動の裏には何か底知れぬ心理状態が働いていたのである。
古来、狐がついたとか魔女が乗り移ったとか言われているあれだ。

過去投稿で論じた何人かを振り返る。
永田洋子は思想信条が彼女を魔女ならしめた。
マルクス曰く「宗教は麻薬」
中国悪女たちは、限りなき権力への執着に駆り立てられた。
人とは所詮、物欲の塊。
だが、このNEVADAの心裏には、どうしても説明の出来るモチベーションが見出せないのだ。
一部報道の怨恨説などナンセンスの極みである。
逐一は割愛するが、この仮説によると動機・状況いずれも矛盾だらけになってしまう。
殺したいから殺した、彼女の殺人動機はこれであるとしか断じようがない。

だからこそ論者は、彼女・NEVADAこそが最も強烈なサディズムを持ち合わせている女性だというのだが。

それにしても報道だ。
先ず「ネットが悪者」の結論ありき。それに合わせてプロセスを作り上げる。年少者保護の建前で設けられた現行社会諸規定がもたらした現実はかくのごときである。
徹底究明なくして、被害者が浮かばれようか? 論者は声を大にする。
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女は母親の胎内に何某かの忘れ物をしたと思い込むもの

直前NEVADAの記事の「去勢コンプレックス」を補足しておこう。
幼女時代から、女は去勢されたと思い込まされ、攻撃的な男性器を羨望する心理のことである。

昔、『オー・チンチン』という童謡が流行ったらしい。
歌詞に問題があって放送禁止となったらしいのだが。
その削除された部分の歌詞である。

 あの子と二人 押入で
 見せっこしたよ 幼い日
 ちんちんつまんで あの子がね
 私も欲しいと つぶやいた

去勢コンプレックス心理を情緒的に歌っているので記してみた。
この攻撃的な男性器に対して反撃を試みたのが、サロメであり阿部定であったということはそれぞれの稿で論じたとおりである。
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早田夫人(顔世御前) − 尊氏の執事・高師直に行水姿を覗き見られた若妻

11f6b063.jpg古典太平記に登場する逸話である。
今日風に言えば、夫の上司から不倫を迫られた女性ということになろう。副題にしたように入浴姿を覗かれたり、なんやかやとストーカー行為を受ける。
早田夫人は拒む。
彼女の夫である塩谷高貞は、邪恋に狂った師直のために、逆心ありと言うことにされてしまうのである。

山内一豊の妻を見習え。
夫の出世のためだ、裸くらい見せたっていいじゃないか?
別に減るものでもなし。
という人があるとすれば、それは男性の感覚だ。
まあ早田夫人でなくても女性ならば、あられもない姿を見られたくない。とりわけ男性に対しては。
なんとなれば、女は自分の裸や性器に劣等感を持っている。直前の投稿その他繰り返し提示しているように。

その劣等感のある性器を積極的に晒す女性…
女性の露出症というのは、例外なくマゾヒズム心理の具現だ。
そして、それを覗こうとするが視姦症…
圧倒的に男性に多いこの症状は、サディズム心理に因を発する。

男性の露出症については、再三論じているのでくどくは書かぬ。
が、ただ…
あくまでも、男性の露出症を女性のそれと同一に理解して「マゾ男性の心理だ」と論じている、
更に一歩進み「マゾ男です。S女の皆さん、僕の裸を見てください」などと発言している、
これらの諸氏に一言だけ言いたい。
男性の裸や性器を覗き見て、加虐のエクスタシーを感じる女性の事例を論拠を添えて提出して欲しい、と。

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特殊性癖と思い悩むのは愚かである

ネット巷間を見渡すに。
世に言う特殊性癖なるものを持ち合わせているとお考えの方々は、色々お悩みのようだ。
自分と同じ○○癖の人間を探す。同一性癖と思われる他者を見つけ接触を図る。が、突き詰めるうちにどうも違うようだと感じる。そして、このような性癖の持ち主は自分一人ではないかとまた落ち込む…
といったような具合に。
悪循環と言えよう。

先ずは、かのクラフト・エービングの分析事例を提示しようか。

----------------------------------------------------
(例)二十九歳の官吏。彼は六歳のころ、素足の女性をみて興奮した記憶がある。それからズッと彼は足を追っていた。八歳のとき、まったく自発的に一素足を空想しながらオナニーをするようになったが、十四歳のある夜、眠っている妹の部屋へ忍び込んで足をつかみ接吻した。十六歳のとき、よく下女の靴や靴下をベッドの中へ運んで、興奮を高めながら自慰を行なうようになった。
 十八歳一初交。しかし、フェティシズムは消えやらず、二十四歳になると、異性をいとうようになり、二十六歳で都会へ出、同性愛の生活へ入った。相互自慰と口淫である。しかも次第に男の足をみて夢精したりするようになり、路上の男を追いかげたこともある。その男が靴をぬぐかもしれないと思ったので。
 男の足が見られないときは、自分が素足で外出しようという衡動に駆られ、雨の目でも毎夜数時間さまよったことがある。手に靴をもち興奮にふるえ、ついに射精するまで。いちばん幸福だったのは、温泉へ行って「ノイローゼ」の静養をしていたときである。人々がみな、素足で歩いていたから。
 やがて、女性への関心が再び湧いて来たけれども、性行為に入るには相手を素足にしなければならなかったりして、なかなか満足できなかった。そのためまたもや同性愛がぶり返し、ただ男の素足へ接吻するだけでも十分満足するようになっていた。
----------------------------------------------------

如何であろう? 所謂特殊性癖がいくつ入っている?
さもありなん、である。
いの一番、第1稿で論じたことを思い出されたい。性格性癖などというものは、数多くの人間の事例を分析し共通因子を抽出したものなのである。
一人の人間が色々な因子を持っているのは、いわずもがなのことなのだ。

繰り返そう。
そういう意味で、○○癖などというものはこの世に存在しないのである。
にも拘らず、「自分は○○癖」と思い込み決め付けるのは決定的な間違い、掲示板サイトで見た言い回しを借りれば「湯上りに先ず帽子を被り、しかる後に猿股を穿くようなもの」だ。
ここまで言えば、言うには及ぶまい。同じ性癖の人間などこの世に二人といないのである。

論者はかつて多次元座標を使ってこれを説明した。
世の人間の数だけ座標値がある。しかも上記事例で解るように同一人物の座標値も時とともに推移するのである。
更に言えば。
ノーマルといわれるオリジンの位置も、サド・マゾ・○フェチ等々座標軸の向きも、時代とともに推移するのである。

であるが故に、論者は自身がS女とやらであろうがなかろうが、そんなことは気にも留めない。
ましてや、同一性癖なる人物を探そうなどとは微塵も考えはしない。

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西太后 − 中国三大悪女の最後の一人は?

9fba14a2.pngご存知、清は咸豊帝の妃で、同治帝の母。清末期の権力者である。
舞台裏を明かそう。
この人物を取り上げるのは止めようかと思っていた。
というのは、ブログのタイトル的に論ずるべきものが見つからないので。
従って、この稿は純然たる歴史人物評になる。

歴史はサイエンスである。
国家や権力もまた命があるもの…
誕生し成長し衰え、そして滅ぶ。

後世の人々は、清朝を疲弊弱体化に導いてしまった元凶と西太后を批判する。
ならば問う。
一体、彼女以外の誰に任せたら清朝を安泰ならしめたか?
そもそも清朝なるものが、20世紀以降も存在しうる権力であったのか?
時代の流れには、いかなる偉人英傑をもってしても抗うことはできないのである。

三大悪女といっても他の二人、漢の呂后・唐の則天武后とは少しタイプが違う。
西太后の権力への執着には私の色が感じられないのだ。
タイプで言えば、日本の北条政子と同タイプと思料する。
けど、政子が生きたのは鎌倉幕府が日の出の時期にあったとき。
言わば西太后は、北条高時の時代にタイムスリップで出現したご先祖政子様であると形容できよう。

流れで論ずれば論者は童門冬二氏同様、北条高時というのは優れた武将であったと考えている。
それ故、論題・西太后についても優れた政治家であったという少数学説を支持するのであるが。

もし、あの世というものがあるのなら。
そして、そこから西太后が、今なお多く映画等で悪女として描かれる自分自身の姿を見ているとしたのなら。
定めし、我が人生悔いなし! とほくそえんでるに違いない。

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エリザベス・パソリー − 吸血症の妖女、別の奇行とは?

8c99c9a6.gif冒頭お断りする。論者はこの人物のことは知らない。
知らない、が、知らないなら知らないなりの論じ方は出来る。
それを心に留めお読み願いたい。

エリザベスという名からすると、英語圏の女性であろう。
すると、引き裂き魔・ジャックリパーあたりと同列に置かれる狂人?
ともかく、吸血症で有名だったらしい。

と、論者がこの人物の記載を見つけたのは、別の奇行の例示からである。
美しい侍女たちを裸にして乳を噛んだり口を縫い付けてしまったりした…
汚涜症と呼ばれる加虐フェチシズムだ。

性行為を表現するのに「ケガス」「ゲガレル」という俗語があるであろう?
文字通りのそれである。
実際性交しえないものを汚したり傷つけたりして代償満足を得ようとするものだ。
この種の痴漢は昔よりあとを絶たない。

また絵画彫刻などの美術品ですら、同様に傷つけられたりする。
たった今、聞いていたニュースで、法隆寺が傷つけれたことを知った。
そういえば昔放火されたか。
「こんな美しいものが、この世にあっていいわけがない」
と考えた青年の手により。

汚涜症は独占欲と結びついた女性型のサディズムであると言えよう。
男性のサディストは女性的な性格が多いということは、ネロの稿で書いたとおり。
本当に、人ごみなどで女性の衣服にインクを掛けたりナイフで切ったりする痴漢は、女の腐ったのであると言えよう。

このようにサディズムというのは、どうしようもないような代物なのか?
あながちそうとばかりも言えまい。
これは書籍からの引用であるが、全くの我が意であるので論者の意見として書き記す。

サディズムの一部は性愛生活の一部として、うまく消費されていく。乗位、愛咬、抱きしめ、等々である。
更に一部は社会的に価値がある高度な行動に変化してゆく。
例えば、
科学者が研究対象を攻究し学び取り解剖し把握するたくましい情熱に。
事業者が道を切り開き競争していく闘志に。
著述者がやわ腕に剣よりも強いペンを持ち、巨大権力を切り伏せる反骨心に。
そして、勤労者が低賃金であることも忘れて職責に没頭し、そのかたわら経済闘争・階級闘争の熾烈を運動へ参加する勇猛心に。

が、あまり甘やかされて育ったり、あるいは逆に周囲から圧迫されて攻撃性が全然発揮できなくなったりすると…
サディズムは必ず何かの折に爆発する。

近年の現状をつらつらおもんみるに。
女性のサディストというは数少ない存在である。否 不正確だ。顕在的な女性のサディスト、である。
SMという需給関係からすれば、たたでさえ甘やかされやすい存在だ。
で、巷間ネットにおける事情である。将に前者「あまり甘やかされて育ったり」の典型例ではないか!

加えて、SMということばが商業主義の目に留まったことが悲劇であった。
ネット界隈での主役たちは商業主義そのものというよりは、その尻馬に乗った遊び仕事の連中だ。
さしたる利潤を得ているわけではないからよいではないかと大きな顔をして、S女と称する人種を甘やかしまくる。直接そうしないまでも甘やかしまくる連中を側面フォローし続ける。
そして、歯止めをかけようとするものを妨げるのが、IT・ポータルサイト産業の面々その人たち。
彼らが都合上作ったネットマナーなるものに照らし合わせれば、とがめだてするものはサイト荒らしという「絶対悪」にされてしまうのである。

繰り返すが、サディズムは必ず何かの折に爆発する。
爆発したが最後、彼女はこの稿で論じたエリザベス・パソリー、過去稿で論じてきた残忍不逞なファッショ政治家、貪欲過酷な搾取者、そして凶悪殺人者…
このような地獄の番人になりさがってしまうのである。
差し詰め、巷間ネットのSM『業者』、『業者もどき』は地獄への案内人といったところか?

ここらで切り上げよう。
本稿の論者は些か感情的であったかもしれない、最後はフォロー。


 注* 元投稿は、4/19にされたものです。4/23に下記加筆がありました。


訂正とお詫びを。

>たった今、聞いていたニュースで、法隆寺が傷つけれたことを知った。
>そういえば昔放火されたか。
>「こんな美しいものが、この世にあっていいわけがない」
>と考えた青年の手により。

傷つけれたのは法隆寺であるが、昔放火されたのは金閣寺であった。
ご覧になり混乱した方がいらしたようなら、深くお詫びする。

詳細は、後刻改めて別稿で。


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そもそも商業SMなるものが存在しえるのは日本国憲法の恩恵

全くの内輪話である。
昨日のパソリーの稿中、論者は些か感情的であったかもしれないと述べた。
何故に感情的であったのか、その原因について説明をすることに1稿費やそう。

これである。


d4ae119c.gif  The SM in ノンアダルトカテゴリー

 SM (サディズム、マゾヒズム) やフェチ (フェチシズム) に関する話題で、「これならば全年齢対象だ!」と思われる記事がありましたらどうぞ。趣旨が分からないようでしたら、http: //blog.livedoor.jp/fem_dom_2006 をご覧ください。こんな感じです。言うに及ばないと思いますが商業目的厳禁。



論者は一昨日運営会社に申請し、この項目を起こした。
早速、本ブログ記事の送信を試みるに、表示されぬではないか!
件の運営会社に問い合わせたところ本日になり、当ブログが規制されている旨の返答が返ってきた。

なんと、スレッドの立て主が投稿できぬのである。
それにもまして不可思議なのは、凡例雛形として規制サイトである弊所のアドレスが記載されているスレッドを、運営会社が承認しているということだ。
概ね見当はつく。何者かの讒言により運営会社が情報錯綜をおこしているのであろう。

もとより、本ブログの内容で摩擦がなかろうはずはない。商業関係者にとって面白くない記載満載であることは、論者とて十二分に承知している。
だが、これは言論だ。現行日本国憲法で保障されている権利である。
言論に対して対抗したければ言論を以ってすべきであろう。
また論者は、このブログの存在が許しがたいというのであれば、『不適切なブログ』としてブログ会社まで通報されたいと最上位記事に記載もしてある。
理に訴えずして怒気を以って抗おうと試みるのは、愚かしい限りだ。

日本で暮らし日本の空気を吸っている者ならば、年齢・性別・人種等々の如何にかかわらず、日本国憲法の基礎くらいは紐解くべきであろう。
サディズム、マゾヒズム、フェチシズムは異常性癖。
このような忌むべきものを積極的に持ち出し商売にできるのも、憲法に定められた営業の自由の恩恵なのである。


---------------------------------------------------------------------------------------------------------------【「BlogPeople」(「トラックバック・ピープル」)なるところの不可解な行動について】


マリー・キュリー − ラジウムの発見で名高い女流科学者

マリー・キュリーポーランド・ワルシャワ生まれのポーランド人の物理学者・化学者…
夫のピエールともに、大量のピッチブレンド(瀝青ウラン鉱)の残渣からラジウムとポロニウムを精製、発見…
家族で獲得したノーベル賞の数は五つ…
この偉人を、サディズムを論ずるために俎上に上げるのは、些か不穏当かもしれない。
他にも適材はあろう。ロシアあたりには、牛に一週間も水を与なかったり電流を胴体に流したりして観察を続けた妙齢の生化学者がいたらしい。
がここは、もっとも著名な女流科学者であるキュリー夫人に代表してもらうことにする。

科学者というのはサディスティックな人間が多い。
もとい、この表現では性格占い亜流の相関関係に読めてしまう。言い直そう。
科学者の持つ探究心とはサディズムの昇華、いや、サディズムの有効利用である。
パリソーの稿で書いたとおりだ。

子供の頃を思い出されたい。
色々なものを分解したり解剖したりしなかったであろうか?
心理学的に見れば加虐そのもの、幼いがゆえの残酷さ、と過去投稿で論じた。
映画『禁じられた遊び』である。
臆病な論者は生き物は駄目であったが、無機質なものにそれが向き、結構色々と分解して遊んだものである。

さて、科学者というのはこの子供心をそのまま持ち続けた大人であるといえよう。
繰り返すが、(他に主要な)目的があっての虐待ではない。
分解する、壊す、解剖する、切り刻む…
あくまでも心理学的には、これらの虐待が目的だ。大いに社会的意義のある研究成果は副産物に過ぎない。
研究対象を攻究する、将に言いえた表現である。

科学者は昔から男性が圧倒的に多い。
まあ、ここでもまた顕在的な女性サディストが少ないという傍証が導き出せてしまうのだが。
しかしながらここ近年においては、女子の理科系志向が微かながらに目立ちだしているという。
ご時世といえようか。

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遠山左衛門尉景元 − ご存知刺青判官、してその実態は?

db17fb6c.jpg汚涜症の追加論説のため、また男性を主役とする。

遠山左衛門尉景元でわからなければ、桜吹雪の金さん、あのお奉行様である。
史実の景元については記録が少なく、トレードマークである刺青すらも疑問視する声も。
だが、ここはあったということで論を進めよう。

金さん、金四郎という幼名でわかるとおり、もともと彼は嫡男ではない。
その景元が旗本遠山家の家督を継いだのは兄達が次々病死したためなのであるが、彼の刺青もそこらの事情と関連がある。
つまり、遠山景元は義理ある弟に家督を譲るため、わざと無頼の徒と交わり放蕩三昧の生活を送っていたというのだ。

刺青…
一言で括れば、こうなるのであるが、入れ墨と彫り物は区別しなければならないだろう。
元々の刺青、入れ墨というのは文字通り墨を入れる、奴隷に対して所有者がその所有を示すためがに施したものだ。
今でもあるだろう。自分の女に○○命と彫らせる者が。
将にサディズムの一である汚涜症の典型ケースだ。
そして入れ墨は、囚人に対する刑罰や識別のために利用されることにもなる。刺青者というくらいに。
これらは非自発的な意思に基づきなされたものだ。

これに対し、景元もしていた彫り物というのは自発意思に基づく。
多分に自己主張。
梅之助を筆頭に多くの俳優が演じていたテレビドラマの金さんは、これを自慢げに見せびらかし啖呵を切っていた。
本当であろうか?

ここまでくると、完全な虚構であるようだ。
家督を継いだ後の遠山景元という人は、自分の彫り物を人から見られることを極端に嫌い、真夏でも長袖を着ていたという。
同じ虚構の金さんでも、千恵蔵演じた映画の金さん、「死ぬほど恥ずかしい思いで」と言いながらもろ肌脱いだ金さんの方がより史実に近い人物設定だということだ。
ともかく景元は文字どおり若気の至りで、文字どおり体を汚してしまったというわけである。

さて、汚涜症というのは外部に加虐性が向いたサディズムであった。
その加虐性が自己に向くとなると…
今度は自虐症というマゾヒズムである。
景元の事例もそうであるが、世の彫り物を入れている人々は自らの体を汚したい、というニーズ・欲求からそうしているのであると言える。

身体髪膚これを父母に受く 敢えて毀傷せざるは孝の始めなり… 商品化された刺青女王は真に痛々しい。

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人間は間違いをする動物

4/19付、パソリーの記事に誤りがあった。
改めてお詫びする。
今尚、何故、金閣寺と法隆寺を間違えたのが解らぬのであるが。

思うに暗示の類であろう。
ながら起稿している耳に飛び込んできた法隆寺のニュース…
あっ! という感じで昔の放火の話に結びついてしまったと思料される。
記事の内容が内容だけに誤りがあったというのは、どうにもバツが悪い。

どうも論者は暗示にかかりやすいようだ。
別のブログでも全く同様のことをしたことがある。
万葉集は大伴坂上郎女の歌、これを何をどうしたものか額田王と書いてしまったのだ。
この折は訪問者からご指摘頂いたので、今回とはまた別の意味でバツが悪かった。

今回は自分で気づいた。
きっかけは、別箇所でみた金閣寺の文字。
穿てば論者の誤りを見つけ、それとなく指摘してくれたのかも知れぬ。
とすれば、大いに感謝せねばならないだろう。

別所の誤りを指摘するのは勇気がいる。
論者も過日、訪問先で誤りを見つけ、指摘してきたばかりだからよく解る。
それ故、直接的にせよ間接的にせよ指摘願えるのは有難い。

人間は間違いをする動物、そして、過ちをあらたむるに憚ることなかれ、である。

とはいうものの、間違いをしていいという訳ではない。
これもまたネットの怖さ、ひとたびウェブにあげたものはまずもって何人かの目にはとまっている、そういった意味で訂正などは効かぬのである。
だからパリソーの稿も、原文に注記した形で残そう。

日をおいて何度も見直す…
遠回りに見えて、これが間違いを最小限にするための最短経路であると思料する論者だ。

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見性院 (穴山梅雪室) − 味方に嫁いだ武田信玄次女の数奇な運命とは?

8bf93e6b.jpg先ほどまで国営放送の大河ドラマを観ていた。
奇しくも山内一豊の妻と同じ法号のこの女性の本名は不詳だ。
が名無しのままに、本日放送であった長篠の戦いの裏主役とはなりうるのである。

長篠の戦い…
一般には、鉄砲対騎馬の戦いと言われる。
そして、これからは鉄砲の時代である、という転機になった戦いと位置づけられている。
果たしてそうであろうか?
もしそうであるのなら、武田方の大将たちは馬囲いの柵の近くで討ち死にしているはずだ。
だが史実を辿れば、みな柵から離れたところで果てているのだ。
武田方の敗因は別のところにあり。すばり言えば、内部統制の不足である。
つまりは、頭首・勝頼が惣領として認められていなかったということ。
その立役者が親戚衆筆頭である穴山信君、見性院の夫、のちの梅雪入道である。
彼は山頂に陣取ったまま、一兵も動かさなかったのである。

所謂お家の事情なのだがもう少し見よう。
見性院は勝頼の姉だ。
彼女にすれば、他家である諏訪に養子にいった勝頼が信玄の後を継ぐことは認めがたいことであったろう。
即ち自分の子である信玄の嫡孫が正当であると考える。
事実、弟勝頼にはなんやかやと牽制球を投げていたようである。
そこらの事情がそこやの事情が重なった長篠当時の武田お家事情であった。

このようにやり手であった見性院は武田滅亡後も生き延び、後に江戸幕府において保科正之の養育役となるのだが、人物紹介ばかりに紙面を費やしていても何であるからここらにしよう。
親戚衆と言った。穴山家は武田の分家である。
筆頭と言った。穴山家嫡男は代々頭首である武田の姫を室にする慣わしである。
これが…

と続ける前に、一言お断りしよう。
いとこどおしで結婚なさっている方。
どうぞ、これから先は読まないで頂きたい。

と、前置きして論を進める。
このように、穴山家というのは代々いとこどおしが結婚して血筋が続いている家系なのである。
このブログとして論ずることといえば… 近親婚。

バカな! と言われるか?
四親等の親族とは結婚が認められている! とどやされるか?
だか、考えていただきたい。
四親等がオーケーで三親等がダメとする数的根拠はなんであるか?
いとこどおしが正常・正倫でオジ姪・オバ甥だと異常・不倫だとする論拠は法規以外のどこにあるのか?
逆にこう問いかければ、お分かりになると思う。

近親婚の害悪はといえば、遺伝上の問題であろう?
であるがゆえに、代々これを重ねてきた穴山家はかなり危険なはずだ。
事実、穴山梅雪という人は鼻がなかったと伝えられる。
疾病等後天的理由でそうなったか、はたまた先天的にそうであったのか?

で、ようやく結論となる。
近親姦というのは現在の価値観では異常性欲に分類される。
そして、俗に言われる正常性癖の持ち主は、それを忌む。
別に全ての人に遺伝学上の知識が備わっているわけではない。
遺伝学などというものがない昔から、脈々としてそう推移していた。

人間の直情・直感というのは、非常に正しいものなのである。
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(番外編) 伊能忠敬 − 我が郷土の偉人を

cd532dab.jpg本筋から外れる。
別ブログに書いた小学校英語必修問題に対する愚見に関するご意見を頂いた。
それを請けて少々論じたい。

年配の方から、時折伺う。
鉄は熱い内に打て。ああ、(頭の柔らかい)若いうちに学問しておけば、と。

どうであろう?
先ずは対照的な二人の経済学者を検証しよう。

早学で知られるのが英国のジョン・スチュアート・ミルである。
彼は物心ついた頃から、経済学者である父ジェームズからスパルタ式英才教育を受けた。
来る日も来る日も与えられた課題に対するレポートの提出を義務付けられ、合格できるまで許されない。
言ってみれば、『巨人の星・経済学者版』といったところであろう。
そのせいあってミルは、10歳の時には既に一人前の経済学者であった。

対照的に晩学であるのが、我が国の福澤諭吉である。
なんと、彼は15の年まで読み書きすらろくすっぽできなかったのだ。
体裁ていどに漢書あたりを読み出した諭吉のそれからはすごい。
19の年から蘭学を学びだした彼の目に後にとまったのが英語である。
必要を感じた諭吉は英蘭辞書などをたよりにほぼ独学で英語の勉強を始めるのである。
経済…
これからの経世済民はこれだ! と実感した福澤諭吉は英語のエコノミックスをこう訳した。

勿論これだけでは断ずることは出来ぬが、この二人を見る限り年齢によるハンデも逆ハンデもないように見えるが?
と、検証を進めるために、標渇の有名人を。

もう、人物についてくどく説明することもないであろう。
日本全国を測量して歩き、わが国最初の実測日本地図をつくりあげた人物だ。
そして彼が学問を始めたのは50歳をすぎてから…
いや勿論現役時代に培った計算力は、測量術の下地にはなっている。
が、それは江戸時代当時の年齢観、40台が隠居適齢期で50過ぎは老人、で相殺されてしまうのではないか?
いずれにしても超晩学の人である。

さて、冒頭触れた意見を頂いた方であるが。
論者のことを女王様と呼んでらっしゃる。
ならば、ここはサービスのSということで大出血だ。
紙上調教言葉嬲りといこう。

 「高々50を少しでたくらいで何を老人みたいをおっしゃってるんです!?
 伊能忠敬をご覧ください、今からだって学問の一つや十はできるはずです。
 仕事で英語を使う。結構なことでしょう? 実務で習うのが一番効率的、必要が最良の教師です。
 進駐軍の将校たちはみな日本語が達者だった。何故だかご存知ですか?
 軍で日本語のテストをされ、出来が悪い者から順に前線に飛ばされる。
 フィリッピンあたりに飛ばされた日には命がいくつあっても足りないもんだから、
 忙しい軍務の傍ら、みんな死に物狂いで日本語を勉強したそうですよ。
 はっきり申し上げて、貴男の考え方は甘ったれてます。」

過去投稿で論者は「女王とは誰よりも厳しく自分自身のことを律する女のことだ」と発言している。
かくなった上は学生の本分に従い、それこそ死に物狂いで勉学せねばならないだろう。
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ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト − 生誕250年に賑わう2006

de3591d4.jpgジョン・スチュアート・ミルを俎上に上げたなら、この大作曲家に触れない訳にはいかないだろう。
同様、父レオポルトからスパルタ式英才教育を受けた神童である。
長ずるに従い記録があやふやになるのが特筆だ。
これほど謎につつまれた偉人も珍しいと言えよう。

例えば、所謂三大交響曲の作曲期間だ。彼はこれを合計3月で書き上げたと言われている。
検証するに、並みの音楽学生あたりなら3月では写譜すらも覚束ない。
あまつさえこの時期のモーツアルトは貧困のどん底、オルゴールの作曲等々で糊口をふさいでいた時期である。
傍らに、これだけの産物を生み出しているのである。人間業ではない。
とまれ、天才中の天才であることだけは間違いないであろう。

となると、天才となんとかは紙一重、の格言が生きる。
数あるモーツアルトの奇行のうちで最も有名なもの。
「俺の尻を舐めろ」
いや、
「僕のウンコを食べろ」
だったか?

…排泄物のフェチシズム。

つらつら検証するに。
これは同じ排泄物のフェチシズムでも過去論じたものとは毛色が違う。
自分の排泄物に対して偏愛を示しているという点で、純然たるフェチシズムと言えよう。
まあ、それゆえに実生活に支障をきたすほどまでに暴走してしまうことが大半なのだが。
因みにこれは、所謂普通の人間でも、幼児期、或いは逆に痴呆になった老人期に見られる症状だ。

で、モーツアルト・スカトロジスト説であるが、論者はこれを支持する。
排泄とは生理的なものだけではない。精神的な排泄というのもあるのだ。
そして、一見似ても似つかないこの2つであるが実はなんらの差異もない。これがカタルシス論である。
となれば、35年の生涯でこれだけ多数の作品を残した『大糞垂れ』モーツアルトが疲れて、生理的な排泄と精神的なそれとを混同したとしても不思議ではなかろう。
繰り返せば、天才となんとかは紙一重、そして歴史に名を残した人物は一人残らず変態なのである。

さて余談である。
広いネットの一角で、カタルシスの概念を知らぬ自称創作家が、それを知ろうともせず「人が時間を掛けて創ったものを糞に例えるとは失礼だ」などと、ただただ文句ばかりを垂れていたことがあった。
この手の人種の評論には、一行しか使いたくない。
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江青 − 文化大革命四人組、獄中自殺した毛沢東夫人

ab5ddaa0.jpg江青が政治に乗り出してきたときは、既に離婚状態だったと言われている。
逆に言えば毛沢東と事実上離婚状態であったが故に、政治の表舞台に立つことを容認されたということであるのだが、ともかく四人組の一人として1966年に始まる文化大革命で活躍することになるのである。
そして毛沢東の死の直後に逮捕、紆余曲折あって最後は獄中で自殺した江青だ。

この時期、日本の一部インテリ男性達の間で、「うちのジャンチンが〜」という言い回しが流行ったらしい。
ジャンチン(江青)、夫の仕事向きにしゃしゃり出る女房…
もっと端的に言えば、亭主である自分を尻に敷きやがる悪妻めが、ということだろう。
「上州名物、カカア天下と空っ風」などというものもあったか。

ところが、女房を貰うならカカア天下の上州女に限るという説もあるのだ。
つまり、本来夫がやるべきことまで率先してやってくれるので楽な一生が送れるというのである。
存外真面目な根拠だ。
亭主を尻に敷いているというのは、取りも直さず、体よく亭主の仕事を押し付けられているということ。

ここで考えさせられる。
そもそも支配とは何なのか?
文学的表現をしたいのなら差し詰め、支配は非支配なり、非支配は支配なり、あたりになろうか?

まあ、江青に論を戻せば、本来毛沢東が受けるべき粛清を彼女が身代わりに受けてしまったのかもしれない。
少なくとも政治にさえ入りこまなければ、獄中自殺などという最期ではなかった筈だ。

ここでもまた、女性上位と女性支配とはイコールではなかった。
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SMビデオは名無し女王様でつくるのが正道

世に、女王様ビデオとかM男ビデオとかいわれているものである。
実は論者は、この手のビデオの出演女優だと書き立てられ往生したことがある。
まあ、ことさらそれを根に持って言うわけではないのだが。
この手のものは出演者に名前がないほうがベターと思えるのだ。

過去投稿で繰り返したとおり、これらはあくまでもイメージである。
視聴者は眼下のシーンのいずれかの人物にわが身を置き換え、サドなりマゾなりの己の欲求を満たす。
だとすれば、人物に対する思い入れは不用、出演者明示はむしろ興ざめにさせるファクターではなかろうか?
と、ここまでは、もっぱら論者の感覚だ。

して、これから先はある程度社会性のある論説をするとしよう。
特に論じなければならぬのは、女王様役の人選である。これらの適任者といえば?
とあるビデオのキャッチとして、こんなフレーズを見聞きした。

本ビデオの出演女王様役は過去に強盗傷害の前科があり、本格仕込みの責めが見られます、と。

言語道断である。
かかる販売拡張をする業者は死の商人だ。

罪を償って出所してきたのだから云々の反論は、些か的が外れる。
勿論偏見は持つべきではない。それを承知の上で言っている。
ひとたび起こしてしまった犯罪は仕方ない。さりながら。
もう2度と犯罪を起こさないように導くのが、罪を償って出所してきた者の受け入れ方なのではなかろうか?

して、件の制作者だ。
過去に傷害事件を起こした者が、暴力でメシを食えるように仕向けている。
これを言語道断だと言っている。はっきり言って焚付…
ありとあらゆる犯罪というものには再犯性があるのだ。

補導された少年少女は夜な夜な拘置所で泣きながら懺悔する。
もう2度と暴走はしません… シンナーはもうやめます…
うそ偽りはない。
が、本当に2度としないかといえば?
大概は、すぐに元に戻ってしまう。
人とは弱いもの、特に虞犯者である。
そして、戻ってしまうのは、ほんの少しのきっかけからである。

もしこの虞犯少女がそのサド性から傷害事件を引き起こしたと本当に思っているのなら、サディズムを昇華・有効利用するように導くのが、社会経験の先輩たる年長者の役目だろう。
とんでもない暴れ者が一転、うそのように穏やかな高僧に転じた事例なら、古今東西枚挙に暇がない。
元々『絶対値』が大きいのである故、正負符号の付け替えで極悪から最善へと変身するのである。
バソリーの稿でも、サディズムの有効利用法はあげた。
こともあろうに俎上にあげたビデオ制作者はそれを…

もう一度繰り返す。
暴力事件を起こした者が暴力で金を稼げるように仕向けた件のビデオ会社は死の商人だ。
そして、それを虞犯少女の更正・社会復帰ともてはやす一部の視聴者たち。
早く心得違いに気づき再考あれかし、と願うばかりである。
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クサンチッペ − ご存知・ソクラテスの妻 してその心裏は?

e4831804.jpg本日は、ギリシャの大哲学者・ソクラテスの忌日である。
これをもって4/27を『哲学の日』、或いは『悪妻の日』とするらしい。

「ともかく結婚はしてみることだ。良妻ならば幸せになれるし、悪妻ならば哲学者になれる」
有名なソクラティク・アイロニーである。
二千数百年の年月を超えて語り継がれるクサンチッペの悪妻ぶり…
この稿では、このソクラテスの妻を論じよう。

過去投稿でも数多の悪妻を論じた。
多かったタイプは、雌鳥が囀る型の悪妻である。
北条政子に始まり直近では江青、これらの人物はサディスティンに似て実は非なるものと断じた。
ソクラテスの妻、ガミガミ女房…
ある意味『囀る』とも言えなくもないが、論者の用いた意味ではない。
クサンチッペは夫の仕事を理解しようとせず、ただただヒステリックになるだけ。
今までのやり手悪妻とは、天地ほどの差がある。
いや、理解しようとせず、ではなかったか? 理解できずして、である。

性分で、夫の仕事に口を出したくて仕方ない。
けどそれができない。溜まったフラストレーションが時には暴力となって爆発する。
極めて幼児的であるが、一応はサディズムだ。
そして、S女を自負する面々が大好きな『愛あるが故の加虐』…
かのアイロニーを見る限り、ソクラテス自身も案外楽しんでいたのかもしれない。
さしずめ、日本は江戸長屋のぐうたら亭主とガミガミ女房、
悪妻は良妻なり、良妻は悪妻なり、であるか。

さて、モーツアルトの稿の積み残しだ。
彼の妻・コンスタンツェも悪妻の誉れが高い。
クサンチッペ同様、夫の仕事を理解しようとしなかった、いや、理解をするに値わなかった。
だが、ここから先が少々違う。
コンスタンツェは理解できないと知るや、夫を意識の外に追いやってしまったのである。
モーツアルトが身を持ち崩した原因の相当部分は、ここにある。
これぞ悪妻だ。

マザー・テレサ 曰く「愛情の反対は憎しみでなく、無関心である」

 注* 読んでお分かりのとおり、元投稿は4/27にされています
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八百屋お七 − 火付けの真意は果たして?

bda1e369.jpg「火事と喧嘩は江戸の花」
当時人口世界一であったこの木造都市は宿命的に大火に見舞われた。
中でも天和2年(1682)のそれは、本郷の八百屋の娘・お七の放火による大火である。
演劇等で有名な逸話であるので、くどく述べる必要もあるまい。
恋しい寺小姓に会いたいがために、火をつけたと伝えられる。
文字通りの燃える恋、西鶴の『好色五人女』の中でも一番有名な彼女だ。

ということになっているのだが、そう言い切ってよいのであろうか?
論者は些か腑に落ちない。
極々初歩的な話だ。因果が結びつかないのである。
即ち彼女の目的達成の前には、@火事で近隣が丸々焼ける A且つ自分は無傷で非難できる B小姓の寺にまで火が及ばない
の三つの偶発事象を全て引き当てなければならないという、関所が立ちふさがるのだ。
しかも仮にこの関所を超えたとしてもその先、同じ寺が避難所になる保障もないのである。
余りにも原価性のない意思決定ではなかろうか?

寺小姓に会うための手段なら他にないわけでもあるまいに。
いかに恋は盲目とはいえ、こうまで狂ってしまうものなのだろうか?
逆に、ここまで狂ってたとしたら、放火などという綿密な計画と実行力の要る犯罪が実行できたであろうか?
他のモチベーションがあったと考えるほうが尤もらしい。

ずばり結論を言えば、お七という娘は放火マニア…
汚涜症の一種にして、更に大元の括りはサディズム、パソリーの稿で論じたあれであろう。
勿論、恋もあったろう。だがそれよりも、彼女は…
先の火事で垣間見た、町を呑み尽くす紅蓮の炎に魅せられてしまったのではないだろうか?
果ては火あぶりの刑に処せられると知りつつも止めることができないほどに。

論者にはそう思える。

八百屋お七の火付けは、恋というよりは故意、
別ブログなら差し詰め、この種の語呂合わせで締めるであろう本稿だ。

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おきく (梅乃) − 恋の病に病死した江戸娘

8e64c96d.jpg振袖火事は、お七よりも先の出来事であったか?
いずれにせよ、さほどの年月の違いはない。
振袖火事とは、明暦3年1月18日(1657年3月2日)に起きた明暦の大火の別名である。
その別名のいわれとなったのが、本日俎上にあげた女性だ。

おきく…
異説もあるがこの説に従おう。
エピソード的には、お七と非常によく似ている。多分に混同はあるのだろう。
が、決定的に違うのは、彼女は火付けをしていないことだ。
おきくは振袖火事に先立つこと2年ほど前に鬼界に入っている。享年17歳とも16歳とも。
副題にしたように、恋の病に悶死しているのである。恋しい恋しい振袖を愛撫しながら。

彼女が恋したのもまた寺小姓だ。
一目の恋に誘われたおきくは親にねだり、小姓が着ていたものと同じ柄の振袖をこしらえてもらうのである。
そして、その振袖に日な日な寺小姓の姿を重ね想い続けた。
述べたように、死のその瞬間まで…

あえて述べるまでもないだろう。衣服フェチシズム。
それもとてつもなく強烈な。
それが証拠に、その振袖を着た娘たちは次々病死、そして2年後には江戸の町の大半を焼き尽くす大火を引き起こすのである。

衣服フェチシズムは圧倒的に男性に多いフェチシズムだ。
いや、男性のほとんどは身に覚えがあるのでは?
と問いかけて弁護しておこう。
男性の衣服フェチの大半は本来の性対象を、少なくても性対象をも追っている。
衣類に染み付いた(性対象たる)女性を五感を以て感じ取るべく試みる、
平たく言えば、女性の身に着けていたものを嗅いだり舐めたり身体のどこかに押し付けたりしている、ということだ。

街頭で一目見ただけの女の洋服と同じ模様の紳士服を誂え、夜な夜な愛撫しながらやがて悶死、などという男性は先ずいまい。
事例の少ない女性のそれが暴走してしまうとなると、かくのごとくである。

おきくの逸話といい、お七のそれといい。
本来受身である女性が逆転、攻撃側に回った場合、いかに恐ろしいことになるかを後世に遺してくれている。

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SMに年齢は関係なし 大きに誤解されているのだが

世に言うところのSM・フェチサイトは成人指定というのが通例だ。
果たしてこれは合理的と言えるか?

サディズムの目覚めは通常性欲の目覚めより先、過去投稿で論じた。
図書を考えてみよう。
所謂特殊性癖を描いた文学は決して成人指定ではない。
強いて言うならSMの名を借りたポルノ小説が成人指定であるのか?
ここらになると、鶏と卵の論争である。

そして何より、サディズム、マゾヒズム、フェチシズム等々の研究ならば、年齢に拘らず手がけることができるのである。
現行SMサイトは、SM(の本質)がアダルトである故に成人指定になっているのではない、取り扱っている中身が扇情的だから成人指定にせざるを得ないのではなかろうか?
実際の運営者諸氏に問いかけたい。

白状する。
かかるサイトの年齢制限を無視して、これらを訪うこともしばしばの論者だ。
中には、「子供は来るんじゃないよ」的尊大な警告文が掲げられているものも目にする。
こういったところに限ってである。「SM〜、そんなの何だか知らないわよ〜 楽しければいいじゃないのさ〜」
…リビドーでしか行動していないのである。精神年齢的には3歳児のそれ。

言いたくはないのであるが、自分の年齢を考えた行動をして欲しいものだ。
楽しむためには楽しむための苦労というものがあるのである。
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パリの娼婦たち − ガラス便所で排泄姿を覗かせる

4ee8c8f1.jpg先々世紀、花の巴里は堕落した。
そこらの事情は、作曲家オッフェンバックあたりも有名な喜歌劇『天国と地獄』で痛烈に風刺している。
歓楽街で夜毎に繰り広げられる扇情的なステージショウ…
ストリップなどもここに発祥するのであるが、目線を隣に移すに。
なんと、表題に掲げたようなサービスが行われていたのである。

本サイトとすれば、娼婦たちの心裏を分析しなければなるまい。
サディズムの要因、客である男たちに(擬似的に)大小便をひりかけ嗜虐の悦びにひたる、というファクターが全くなかったとは言えないが、まあ。
圧倒的に大きかったのは、排泄姿を覗かれることへの羞恥であろう。
加うるに、それに昂ぶるというマゾヒストでもない。彼女たちは恥を金に換えてたづきに充てるという、極々ありふれた営業を営んでいたに過ぎない。
ここでも、女性側からは論ずるべきものはなし。
そして、男性側から論ずべきトピックスは目白押しだ。

世の男性というのは、女性の排泄姿を覗き見るのが大好きなようだ。
わが国とて決して他所様をとやかく言えた義理ではない。
先ずは昔も昔大昔、古事記にも登場するではないか。朱塗りの矢に化けて用便中の彼女の陰部を下から突付くというのが。
そして、再出の太閤秀吉。
藤吉郎少年が同じことをする場面が『真書太閤記』の偽作『淫書開好記』に登場する。

便所覗きというのは、排泄物のフェチシズムにサディズムが複合した症状であるという。
何故この手の倒錯が生まれたか? それは性器と排泄口が極めて近い位置にあるから。
過去において幾人か俎上にあげた便器マゾも、排泄姿を覗くという点においてはサディスティックであろう。
排泄物のフェチシズムは世に言われているほどにはマゾヒスティックではないのである。

ここに事例がある。
所謂吸血男、女性を殺してはその血を飲んでいたという猟奇犯罪者なのであるが、取調べに対してこう供述したという。
「俺は女の血だけではなく小便も全部飲んだ」
と。

元は所謂便器マゾ、女性の廃液を飲んでるうちにやがてそれだけでは飽き足らなくなり、体内の液体も欲するようになった訳だ。
分析学的にはサディズムとはマゾヒズムを克服した状態の症状である。
この事例は格好の検証例となろう。

少し論者自身のことにも触れようか。
どうも排泄物からみだと論が進むようだ。
好きなのであろう。
多くの女性であれば嫌悪感を抱くであろう「(貴女の)排泄物を頂きたい」にむしろ楽しみを見出してしまうことは既に述べた。

誤解なきように願う。
決して羞恥心のない女という訳ではない。
それどころか人一倍強いほうではないのだろうか?
セックスに関する記述、とりわけ同性の手によるものなどは、見ただけで真っ赤になってしまうのだから。
まあ、だからこそ変態なのであるが。

排泄物に対する興味は幼児期に生ずるもの、思えば論者もまた、前稿で指弾した面々とは全く別の意味で幼児から抜けきっていないのであろう。
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一休宗純 − 頓知小坊主のもうひとつの得意分野は?

262c90c2.jpg本稿は従来と逆趣向になるであろうか。男性側の行動から結びつけられる女性心理を検証する。

で、俎上にあげたるは、お馴染み一休宗純、室町時代の僧侶である。
お馴染み… そう、ここでは絶倫且つ早熟であったことでお馴染みの。

毛皮の話はご存知か?
ある人が毛皮を纏ったまま山門に入ろうとしたのをとがめた一休。
「お堂の太鼓は獣の皮が張ってあるじゃないか」とやりかえされるも、間髪入れず、
「だから罰(ばち=鉢)で叩かれているのです」と再逆襲するというあれだ。
これが、艶話だとちょっと違った話となる。

山門にやってきた娘に「ここは毛皮は厳禁ですが」と言いがかりをつけ、着物の裾を捲り上げ『毛皮』を所持してないか検査したあげく、そのまま藪に引きずりこんで自前の『ばち』を使い強姦してしまうというのである。
娘とすれば、まさか年端もいかぬ小坊主に強姦されるなどとは夢想だにすまい。
普通の感性に従い、可愛らしい小坊主の頭のひとつも撫でてやろうとして近づき、被害を受けてしまうのであるが。

ここで結びつくのが、マランドン・ド・モンティユ報告にある鞭打ち少女の事例である。
十九歳の聡明な気の優しい少女は、友人宅で弟である少年が打たれている様を目にして、異様な戦慄を覚えてしまう。
以来、少年を鞭打つことばかり夢見るようになった彼女は、ついに普段可愛がっている十二歳の男の子を口説き落とし念願を適えるのである。

さて、我彼2人の少女の共通点は?
年下格下の異性に近づいていること。
そうであろう? 
山門を訪ねた方の娘にすれば山門にいたのが、弁慶の如き荒法師であったのなら、近づきはしなかったろう。
鞭打ち少女も全く同じである。まさかマッチョマンに鞭打たせてくれと頼みはしまい。
いずれも愛欲願望実現のため与しやすしと思った男性に近づき、異常と分類される願望を抱いた方はそれを適え、正常の方は考えもよらなかった結果を引き当てた…

ここで読み返して頂きたいのが、過去稿『魔女性』である。
女性のサディズムは女性であるが故のハンデ故に、具現化を抑えられてしまうのが通例、それを再提出したいがために本稿に及んだ。

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ショタコンなるものは性癖とは言い難い

前稿である一休宗純の投稿で、標題の言葉を思い出された向きも多かろうと思料する。
この俗称は、昔の漫画の正太なるキャラクターを冠してつくった、『ロリコン(=ロリータ・コンプレックス)』の逆概念、すなわち『少年愛』という女性心理のことらしい。

で、どうであろう?
この心理には、特異性はないと思えるのだが。
即ち、ロリコン=少女愛というのは、本来攻撃的である男性が大人の女性を攻撃できず、代償として少女に向かう、ということで倒錯心理であった。少なくてもその要素が。
これに対して女性はと言えば、再三繰り返しているとおりである。一言で言えば母性。
勿論『母性が故の(反撃たる)攻撃性』いうことで、サディズムと複合(というのも変な言い方であるのだが)することはあるまでも、これ自体はサディズムではない。
それが証拠に未だにショタコンなるものの精神分析学的研究は行われてはいない。

多分に商業主義が…
で結んでしまうと安っぽくなるので、別の方向で結ぼうか。
男女両性は、精子卵子の差で象徴される…
男性は(セックスだけでなくあらゆる面で)攻撃的・破壊的になりやすく、女性は防御的・建設的になりやすい…
論者も盛んに援用している、フロイトやフィレンツェが唱えた女性にマゾが多い理由、これに対する反論である。

同じ分析学派の中でも、カーレン・ホルナイ女史ら社会分析派は、フロイトらの説はあまりにも生物学的に決定されすぎていると非難している。
男女両性の歴史が、現在まで女性に隷属的マゾヒズムを押し付けていたため、まるでそれが本質であるようになったと主張しているのだ。

歴史もまたサイエンス。
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ヴィクトリア − 太陽のしずまぬ帝国に君臨した世界史上屈指の女帝

109beece.jpg女性による支配を論ずる上で是非とも俎上にあげねばならぬのが、ヴィクトリア女王であろう。
19世紀、英国が最も栄えた時期に64年間の長きに渡り、女王として治世にあたった。

英国君主であっただけではない。
後にはインド皇帝も兼務している。
植民地といえば、インドのほかにもカナダ、オーストラリア、南アフリカ…
彼女が支配した国地域は地球上各所に及び、英国民は「太陽の沈むことがない」と自慢した。

この超人的支配の秘密とは?

人を使いこなす能力に尽きるであろう。
議会の意見を尊重し、「君臨すれども統治せず」の議会制民主主義を貫く…
北風と太陽の寓話ではないが、ガキ大将的な君臨では統治などできぬのである。
後に世界中の議会制度の手本となるこの英国議会が彼女の手駒であった。
そして、家庭人としても同様、よき夫であるアルバートに恵まれた。
若いころのロマンス話である。

若気のいたりということか、ある朝ヴィクトリアはちょっとしたことで夫を傷つけてしまった。
謝ろうとした彼女は部屋に篭ってしまったアルバートを訪い、ドアをノックする。
誰ですかの声に、
「国王です」
ドアは閉まったままだ。
而して、再度ノックし、同じ問いにこう答える。

「あなたの妻ですわ、アルバート」

その後どうなったかは言わずもがな、将しく男性操縦術の教科書である。
と分かっていても、論者には到底真似はできぬ。

どうやら婿さんをとることなどは出来ようもない論者のようだ。
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卑弥呼 − この女性支配者は果たしてサディスティンであったのか?

761952b8.jpg小学生でも知っている日本古代史上最も著名な女性、神功皇后の稿でそれとなく触れた卑弥呼である。
ブログタイトル的にはもうひとつ触れておかなければならないことがあろう。
それは、『卑弥呼』という源氏名・芸名・リングネーム等々をつけた『その系列』の女性が非常に多いことである。

で、現実はどうであったのだろう?
少なくても論者が知りえた限りでは、彼女のサディズムは見出すことが出来なかった。
見えてきたのは女性ドミナント像のみ…
よって、前稿・ヴィクトリアに引き続き、この切り口からの論述となる。

卑弥呼に関して特筆すべきことは、元々は男の王が治め乱れていた邪馬台国を引き継ぎ無事統治したということであろう。
原始、女性は太陽であった…
これが現在まで続く根強い卑弥呼人気、冒頭に触れたような意味での人気のいわれなのであろうが。
確かに今まで論じてきた女性支配者たち (除 一説に同一人物とされる 神功皇后) とは一味違う彼女である。

が所詮は、原始時代世界各地に例を見たシャーマニズム支配の一に過ぎない。
政(まつりごと)イコール祭(まつりごと)であるにせよ、シャーマニズム支配は原始時代のみにしかその歴史的生命を有しないのである。
現にお隣中国は当時三国時代、政祭分離の下、巫女たちはとうの昔に政治家たちの下位に置かれていた。

そして時代があがり、逆襲は始まる。
今度は『祭』が『政』に介入するようになるのである。
東西ともに…
21世紀の現在に至るまで細々ながらも依然根強く、この逆襲が続いているのは、歴史における突然変異事例と言えよう。

と論はここまでとして、少々連絡事項を。

   邪馬台国、大和か?九州か?

歴史アンケート定番項目をこしらえてきた。
宜しければご協力賜りたい。
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石井久子 (宗教名 マハー・ケイマ) − 教祖と決別したと言われているオウム真理教元bQ

9cae9172.jpg比較的おとなしい論説が続いた。この辺でまた現代史を挟もう。
前稿で触れたシャーマニズム支配を請けてである。

この人こそが、かのオウム真理教のシャーマンである。
石井はその宗教上の地位を以て、教団内で死亡した内外の人々を葬った。
護摩壇に火をつけて死者を焼いたのは彼女だとされている。

暴走したかの教団…
修行中の死者も少なくない。
石井久子を目標に修行していた青年たちは、その彼女の手により焼かれた。

これは誰の意思に基づくものなのか?
勿論、教祖である麻原彰晃の意思だ。
この教祖は最盛期国内だけで万余いた信者たちを全て自分ひとりで管理した。
数ある世の組織の中、オウム真理教ほどのワンマン組織も珍しかろう。
そしてワンマン組織側近であるからこそ、側近たちの力が強まる。
即ち、側近たちはトップの口を借りて自分自身の意思を押し通すことが出来る。
さもなければ人に与えられた一日は等しく24時間、トップとすれば物理的限界に達してしまうのである。
したがって、石井の行動は教祖の意思でもあり、同時に彼女自身の願望でもあると言えよう。

この心裏は注目だ。
屍体加虐が感じられる。
映像等を通して垣間見る石井久子という人は、かなり勝気な女性だ。
論者には同類の匂いがプンプンと嗅ぎ取れる。そして…
閉鎖集団の中で、この巫女様のサディズムもまた暴走したと思えてならないのだ。

誤解なきように願いたい。
是々非々を論じようとしているわけではない。
あくまでも知りうることを基に、ひとりの女性の心理分析をしようとしているのだ。
そして、この事件に関しては…

知りうることが少なすぎるのだ。
というのは、オウム事件報道を手がけた人々が、「悪いのは教祖一人であり、残りはマインドコントロールをされた被害者」との定説めいたものを作ってしまい、石井を筆頭とする信者たちに触れることをタブー視する風潮を作ってしまったからだ。
ちなみにこれはマルクス原理主義の歴史観そのものなのであるが、それはさておいてもオウムほど意図的な偏重報道がされ続けた集団も珍しかろう。
故に石井久子の心理分析にしても、「思えてならない」以上の結論を出しえないのである。
一体全体、国民の知る権利はどこに行ってしまったんだ? と文句の一つも言いたくなるのであるが。

繰り返し念を押す。
行動の是々非々を論じようと言うのではない。
マスコミの真似事をしようとしているわけでもない。
ましてや、紙上擬似裁判をやろうとなどとはこれっぽっちも思っていない。
歴史上出現した一つの宗教、その宗教上の地位bQの心理なり性格なりを分析しようと思っているだけなのである。

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宗教とサディズム

前・石井久子の稿で論者は、迷わずオウム真理教は宗教であると断じた。
全くの持論だ。宗教とはあのようなものだと固く信じている。

宗教は人を幸せにするためのものだ、などの奇麗事を論者は聞く耳を持たぬ。
お釈迦様もイエス様もそんなことは言ってない。
いやそれどころか。
人類発祥以来、人は宗教の力を借りてどれだけ多くの人を殺してきたかというのか?
人を殺すというのは抵抗があるものだ。人の性が善であろうが悪であろうが。
それが殉教のもとに戦いをするのなら、聖戦という名の人殺しとなる。
戦乱あるところに必ず宗教ありと言っても過言ではなかろう。

そして、同教徒・異教徒という明確なる壁で区切られた閉鎖空間の中で、人は内心に秘めている本性を現す。
例えば、持ち合わせているサディズムを爆発させる。
過去稿で論じたリンディ・イングランドの捕虜虐待の別側面でもある。

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ライン・ダンサー − 漸く見つけた『職業ミストレス』

99ef688c.JPGライン・ダンスは何時ごろ、どこで発祥したものであろうか?
ざっと調べてはみたものの知りうるに至らなかった。
従って、地区も時代も不祥の歴史論である。

さて、否定が大多数の本ブログにおいて、珍しく肯定的な1稿となる。
副題にもしたように、ラインダンサー各位は『職業ミストレス』であると言い切れよう。
先ず、男性がこだわりを見せる女脚について論を展開する必要があるか。

足(脚)のフェチシズム…
これは男性に非常に多い事例である。
なぜか?
それは、足というのが女性の持つペニスだから。だから足のフェチシストの大部分は、踏みつけられたり蹴られたりしてよろこぶ被虐症者である、
と分析学の書にはある。
谷崎潤一郎は、その数々の作品の中で♀の足に随喜の涙をこぼす狂信者を芸術化してる。
「五本の指の整ひ方、江の島の海で獲れるうすべに色の貝にも劣らぬ爪の色合、珠のような踵のまる味、清例な岩間の水が絶えず足下を洗ふかと疑はれる皮膚の潤沢、この足こそは、やがて男の生血に肥えが、男のむくろを踏みつける足であった。……」。

件の分析学の書の引用を続けよう。
たとえ、「踏まれたり蹴られたりするのはいやだ。ただ脚をみているだげでいいのだ」という人があっても、その人は、やはりそういうひそかな願望をもつマゾ的傾向者だと断定してもよい。
ライン・ダンスなどで、ダンサーたちが、いっせいに脚を振り上げるのをみてニャニャしているような男は「女にもペニスがある!」と、振りかざされる代用品の前で、挨りを浴びながら脆拝しているのだといえよう。
かくの如しである。

そこで、女性たるライン・ダンサーに視点を転じよう。
このような職業である以上は脚には自信のある女性の筈だ。
女性の宿命ともいえる自らの肉体に対する潜在的劣等感を克服している。
『女性のペニス』である自脚を以て、男性に攻撃を加えている、攻撃的セックスを仕掛けているという意識があるかないかの如何に拘らず、足蹴にしていることは間違いあるまい。
そして、埃を浴びせかける、立派な汚物責めである。
更に言うなら。

ライン・ダンスというのは元々はフロアショウであったという記述を見つけたが、論者が知っているそれはステージショウだ。
その前提に立つ限り、彼女たちは観客よりも一段高い舞台の上から彼らを見下ろしていることになる。
SMプレーでもこの物理的に上にくるというのが重要な要素になる。特に女性がSになる場合は… 神功皇后の稿で論じたとおりである。

どうであろう?
サディスティンたる要件がそろったではないか。
早速実践を以て検証、と言いたいのは山々なのであるが…
論者の脚や運動神経、リズム感を鑑みれば、ライン・ダンスは自重するが賢明である。

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げにも奇なり『奴隷契約書』

ネット巷間を見回しているうちに面白いフレーズに出くわした。
『奴隷契約書』… いやSMと言う言葉さえ知っているのなら、これ自体は珍しい言葉でもなんでもないのだが。
よくよく、考えてみれば、非常に面白い、ああ、チンケ、自己矛盾的であるという意味でである。

これはSMプレーをするにあたっての、双方の同意の取り交わしである。
つまりは『奴隷』との『主人』の間で取り交わす契約書、
今、奴隷の方を先に書いた。そう、この契約においてイニシァティブを握っているのはむしろ奴隷の方なのである。
もう、これでお分かりであろう? 何が奴隷!

で、話は(ちゃんとした意味の)奴隷である。
言うまでもないことだが、そもそも奴隷は契約の主体とはなりえない物なのである。
所有者たる主人の契約の客体として契約書上に登場し、別の主人へと売り渡される。
つまり意思すら持ち得ない口をきく道具なのである。
それが主人と対等の立場で、いや対等以上の立場で契約を結ぶ…
なんとも評しがたいところだ。

現在は奴隷制度は存在しない。
何故だと思う?
それは(例え法規等でその制度が保証されたとしても)、そんな割高な労働力の買い手などは現れるわけがないから。
とてつもなく高い労働力だ。

人手が欲しければ、張り紙のひとつもすればいい。パート募集。
たちどころに、玉銭で使える労働力が手に入る。
奴隷というのは生身の人間、これを食わせ着せて、住ませるために一体いくら掛かる?
あまつさえ、不況で労働力過剰となったときも簡単には『リストラ』できないのである。

現在の労働搾取率は相当なものだということを詳述した。
論を転じよう。

援助交際というのは、英語でも援助交際だ。
英語圏にはない日本独自の文化であるか? 国辱ものだ。
なんでも、中には月130万のお手当てもあるとか。
テレビで聞いた。論説者は、何たる高額! と憤っていた。
だが、論者にはそうは思えぬ。

ここで再び『食わせ着せて』の話である。
実際に娘ひとり、着せて食わせるには幾らかかるというのか?
いや、月単位で計算してもらっては困る。
一生、少なくても結婚して独立するくらいまでの期間くらいは考えて計算されたい。

そうであろう?
援交契約ならば、いつ契約していつ解約しても構わないのである。
相手が生きようと死のうと全く知ったことではなし。死んだら死んだとき、また次のと契約すればいいのだ。
これが自分の娘ならば…
レンタル娘、いや娘プラス妾の二役をこなす女性のレンタル料としては、必ずしも破格とはいえまい。

と、論者もそれだけの金員をつぎ込んで育てて貰っているということだ。
安売りなどできまいて。そう、倫理云々以前に実利的な理由である。
月130万などという安い価格での切り売りでは、到底元手のとれる取引にはならない。
ましてや、ご丁寧にも刺青まで彫り自らを物に貶め、商品たるS女・『女王様という名の奴隷』を販売目的とした契約書に捺印するようなシチュエーションなど真っ平御免である。


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夏姫 (中国・春秋) − 稀代の妖婦、亡国の淫婦の実態は?

02f94415.jpg傾国の美女、傾城…
美しい女というのは存在自体が罪であるようだ。
現代も、そして夏姫の紀元前6世紀も。

彼女のキーワードは『妖艶』である。
このキーワードは、10歳を少し出たあたりから登場する。「兄・子夷の情夫である妖艶なる美少女」
加えて長じての夏姫だ。今度は年を感じさせないような若々しいセックスアピールを繰り広げるのである。
つまりは、一生涯『妖艶なる美少女』であった彼女は、交わりのあった数々の男たちをことごとく破滅へと導くのである。

ここで、留意しなければならないのは、夏姫は「帝王を股間に弄し、女の本懐、これにすぎるものはなし」タイプではなかったことだ。
元より、三大悪女のように自らを権力の中心におこうとしたわけではない。
では、女の武器をもって権力者をたぶらかし、栄華を極めようとしたのか?
これもまたNOである。
なぜならば、記述したとおり彼女の周りの男たちは勝手に近づき勝手に滅亡していったのだから。
したがって、夏姫と権力支配とは全く結びつかない。

にも拘らず、副題にしたような形容をもって現代まで語り継がれる夏姫を被害者とする論述も少なくない。
論者は、この論評も懐疑的だ。
なぜならば、彼女は受動的ではない。少なくともセックスに関しては積極的である。
名家の出であるものが権力に対して執着がない以上、拒もうと思えば拒める。
にも拘らず、これほど多くの男たちと交わったと言うのは夏姫自身の意思であろう、純粋にお好きだったのだろう。

さて、この夏姫をS女に分類してよいのだろうか?
満更、「なにをバカな!」という答え一色に染まる訳ではなさそうな、昨今ネット論調が気がかりな論者である。

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ジャン・ジャック・ルソー − 偉大なる哲学者のもうひとつの「自然に帰れ!」

28ecec5b.jpg契約論に及んでいるうちに、ジャン・ジャック・ルソーを思い出した。
人となりや業績についての説明には及ぶまい。
このサイトで紹介すべきは、彼不朽の書『懺悔録』にあるこの告白のみだ。
「女性の前でペニスを露出したいという衝動をよく実行した」

この天才の例だけでなく、見知らぬ男から性器を露出して見せられたという経験のない女性は稀だろうと言われるほど、露出症は多いのである。阿部定の稿その他で論じている通りである。
そして、女性はといえば、それに嫌悪感を抱くのが通常の心理態度だ。

勿論女性にも性欲はある。異性の裸を見たいと願う意識も有する。
ここに一つの産業心理学のケーススタディがある。
ある化粧品メーカーの事例が、売れ行き不振の女性用化粧乳液の壜に @上部を丸く膨らます A口の穴を小さくして乳液が勢いよく飛び出すようにする の加工を施したところ、売れゆきがよくなった、とか。
このように女性のこの種の願望は潜在的な形で現れ、ストレートな提示はむしろ忌み嫌うのである。
そこが性差である。そして、論者の住処であるネット社会に目を転ずれば。

性器を女性に見せつけようとする男性の、多いこと、多いこと!
特記すべきは、彼らが露出Mと称していることである。
ひとりでそう思ってるなら、とやかくは言わぬ。
が、

「露出Mです。S女も皆さん、どうか僕の惨めな裸を見てください」
と、やられるとなると我慢がならぬ。
「そんなこと臆面もなく口にすることが人として惨めなんだよ、バカヤロー」
と言い返してやりたくもなる。

述べたように、そんなものは見たくもない。通常の心理態度の女性であろうがサディスティンであろうが。
強いて言うなら、むしろM女ならばその願望も適えてくれよう。
だが、一番手っ取り早いのはSMクラブなる場所に行って散財することであろう。
望みどおり『女王様』という肩書きのコンパニオン、ガラス便所の稿で俎上にあげた「恥を売る」職業人が応対してくれる。いやいや、論者はよく知らぬのだが。
けど、現在わが国において、その手の接客が業として営まれていることだけは知っている。それで十分だ。
ともかく、『惨めな裸』を見て嗜虐に浸る素人女が出現し、完全無償で願望を適えてくれることなど期待せぬことだ。
何よりもSMクラブの接客内容を『S女』の心理態度だど思い込まぬこと。現実と虚構の混同である。

さらにタチが悪いのは、子供ならば与しやすいと思っている奴らだ。
掲示板サイトの「女子校生(こちらの当て字の方がよいか)スレッド」でよく目にするような、「露出Mの僕に裸で町中を歩くように命令してください」と書く奴…
犯罪的である。そう、真に受けて現実に及べば、公然わいせつ罪の指令犯、正犯になってしまうではないか!
ここまでくると、女性観がゆがんでるといういいようがない。金髪女性を見るたびに一つ覚えの英語で"How much?"と問いかける人種と似たり寄ったりだ。

女子高校生だって貴男と同じ人間だ。
分析心理学に興味も示せば、社会常識的レベルの法知識だってある。
皆が皆、買春の稿で述べた『高校に通っている売春婦』であると思い込むのは大間違い、早くその間違いに気づいて欲しいものだ。

  年17 とうに個性は あるものを 人はまとめて コギャルとぞ呼ぶ

残念ながら論者の作ではない。
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SMやフェチを冠してプロパガンダするWEBサイトは不心得極まりない

前稿ルソーでは、不心得出会い系サイト利用者をぶった斬った。
返す刀で斬りたい相手が出てきた。
いや『返す刀』は不正確だ。論者が本当にたたっ斬ってやりたいのはこちらのほうなのだから。

誰かといえば、男性器の描写CGや男性の昂ぶりの描写場面を記した文章を以て『M創作家』と鼻高々になっている面々だ。
何度か書きかけたか? よい機会だから続けるとする。

まあ、自称創作家の彼らがその実、前稿で論じた露出狂であることには論があるまい。
ネットと言う万人が閲覧できる場、つまりは公然に猥褻物を陳列するのであるから。
『猥褻物』は違う? ならばまがい物を掴ませる詐欺師か?

胸に手をあててもらいたいものである。
特に、いかなる形ででも経済的利益を受け取っている人たちは。
貴方がたは押しも押されぬネット業者なのである。
救世主きどりは、滑稽きわまりない。

本稿はフォローはせぬ。
その代わりという訳ではないのだが、論者も一つ作ってみた。

  マゾ男性向けSM創作短編集

健全性は保証できぬが、完全完璧に無償ではある。



---------------------------------------------------------------------------------------------------------------【御転婆天地驚動組合】
タグ:SM フェチ ルソー 出会い系 M創作家 サディズム サディズムに花束を! http://blog.livedoor.jp/fem_dom_2006/ マゾ男性向けSM創作短編集 http://otenba.seesaa.net/ 御転婆天地驚動組合 詐欺師 業者 ネット 露出狂 理事長 うんちを喰わされたい オラトリオ 風俗店 聖水黄金プレイ 便器 生体家具 奴隷 ミユ様 相撲 女子高生 少女 なぶり トールフェチ 黄金プレイ 聖水 プロパガンダ web サイト 不心得 男性器 りうむ M創作 創作家 描写 性器 自称創作家 露出 猥褻 公然猥褻 詐欺 経済的利益 利益 ネット業者 救世主 CountECO 2ch 2ちゃんねる Ashi_O Ashi_O at ど〜も ゆっきー 鈴希 M絵師 絵師 UU DOMINANT LADY 会員制 伊藤一蔵 GBB れっど&ひひる 不改 れっど エッグ エッグのお部屋 嬲作品置き場 Fetish★Fairy at ◆h/o90tD5Zk どらごん★ている なぶりサイト イーダ・セーン 着物雑談広場 スケバンキック ふーみん 電気按摩通信 FJ同好会 フォロー 滑稽 無償 オランダ 殿馬 伝馬 まるたか 天地驚動 天使 悪魔 きかん気 幕府 江戸 チャット 短編 短編小説 小説 おしっこ うんち SM 女子高生に虐められる 語り手 Fetish Fairy 玉姫 玉姫殿 排泄物 オマンコ マンコ 液体 アソコ AV ビデオ 周公 聖人 聖人政治 中国 DVD 頭蓋骨 髑髏 髑髏便器 死体損壊 素足 スニーカー クサい 酢昆布 酢昆布足 人間足ふき 足フェチ 消臭剤 自己責任 足臭 リレー 掲示板 レス 小柄 高校生 男子高校生 女子 女子小学生 大柄 横綱相撲 横綱 相撲教室 陰部 中学生 女子中学生 ぶつかり稽古 稽古 おっぱい 屈辱 屈辱的 入浴 従妹 風呂 風呂場 そんきょ そんきょの姿勢 胸部 鉄拳制裁 鉄拳 制裁 乳首 ガーゼ 股間 うつぶせ上体そらし タイル キューピー 人形 局部 尿 激臭 貧弱 肺活量 憤怒 まわし すっぱだか アマ相撲 禁手 張り手 羽目板 理不尽 徳利投げ つかみ投げ つりおとし 張り倒し オンパレード 踏み付け 仁王立ち 股座 小便 ふんどし 人のふんどしで相撲 パクリ 管理者 近未来 サイトBBS ボツ ドキュメンタリー 告白談 告白 ネット掲示板 テキスト テキスト創作 アクセス 天敵 同人販売 リンク 非対面性 チビ 巨人 公立 女子高 文武 文武両道 共学 共学校 少子化 バレーボール バレーボール部 地区大会 バレー バレー部 デカ女 ユッサユサ 下半身 太もも ハーパン ブルマ ピーピング ドリンク コンビニ 対象 生垣 バラック 伝統校 校舎 運動部 裸電球 思春期 半裸 シルエット ションベン 特殊性癖 格調 変態 作品 書き込み 女子高校生 理想郷 警察 地位 社会的地位 説教 既製服 天国 地獄 オシッコ ストリップ カブリツキ カーテン ベルベット 秘密 悲鳴 身体能力 劣情 愚劣 コギャル 自慰 射精 黄金週間 黄金 モスグリーン パンツ デジカメ 百年の恋も醒める 股臭 放尿 咽喉 カバ バカ 投稿 違反 ウェブ公開 エロ業者 クレクレ コミケ アーケード板住人@182cm KUMA ふくのつくりべ ぽっぴんぐ★どらごん 胃袋 人間 クロ 御転婆天使協同組合 嬲 作品置場 十四代目 蹴殺天使 殺戮の雌豹達 kid mちゃんねる 神社モドキ クロの妄想イラストの世界 美脚服従 yasu 強くて大きな女の子  だいゆう 御転婆天使 番頭 ゆーま 札金 狂子嬢様 王姫殿 ゴリアテ X アリク エムサイズ チャーリーとチョコレート工場 南ジョウ 映画 劇場 フェティッシュ ファンタジー TB オスカー メビウス ♀コテ ヒップ ビンゴ ストーカー ブログ マゾ Homer 発明 スレ主 ツレデレ 一石二鳥 台本 川柳 転載 無断転載 人間便器 水密桃 黄金水 黄金塊 (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!! 妹マゾ アドバンス gooブログ 粘着 ミユ 札幌金蹴マン マゾフェチサイト ススキノ 擁護 a t BT CE 夜逃げ ムショ 幹部 動画 類似商号 Hotmail ID 自画自賛 Jungle メンテ中 電気アンマ通信 画板 画像 画像掲示板 lighten 403 MG メアド 腹筋女学園 NET OS 解析 PC アカ QT Real Play ウェブサイト Tak 小僧の神様 規制 Yapoo みなこ かるた ウザい オエビ 大晦日 Halley 佐藤 投稿集 一蔵 プロ MSG 下手 発言 パピー ボクシング 議論 ダ・ヴィンチコード 拷問 鞭打ち 修道僧 十字架 殉教 美化 信者 閉鎖 情報操作 時効 新・エゴイズムに花束を! 初恋 宮崎あおい メッセージ 教師 スキャンダル 倫理 首都圏 福島県 岩手県 ロリ GW 御転婆天使組合閉鎖 復活 PW制 リモホ IP 喧嘩 傍観者 金蹴り 社説 中傷 正義 アンチ 派閥 徒党 謝罪文 女性観 マスコミ 泥酔 真面目 常識 常識人 姑息 アマ 続近世畸人伝 捨女 記録 ヲタ 御託 発信 ホームページ コロッケ ナショナルキッド 海賊版 現役教師 箸勝本店ビル6F 東京都千代田区外神田3-1-15 株式会社ブローウィンドコーポレーション 横浜市保土ヶ谷区上星川2−7−20 有限会社EGMC 齋藤裕治 デリヘル 児童ポルノ 売春 管理 UUの戯言 M系ブログ M系 mpeg エンコーダ 男の闘い 美女プロレスラー純子 純子 手コキ 足コキ 東京 埼玉県 HTML リクエスト 更新 谷崎 S女 集英社 集英社社員教育度 匿名 北川プロ 著作権 二次転用 悪徳 狂育者 聖職者 教育者 性職者 田屋舘恭一 盛岡 スコーレ高校 教諭 風俗エステ エステ 東北福祉大卒 東北福祉大 舟山治男 校長 アダルト商業サイト 大人のおもちゃ 出会い系サイト 営利サイト 県教 教育委員会 和歌山県那賀郡岩出町西国分163-12 オレンジネットワーク 中居和佳 神奈川県川崎市高津区下野毛2丁目2番地21号 有限会社アイユーアイ 森健太郎 aaa-www.net xxx-www.com Convention Center Dr.Suite 777 LasVegas, NV 89146,USA FC2株式会社 FC2 ポルノショップ ポルノ 東京都千代田区大手町二丁目4番5号 エヌ・ティ・ティ レゾナント株式会社 資宗克行 xDSL Satukinman 正義の味方 でぃおん DION 御殿場天使協同組合 プロバイダ 訪問者 倶楽部 天使倶楽部 SAKURA SAKURA Internet 笹田亮 田中邦裕 片岡督雄 吉岡実 野崎國弘 小川清司 梅木敏行 鷲北賢 舘野正明 森本善昭 さくらインターネット株式会社 大阪市中央区南本町1丁目8番14号 株式会社ファンコミュニケーションズ 有限会社アイビーコミュニケーションズ BlogPeople 柳澤安慶 東京都渋谷区渋谷1-1-8 青山ダイヤモンドビル4階 笠原健治 株式会社ミクシィ 東京都渋谷区道玄坂1-12-1 渋谷マークシティウエスト19F ミイラ 小便臭 股嗅ぎ 陰部舌洗い強要 小便飲ませ お兄ちゃん、マンコは舌使って丁寧に洗ってよ 猥褻物陳列 藤井真也 小畑健
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韓信 − 牧童の股をくぐった漢建国の功臣

0861cb8a.jpg時間は、呂后の稿よりもほんの少しだけ遡る。
本サイトでは、「股くぐりの韓信」である。

果たして彼の股くぐりの本意はいかなるものであったか?
それは定かではないだろう。なんとなれば、死して既に二千数百歳の韓信なのだから。
ただ現在でも、「ならぬ堪忍するがするが堪忍」同義の教訓的美談として語り継がれている。
アニメ『一休さん』あたりにも一話があった。

今更ながらであるが、他人の股をくぐるというのは屈辱的な行為、国の如何にかかわらず共通認識めいたものはあるようだ。
そこで、本サイトのタイトルである。
そう、股をくぐらせるというのはサディスティックな行為である。
物理的にも精神的にも相手を下に置いて見下ろすことになるのだから。
そして、女性であればなおさらのことだ。

「嬢ちゃん、女に跨られると縁起がわりーだよ!」
随分前のことだが、論者は(縁起物である漁船の)大漁旗を跨いで叱られたことがある。
何故女に跨られると縁起が悪いのか?
それは女が陰であるから、五行思想だ。
陰の気の出口を真上にもってこられ、直射されたら堪らないという訳である。
満更迷信ではなかろう? 女性の性器構造や生理の仕組を考えるとよい。

という訳で、女性が他人に股をくぐらせるというのは、上から陰の気を浴びせかける、という汚物責めのファクターがプラスされたサディスティック行動ということになるのである。
手軽で安全で、それでいて結構本質的なSMプレー足りうる。
論者も多少は。

最後に。
過去稿で取り上げた弓月光に『壁の中からニュ!』という読みきりがある。
この漫画に於いて弓月は、男の子に股をくぐらせる女の子の心裏を描いている。
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フローレンス・G・ジョイナー − 夭折した陸上短距離女王の心裏にあったものは?

95a1e68c.jpgジョイナーは果たして違反薬物を使っていたのか?
それは、このプログの論ずるところではない。
ただ心裏を知る上で注目するのは、この(男性並の)肉体、同時出場した日本人男子選手を上回る五輪レコード、そして38歳で死去したという事実である。

彼女には男性化願望があったのか? それを論じても面白いのであるが、ここはやはり女性のサディズムの線で論じよう。
とはいっても、男性を打ち負かすこと云々の話ではない、過去投稿で一刀両断したとおりである。
パソリーの稿で例示した、サディズムの昇華法・利用法の具体例としてである。
これに該当することには異論はなかろう。
何せ、これだけの競技実績を残せたという事実から逆算的に言い切れる。

ピエール・ド・クーベルタン男爵「オリンピックは参加することに意義がある」
今はすっかり「オリンピックはお祭り騒ぎ」という意味で受け取られているこの言葉の真の意味はご存知か?
因みに男爵は「参加のためには過酷な修練を積まなければならない、その過程こそが尊い」という意味で言ったのである。
さてさて話を戻せば、人間技とは思えないような実績を生むための修練には、異常と分類されている心理態度をモチベーションとして使わざるを得ないだろう。
サディズム、それが内に向いた自虐マゾヒズムを含めてである。

で本稿の主たる論点は、これがサディズムの利用例として、果たして"有効利用"法と言えるかどうかなのである。
まあ、論者の見解は否である。ローマコロシアムの稿、結論の逆向き視点だ。
ありとあらゆるスポーツなど、本来健康増進のためのものである。それが(極めるがために)早死にでは本末転倒もいいとこではないか!

論者は幸いにして、スポ根路線などというものが下火になった時代に生まれた。
前はどれだけ珍重されていたかは、前にあげた漫画『巨人の星』あたりを見れば判る。
そして、それが下火になっていた歴史過程は、前稿でもあげた弓月光のアンチスポ根・風刺ギャグ漫画で覗き知った。
だが…

本当に我が国におけるスポ根教信者は絶滅したのであろうか?
ここに、気になる言葉がある。「感動を与える」「夢をもらう」「ありがとう、選手の皆さん」
冷静に考えればおかしな話であろう?
感動だの夢だのは個々人の心の中に沸いてくるものであって、人から与えられたりもらったりするものではない。
また、対象に対して礼を言うべき性質のものではないのである。
調べてみるに、いつぞやのオリンピック中継でアナウンサーが(文学的比喩的な意味で)言い出したものが、いつの間にか字面どおりに使われるようになったしまったということのようである。

むしろ危険なのは選手のほうだ、字面どおりに受け取っている選手のほう。
金の亡者になっているのならまだいい。「命あっての物ダネ」、この防波堤でとまるから。
だが、「自分は国民に『夢を与える』使命があるのだ」と思い込んでいる選手は…
第二第三の「幸吉はもう走れません」になる可能性が少なからずあるのだろうか? スポ根崇拝が絶滅した現代においても。

今日、皇居で催された茶会…
このようなスポーツ選手の文化人扱いには、首を傾げること多々の論者である。

   利休忌や トリノみやげは 金ひとつ (去る2/28に)
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説教強盗を不能にさせた2女性 − 警視庁磯山課長の談話より

8cb12e6d.jpg大正末期から昭和の初期にかけて、帝都を戦慄させた怪盗がいた。
妻木松吉… 盗みに盗みに入った家の家人にあれこれ説教をしていることから、説教強盗と呼ばれている。

ありがちな話、侵入宅の女性を強姦する。
妻木は、強姦しておけば警察に届けられられないだろうと考えて、と供述している。
明らかにこじつけである。

男性サディズムの一形態に強姦症がある。
まあ、世の中は色々、わざわざ自分の妻を強姦する男もいるくらいであるから、これもまた頻出の事例であろう。
勿論、現行社会制度では犯罪…
この犯罪者の多くは、社会に何の貢献もできず、従って女性からも全くかえりみられない為に、サディスティックな欲望を燃やすものが多い。
『性的飢餓』に破壊的・加虐的復讐心が加わったものだといえよう。
説教強盗・妻木松吉はその典型であるではないか。

で、本稿で論ずる女性である。
妻木はその犯行中、ただの二件だけはどうしても不能だったという。
一度は、「私の裸体をどんなにでも愛撫して、満足をとげてくれ… そして別室に寝ている主人に全部話してくれ」と頼んだ人妻の場合。
他の一件は、からだを投げ出し「豚になめられたと思えばいいのだから早くおやんなさい」と落ち着いて言った女性の場合だという。

結構有名な逸話のようで、種々の創作の中に転用されている。
このような態度によって、男の攻撃欲・破壊欲は出鼻をくじかれ、更には強姦につきものの禁忌をおかすという動因が失われてしまうのである。
俎上の2女性、加虐の欲望に加虐でカウンターを食わすとは、実に小気味いいではないか!
とりわけ後のほうの女性である。

さてさて、ぶち明けた話である。
論者も加虐的復讐心をモチベーションに行動を起こすことが少なくない。
正直、最近に至ってはっきり認識した。自分はサディスティン(のファクターが色濃い女)だと。

どちらが仕掛けてきた攻撃か?
それは双方に言い分があり。水掛け論になろう。
ただ論者は被害者ヅラするのは性にあわない。
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ネットにおける男性マゾヒストたちは嗜好に偏りがある

予定は未定と言う。
一回きりで終えようとしていた、

  マゾ男性向けSM創作短編集

を本日更新してみた。

ご覧になればお分かりと思うが、繰り返し非現実的事例と論じている女性による汚物責めの記述比率が高い。
ある程度は意図している。
いや、ネットで目にするマゾ男性の心理態度で常日頃より意外に感じていることがひとつあるもので。
それは、かかる記述に嫌悪感を覚える男性諸氏がマゾヒストたる方々にも少なくないことだ。
所謂便器マゾ、汚物フェチシズムに結びついたマゾヒズムは、定番中の定番といってもいいほどポピュラーなものはずなのに… 繰り返すが意外だ。

彼らが(通常の心理態度の持ち主で)無条件に汚物に関する記載を忌むのならば、まだ理解できる。
だが、そうではないのだ。論者が見聞きする限り、男性の汚物に関する記載なら平気な彼らなのである。

何ゆえ、ネットにおける男性マゾヒストの事情はこうなのか?
正直、論者には仮説が浮かばない。
実験と言ったら不遜な言い方であるのだが、それが知りたくての更新である。


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【御転婆天地驚動組合】
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平清盛 − 加虐的復讐心で付き走った一代の英傑

46f083de.jpg復讐心即不毛なものというわけではなかろう。
それを有効活用して上り詰めた実例がある。
平清盛… 「伊勢のへいじはすがめなりけり」とからかわれた相手を見返してやろうと直走って頂点まで上り詰めたスーパーヒーローである。

さてその彼の性分であるが、多分漏れずサディスティックな部分が多い。
数ある逸話のなかで論者の印象が強いのは、赤子の折母親の乳房に傷を残すほど噛み付いたという記述と、鹿ヶ谷の陰謀発覚の折、首謀者らの顔を土足で踏みねじったというあの逸話だ。
で、論者が思うには、彼のサディズムもまた女性型ではないかと思われるのだ。防衛型・反撃型のそれ。

清盛とよく比較されるのが後世の織田信長だ。
その信長のことを論者は、(心理的には)女性そのものではないのか? と論じた。
確かに清盛は、信長よりも一族のことに腐心した。個ではなく種の防衛に走るのはオスの本能である。

だが、考えられたい。嫡子重盛死後の彼の行動を。
文字通り暴走してしまったではないか。到底平氏末代までの発展を念じての行動ではない。
ひたすら、ひたすら、己ひとりのみの理想のために走った。福原遷都などは宛ら、UFOキャッチャーの前で「あれ取って!」と駄々をこねる我侭娘そのものだ。

古今東西、頂点を極めた人というのは急速に耄碌するものだ。
老人の子供返り、そして本性が現れる。
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昨今Blog業界の有様に異議あり

先ず断っておかなければならぬのは、日頃より繰り返している「論者はネット人格である」ということだろう。
誤解ないように願いたいが、架空人格であると言っているのではない。
そうであろう? 現にこうして投稿をしているのであるから、れっきとした実人格の裏づけがあるのである。
その実人格を前面に出したくないと言っているのだ。

そもそも、如何なる方法で実人格を前面に出そうというのか?
ハンドルしか名乗らないのがネットの慣例である。
それ故に、相手の年齢・性別・人種・国籍その他一切の個人属性は、煎ずれば知りえないのだ。
その一切を知りえない相手と、どこのどなたとも判らないままに情報交換できるのがネットの利点ではないか?
論者はそう考える、素顔を晒すなど真っ平だ。
これもまた責任逃れをしたいがためではない。
素顔を晒したらば得られるであろう特典の一切を放棄していることで、十分に責任を取っているであろうが。応能負担、費用収益対応の原則…
フェアなはずだ。

このところのBlogは、とみにソーシャルネットワークサービスの方向に傾斜しつつある。
論者はこのSNSというのがどうもよく分からぬ。
不特定多数の目に付くネットという場所に登場しておいて、何ゆえに同一地区・同一趣向等々近しき属性の相手を選って接触しようというのか?
効率の悪い取引である。不特定多数相手分だけ原価を払っておいて、利益は限定多数からしか得ようとせぬのだから。
なによりもつまらないと思うのは所謂リアルで会うことを目的にネット活動すること、出会い系というやつである。
それならば、初手から実名で行動を起こせばよいものを。手続きを踏む段だけの手間隙がもったいない。リスクも大きいし。
対人コミュニケーションなどというのは対面でするに限る。少なくても論者はそうする。
言わせれぱ、ネットコミュニケーションなどというのはマスのコミュニケーションだ。
いずれにせよ、素顔を晒すなどという行為は論者にとっては愚の骨頂なのである。

まあ、ここらはひとそれぞれの事情、経済学の用語を使って言えばインディヴィジュアルプレファランスに拠るところなのだが。(酒1瓶とマンハッタン島を交換したネイディヴアメリカン)
価値観を押し付けられることを余儀なくされるとなると…
で、最近よく目にするスパムという言葉である。

「(スパム、スパムって騒いでるけど、つまるところ)スパムってなんなのさ?」
皮肉を込めて、掲示板サイトに書き込んでみた。
大真面目な即レスが返って来た。とはいってもそこらにある説明の丸写しだが。

スパム 【SPAM】別名 : ジャンクメール, junk mail, バルクメール, bulk mail

 公開されているWebサイトなどから手に入れたe-mailアドレスに向けて、営利目的のメールを無差別に大量配信すること。インターネットを利用したダイレクトメール。

メールに関する記載は、まだいい。
何とならば「営利目的」という言葉が入っているがために、普遍的・客観的な説明がされているから。
『悪』と決め付けるも苦しかるまい。

では、Blogにおけるスパムコメント・スパムトラックバックとは?
ここらになると非常に怪しい。大概は「記事に関係がない」という記述で逃げてしまってるのが現状だ。
つまるところ、そこが限界ということであろう。
関係のあるなしは誰が決めるのか? 普遍的な尺度があるというのか?
結局は個々人の主観に拠るしかないであろう。
ここで話がつながる。価値観の押し付けに他ならないのである。

Blog運営会社の価値観や都合を押し付けられるのは我慢ならぬことだ。
ひどい例と思うところを実名を挙げて言う。
特定の発信元からの発信を一方的に止めたと堂々宣言する、忍者ブログ。
既に発信済みのものをスパムという名の下に勝手に削除してしまった、DTIブログ。
文書検閲ではないか!?
暗黒警察さながらの暴挙と名指しで非難したい。

何よりも業腹なのは、スパムという絶対悪をこしらえて、それに当てはめようと画策していることである。
この際であるから、その先棒を担ぐ連中にも拳をむけよう。

この面々にしてみれば、この種のBlog運営会社の行動はむしろ正義なのだ。敢て断るまでもなく。
それどころか、色々と注文をつける。禁止ワードを増やせの、ホスト情報を表示する仕様にせよと。
つまりは、自分の得たい反響だけが返ってくる環境が理想郷、自動的に理想郷になる環境を整えてくれるところがいい会社なのである。

今でこそコメント類の一切を辞退している論者であるが、かつては精力的に集めていた。
その際においては、広く声を集めたいということで別掲示板を用意してそこでやっていた。
いや、実はこの掲示板の管理こそが、論者が鼻にかけていることなのだが。
我ながら、よくあんなにもうまく出来たものよと感嘆している。
その際腐心したのが、論者主催の別サイト礼賛一色にならないように誘導することであった。

不特定多数に対し情報を発信している以上、反響も不特定多数から返ってくる。
自分にとって都合のいい反響もあれば、都合の悪い反響もあるのだ。
都合のいいものだけ拠って集めようとするのは、虫が良すぎる。
あまつさえ、Blogとはそんなものよ、「空気を読む」なる行動をして都合のいい反響だけを返すのがネットマナーよ、などと本気で言っている連中も少なくないとは!

最初から都合のよい反響だけが返ってくるように仕向けるなど論者の考え及ぶところではない。
イカサマ博打に勝ったことを手放しで悦べるほど無邪気ではない。
念のために断るが、「イカサマなしの博打で勝つ」ことを目的にしている訳でもない。
どこのどなたとも判らぬ方から、「素顔を晒してない私」を礼賛されても、それは詮無きことである。

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会田美喜 − 交際相手の男性を殺し首を切断

2af4f036.JPG時というものは悠久に流れ、歴史を象っていく。
ある史実のその時間的場に立ち会わすことができたならば、それは行幸だ。

ということで、開設以来もっとも近しき過去に起こった史実である。
時は西暦2006年4月30日、本稿の主役・会田美喜は交際相手である男性を刺殺した。
そして数日後というから、今月に入ってからである。殺害現場に戻って、遺体の首を切断したというのだ。
このように近過去の歴史ゆえ、論ずるに際して先ずは、被害者に哀悼の意を捧げ冥福を祈りたい。

不謹慎ながら、ついに女性が男性をバラバラ殺人するという事例に遭遇できたかとの感だ。
女性が男性に向けた強烈なサディズム…

江田文子の稿で論じたとおり、罪証隠滅目的でバラバラに、などいうのは全くの自己矛盾。
心裏にある屍体加虐の願望からである。
サロメの稿で提起しNEVADAを論題に請けたように、女性が首を欲すると言うのは去勢コンプレックスから。
将に後世の教科書題材となりそうな、件の事例である。

かつては、女性が加害者たる殺人事件は男性共犯者(或いは真犯人)がいないか当たり直すのが刑事捜査の定石だったと言う。
理由はといえば、女性の力で人一人殺すのは困難なことであるから。ましてや死体をバラバラに切断するのは…
実際、屍体加虐の事例として分析学の本に出ているのは男性犯のそればかりである。

男女同権の思想は、両性の同質化につながりつつあるということか?


  注* 下記は転載に際して追加しました。原文にはありません。

 その1         その2         その3 



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殺人とサディズム

さて、殺人淫楽と一口に括ってきた本ブログである。

が、どうも分析学上は、ある程度分類して考察すべきとのことだ。
「正常は異常、 異常は正常」の高橋鐵氏はこれを、

1.淫楽殺人
2.殺人淫楽
3.屍姦
4.屍体愛好
 ・屍体加虐
 ・屍体崇拝
 ・食人症
 ・吸血症

このように細分している。
従って、前稿までの記述に違和感ある向きは適宜読み替えられたい。

1.と2.の違いは何か?
淫楽殺人とは、別名殺人淫乱症とも呼ばれ、「異性(或いは同性も)を殺すことだけによって性快感を得るもの」
殺人淫楽(狭義)とは、「殺害してまでも淫楽を遂げる凶行」
とのことである。

論者あたりは、後者をサディズムと括ることにはやや違和感があるのだが、それはそうなんだろう。
更に面白いのが、3.や4.も広義殺人淫楽に含めていることである。
昨日投稿・会田美喜の屍体加虐あたりもここに含まれている。

ここで留意しなければならないのは氏の分類は、
「これらの行為は互いに重複している場合が多いので画然と区分することは難しいのであるが、主要な目的がどこにあるかによって…」
と断り書きをいれての上であることであろう。

そうである。
ここらに書かれたものそのものの行為や実施者というものが存在する訳ではないのである。
あくまでも、抽出分類だ。
例に出したついでに言えば、会田の(広義)殺人淫楽は偶々屍体加虐 一点のみが表に出ていただけに過ぎない。

で、本稿の結論とすれば、やはり次のようになってしまうか?
SMという言葉を多様し啓蒙し、それをもってプロパガンダを掛けている事業者諸氏よ!
貴方がたが商売のタネにしているものは、かくも殺伐としたものなのである…

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ダイエットすべきか?

物騒な論題は小休止することとして別トピックスを挟もう。
いや、論者の体重のことなのだが、とうとう六の大台に乗せてしまった。
別プログで盛んに言い訳したことであるのでここではせぬ。身長が極々平均値であることを鑑みれば、『然るべき称号』を付されても仕方あるまい。
とは言いつつも、さしたるショックも感じてないのだが。

世の女性の痩身願望たるや凄まじいものなのであるが、どうも危機感が薄い論者のようだ。
女性心理の欠如? いやいや、周りの同類同年代も似たり寄ったりである。
年齢ということを考えれば、論者もこれから痩身願望に目覚めるのかもしれない。

して、この痩身願望である。
今の論者に言わせれば、(女性の本来の性向である)マゾ心理に基づく自虐にも思えるのだが。
事実ダイエットで身体を壊す女性は後を絶たない。
とは言うものの、肥満もまた立派な疾病である。実害が出るようになれば、好むと好まざるに拘らず論者もダイエットに取り組む。
米国の価値観、肥満者とは自制の効かない人間ととられるのも癪なことだし。

さてさて、このように男性に美しく見られたいがために痩身に夢中になる女性陣なのであるが、当の男性はどう感じているか?
どうも、その逆という統計が多いようだ。
特にファトフェチシストに限った話でもない。知る得る限りの情報では、「丸みを帯びた女性らしい体型が好き」という回答が圧倒的なようである。

男性に好かれようとダイエットするのは逆効果?
これも興味深い。
述べてきたように、原則性愛に関しては男性がアクションを起こす側に回る。
男性が女性を追いかける、女性が男性から追いかけれらるという鬼ごっこである。
(女性が男性を追いかけていると信じている)ダイエットという行動は、実はむしろ男性から遠ざかっているということだったのである。
そうなると、男性はますます夢中になって追いかける…

性愛心理というものは、なんと、よくできたものであることか!


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メアリー1世 − 300余のプロテスタント指導者を処刑した『血塗れの女王』

46b5e7d3.jpgご存知、Bloody Mary の登場である。
16世紀の史実は、カクテル名として21世紀の現在までその名を伝える。

彼女の大量殺人の心裏は?
今迄の人殺し女王様たちと同様、可能性としては2通りが考えられよう。

ひとつは、地位保全がためにという可能性である。
宗教という麻薬の力を借りてというのが特記事項か?
実際メアリーは熱心なカトリック信者であるし。

ただ、カトリック信者であったことを突きつめてゆくと。
彼女は父王の宗教改革を覆しカトリック復帰を徹底したのである。父に対する反発…
実際メアリーは望まれない子であった。一時王女として身分を剥奪されるなどの辛酸も舐めている。
ここで、今ひとつの可能性に行き着く。

サディズムからの流血… 女性にありがちな反撃的・復讐的な加虐である。
この仮説が正解だとして論を進めれば、(広義)殺人淫楽に該当するも、殺人淫楽(狭義)や屍体加虐のファクターはない。
淫楽殺人、「異性(或いは同性も)を殺すことだけによって性快感を得るもの」の典型例であろう。

種を明かせば、前々稿・殺人とサディズムは、メアリー1世を論じたいがための前振りであった。

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ジョゼフ・ギヨタン − 断頭台の発案者であるフランス内科医

3e153d08.jpg余談である。
前稿・メアリー1世の副題をうっかり「断頭台に送った」としそうになってしまった。
それはありえない。
なんとなれば、地球上で初めてギロチンが正式使用されたのは、1792年4月25日。
彼女がこの世にあったのは、1516年2月18日 - 1558年11月17日なのだから。
徒然草にある『小野道風の書ける和漢朗詠集』の口だ。
もっとも、この手の誤りは存外にあるようなのである。
例えば、某国の切手で正式採用されていた図柄、船上より望遠鏡で新大陸を望むコロンブスの図。
そう。望遠鏡が発明されたのは、コロンブスが死したる後なのである。

前置きが長くなった。
ギヨタン、それが訛り訛ってギロチンとなるのであるが、彼が断頭台を発案者したのは受刑者に無駄な苦痛を与えず処刑するがための目的からであった。
折りしも折、仏革命のために需要はあった。そして欧州に広まりやがては他地域でも用いられることになる断頭台なのである。
割と有名な話であるのでご存知の向きも多かろう。

ここでの着目点は、今日我々がギロチンに対し抱くであろうイメージとの落差である。
こんな残酷なものが、罪人に対する慈愛のために考案されたものであったとは!
如何に中世ヨーロッパの刑罰が残酷なものであったかか推し量られる。
幼いがゆえの残酷さ、で既に論じた。

ここでもう一つ思い出すのが、かのアリスである。
「首をちょんぎっておしまい!」の女王様が登場するではないか。
かの時かの土地に於いては、首を切りたがるのは女王様、おろおろして止めようとするのが王様の意識パターンが出来あがっていたようである。

民話伝承の産み手たる民草の意識下には、過去稿で論じてきた首切り女王様たちのイメージがあったであろうことは想像に難くない。

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江島 (えじま) − 江戸時代の大疑獄事件、主役である大奥女中

3a9c71c0.jpg江島生島事件は18世紀前半、彼女と歌舞伎役者生島新五郎の起こしたスキャンダル事件である。
最終的には処罰者1300名余となるこの大事件も発端は他愛がない。
山村座・生島新五郎の芝居を観た江島が、宴会に饗ずるあまり大奥の門限に遅れてしまったというだけのことである。

さて、本ブログとすれば、この江島の行動裏に買春の心理、(下世話な書き方で恐縮だが)男買いの願望が働いていたかどうかを検討すべきであろう。
結論、定かではない。いや、無責任で申し訳ない。
が、ここで言えることは、その種の心裏がけしからんという理由で、かくも大勢の人間が連座処罰されたということである。
そして風紀粛清をなし得た江戸幕府は、八代吉宗の時代へと突入するのである。

ときに。
「貴男の性欲買います」
このキャッチフレーズの付いたエロ広告を目にすることがとみに多くなったと感じないだろうか?
いやいや、飛躍しすぎだ。現代日本におけるネット事情である。
論者が、これに対してどのような感を持っているかは言うに及ばぬであろうから割愛する。
ただ一言だけ、「こんなものに首を突っ込んだ貴女若しくは貴男は、『現代の江島生島』にされかねませんよ」とのみ書き記そう。
もう、とうの昔に風紀粛正の時期を迎えているネット事情だ。

それと今一件である。
この江島生島事件はもう十年ほど前の国営放送大河ドラマにも登場した。
江島を演じたのは、あべ静江。
裁きの場面である。
黄八丈を着て島流しにされる覚悟を示した、あべ江島はこう開き直る。

「最初から(適応される)罪(名)が決まっていて…」

そうなのである。当時の話題を独占していたオウム事件。
上祐史浩広報の「…だから私、あんまりぐちゃぐちゃ言いたくない。バカらしいですよ、こんなの!」をそっくりそのまま言わせたのである。
当時『悪』以外の評価が認められなかったあの台詞、大流行したのに流行語とすることさえも『禁じられた』あの名言を。

テレビの前で笑い転げた思い出が鮮明な論者である。

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性同一性障害の対処方法に疑義あり

過去にも数回トピックスにした性同一性障害についてだ。
「心の性と身体の性が食い違った状態」であるか?
昨今、当人の認識性で扱おうという機運急である。
とうとう小学生にまで…

専門家がそれがよいとしているのであるのだから、口を挟む余地もないのかもしれない。
が、岡目八目ということもあろう。論者なりの考えを述べたい。
結論的には副題にしたとおりである。

人には全て個性がある。現行社会に受け入れられる個性もあり、受け入れられないそれもあり。
そして人は、受け入れられない個性を押し殺すことにより社会に適応する。
そう、数万人に一人の性格因子を持っているのは何も性同一性障害者だけではない。貴方も私も万人がそうなのである。
ましてや、性同一性障害は精神疾患だという。
ならば、尚のことぎりぎり最後まで、その克服に努めるべきではないだろうか?

例えば浪費癖。
これの対処法は、心がままに散財させることなのか?
例えば殺人淫楽。
これの対処法は、心がままに人殺しを重ねさせることなのか?

極論すればかくの如しだ。
正直に言ってしまえば、当人の認識性でと言っている専門家たちのことが、どうも信用できないのである。
SMは普通のものだといっている面々と同じ匂いが感じられて。

性同一性障害者の大半が『その関係の職業』についているのも気に掛かるところだ。


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寒山 (中国・唐) − 後世 ヒッピーの神様となった奇行の禅僧

49819fd5.jpg論者の別ブログでも話題にしたことが寒山である。

 時人見寒山,各謂是風顛。貌不起人目,身唯布裘纏。
 我語他不會,他語我不言。為報往來者,可來向寒山。

詩人としても名高い彼の代表作の一節だ。
要するに、ボロを纏った風顛 (ふうてん) だと笑う世間の人々を逆にこちらが笑っているということである。

隠者は静者ではない。それどころかむしろ強烈な精神パワーの持ち主だ。
その昇華しきれない精神エネルギーは、例えば行動になり、例えば衣服や身なりに転嫁された形で現れる。
つまりは、世間一般とは異なるファッションをしたがるということ、古今東西共通の公理である。
それが証拠に副題のごとく寒山はヒッピーの神様となった。

と、この稿で論じようとしているのはBDSMのBDなのだ。
随分と久々なのであるが。
過去稿・ブルマーで紹介したように、BDとはボンデージの略、女S男MのSMプレーでお馴染みの、あの女王様ルックである。
逆趣向のプレーでは、責め手男性には衣装の指定はない。
だからこそ、BDSMという独立用語があるくらいなのだが、さて。
もはや制服といってもいいくらいお馴染みのあれである。
さりとて。
街中あの格好で歩いている女性というのも余り目にしない。
あんな格好で歩いたら、それこそ「時ニ人ハ彼ノ女ヲ見テ」になってしまうだろう。

もうここまで書けば論者の言いたいことはお分かりのことと思料する。
なんだかんだと言っても未だ、女性サディストというものは世間の価値観とは逆行する隠者の類なのである。

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呂布 − 三国志演義随一の強将、果たしてその実体は?

c9ea7101.jpgご存知、三国志はあの呂布を俎上にあげよう。
副題にしたように、彼を三国志演義中最強の武将と押す向きも多いのではなかろうか?
兎も角よく殺した。裏切り、そして殺す…
呂布に関する記載はこればかりと言っても過言ではなかろう。
殺伐とした人物である。

ただ、彼のためには若干の弁護をしておかなければならないだろう。
それは遊牧民族の出身であること。
利のみにより行動することを余儀なくされる彼らの行動は、定住民族の価値観から測れば義理人情に欠けるということになってしまう。
呂布の常習殺人も、そこを考慮して割り引かねばならぬ。

さて、このような強将であるゆえ、漫画等では使ったCGのごとき豪傑面に描かれることが多い。
ところが、それは大間違いのようである。
なんと、彼は白面だったという。
宦官でもない限り、男という男は髭を蓄えるのが通例だったこの時代おいては珍しいことだ。
更に意外なのは、中性的な美形であったということ。
種々の文献から呂布の容貌を想像するに、既出の織田信長のような面持ちが浮かんでくる。

そして、相貌から類推される殺人パターンも、この二人はよく似ている。
「泣いて馬謖を斬る」で表される男性のそれとは正反対、或いはあっけらかんと或いはためらいもなく殺す…
非常に女性の性格的パターンだ。

と、ここまで書いたところで、論者の大胆仮説を提出してみよう。
呂布女人説だ。
性同一性障害の傾向とまで論じた信長にすら、嫡男信忠はじめ子達がいた。
だが呂布の世継ぎめいた子の話は殆ど見ない。(わずかに娘を背負っての記載を演義に見る程度)
男性性にしてみれば、殺することと淫することは同値。にもかかわらず呂布に関しては女色に興じたという匂いの片鱗すらもないのだ。
同じ日本の戦国大名に類似を見出せば、この点に関しては上杉謙信に模せられよう。
周知のとおり、謙信女人説はそれなりに有名だ。種を明かせば、そこからの連想なのであるが。

と付け加えてもなおかつ、女人説など荒唐無稽と笑い飛ばす向きが大半であろう。
だが、考えられたい。呂布というのは卑弥呼よりも前の人なのである。
どれだけの確証ある記録が残っていようか? 正史といったところでたかが知れている。

さらに三国志人物評の主たる拠所となる演義は創作物なのである。
数ある演義系の読み物の中に、呂布を女として描いたものが出てきても、それはそれでいいのではないか?
そういえば、アニメ版横山三国志では魏将・于禁が女性であった。

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ひいてはIT社会の有様に異議あり

昨今Blog業界の有様に異議あり の続編を挟もう。

果たして、「スパムなる絶対悪を拵えている」面々が意気揚々となる現況が繰り広げられている。
ライブドアスタッフブログに、つい先ごろこんなコメントがあった。

 「小学生のやってるブログに待望のコメントが来た。喜び勇んであけてみたらスパムだった…」

一理あることは認める。
認めるが故に、この意見のごとく子供を山車に使うようなやり口には猛反発を覚えるのだ。

子供ががっかりした。だからどうしたというのか?
言わせれば、可哀想でもなんでもない。
これがネットの現況、ひいては現在社会の赤裸々な姿、さらにひいては人の性そのものだ。
埒もない悪戯広告で済んだのはむしろ運がいいくらい! 奇麗事は沢山である。
がっかりしたというなら、それはそれ、ネットというものの危険性を教え込むいい機会ではないのか?
今更繰り返すまでもなく、ウェブをはるということは全世界の不特定多数を対象に情報を発信し、不特定多数から情報を受信するということだ。
それをやる以上、子供であろうが弱者であろうが最低限の現況把握のもとにやって貰わなければ困る。
困る、困る、誰よりも困るのはネットの危険を教えられることなくまた身をもって学ぶこともなく長じてしまう当の本人、そうなるほうが余程可哀想だ。

小中学生のネット利用率は60%を超えるとか。
そして驚かされるのは、家庭において何のルール付けもなく是認されているということである。
これでは諸問題が起こるもの無理からぬことだ。
ひとたび問題が起きたらば、関係者たちは責任のなすりあいの末、つまるところはネットそのものを悪者にして落ち着く。
何をかいわんやである。

火、刃物、乗り物…
人類は次々と便利なものを発見発明してきた。
そして、その都度、その危険性を学んできた。
便利なもの即ち危険なものなのである。
ネットも同じだ。
何故に危険性から目をそむけ玉虫色のパラダイスを作ろうとするのか?
子供をいとおしむならば、なぜネットを危険性を教え込み手綱を〆ようとしないのか!?

論者は、「明確なるルール付け」の元にネットを行っている少数派だ。
例えば、知らない人間とはメールのやり取りをしないとか、個人を特定できる情報は絶対に晒さないとか…
このように躾けられる機会を有したことは仕合せ、天に感謝するばかりである。

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神国日本を襲った兵たち − 蒙古襲来時の対馬の悲劇

5365e8cb.jpg言うまでもなく元朝・蒙古帝国は、中世ユーラシアの一大驚異である。
そして、我が日本はこれに呑み込まれることはなかった。
神風…
だが、これは全体像だ。本稿は部分にスポットをあてる。

対馬。地理的には九州よりも朝鮮半島に近い位置にある。
したがって大陸からの侵略路となる。にも拘らず、元寇時における守備兵の数はなんとたったの13人だったという。
これでは戦になどなるまい。蒙古兵による一方的な殺戮だ。
ここにひとつの伝承がある。

蒙古兵は島の子供たちを捕らえ、親が見てる前で煮殺し、そのスープを親たちに飲ませたと言うのだ。
論者は、蒙古兵と言った。だが、これは蒙古人ではない。
日本を襲った部隊の主力は、高麗や宋の兵たちだ。
即ち、利のみの行動哲学を以て動く遊牧民族ではなく、我々と同じく儒教を学び義を重んずる行動を美とする定住民族なのである。
親子の情を知りつつのこの仕打ちは、将しく狂気のサディズムと言えよう。本稿ではサディズムを分析学の切り口ではなく、文学表現的方向からきってみた。
いや、被害者面だけを強調するのは不公平か。攻守ところを変えたケースもあることを付け加えよう。

ここに『もっこ』と言う言葉がある。
お化けと言う意味だ。
「言うことを聞かないと、もっこが来るぞ」
このように子供を叱るために用いられる。
語源は蒙古の訛り。それだけ蒙古襲来は日本にとっての脅威だったのである。

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千姫 − 男を次々と誘い込んでは弄んだ末全員殺した?

8c7c19cd.jpgかの徳川家康が、豊臣方への人質として大阪城に送った実孫である。
因みに、豊臣秀頼に嫁いだときの年齢が数え七歳、そして大坂夏の陣の折落城する大坂城から救出されたのはその12年後だ。

まあ、この女性ほど実態とかけ離れた形で伝承されている人物も珍しかろう。
実際の千姫は非常に可愛らしく、温厚な女性であったという。
にも拘らず、錦絵や浪曲でよく語られる彼女は副題の如くだ。
代表例「吉田御殿の話」を少々引こうか。

大坂落城の際、坂崎出羽守に救い出された千姫は、坂崎の求婚を斥け、本多家に再婚した。が、千姫は吉田御殿にこもって遊興にあけ暮れた。大工の芳之助は一夜の伽を命じられたが、翌朝死体となって許婚者おかつに発見された。吉田御殿の悪評は紛々だった。本多家の若侍小林万次郎は、姫と刺しちがえて死ぬより方法はないと言い、自らその役を買って出た。しかし、万次郎は姫の美しさの虜となった。やがて、万次郎の死体も沼に上った。−−

凄い話…
日本のサロメ、快楽の末オスを食い尽くすサソリのメスの如し、といったとこか?
勿論作り話、定めし徳川に恨み骨髄の豊臣残党が意図的に流したデマであったことは想像に難くない。

が、暫し待たれたい。
唯のデマだとすれば、時代を超えて現代まで伝承することはあるまい。
それだけの価値があると言うことだ。
つまりは、人は「吉田御殿の話」等々に万人が感じうる最大公約数的な共感を見出しているということである。
論者は日本のサロメと評した。実際同様の妖艶なるエロスを感じる。

そして、もうひとつ。
女性サディスティン像というものは、洋の東西をとわず、そしていつの時代も、専ら男性側の都合によってつくられたものであるということが、千姫の例からも検証できるのである。
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ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ − 浮名も高きフランス国母

78704766.jpg国母とは、国家元首の妻。して、その夫は?
かのナポレオン・ボナパルトである。
「我輩の辞書に不可能はない」のナポレオン唯一の不可能が、彼女を良妻にすることであったといえようか?
ということで、久々に悪妻を俎上にあげよう。

彼女の経歴は容易に調べられるので割愛するとして、ほんの零れ話を紹介する。
ある日ジョゼフィーヌは、日夜の国務に疲れ転寝をしている夫の鼻元に(ブルー)チーズを近づける。而してナポレオンの寝言。

「ジョゼフィーヌ、許せ。今日は疲れておるのだ」

嘘か真かは定かではないのだが、二人の夫婦関係はこの逸話に集約されているのではなかろうか?
ブルーチーズの匂いというのは、とうのたった女性の陰部のそれに似る。そう、彼女は夫よりも6歳も年上であったのである。

未だに妻は年下でなければならぬという男性も少なくない。述べたようにオスが若いメスを求めるのは優勢生殖の本能によるもの。
一方、社会生活の利便を考えれば。
種々の要素で、むしろ年上の妻がベターなのだ。理由を一言で言えば、母性を有効活用できるからとなろうか。
男性はその伴侶を選ぶ際において、実をとるか名をとるかの選択をすると言えよう。

さて、このジョゼフィーヌである。
彼女にはそうした姉さん女房のよさというのがないのだ。ここが悪妻たる所以なのだが。
夫の意に染まない行動をする… 精神的いじめ、サディズムといえなくもない。
が、そうであるとしても極めて幼稚だ。周囲の注目をひこうと悪戯をする幼児に似たり寄ったりである。

どうやら、やはり。
サディズムというのは幼児を卒業していない人間の心理態度のようである。

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岡本千鶴子 − 自ら手にかけた娘を含む五遺体と同居

fe2aa1c0.JPG念のために繰り返すが、本ブログは事件報道を目的とするものではない。
少なくとも立ち上げた時点では、そのような意図はなかった。
が、蓋をあけてみると…
と断ったとおり、本稿の論材もサイト開設時には人々の知るところではなかった歴史的事実である。

奇しくも、過去稿・会田美喜の事件に極めて違い場所で起こった歴史事実、時系列的にはこちらの方が少し前になる。
事実状態が不詳であったので少し待ってみた。
にも拘らず、判ったことは副題にしたことくらい、それだけ怪奇な事例であるといえよう。

とは言うものの、本件岡本の事例は心理背景に限っては説明がつきやすい。
殺人(サディズム)と屍体フェチシズムが結びついた症状…
論じたとおり、この二つは非常に結びつきやすいのである。何となれば、屍体愛好の心裏がなければ殺人などというとてつもなく原価性に乏しい行為に及ぶわけがないのだから。

そして、彼女のそれは極めて女性的なもの、ベラ・レンツィのそれと同類であるといえよう。
溺愛する娘を手にかけたこともさることながら、実の子と推定される遺体と何十年も同居し続けたことである。
見方によれば、情が深い。
死んだ、ガスで焼いてしまう、という通例を容認できなかったとするなら、死んだ小猿をミイラなるまで抱いたままでいる母猿の行動にも似る。
更に言えば、屍体崇拝の心裏もまた万人が持つものである。特に仏教徒はそれが強い。(遺骨、遺灰、釈迦の骨である舎利など)

だが、いうまでもなく、程度の問題だ。
その基準を論者が示すことは、おこがましい限りであるので、制度面で踏み込もう。死者は墓所に葬らなければならぬと法律で決まっている。
決まっている以上は、個人的嗜好いかんに拘らず従わざるを得ないだろう。人はエテ公ではないのである。

いつまでも忘れないことも供養なら、忘れることもまた供養ではないか?
ここに『偲ぶ』という言葉がある。
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徴側・徴弐 (チェン姉妹) − 西暦1世紀、後漢に反攻したベトナムの民族的英雄

5b70e849.jpg突然であるが各位は、世界一、戦の強い国、弱い国はどこと考えるか?
因みに論者は、それぞれベトナム、ロシアをあげる。
ロシアというのは広大な国土の割には案外攻められやすく、数々の歴史的大敗を喫している。
ジンギスカンにやられ、ナポレオンにやられ、ヒットラーにやられ…
しかもその全てにおいて、首都モスクワを陥落させられている。
これとは対照的にベトナムは…

先ず思い出すのは、20世紀の米国との戦いであろう。
それからジンギスカンが興したところの蒙古帝国にも戦勝した。
神風に助けれたわが国とは違い、堂々戦火を交え打ち勝ったのである。
他国に攻められても負けない… その全民族的心底にあるのが本日俎上にあげた、徴側(チュン=チャック)・徴弐(チュン=ニ)姉妹の英雄譚であろう。
時は西暦二桁の時代、かのイエスキリストのころである。

中国は漢のころから揚子江の南にも勢力を伸ばした。
江南は一くくりに交州と呼ばれていたのである。
南越(なんえつ)今で言うところのベトナムのその一部として漢朝の太守がおかれていた。
こうなると、お決まりのパターンがある。中央官吏による搾取。
そこで蜂起したのがハイ・パ・チュン、この姉妹である。
反乱勢力はインドシナ半島のみならず現在の中国南部にまで広がり、姉はその盟主として女王の座についた。

そこで中央政府が派遣したのが、かの伏波将軍・馬援である。
反乱勢力は伏波将軍に鎮圧され、姉妹は敗死する。
日本で言えば10世紀の平将門のケースとよく似ている。それだけ歴史の古い国だということであろう。

そして、ベトナムの将門は女性であった。
強女萌えを自認する男性各位の感想は如何であろう?
それを提起するための本稿である。

さて話を戻して、馬援であるが。
民族的英雄を倒したとあっては、さぞやベトナムの人々に恨まれているかと思いきや、必ずしもそうではないようである。
これは、かの国の『大南国史演歌』の一説である。

 …漢は馬援を将として 我を討つべく差(つか)わせば
 西湖のほとりを血に染めて 干戈交ゆる数百合
 されどかよわき手弱女が など英雄に敵すべき
 弓折れ矢尽き禁渓(かまけい)に 最後はあわれ落ちゆきて
 武運拙き姉妹は 無情の川に身を投げぬ
 戦いおわり伏波将軍が 銅柱ここにたつという…
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内に内にと性向する男性マゾフェチサイト

マゾヒズムとは個の持つ攻撃本能が内に向いた症状、サディズムとはそれが外に向いた症状。
故にサディズムはマゾヒズムを克服した状態である…
この分析心理学の学説を、歴史上の人物に検証している本ブログである。
で、本稿はネット上の事例を鑑みるとする。

少し前であるが論者は、「何故(男性)Mサイトばかり(目の敵にするのか)?」と言われた。
まあ誤認識の上での件の発言であったのだが、ある意味当たっている箇所もあるので、ここから切り込もう。
して、当たっているとは?
この種のサイトの現況をつらつらみるに、非常に危険だと感じているということなのだ。

具体的に言おうか。
「本サイトは○○向きです」「○○癖以外は閲覧しないでください」
こんな注意書きのあるものは、他に例をみない。
万人の閲覧できる場所に提示しておいてこの言い草はナンセンスの極みである、といいたいのはさておいて。
将に「攻撃本能(その他一切のエネルギー)が内に(のみ)向いている」の典型例なのだ。
しかもこの傾向にあるのは(男性が主催する男性)マゾフェチサイトと呼ばれるところくらい、それ故に論者が目の敵にしてるように写るのかもしれない。

好意的にみれば、自らの内なる性向を社会からは受け入れられにくいものだと自覚しているともとれなくもないか?
マゾフェチサイトのそうした傾向を嫌い『マゾ』『フェチ』の文言を外してしまっているところはもっとたちが悪い。
この面々が好んで使うのが『M』なる略称、異常性を現す語句でプロパガンダしながら、ちゃんと(マゾヒズムじゃないぞ、Mだぞ)逃げ道を打っているところがしたたかだ。
展示会その他の販売イベントの際は、何食わぬ顔で『特殊性癖』を前面に打ち出して商売する人たちである。
商業目的侮るべからず、ということで非商業目的に戻す。

さて、人間の性は男女の2通りのみ、そして原則反対性からパートナーを見つける。
互いにパートナー候補となりうる論者からかけられる言葉は、
内に篭らず自己の内面を見直し、克服すべきは克服してくださいよ、
こんなところであろう。

頑張れ、日本男児。

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ネットにおける集団サディズム

鶏は残酷な生き物で血を流している仲間がいると全員で突付いて殺してしまう…
とある財界人が、このフレーズを基に著書を著している。勿論人間行動についてだ。
一言で言えば集団サディズムということになるのだが、ネット巷間において件の顕例行動を多々見ている論者である。

過去稿において「絶対悪・スパム」を論じた。
話は後先になったのであるが、先に論じなければならなかったのは、もっと前から用いられている用語である「荒らし」の方であろう。
果たしてどのような意味なのか?
この言葉を好まぬ論者がたった一度だけ使ったときは、管理する掲示板に違法広告を貼られたときのことをイメージした。
だが、これは一般的に用いられている用例からは距離がある。普通言われている荒らしとはもっと曖昧模糊とした意味であることは付け加えるまでもなかろう。
結論めいたことを言えば、つまるところ荒らしとは、「荒らし」と名指しする人間の気に入らない言動のことに過ぎないのである。
元より客観的な判定尺度などありえない。

そうであろう?
違法性があるとか、その他社会規範に反行する言動であれば、その旨を具体的に指摘すればよいだけだ。それがないものだから、「荒らし」などと声高にまくし立てなければならないのである。
『空気』ってのは何なのであるか!?
誤解なきよう念を押せば、あくまでも普遍的一般的に語義を述べるという前提の基の『結論』だ。

そこで「絶対悪・荒らし」に話が繋がるのである。
拵えたものだと承知の上でならいい。例えば、掲示板群サイトの運営陣のように。
だが、本気でそんなものがあると信じて「荒らし」「荒らし」とまくし立てるとなると…

そういった連中の行動心理は、ちょうど10歳内外の女児が意地悪するときのそれだ。
ほら、あるであろう? 「何々ちゃんは嫌いだから皆遊ばないようにしようね」
いや、決して侮ってはならない。
幼いが故の残酷さ、男性よりも女性の方が残酷なことを平気でする、何度か論じているとおりである。
それが証拠に、大の大人が平気で「荒らし云々」と口走る、「荒らしが入ってきたときは全員で撃退するシステムを開発しました」などというSEが出てくる。
児戯がそのまま共通認識(めいたもの?)となっているネット空間なのである。
「鶏は…」

魔女狩りという有名な史実がある。
閉鎖空間における集団ヒステリーの典型なのであるが、オープンなネット空間でこれが繰り広げられるとは?
やはり、ネットを閉鎖空間と錯覚している向きが多い証拠なのであろう。

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江藤幸子 − 『須賀川のオウム』の教祖たる祈祷師

cee77883.jpg悪魔祓いと称して6人を撲殺しミイラ化した遺体と寝起きしていた…
かくも奇怪きわまる猟奇事件の印象が薄いのは、発覚した1995年当時、かのオウム真理教が世間の注目を一手に集めていたためであろう。
僅かに副題にしたようなフレーズをつけた報道がなされた程度にとどまった。

考えられたい。
これは大変な事件であろう。
例えば犠牲者の数は、和歌山毒カレー事件のそれを上回る。
何よりも、その猟奇性だ。半ばミイラ化した遺体と寝起きしていたとは!
江藤たちは、「魂は死んでいないので、そのまま寝かせていた」と本気で信じていたというのだ。

論者も江藤の宗教を理解にするには至らない。
従って地裁・高裁と同様に、これは殺人・死体遺棄事件であると判断するしかない。
そして心理分析的には、典型的な屍体愛好の事例であると位置づける。

宗教か?
仮に100%そうであったとしてもだ。
屍体愛好は屍体愛好である。
殺したという部分では(宗教というファクターがあるがために)、サディズムが介入したかどうかは判断はつかぬも、こちらの理由で彼女の行為は押しも押されぬサディズム心理に基づくものと言えるのではなかろうか?

さて既にいくつか論題にしたように、女性による凶悪猟奇事件が多発する昨今。
そちらの方の理由からも、本稿・江藤幸子事件は益々人々の印象から遠い存在となりつつあると感じる。

また1稿、投稿が増えそうな予感のするこのところのニュース報道である。

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クララ・シューマン − 賢婦人? アマゾネス?

21cd2259.jpg本稿で論ずるのは、未亡人となったの後のヨハネス・ブラームスとの浮名についてではない。
おっと、突拍子もなかったか?
クララ・シューマン。かのロベルト・シューマンの妻。
自身もピアニスト、作曲家として名高い。

激動の19世紀、このように家庭人兼職業婦人として活躍したクララを賢婦人と称える声が高い一方、陰口も聞かれる。
「あれはアマゾネスだ」 多分毒舌家として『名高い』ベルリオーズあたりだったと思う。
まあ、歴史に名を残す業績を残したのだから、それなりの努力、このブログで再三引いている分析学上の用語を用うればサディズムの有効利用はあったであろう。

ただまあ。夫と並んだ肖像画を見る限り、彼女はそんな大女でいない。
アマゾネスというのは唯の悪口に近いと思料する。
そうであろう? アマゾネスというのは大女・筋肉女という意味合いが強い。
そして、その種の女性はとかく言われるもの…

平均身長ちょうど位の論者であるが、小学校のころは一番背の高い(背も高いと言うべきか?)部類だった。
結構暴れもしたのでクラスの男子たちにすれば、さしずめアマゾネスに思えていたに違いない。
この余談、例のマゾ男性向けSM創作短編集に書いておいた。
だが。

むしろ論者のケースは例外であると言える。
大柄な女性というのは、大概はおとなしいものである。過去稿・みよ女で触れた、最長身女性YMはどんなことをされても決して喧嘩をしなかったと聞く。
その相関(逆相関)は本質的なものであるのか?
まあ、190センチ小学生・YM女史は、そうならざるを得ないとしても、通常なら女性対男性、女性の方が2回り3回りくらい大きくてちょうど互角の体力勝負になるのではないだろうか?
大柄な男性ならいざ知らず、女性がおとなしくしなければならない必然性はない。

結論的に言えるのは、そのように育てられているから。
つまりは、
身体が大きくて(力が強くて)お嫁の貰い手がないのだから、せめておとなしくしなさい。
あの決め台詞を聞かされ続けたがために、後天的にそうなってしまっているのであると言えよう。

男女両性の歴史が、現在まで女性に隷属的マゾヒズムを押し付けていたため、まるでそれが本質であるようになった…
既出、カーレン・ホルナイ女史ら社会分析派のフロイドへの反論にもつながるこのトピックスである。




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【御転婆天地驚動組合】
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ギリシア神話の創造者たち − 狩人アクタイオンに対する女神アルテミスの残酷行為を見る

7ad50dc5.JPGさて、クララ・シューマンの稿で論じたアマゾネスというのはギリシア神話に出典する。
ギリシア神話… 念には及ばぬと思うが今のギリシア共和国の神話ではない。
南欧から小アジア、地中海の島々はてはアフリカにいたる広大な地域に伝わる伝承の集大成である。
それ故に、最有名の世界神話なのであるが。
本稿はそのギリシア神話のほんの一説を俎上に論を進めよう。

アルテミス、ローマ神話に入ればディアナ。最高神であるゼウスの娘にして、太陽神アポロンの双子の妹。
余談であるが、日本神話のアマテラス・ツクヨミ姉弟とは逆順の日月神である。
そして、この月の女神は野生動物の棲む野山を支配しする狩の女神でもあった。
であるからして背が高くて愛らしい。兄アポロンと同じく優れた弓の射手にして、短い上着で軽装し猟犬や小鹿を連れ、美しいニンフを従えて弓を手に矢筒を背にして野山を駆け回る女狩人の姿で表される。

して、もうひとりの主役である狩人アクタイオンの登場だ。
アルテミスとその供のニンフは、狩猟のあいまに山間の川や静かな池で水浴びするのが好きであった。
ある日森をさまよっていた狩人アクタイオンは、、たまたまその光景を見てしまったのである。
それに気づいたこの処女神は激怒する。

「人間よ、町に帰りアルテミスの裸を見たと言いふらせ。できるものであるならば」

と、彼に水をはねかけ、鹿の姿に変えてしまうのである。
そのために、アクタイオンは自分の猟犬に襲われ、八つ裂きにされてしまった。

論者は最初これを読んだ日の夜、恐ろしさのあまりうなされてしまった。
この残酷逸話の作者は男女いずれであろうか?
激怒云々の点から見ると男性に思われる。すなわち男性が思い描く女性像(処女像)であるということだ。
別に女とて、偶発的に裸を見られたのであれば腹を立てはしない。
怒るのは意図的に覗き見られたとき、その劣情に腹を立てるだけだ。早田夫人の稿で述べたか?

さりとて、男性が創ったものだとすれば、それ以降の女神の行動はできすぎである。
全てを忘れるほど取り乱し、あとさきもなく復讐的加虐行為に走る…
男性に裸を見られて感じるあの羞恥を知っている者でなければ出てこないような気がする。

まあ、男女合作なのであろう。いやいや、間違いない。
だからこそ、民話伝承、だからこそ時代を超越して未来永劫人々に大きな教訓をもたらすのである。

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ゲルマン神話の創造者たち − 「ロキの口論」34節に見る興味深い逸話

7ad50dc5.JPGネットにおける男性マゾヒストたちは嗜好に偏りがある の稿で、実験などという不遜な言い方をした論者である。
いや、事実のその甲斐あり、件のサイトリンク元ワードを辿っているうちに副題の箇所を知ったのだ。

ゲルマン神話の大特徴は、最後に破滅を迎える点であろう。
全編のバックボーンをなるアゥスガルズルの神々と巨人族の戦い… いかにも狩猟民族らしい闘争心旺盛な展開である。
さて、本論の狂言回したるロキ神は神話の中でも非常に大きな位置を占める。
概略をいえば神々の座に連なるも元は巨人族の出身、共倒れとなるラストバトル・ラグナロクにおいては寝返って巨人族に付くことになる。
「〜口論」はそこに至るプレリュード部だ。
酒席のいさかいから、ロキは居合わせた同僚神の醜聞裏話を暴露し次々コキ下ろしていくというものである。
詩仕立てであるから節がある。途中からはじめよう。

段は女神フレイヤの醜聞を暴き、矛先が彼女の兄フレイにも及ばんとしたときである。
この美男美女兄妹の父であるニヨルドが口を開く。「こんな奴にとりあうな」と。
そこで、間髪入れずロキが返したのが34節、ニヨルド神人質時代の苦話暴露だ。

「便器野郎がずいぶんな口を叩くじゃねーか。てめぇが人質として東の神々ンところに送られて来た時、その口は、ヒュミルの娘たちのトイレ代わりに使われただろうが」

なんと! 
…かくのごときなのである。

思えばゲルマンの神話創部たちの心底には汚涜症サディズムの傾向が色濃くあったのではないか?
美しいもの・権威あるものを創っては穢す、ぶち壊す。
総括的量的な極がラグナロクならば、局所的質的な極がこの「ロキの口論」34節、人間便器ならぬ『神便器』の創造だ。
巨人ヒュミルその人ではなく、娘たちになっているところが様々な意味で興味深く、故に本サイトの論題たりうるのであるが…

ここは結論を述べるにとどめ、詳説はしかるべき後日に譲り別題とあわせ論じたい。
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光明皇后 − 名もなき婦人になじられた慈愛の人

2af53c8a.jpg今更であるが、論者は自他共に認めるへそ曲がりである。
へそ曲がりというのはいつの時代にもいる。
本稿の主役である光明皇后の奈良時代にも勿論。

光明皇后。奈良時代の人、聖武天皇の皇后。
仏教に篤く帰依した慈愛の人。貧しい人に施しをするための施設「悲田院」、医療施設である「施薬院」を設置して慈善を行った。

そんな彼女は下々からすれば、天女のような存在だったろう。
「大君は神にしませば」の天武持統時代からは時がたったとはいえ、壬申パワーの強烈なエネルギーは未だ継続中である。
その天女自ら傷ついた兵士の治療にあたる、手ずから傷口を洗い包帯を巻く…
もったいなや、ありがたや、と手を合わせる兵士や家族たちの姿がまざまざと浮かぶ。

ところが、その場に一人だけ例外がいた。本稿二人目の主役である。
その名もなき女は皇后を睨みすえ、こう詰問した。

「皇后様は本当に惨いお方だ。かつて貴女様は、そうやって私の父を戦に駆り立てて戦死させました。そして、今度は夫を… この次は同じ方法で息子を奪おうというのでしょうか?」

まあ多分なら後の時代の別逸話からの創作ではあろうが、目から鱗である。
特にこのブログとすれば、語るべきものが大きい。

慈しみ、慈愛ほど人に安らぎをもたらすものはないだろう。
そして恐ろしいものはない。
皇后は全くの奉仕の精神で下賎な兵士たちの治療にあたった。無償の愛だ、将しく慈母の如し。
ここに全く別の天邪鬼の虫が入る。
無償の愛に対して、人は恩返しをしたくなるものだ。
娘のことも忘れ、妻の嘆きも考えず、母の悲痛の叫びも耳に届かず、ただひたすら恩ある慈母・光明皇后ために命をも投げ出して報いる…

これぞ、Female Domination という感じだ。
意外や意外、この慈愛の皇后こそが最も過酷な支配者だったのである。

そしてそれを暴いたのが、へそ曲がりの精神、これもまた本稿の結論。

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目的をもってする加虐被虐はSMにあらず、今更ながら

昨1日来つい夕刻までライブドアブログ全般にわたり、大規模システム障害が起こっていた。
掲示板サイトは大賑わいである。
こんな声があった。

「こんな欠陥だらけにライブドアにしがみ付くのはマゾヒスト」

言わずもがな、話を面白くするために、あえて間違ったことをいっているのであるが、ここから話が膨らむ。
目的のための我慢は、マゾヒズムでないのは勿論のこと、マゾヒスティックですらもない。
にも拘らずSM談義においては、しばしば話が混線する。
論者はかつて、次のように発言した。

>利益を追求しない企業体など社会悪以外の何者でもない。
>そして、目的をもってする加虐被虐はSMでもなんでもない。
>前者は存在意義から、後者は辞書的語義から導き出される。

と、その詳説である。

まずは時代劇によくある光景だ。くノ一が捕らえられ逆さづりにされ青竹で打たれるシーン。
青竹を振るってる警吏はサディストでもなんでもないでだろう。
密書のありかを吐かせるという「目的」があって虐待を加えてるのであって、虐待そのものが目的じゃなのだから。

そして、逆のケースとしてあげたのが、女性トレーナーに師事するボクサー志望の青年の例だ。
青年が、異性である女性トレーナーから痛めつけられることに喜びを感じるのは、強くなりたいという「目的」に近づけるから…
見た目ややってることは全く同じでも、天地ほどの差があるということである。

さて改めて自らの過去発言を見返すに。
前者・警吏の例は、(潜在的)サディズムの昇華である可能性はある。
趣味と実益を兼ねた「サディズムの有効利用」とまで話を広げたら前提が崩れてしまうものの兎も角、昇華である可能性だけは付け加えておこう。
ただ後者・ボクサー志望の例は、どうやってもマゾヒズムには結びつかない。
言うまでもなかろう。(いつまでも)痛めつけられること(そのもの)を喜んでいたなら、本来の目的が果たせなくなるではないか。

それだけマゾヒズムというものは自己矛盾的なのである。



注* 元記事の投稿は6/2宵の口ころです。
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巴御前 − 代表的女武者の心底にあったものは?

a2b369c0.jpg強女萌と呼ばれている男性諸氏にはお待たせした。お馴染み、美女ファイターの登場である。
冒頭より腰を折るようであるが、当時いうところの美女とは現在の意味ではない。
女中さん、差別用語か? (夜のお相手も含むところの)下働きの女性、という職制上の名称のようなのだ。
それ故、木曾義仲の愛妾という説明がされている人物なのであるが。
とはいうものの、平家物語によれば、「色白く髪長くして、容顔誠に美麗なり」ということなので、今日言うところの美女と解してもよかろう。
女武者として名高い彼女の数多い武勇伝の中で最もそれらしいのが、『木曾最後』のこのくだりであろう。

五騎が内までも、巴は討たれざりけり。木曽殿、巴を召して、「己は女なれば、是よりとうとう何ちへも落ち行け。義仲は討死をせんずるなり。若し人手に、かからずは、自害をせんずれば、木曽の最後の軍に女を具せられたりなんど、云はれん事こそ口惜しけれ。とうとう落ち行け」と宣へども、猶落ちも行かざりけるが、あまりにつよういはれ奉て「あはれ、よからう敵かな。木曽殿の最後の軍して、見世奉らん」とて、ひかへて敵を待つ処に、武蔵国に、聞えたる大力、おん田の八郎師重、卅騎ばかりで出で来たり。巴其の中へ懸け入り、おん田の八郎に押し雙べ、むんずととつて引き落し、吾が乗つたりける鞍の前輪に押し附けて、ちっともはたらかさず、頸ねじ切って捨ててんげり。

なんと、力自慢の武将の頸を素手で捻り切ってしまったというのだ。
この内容であるから、世に言うところのMF(ミックスファイト=男女勝負)サイトでも時たま話題にもなる。
であるのだが…

残念ながら、この景における巴の心裏には何らのサディズムもない。いやそれどころか、一遍の異常性癖すらも。
あるのは、ひたすらひたすら義仲に対する恋心のみ。そしてそれは盲目的ですらある。
女の一念なんとやら、この超人的な働きもそのモチベーションをいれたところで考察すれば、別れ話に駄々を捏ねる古今東西極ありふれた女の行動の一つに過ぎないといえるのではなかろうか?
恋の対象であり、主人でもあった義仲は彼女のこの行動を望んではいない。言わば背信にして命令違反。
論者はこの種の同性には共感を覚えない。正直反発すら感じるところである。

それよりも、巴とともに戦った木曽軍の兵士たちが彼女のことをどう見ていたかに興味がある。
ことによれば、今日のMFサイト訪問者たちに似た憧憬をもって巴御前を見ていた男性もあるやもしれぬ。
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羅貫中ワールドの登場人物たち − 中国四大奇書に見るアブノーマルな世界

d1b60ad8.gifあの三国志と水滸伝は同じ作者の手によるものだった!
意外なことだ。少なくても論者はそう感じる。
正確に言えば、作者とされる羅貫中は巷間の伝承を物語に集大成したにとどまるのであるが。
これもまた伝承…
だからこそ、例え物語・創作であっても描かれている世界には史実的な裏付けがあり、歴史として論じても危うからずなのではなかろうか?

特に論者の興味が向くのは水滸伝のほうだ。
全編に描かれるアジア型カニバリズム… 劉備の稿で触れたとおりである。
好例が、母夜叉・孫二娘だ。茶屋のおかみである彼女は旅人たちに次々痺れ薬を盛っては殺害し、人肉饅頭に料理して売り物にする。
肝要なのは、こうした人物が『好漢』の一人に数えられていることだ。
水滸伝の舞台が北宋時代末期であることを考えれば尚のこと奇書である。

さてこの稿の論題として、更に女性サディズムの近例として論じやすいものをあげよう。
主人公である宋江は、この場面でも山賊に捕らえられ肝吸にされそうになる。
幸い首領・燕順は捕虜が宋江と知るや、非礼を詫び縛めを解くのであるが。
と、ここに別の人物が捕虜となって現れる。本稿主役である女性だ。
宋江はこの女性も助けてくれないかと頼む。

「宋江殿、この女は青州清風寨の正知寨・劉高の妻。良民をいじめ賄賂をむさぼりとるとんでもない女ですぜ」

と渋る一同を何とか説き伏せる宋江。
それが後日の災いになるとも知らずに…
彼女は寨に戻ると、「知事夫人の威厳で山賊どもを震え上がらせ(堂々戻って)きた」などと作り話を押し通し、あまつさえ偶々市中で見かけた宋江を山賊の首魁であると讒訴しこれを虜にするのである。

ものの本によっては、彼女自らが逆さづりの宋江に竹鞭をふるい拷問する場面が描かれる。
いや、これは拷問ではなかろう。純然たる打擲だ。
絶対に吐くわけがない、このことを誰よりもよく知っている夫人その人が打ち据えているのであるから。
夜叉となる快感に酔いしれる、と言えば文学的且つ的確な表現となろう。

どうやら中国宋代におけるサディスティンは悪女だったようである。
それにしても大陸の悪女はスケールが大きい。
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博徒・郭解の姉 (前漢) − あてつけのために我が子の他殺体を道端に捨てる

8c99c9a6.gif韓非子によれば、世界を揺り動かすものは儒者と侠者とか。
儒者は文をもって法を乱し、侠者は武をもって禁を犯すから。
しかしながら、漢朝が儒を国教化して以来、儒者は体制に組み込まれた。
ということで、以降は侠者の孤軍奮闘となるのである。
さて、本稿主役の弟・郭解は、そんな漢朝成立程ないころ、未だ項羽と劉邦・戦国気風が残っている時代の博徒であった。

ここで、事件の概要を。
主役の息子は、酒の飲めない相手に無理強いして喧嘩となり、かえって刺し殺されたのである。
この場合、母親とすればどう動く?
考えられたい。
警察機構などというものができたのは近世も近世、それまでは世界中どこでも郭解のごとき侠者が司法警察の役を司っていたのである。
当然彼女は弟を頼るのである。
しかるに、解は下手人の言い分を聞いて今日言うところの正当防衛を認めるのだ。
納まらないこの母親は、副題にしたとおり我が子の死体を道端に捨てる。
動機とすれば、弟へのあてつけ、「義の人が聞いてあきれる。甥を殺されて相手を捕まえることもできない」ということだ。

ひとつ補足しよう。
中国に仏教が伝来したのは、後漢末期だ。
よってこの時代は、死人を仏と尊ぶという仏教流の心理態度はない。
いやそれどころか、既報のとおり、かの国かの時代における死人とは食材・工芸材料であったのである(勿論全面的ではないものの)。
その背景を鑑みたところで解の姉の行為を考えれば、これは屍体に関するサディズムからは遠かろう。
サディズムの対象は弟・郭解、これを貶めようとしたのであろう。
復讐的加虐だ。人というものは、直接の敵よりも敵を庇った者、味方にならなかった者の方により多くの憎しみを抱くものだ。
この逸話を史記で紹介した司馬遷が、李陵を弁護したために武帝の怒りを買い、腐刑に処せられたのは有名な話である。

…もう、お気づきであろう。
論者が真に意図したものは、全く別の時代、全く別の国のある女性の…

昨夜来のニュース解説同様、奥歯にものの挟まったような書き方の本稿である。


注* 元記事投稿日時は6/5夕刻です。
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華佗 (中国・三国) − 世界で初めて麻酔を使った外科手術をした名医

2ce943e1.jpg本プログは女性のサディズムをメインテーマとする。
従って、ときたま男性を主役に論を進めることがあっても見かけとは裏腹、ちゃんと女性心理を論としていることをお含みの上お読み願いたい。

さて、三国志演義によれば華佗が処刑された理由はこうだ。
偏頭痛に悩まされていた曹操に主治医である彼は、脳髄を切り開き腫瘍の除去を勧める。
とはいうものの3世紀になったばかりの頃である。
曹操は「頭蓋を切り開かれて人が生きていられるものか!」と激怒し暗殺未遂の咎で処刑してしまうのであるが。

論者が推測するに、曹操は華佗の理論を理解していたと思う。
ただ当時の民衆はとなれば、脳腫瘍の摘出手術など理解できようはずもない。
曹操とすれば巷間に怪しげな風評が立つのを恐れ、心ならずも華佗を処刑せざるを得なかったのではあるまいか?
このように、医術とは常にその時代時代の価値観との相克を余儀なくされるのである。

さしずめ論者などは旧価値観の代表者の部類であろう。
各位は臓器移植をどうお考えか?
そして、ドナーとなってよいとお考えか?
論者は真っ平御免だ。例え死後といえどわが身を、いやわが身であった物体を切り刻まれるなど、考えるだけでも恐ろしくなる。

脳死だか心臓死だかは専門外だからよく知らぬ。ただ死体といえど、見た目では殆ど生体と区別がつかないものであることは知っている。
できるだけ新鮮な臓器を取り出すためには、まだ温かいうちにメスを入れねばならぬ。
紛れもなく死体損壊。キュリー夫人の稿ほかで論じたとおり科学とはサディズムの有効利用に他ならない、医学はその顕例といえよう。

一旦話を歴史上に戻せして、同じ中国はもっと前の時代、前稿のあたりまでスリップさせよう。
劉邦、漢の高祖だ。
高祖は宿病に取り付かれた際に主治医にこう質問した。
「余の病は治療すれば治るのか?」
はいと主治医。返して高祖。
「天命ということがある。手数を煩わせるには及ばぬ」

こうありたいと思うのだが、そうも行くまい。
臓器移植に強烈な拒否反応を示す論者であるが、いざ自分が移植手術を受けねば延命できない事態に遭遇したら?
多分なら、手術をしてくれと懇願するであろう。世界中の人々の中から自分に適したDNA構造を持つドナーを探し、一刻も早く移植してくれと泣き叫ぶであろう。
これが、一番恐ろしいのである。

いや、論者だけの事情でもあるまい。
事実、発展途上国では臓器移植目的の人身売買が絶えぬという。
自分よりも平均余命の長い子供が天寿をまっとうするのを待つ? おかしいではないか?
答えはひとつであろう。

さて少々転ずるに、標準的な夫婦を想定すれば、大概妻が夫を見送ることになる。
その標準的ライフスタイルにおける夫婦の夫に臓器移植により生存できる可能性があったとしたら?
夫自身は延命を望まなかったとしても、その時点ではもはや意思表示困難、従って妻が(移植用)臓器を欲しがるということになろう。
ここにまた女性のサディズムが存在したか? フィリピンで肝臓移植手術を受けたといわれるあの故人の妻の態度は…

この稿も奥歯にものの挟まったような言い方でしめねばならぬようだ。

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ラショーン・ハリス − 3人の息子を酷寒の海に投げ落とす

b6ac6164.jpg実はである。
論者は直近投稿で論及した人身売買を請けて、別の女を論題に記事にしようとしていた。
掲示板サイトで書いたことがあるのだが、南米に幼児を買ってきてはペットの大蛇の餌にしていた女がいたとか。
残念ながら確証ある資料を見つけるに至らなかったため、調査の中途で見つけたこの女を俎上にあげて論を進めよう。

先月下旬のAP電の記事によれば、副題のごとくだ。
再三論じているように、女性のサディズムは大抵の場合より弱いものに向く。
一番身近で且つ、相対的な位置において最も弱い存在である我が子が犠牲になるということだ。
女王様よ、ミストレスよ、と女性のサディズムを過度かつ歪んだ形で礼賛している一部諸氏よ!
貴方がたには、こうした事件を照らしあわしたところで自らの言動を省みられたい。

まあ、事件自体はこのようなもの。
「神の声が(いけにえに)捧げるよう求めた」などという発言を法廷審理するようなバカな国のことは、これ以上述べるには及ばぬ。話を少々広げよう。

なぜ母親が子供を殺すのであろうか?

  物いはぬ よものけだもの すらだにも あはれなるかなや 親の子を思ふ

獣ですら、親は子供を守ろうとするのに。
そう、獣… 野生の獣であれば。

これがペットショップに売っているものになると、少々事情が異なる。
例えば仔犬が生まれる。飼い主その他周りの人間様は、あまり仔犬の方ばかりを可愛がらないように留意しなければならないとか。
何となれば、愛情をとられたとやっかんだ母犬が仔犬を噛み殺してしまうことがあるからだそうだ。
現代世界各地で起きている母親による子供殺しの原因が、ここらから垣間見えてくる。

洒落くさいことを言えば。
現代人というのは文明という主人に飼われた飼い犬のようなものと言えるであろう。
ご主人様の愛情をとられまいと思うあまり生物の本質をも忘れ、自分の子供を殺してしまうこともあるのかもしれない。
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女性には殺人は似合わない筈なのであるが… 少々フライング気味ながら

昨今わが国において、女性が加害者となる殺人事件が多発している。
述べてきたように、必然的に(より弱い存在である)子供が被害者となるケースが多くなる。
何ともやり切れぬ気分だ。

新聞のコラム種にもなっていたのだが鬼子母神の仏教説話である。
元々、鬼子母神・原語ハリティーは、子供を捕らえては喰らう夜叉(ヤクシャ、女性形ヤクシニー)であった。
釈迦は彼女の蛮行をやめさせるべく末子を隠し、親が子を思うこころを知らしめ懇々と諭す。
改心した鬼子母神は子供の守り神となるのであるが。

この説話が真理だ。女性は生命の生み手、その自ら生み出した生命を守り育む存在なのだ。
フィーメールセックスには、その生命を奪う行為など馴染もう筈がない。
摂理である。真理である。真理であるはずなのだが…

さらに話を広げるなら、恒常的な出生率低下である。
生まないわ、殺すわ、一体どうなってしまったのか!?

人類誕生、いや生命誕生以来、脈々として受けつがれてきた摂理が崩れてしまうのではないかと考えるのが、満更杞憂でもなさそうな現代日本社会が恐ろしい。

 注* 元記事が書かれた6/7の翌日に「フライング」でなくなってます。
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川島芳子 − 漢奸罪で銃殺された男装の麗人

24631d47.gif東洋のマタハリ…
本家マタハリと同様、この女性もしばしばSM小説のモチーフとして登場する。
副題にしたように、男装の麗人としてのイメージがサディスティンを連想させるのであろう。
裏を返せば、戦前日本にはそれだけサディスティックな人柄を伝える女性が少なかった、加虐嗜好といえば男性の専売であったということになろうか。
ともかく未だ、男っぽい女優によってその伝奇的な生涯演じられる舞台等の少なくない芳子だ。

して、彼女はいつから男装するようになったのか?
それは、17歳のときから。生涯男装をとおしたサロルタとは事情を異にする。
となると、芳子の男装は男装癖等々の性向に起因するものとは考えずらい。
更に言うのなら、きっかけは自殺未遂、その自殺未遂の原因は恋愛問題と言われる。
どうも川島芳子には、アブノーマルの文字を見出せそうにはない。

さて、ご存知のように彼女は、終戦とともに中国国民党軍に逮捕され、その3年後に北平第一監獄で銃殺刑に処されている。
漢奸罪… 売国奴である罪ということであろうか。
同罪に問われた李香蘭は日本国籍が認められたために釈放され、時代を経て参議院議員・山口淑子となるのである。

李香蘭との比較で川島芳子の最期を見れば、「裁判は究極のSMショウ」と言う諸氏の言い分も多少は理解できるということになるか?

  家あれども帰り得ず
  涙あれども語り得ず
  法あれども正しきを得ず
  冤あれども誰にか訴えん

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マタ・ハリ − 第一次世界大戦中暗躍した世界で最も有名な女スパイ

d5efa126.jpg前稿を請けて、本家本元『女スパイの代名詞』を論じよう。

パリを中心に活躍したオランダ人の踊娘にして、高級娼婦。
マタ・ハリというのはダンサーとしての芸名とのことだ。過去稿ライン・ダンサーで論じたように、この職業はサディスティンとしての可能性大だ。
加えて兼業の高級娼婦。「帝王を股間に弄し、女の本懐、これにすぎるものはなし」といったところか?
これは、ことによればことによる。彼女の心裏には可也色濃いサディズムが存在していたのかもしれない。

処刑に関するいくつかの逸話がその有力傍証になろう。
彼女は銃殺の前兵士たちにキスを投げたとか、銃殺寸前にロング・コートの前をはだけ、全裸で銃殺されたとか…
更にありそうでなさそうなものをあげれば、処刑前のマタ・ハリは泰然自若としており、気付けのラム酒一口は受けたものの、目隠しあるいは木にくくりつけられることは拒絶した、というものがある。

なのであるが…
彼女の業績をかんがむるに、仏独どちらの軍に対しても有力な情報をもたらしたという記録はないのである。
となれば、女スパイの代名詞などというのは、過大評価も過大評価!
今まで散々例を挙げつくしてきた「男性が作り上げた女性支配者像、サディスティン像」の一に過ぎない彼女なのである。

ただマタ・ハリの場合は、虚像ではないといっている。
この女性に関しては十分その可能性があった。
たとえ世の男性が思い描いたものと実像とのギャップがあったにせよ、それにより本人自身の性向がどうこうされる訳ではないのである。

正常なる男女関係は双方の誤解から… いや「良好なる〜」であったろうか?
ともかく、かかる趣旨のシニカルな金言がある。
この金言の『男女』を『SM』に置き換えたとしたら?

これもまた金言になりそうだ。
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「変態であっても人格破綻者でありたくない」… 本当に分かって言ってるのか?

ネットに対してリアルという言い方をすることがあるが、これは正確ではない。何とならばネットもリアル社会の一部であるのだから…
論者が別ブログによく書いたことだ。
これには下敷きがある。格闘マゾとかギャルリンチマニアとか称する人種(勿論『一部〜』であるのだろうが)掲示板群サイト等の書き込みである。
彼らは女性が加害者となっている暴力事件が起こると、待ってましたとばかりに囃し立てるのだ。

言うまでもなく、被害者を悼み犯罪を憎むといった論調ではない。
その逆、加害者を勇ましいと誉めそやし甚だしくは被害者がうらやましいとまで書く。
昨年であったか? 富山で二人の女が男性を刺した事件が起こったときもそうであった。
そして、その種のサイトや掲示板の管理者に言わせれば、こうした礼賛者を咎めたてるのは「空気の読めない」ヤツなのである。掲示板荒らしなのである。それがネットマナーなるものなのである。常識なのである。
どうやら「リアル社会」とは別なる世界たるネットというものがあると本気で思っている人間が少なくない模様だ。

就中、論者が憤りを感じている例を論ずる。はっきり言う。個人攻撃、誹謗中傷と思われても構わぬ。
ここに一つの定番やり取りがある。
何かといえば、喧嘩で男性の内臓を破裂させたと触れ込む女性を囲み、マゾと称する男性取り巻き陣があれこれとちやほやするというやり取りだ。
妻子持ちと称する某ハンドルはこう発言した。

「是非とも子供の見てる前で蹴り殺してください」

…そうだよ!! マゾヒズムだよ!
そして、親子の情や父権のなんたるかも解っている。
だからこそ責め、だからこそマゾヒズム、だからこそ論者は激しく憤るのだ。

繰り返すが、人間心の中で何を思おうが自由である。
また口が裂けても言ってはいけない(本当の)ことというものがある。
子供の前で異性に蹴り殺されたい… もし本当にかかるマゾヒズム願望を持っているとしたのなら、それは一生涯心の中にしまっておくべき性質のものなのではないのか?

繰り返すがネットというのは仮想空間ではない。現実も現実、世界中の誰が見ているか判らない公の場なのである。
しかるにその公の場で、かかる不謹慎極まりない発言をするとは…
変態でも構わない、人格破綻者だけにはなりたくないものだ。

この種の発言に対しては、むしろ格闘マゾ・ギャルリンチマニアを受け手に想定するサイトの管理人こそが怒るべきだと思料するが如何?
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日本神話の創造者たち − 我々の祖先が抱いていた排泄物観は?

57366f65.jpgかつて成田空港反対闘争が華やかなりしころ、ある地元民が頭から屎尿を被り強烈にアピールしたことがあった。

「(我々)百姓はクソを被ることくらい全然平気だ」

この事実から二つのことが読み取れよう。
まずひとつは、農耕民族が先祖代々耕してきた土地に対する愛着の深さ。
そしていまひとつは、屎尿に対する感覚である。

結論を先に言うなら、そもそもの日本人は現代のように屎尿を汚わい視していない。
そこで本論は始まる。古事記の神代の巻だ。
創造主たる女神イザナミは、その屎のなかからハニヤスヒコとハニヤスヒメを、尿のなかからミズハヤノ女神とワタムスビの神を生み出しているではないか?
因みにワタムスビの神は食物生産を司る。これはわが国が、豊芦原瑞穂の国であるために生まれた神話だろう。
農業というのは、(肥料たる)屎尿を食物に加工する産業といえる。
つまりは、排泄物というのは決して残滓ではない。食物の原料なのだ。
であるが故に、空港反対派の農民の言動があったのである。

さて本ブログのテーマであるアブノーマルに話がつながるのであるが、所謂スカトロジー。
つい最近まで日本の主産業であった農業においては日常茶飯、屎尿と格闘することを余儀なくされるのである。
そこらの事情を頭にいれて(現代の)排泄物に対するフェチシズムも論じなければならぬのではないだろうか?
いきおい、ゲルマンの狩猟民族とは大いなる温度差がある。
彼らにすれば、他人に排泄物を飲食させることは辱め以外の何物でもない。

しかるに、わが国を始め諸農業国においては必ずしもその限りではない。
女性が屎から作った料理をふるまう逸話が、後期日本神話のみならず近隣他国にもある。
そう、女性が…

生命の源の生み手は女性なのである。

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サッカーとは戦争である

サッカーのワールドカップが始まった。
我が日本も出場していることは、ここで敢えていうまでもなかろう。

さて、大会のたびに諸外国から言われることがある。
「日本人はサッカーが戦争だということが分かってない」
ありとあらゆるスポーツは戦争なのであるが、特にサッカーというのはその代表格だ。

起源を辿ろう。
そもそもサッカーというのは、文字通り戦争の一形態であった。
兵士達が戦場に転がっていたシャレコウベを蹴り敵陣に運ぼうとしたこと(で戦いの勝ち負けをつける)に端を発すると聞く。
両軍何百人も繰り出し、野を超え山を超え…
死人・怪我人を最小限に抑えられる戦争形態といえよう。
そんな方法により、人が、特に男たちが色濃く持つ闘争本能を昇華しているという訳だ。
日本で言えば喧嘩祭りに相当する。

その日本であるが戦争が絶えて既に60年余、喧嘩祭りの風習もうるさくなってきたために殆ど廃れ、そして諸外国とは裏腹にサッカーを戦争としては認識していない。
そんな国情のなか、闘争本能を昇華する機会を得ない者たちがまたひとつ凶悪犯罪を起こす。


注* 元投稿は6/10にされてます
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北原ちあき? 北原佐和子? − 『妖精クイーン』としてSMビデオに出演した女性

f395890d.JPG教科書に載っている史実だけが歴史ではない。教室ではとりあげることのない史実もまた歴史には違いない。
本稿は1980年代のわが国の風俗史の一端に踏み込んでみよう。

回りくどいようだが、もうひとつ断らなければならないだろう。
本稿は、『妖精クイーン』もしくは『シルバークイーン』という忌み名でビデオ出演していた女性が、表題の2(?)女性であるかどうかを検証することを目的とはしない。
ただ、そうした風評があるということだけは確認できる事実、それ以上は関心は持てぬ。
何より、この時代に妖精クイーンなる間違いなくアイドル崩れであろう女性がこの種のビデオに出演していて、それが今日の女王様ビデオ花盛りのきっかけとなっている、このことが肝要である。

さて、論に入る。
この女性に関する世間の評価は大体が、「落ち目のアイドルはここまでしなければならないのか…」、『嗚呼野麦峠』の部類である。
論者も賛成である。
ただ、100%そうであるかと言えばこれまた疑問だ。
ということで、(当時の)彼女が置かれた立場になって考察してみる。

往年のアイドル、ピンクレディは予定では3人ユニットであったことはご存知か?
直前になり、うち一人がどうしてもついていけぬと帰郷していまい、残った2人で売り出したとのことだ。
アクトクコンビ、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった阿久悠、都倉俊一コンビのプロデュースにおいてすらこのようなことがあるのである。
何が言いたいか? 
アイドル志望といっても明治の女工ほど弱い立場ではないということだ。
嫌ならばやめることも出来る。アイドル志望の彼女たちを突き動かしていたのは、ひたすら有名になりたい、売れっ子になりたいという宿望、それが通常人では理解できないほど大きいがために、明治の女工にも見えてしまうのであろう。

ここで元の話につながる。
妖精クイーンの時代は、今日のように女王様ビデオ花盛りだったわけではない。
(アイドルあがりという触れ込みで)これに出演したところで、話題をとれるなどという保証はどこにもないのである。
これが二つ目の錯覚だ。
女王様役は非常にリスキィ、事故が起こるかもしれないし自分が怪我をしてしまう可能性も大きい。
にも拘らず売れっ子になれるか否かは全くの未知数、いくらなんでもこれは割りに合わない。

長くなったが、ここで結論だ。
すばり彼女のなかには(本当に)、男性を痛めつけたい、辱めたい、という願望があったのではなかろうか?
そう仮設すれば、通常の経済人ならば選択しない意思決定をした彼女の行動も説明がつく。

そして、ことによれば、いざやってみると事前にイメージしていたものとはギャップのある『サービスのS』…
それがために足を洗ってしまったのかもしれない。
ここまで言ったら穿ち過ぎとなるか?

だが、思案されたい。
女王様ビデオ花盛りの今、かつての妖精クイーンは神格化され美化された形で話題となっている。にも拘らず、「私が妖精クイーンだ」といって現れる女性はないのである。
もしそうすれば、それこそアイドルになれること必至であろうに。
逆もまた真なり、穿ち過ぎのほうの仮説の裏付けになりはしないだろうか?

同性から見た『妖精クイーン』はこんなところだ。

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サイト主催者が「クレクレ君」と言うのは辻褄のあわぬ話である

この稿はネット巷間事情の考察にあてる。

さて、ネットの嫌われ者のひとつに『クレクレ君』なるものがある。
論者も別ブログのほうで題材にしたことがある。
で、これはどういう意味なのであろうか?

あの折、論者は情報交換目的の掲示板を頭にイメージした。
情報交換… 各自が手持ちの情報を提供し、ギヴアンドテイクの精神の元、必要とする情報を持ち帰る。
しかるに時折、こういった書き込みを目にする。

「○○について(情報があれば)お願いします」

仁義に反する。情報が欲ければ先ず自分の方から手持ち情報を提供すべきだ。
情報提供のためには、手間隙リスクその他の原価を払わればならぬ。
それをせずして、自分の必要な情報だけ得ようとするのは虫がよすぎる。
論者は、かかる連中を『クレクレ君』と揶揄した。

ところがである。
『クレクレ君』というのは必ずしもこのような意味だけで用いられる訳ではないようなのだ。
ときたまであるが、(情報交換目的の掲示板サイトではない) サイトの主催者や常連が一定の訪問者のことを『クレクレ君』と評することがあるのである。
結論から言えばおかしな話だ。『クレクレ君』なる言葉が出てこようはずがないと思料する。

そもそも、サイトの主催者は自コンテンツを他人に、それも不特定多数に閲覧させる目的で公開する。原価リスクが伴うことを承知の上で。
この出発点からしてヘンなことを言っている主催者もあるのだが、兎も角WEB公開は間違いなく当人の意思でされたもの、この事実だけは動かしがたい。
それを請けて訪問者が現れる、なんの問題があるというのか? 主催者の意図どおりだ。
にも拘らず。
何と、そうした訪問者に『クレクレ君』なる罵言を浴びせる輩がいるのである。
論者が知る限り、一部、特殊性癖創作サイトを自称するアダルトサイト主催者の専売傾向なのであるが。

卑近な言葉を使おう。
「こいつらこそが『見てクレクレ君』『買ってクレクレ君』!」
念のために言うがこれは、論者の価値尺度から出た発言ではない、彼らの価値尺度に当てはめれば上記発言が出てくるということなのである。

この世の中に金のとれるものを、只でくれるようなお人よしはない。
どこのどなたに見られるかもしれないネットという場所に、価値がある、金が取れる(と自分にも思える)ものを公開するバカなどいないのである。
つまるところ、そこらの公開サイトに展示されている作者本人曰くの創作物なるものは全くの無価値(少なくても経済的には)、敢えてここで断るまでもないか。

自分のことを棚にあげるつもりはない、論者とてそう。
いいものをWEB公開するつもりなど更々ない。(かと言ってデタラメなものという訳でもでもない、公開のために原価を払っているのだから)
だからこそ逆に、その一文にもならないものを見て頂けるならば論者至上の喜びであるのだが。
という具合に、この項を読んでいただけている各位と論者とは、ぴったり利害が一致、ギヴアンドテイク、全く幸せな"交換"が成立、『クレクレ君』なんて言葉が出てこよう余地もないのである。

『クレクレ君発言サイト管理人』とでも言っておこう。
その真意は知りえないし、さして知りたくもないのだが、これもネット人である以上彼ら彼女らの存在を頭の隅には置いておかなければならないだろう。

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秀吉に兵糧攻めにされた城の男女たち − 戦国終焉のための人柱

e2bc5b10.jpg実戦における豊臣秀吉は兵糧攻めを得意とした。
織田の一将として中国毛利領を攻略した際にしばしば用いる。羽柴筑前守秀吉と呼ばれていた時代だ。
この稿は秀吉ではなく、攻められた側の名もなき男女たちを主役に論じよう。

折も折、国営放送の大河ドラマで少し前に放映していた。
場所は三木城であったか?
長澤まさみ扮する女忍・こりんが、表題のごとき人物となるストーリーであった。
その折、こりんは飢えのため視力を失うことになるのである。
戦いの悲惨さを訴えるがためのこの設定であるのだが、史実を調べてみるに…

とてもとても、こんな甘い話ではない。
三木城と同じく干し殺しにされた鳥取城では、やせ衰えた男女が城の柵に取りすがって、外に出してくれと泣き叫ぶ姿が見られたという。
そして威嚇のために鉄砲で撃ち殺すと、たちまち死人にとびついてこれを食ったというのだ。

カニバリズム、和訳すれば食人症、平たく言えば人食い。
ものの本によれば、飢饉の折に人が人を食べることはカニバリズムには含まれないとのことだ。
さもありなん。
飢えの前に、女も男も、正常も変態も、サディズムもマゾヒズムもカニバリズムもフェチシズムもあるものか!
人は何らかの食物を摂取せねば、その命を保つことが出来ぬ。この事情は他の生物となんら変わりがない。

衣食足りて礼節を知るということがある。

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ロトの娘たち − 父を酔わせ交わり男子を一人ずつ授かる

c1faabb1.jpg旧約聖書創世記からであるので歴史といえるか?
とまれ、昨今の風潮に倣えば「衝撃のマゾストーリー 〜 二人娘が実父を逆レイプ!」あたりの煽情的タイトルを付して売り出せそうな話が、世界で最も読まれている本の中にあるのだ。

とは言うものの、逆レイプということはあるまい。これは逆レイプなるものの存在自体をふくめて言っているのだが。
即ち男性の生理構造だ。
ロトの例で言えば、娘の起臥も分からぬほど泥酔した前後不覚状態で性の行為が営めるはずがない。歴然とした姦淫願望があって大脳新皮質が醒めてなければ勃起し射精することなど不可能なのである。
従って、これは近親姦のトピックスとして論ずる素材だろう。

見性院の投稿で、三親等以内の結婚禁止の現行制度に触れた。
ユダヤにおいて当時すでに、三親等以内の相姦結婚が禁じられていたことには驚かされる。
この厳格なる制度整備がために却って近親姦が『聖なる恋』のようにみなされ、こうした物語が生み出されたのかもしれない。

恋とはすべて不倫… 聊か文学的に過ぎる帰来はあるもののよく言われる。
悪いことをするのは楽しいものだ。

とは言うものの…
論者にロトの娘と同じことをしたいというの願望はない。
ない、という否定というよりは、考えも及ばない、初手からアウトオヴスコープ、とでも言った方が幾分なりとも正確か?
兎も角、そのような感じだ。

あまりにも近くで生活を営んでいるせいなのだろうか?
また機会があればということで、この件はペンディングとしよう。


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軽大郎女 (かるのおほいらつめ) − 実兄・ 軽皇子と情を通じ流刑地で心中

9e079385.jpg三親等以内の相姦結婚が禁じられていたユダヤの事情とは異なり、わが国にこれと同内容の規定が出来たのは極々近世になってからである。
例えば、江戸時代中期以降にも三親等夫婦の例が見られる。
ましてや本稿の舞台は遥かに遥かに古代の記紀時代だ。オジ姪・オバ甥の夫婦など珍しくもなんともない。
だが、これが兄妹、それも同腹の兄妹となると…
少なくても、政敵に廃太子の口実を提供するスキャンダル種にはなったようだ。

軽大郎女の同母兄、軽皇子は皇太子であった。ところが、父・允恭天皇が崩じたのち、即位を前にして皇子は妹の大郎女と情を通じた。
民衆の心は軽皇子から離れる。
ということはこの時代においても兄妹婚はタブー視されていたということなのだが、ともかくこれを機に允恭第二皇子である穴穂皇子を支持する一派が勢いづく。
而して武力闘争に至り、結果軽皇子は破れ伊予に流されることとなる。

この間、彼女と兄との間の相聞歌は古事記にのこる。

  君が往き 日(け)長くなりぬ 山たづの 迎へを行かむ 待つには待たじ

副題のごとく、軽大郎女は兄であり思所(こいびと)でもある皇子を流刑地まで追い心中して果てるのである。
今尚、多くの物語にかたられる記紀の逸話である。
近親姦は『聖なる恋』… 恋とはすべて不倫… 前稿で述べた外野の喧しいおしゃべりはさておくとして、この稿では当事者の心理を検証してみよう。

近親姦というのは現在の価値観では異常性欲に分類される。
そして、俗に言われる正常性癖の持ち主は、それを忌む。
人間の直情・直感というのは、非常に正しいもの…
これは、見性院の稿の結びだ。決して矛盾しない。

いや、むしろ『おしゃべり』と『結び』は互いに補完し合うとさえいえよう。
どこぞの娘の火付けではないが、一旦恋に火がついてしまうと何もかもが見えなくなってしまうものだ。
特に本能的に (例.本稿ほか) 、或いは逆に打算的に (例.ロミオとジュリエット) 忌むべきものと分かっている場合はなおさらのこと、でなければこの世の中に心中などあるわけがない。
そうであろう? 死んでしまえば、恋も性愛も糸瓜もなくなってしまう。
恋と言うのは生殖に至るお膳立てであると同時に、死に直結する人生の落とし穴でもある…
本稿・古代の兄妹を見るにつけ、つくづくそう感じる論者だ。

さてさて、論者にも兄が二人いる。
軽大郎女たりうる形式的要件は備えている論者であるのだが、さてはて…

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アクセス増を狙うなら、むしろ会員制にしたほうがよい

ときに、所謂コンパと呼ばれるものに参加する機会が多くなった昨今の論者たる実人格である。
このようなイベントには幹事がおり、出席率をよくしようと腐心する。
一体、どのような施策が効果的か?
ひとつには、会の名称を下記のごとくにすることが効果的と言われている。

  いない者の悪口を言う会

まあ、別ブログ黎明期の記事にしたことでもあるのだが、人間にとって他人の悪口ほど面白いものはない。
であるから反面、悪口を言われてなるものかの心理も働く。
件の出席率向上の裏技は、大いに頷けるところだ。

さて、過去稿で論題にした会員制SNS。
飛躍的に会員を伸ばしている理由のひとつに、或いは上記人間心理の存在があるのかも知れない。
即ち員外の者は、mixi内部で何が行われているか全く知りえない。知らないところで不都合なことをされていたんじゃ堪ったものじゃない、ならば自分も、ということである。
少なくても論者はそれが気になる、気になるというのがmixiなるものに関する唯一の関心である。

何度か論者も同SNSへとお誘いを受けた。丁重に辞退して現在に至るのだが。
と、ここで今ひとつの論に進めよう。

何でもmixiなるものは一見さんはとらない、既存会員のメールによる紹介状持参が入会の前提とか。
お誘いを受けた、誘って頂いた各位は自メールアドレスを教示した、このメアドは論者以外の目にも留まっている。
もし仮に。何者かがこれを見て、論者が通常使っているハンドルでこれらの方々にメールしたとしたら?
論者はメールをやっていない。このことを理由にお誘いを辞退したくらいである。
別人との立証は不可能…

これである。二つ目の頭痛のタネは。
つまり、『論者たる人格』が既にmixiで活動しているやもしれないのである。
論者にとってmixiとは本当に迷惑な存在、この亜流がこれ以上隆盛になるようなら、いよいよ住みにくいネット巷間になってくる。
今の段階では、明るい悩みの部類なのであるが。

論はここまでとして、連絡を。
かの マゾ男性向けSM創作短編集 、更新した。
それとなく論題にしてるあの事件や、本論にも関係したブラックユーモア仕立てを1本追加してある。


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【御転婆天地驚動組合】
タグ:会員制 サディズム サディズムに花束を! http://blog.livedoor.jp/fem_dom_2006/ SNS mixi 御転婆天地驚動組合 マゾ男性向けSM創作短編集 http://otenba.seesaa.net/ 畠山鈴香 豪憲 コンパ 幹事 出席率 悪口 アクセス メール メールアドレス ハンドル ブラックユーモア 東京都渋谷区道玄坂1-12-1 株式会社ミクシィ 笠原健治 会員制SNS 人間心理 ドキュメンタリー ネット掲示板 管理者 トールフェチ 創作サイト 女生徒 なぶり 管理人 パトロール 警官 女子高 便器 特殊性癖 排泄物 リンク リンクサイト 趣味 入院 二ツ井 藤里 世界遺産 白神山地 団地 心霊写真 PC エロ小説 小説 小学生 3組女子 3組 母親 デカ女 鬼怒川温泉 仲居 荒唐無稽 瓜実顔 HD オナニー 藤琴川 大沢橋 事故 事件 手作りのビラ 警察 秋田 秋田県警 HN ディスプレー ポケモン ウサギ小屋 般若 鬼子母神 鬼女 絞殺 殺人 連続殺人 魔物 女魔 母性 死の安定 仮想 河村めぐみ 恐山 イタコ 成仏 刑事 国家権力 死体遺棄 死体 マスコミ ワイドショー 失踪 供述 二転三転 事件化 BBS 犯罪 人とつきあう法 河盛好蔵 徳川夢声 いない者の悪口を言う会 オシッコ なぶりもの 便器舐め 便器になった25歳学生 web ネクラ Y小学校 鬼怒川 高校生 女子高校生 藤里町 能代署 ユング ユング心理学 形見分け 勉強部屋 町営団地 鬼子母 アクセス増 母性の二面性 失禁 尿 ションベン 公判対策 パクリ パクリ 作品置場 嬲 作品置場 ミイラ ミイラ発言 岩手大 心霊 【かっつ】会員制SNS「mixi」の赤裸々な内情を広く外部に知らしめてくれた吉田勝久さんに感謝状を贈ろう!【ミイラ発言】 BLIZT CUBE  sexii 村岡万由子 白鯛素久 ケツ毛バーガー mixi・ケツ毛バーガー騒動
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ラーレ・アンデルセン − 『リリー・マルレーン』に見る戦場の女考

1aedaf18.jpg女性兵士が戦闘に参加するようになったのは、極近年になってからである。
或いは逆に古代伝説時代にその例をみるか?
いずれにせよ、歴史上大半の時代においては、戦闘参加は男性の専売領域、古今東西共通の事実である。

では、戦場とは男性のみの居住区なのであるか?
答えはNO、これまた古今東西共通の事実なのである。
即ち、兵士たちを慰安する女性たちが、さながら金魚のふんのごとく兵隊に付き従う。
そして、その女性たちは。
直接的に春をひさぐ者もあり、また本稿主役たるラーレ・アンデルセンのごとく歌声をもって慰安する者もあり…

そして彼女たちに癒された男たちは、戦闘に赴き或いは不帰の人となる。
『リリー・マルレーン』訳詩(のひとつ)の一説に見るように。

  お前を愛した男たちは 静かに眠っている

思えば、こうした女性たちこそ、女権による男性支配に成功した人々なのではないか?
死の可能性が高いものは、その生きた証をこの世に残そうとする。人間だけでなくありとあらゆる生物がそうなのだが。
肉体的に残そうとすれば(最後に)異性と性交し子種を、精神的に残そうとすればその愛情・感受性を、それぞれ彼女たちに託す。
女性たちはサディズムを発露させ、これを踏みにじることも可能だ。
カードはこちらにあり、受身であるがゆえの優位の典型と言えるか。

男たちを戦いに赴かせ、その命を自由にする権力を持っているガバナーは別者であるにせよ、その権力執行者は戦場にあるラーレのような者たちなのだ。
現場は強し。
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鸕野讃良 (持統天皇) − 果たしてこの敏腕政治家は女であることを否定していたか?

583d5370.jpg別のブログのほうでしばしば話題にした持統天皇だ。
天武帝の皇后であるこの女性の父は、天智天皇である。
つまりは、天武持統は叔父姪の夫婦であるのだが、本稿はそれを論題とはしない。
過去稿・北条政子の続論的な一稿としよう。

政子を論題にしたのは随分前ゆえ、少々復習するか。
あの折、論者は女であることも妻であることも母であることも一切否定した女性と政子を評した。
この政子とよく比せられるのが、持統帝だ。
確かに、内乱を制し覇者となった夫の後を継ぎ、自ら先頭に立ち組織存続、繁栄の為腕をふるった点はよく似てる。
そして、組織防衛のために政敵を謀殺したことも…
だが、あの折にもこの両者には決定的な違いがあると論じた。

再度俎上にあげる。
政子は腹を痛めた我が子すらも葬り去った。ひたすら幕府繁栄のために。
しかるに鸕野讃良は…
彼女が葬り去った政敵の代表格は、大津皇子だ。

日本書紀等によれば、この大津皇子たるや大変な能力者、非の打ち所のない人物と記される。
だからこそ、天武帝が政治の一切を任せると遺言したのであるが。
そう、彼に任せておけば壬申の乱後「神にしませば」と言われるほどまでに高まった朝廷・天皇家の地位は揺ぎ無いのである。
再度、しかるに鸕野讃良は… である。
これを葬り去った彼女の行動は、組織存続・繁栄とは逆行する。
無能な者ぞろいなことに業をにやし一掃した北条政子の粛清とは天地の違いがあるといえないか?
公私混同、私怨もいいとこ。事実、実孫にあたる文武天皇が一人前になるまで、『持統天皇』として自ら老骨に鞭を打たねばならなかった彼女である。
そして、文武帝に譲位し初の太上天皇、即ち上皇となる…

かくして検証をするに、持統天皇とは女を否定していたとは言いがたい。否、女そのもの。
即ち、自分が腹を痛めた者をたてたい、尽くしたい、というありふれた母親像が実体であり、政治手腕はたまたま有していた能力のひとつに過ぎないのである。
そして、そのためには人殺しをも辞さない、この意味では女性型サディズムが色濃い人物と言えるのではなかろうか?

我が子のためと思い巡らし、不条理とも思える殺人をも、であるか?
果たして、渦中の畠山鈴香なる容疑者は…
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ナオミ考

別ブログにしばしば投稿していた随想風の記事を一稿挟もう。

みーちゃん、はーちゃんということがある。即ち日本女性の名前は「み」「は」で始まるものが多いことをからかい気味いった成句である。
遺憾なるかな論者も当該範疇に属するのであるが、それはさて置くとして。
これは、それだけ名前のバリュエーションが少ない、ひいてはそもそもは女性には(正式な)名前がなかったことの名残なのであろう。
みーちゃん、はーちゃん… これが、本ブログのテーマであるサディスティンということになると少々事情が異なる。

圧倒的に多いのは、『ナオミ』 通称、筆名、営業関係であるなら芸名源氏名の類でこう名乗るのがやまとなでしこのようだ。
谷崎潤一郎『痴人の愛』の奔放なヒロインにちなんでつけたものであることは容易に推測できる。
余談から入るなら、現在のフェムドム創作の草分け的な存在で『春川ナミオ』という人物がいる。
まあ、この名からすれば男性であるだが、この春川氏、しばしば女流と間違えられる。
即ち片仮名表記の読み難さ、春川"ナオミ"と読まれてしまうのがその訳らしい。
『谷崎・痴人の愛に因んだ女流の存在』がまたナオミを増やす要因にもなっているようだ。

さて、かかる現状であることを請けてか、その手の主流ビデオメーカーのプレイングマネージャーもまた『浅野ナオミ』を名乗っている。
しかるに。
今朝ほど覗き見た某サイトで、氏のことを『浅野なつみ』と紹介している記事があったのである。
片仮名でなく平仮名で書いてあることからすれば、誤植の可能性は薄い。いや、一人思い当たる人物がいるのだ。
過去投稿で論題とした漫画家・弓月光とも関連する女優だ。

浅野なつみ。弓月光『みんなあげちゃう』の映画化に際しヒロイン『間宮悠乃』役でデヴュー。
件のサイト記事筆者はうっかり、この女性の名前を書いてしまったのではないかと思料する。
『みんなあげちゃう』は、少女誌に描いていた弓月が病気静養の後、青年誌に転身して執筆再開した際の作品だ。
青年誌ゆえ性描写も描ける。少女誌時代より垣間見られたフェムドム的記述も堂々解禁といったところだ。
実際同作は人気を博し、述べたとおり映画にまでなるのである。

が論者の感想は。
ことフェムドムの色合いやサディスティンの登場割合に話を限れば、むしろ少女漫画時代のほうが上だったような気がする。
(通常の)性描写が出てきたために、弓月流フェムドムワールドは影が薄くなってしまった。
この現象は、本ブログ全般で論を進めるに於いて重要な論拠ともなっていることを付け加えよう。

『ナオミあらかると』、この一作のみにあらず…
弓月漫画頻出の奔放女性もまたナオミである。
【この記事へ管理者のコメント】
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フローレンス・ナイチンゲール − 白衣の天使、その素顔は?

025c426a.pngいまさらナイチンゲールとは? でもなかろう。
我が国においても看護婦、今はこの言い方は不穏当なのか? 女性看護士の代名詞とさえなっているくらいの偉人である。
その業績についてケチを付けるいとはないことを申し上げる。

このような彼女であるが、伝記を読めば従前に抱いていた清楚なイメージが雲散霧消すると言われている。
野心家中の野心家… その生涯を見れば全く覆しようのない評価だ。
さながら父親から「この子が男だったら」と嘆息される娘の部類である。
論者なりのキーポイントは、裕福な家に生まれながら当時の評価が非常に低かった看護婦という職業を志したこと、そして何よりも敢えてクリミア戦争に従軍したということであろう。
その背景には、白日夢癖・食卓恐怖症の精神性疾患があったとも言われているのだが。

ここで、彼女の性癖について話を進める。
過去稿で、科学とはサディズムの有効利用、医学はその最たるものと論じた。
同じく、(男性が生死をかける)戦場に住する女性はドミナントに最も近い位置にいるとも。
それぞれの該当稿を読み返し願えれば、ここで書くまでもなかろう。
双方に該当するナイチンゲールとは、内面サディズムの非常に色濃い女性…

歴史は人によって作られる。だが、逆は真ならず、人は歴史に作られるのではない。
マクロの流れたる歴史によっての偉人評は誤りであることが多々。
歴史人物評は必ず伝記を、このミクロの歴史たる個人史を解くことによって行わなければならないということだろう。

かのリンカーンがどのような黒人観を持っていたか調べるとよい。
本稿主人公ナイチンゲールと同様…
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サロメ角田 − このカリスマ・トルコ嬢は名前どおりサロメだったのか?

aa604a27.jpg彼女が初の顔出しトルコ嬢としてブラウン管に登場していたのは1970年代なのであろうか?
トルコ風呂がソープランドと自主改称したのは1984年のことである。

さて、この(当時)トルコ風呂が昭和30年代以降の日本風俗史上いかに大きな位置を占めていたかは、これもヒット商品であるアメリカ俗語辞典の頁の割きかたを見れば分かる。
つらつら捲るに。
当時は影も形もなかった現在のSMクラブを含むところの、ありとあらゆるエロ系接客サービスは、ここで行われていたようである。
原型においては、どのようなサービスが行われていたのか?
スペシャルサービスという陰茎マッサージ、今日でいうとこの手コキである。それが段々とエスカレートして春をひさぐ場ともなるのであるが…

そこらの詳述は本ブログの守備範囲でないので、心理考察に移る。
野坂昭如『エロ事師たち』の中に興味深い箇所がある。主人公スブやんとトルコ嬢との会話だ。

「マッサージ台の上ねころんで、まあいうたら赤ん坊みたいやな、すべてもうあちらまかせで……スペシャルは、つまりやな、あれはお母はんにしてもらうような感じでなかあかん」
「お母はん? なんでお母はんがでてくんねな」
「お母はんの愛情ちゅうもんは、こうなんちゃうたらええかな、サービスええやんか……スペシャルで男が往生するやろ、そのときにイヤーやらアラアラやらいうて女がタオルでふきますわな。あの時、なんやお母はんによう似とる思うねん。男はもうその時必死やで、なんやらしらんけどすがりついとるわ、そやけど女はまるでへっさらでおる、それがどうもお母はんと赤ん坊の関係みたいなんやな」

なんと…
今日でいうとこの男性受けと呼ばれる世界、どんぴしゃりではないか!
だが…
昨今では『M系』などと商業主義によって冠される、手コキ、男性受け、であるが、(本質的には)SMとは別物だ。

野坂がスブやんに言わせているように、むしろ母子姦の方向に心理が向いているといえよう。
母子姦という別座標の倒錯だ。
その限りにおいて、母親が自分の息子に向けるようなサディズムが介入する可能性はある。
そして、母親たるトルコ嬢は、そのことに全く無頓着だ。これも劇中のトルコ嬢が見事に証言してくれている。

さて、本稿・サロメ角田も往年において、何千何万のスブやんたちの母親であった。

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祝融夫人 (中国・三国) − 火の神の末裔と称する武勇の王妃

2a9188d4.jpg三国志の祝融夫人は演義にのみの登場となる。
南蛮王・妄獲の妻である彼女は、諸葛亮に負け続ける夫や自軍に怒り、自ら蜀軍と戦う女性として記録に名を残す。
このように男勝りの性格で飛刀の使い手とされ、体格や体力もまた男以上としていわれる。

概ね、このような書かれ方をする祝融であるのだが、柴錬三国志では少々様子が異なる。
登場時は他と同様なのだが、段々大人しくなっていくのだ。
そして、木鹿大王が援軍に駆けつけたときの景が特筆ものである。
下世話にもいうところの最大級の歓待に「女房を抱かせる」ということがある。妄獲はそれをしてのけるのだ。
評判の美女且つ大女を夫の目の前で犯すという背徳感も手伝い、野獣のように猛る木鹿とは対照的にマグロ状態の祝融。
彼女のこころにあったのは二人の男のいずれでもない、諸葛孔明、という物語になるのであるが。

非常に官能的だ。
そして、本ブログとしては是非とも検証すべき3者の心理である。
一言で括ってしまえば、男というものは子供だ、ということになるのであるが、先ずは妄獲。
これは、只の悪戯心だけで話は仕舞だ。
そして木鹿と祝融であるのだが、前稿のスブやんとトルコ嬢の例に似ているのではないか?
男は必死、女はまるでへっちゃら…
しかも、本稿の木鹿は受身ではない、男性性の本質に倣い攻撃的性行為に及んでいるのだ。
にも拘らず、祝融は全くの『へっちゃら』、愈愈『(赤ん坊に接する)お母はん』である。
柴錬三国志に描かれる祝融は、武勇よりも閨房術に長けた女傑であった。

さて、敢えて冒頭断らなかったことだ。祝融夫人というのは多分架空の存在…
しかし、一向に構わぬ。何となれば、孔明南蛮行自体が(あったかどうかも)疑わしい史実なのであるから。
七縱七禽… 少数民族の間では、七度捕らえられ七度放されたのは孟獲ではなく孔明だったということになっている。
いずれにせよ、演義で語られる戦いと実際のそれとは大いに温度差がある、これだけは事実であろう。

孟獲が首長をつとめた南蛮、即ち少数民族は漢人と見かけでは区別ができない容貌である。
そして、行き来も盛んだ。実際孟獲自身も若き日は都で勉学し、南蛮行の後は蜀の官吏も務めているし。
人とは、そんな僅かな特性上の差異を見出し、その差異を理由に相戦う生き物なのである。




 注* 本日、元記事にはないおまけ動画を追加しました。(8/13)

 ここをクリックしてご覧下さい。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! 番頭様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

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山田みつ子 − 音羽の幼女殺しは本当に『お受験殺人』だったのか?

69b79956.jpg件の事件が起きたのは、平成11年のことだったか。遠い遠い歴史上の出来事と錯覚させられるのは、大方は近頃の社会報道のせい?
そう… 
彼女と同じく我が子のために不条理な殺人をしてのけた飛鳥時代の母、鸕野讃良 (持統天皇)と同じくらい、遠い遠い昔に起きた歴史上の出来事になってしまった。

で、本稿で検証すべき内容は副題のとおりだ。
そして答えは至極簡単、明らかにNOである。
いうまでもなかろう。母親が他所の子供を殺したとあったら受験も糸瓜もなくなってしまう。
みつ子の子供にすれば、全く迷惑至極な母親の蛮行だ。

しかるに。
彼女が子供のためを思ってという心がなかったかという問いになると、これまた答えはNOであろう。
矛盾、それこそ幼児にすら理解しうるくらい分かりきった大矛盾…
この矛盾こそが、母親性そのものであり、また旧来女というものが爆発させ続けていた女性型サディズムの極例であったと結べよう。

ここに興味深い中国古典大衆小説がある、いや別ブログでも俎上にあげたのだが。
西遊記、その火焔山の段である。
女魔・羅刹女は、主人公である悟空を息子・紅孩児の仇とののしり、文字通り羅刹の形相で打ちかかる。
その実は紅孩児は、悟空の仲立ちで観音菩薩の元で修行しているのであるが、いくらそう説明してやっても分からない。
いや女魔は、(それが道理と)分かっているのだ。
分かっている、頭で分かっているから余計に腹立たしいのである。

子供をもったことはないものの論者もまた女、羅刹女の気持ちはそれなりには分かる。
勿論、『頭で分かる』方の分かる、であるが。

迂闊である、書き忘れていた。俗説によれば…
男は頭を中心とする円形思考、女は頭と子宮を二心とする楕円形思考なのだそうな。
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アン・ボニー − 18世紀初頭のカリブ海を暴れ回った女海賊

ffac4b6a.jpg女海賊アンの処刑は記録に残ってなかったか?
「世のへなちょこ男への見せしめのため、とっとと吊るしな!」と啖呵をきって果てたというのは、論者の記憶ちがいだったようだ。
大方、多くの映画等で描かれる彼女のどれかが頭にこびりついてたのだろう。

過去稿で幾度か閉鎖社会におけるサディズムの発露例に論及んだ。
閉鎖空間の上逃げ場のない地理的条件にある社会は尚更、人間が潜在的に、顕在的に持つサディズムが暴走する事例が多い。
例えば鉱山だ。仲間一人を集団で殴り殺し、その場に埋めて全員で口裏を合わせたという(大昔の)事件証言はしばしば聞かれる。
そして船。こちらの方がより…
海に投げ込んでしまえば、山のように掘り返して死体が出てくるわけでもないのである。

さて、アン・ボニーのそんな『職場』はどんな世界であったのか?
童話のピーターパンでも思い返すか。フックの海賊船の章である。
先ず、このフック船長、右手が手首より先が欠損しており、義手として鉄鉤をつけているという人物設定だ。
甲板を掃除する日常風景で船乗りたちの紹介がされ、いよいよフックの段に。

「船員の一人がフックとぶつかり洒落者の彼のレースの襟をくしゃくしゃにしてしまうとしよう。
ははは、と笑った船長は、右手鉄鉤を船員の頭にかけ真っ二つに裂く。
他の船員たちは、断末魔を残し絶命した船員の死体をザブンと海に放り込み、何事もなかったかのように甲板掃除を続ける」

こんなところであったか?
ついでに書けば、フックの右手を切り落としたのはピーターパンだ。
ピーターは面白半分、切り落としたフックの右手を下にいたワニに与えるのである。
フックの血の味を覚えたワニは以降『本体』を狙って追い続け、最後またしてもピーターパンの与力でその宿望を適えることになるのだか。
今思い出せば、よくもまあこんな残酷な話が、子供向けファンタジーの名作として全世界の少年少女に読み継がれているものだ。
改めて、子供とは残酷好きなもの、との感を深めるところである。

元に戻す。
童話は童話としても、全くの荒唐無稽、事実無根の作り話というわけでもなかろう、騙し易そうで案外と騙せないのが子供である。
海賊社会とは、さしたる理由もない人殺しなど日常茶飯の世界であったことは間違いはあるまい。アンが殴りこんだのは、かくも殺伐とした男社会なのである。
そんな海賊家業に身をおき、女人禁制の掟などなんのその、名をなした彼女の日常は押して知るべし。
そして、その心裏も自ずから量り得るというものだ。

実力主義の建前が通じるのは無法者の社会だけ、よく言われる。
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殺人〜究極にして最も純然たるサディズム

さて、このところ殺人をトピックスとする記事が増えている本ブログである。
お読みの各位においては、ご指摘あるやもしれぬ。サディズムと殺人を取り違えてはいないかと。

論者はそれで構わぬと思料するのだが。
人がその充足のため他人の命を奪う、これ以上の加虐嗜好があろうか?
生きている人間が(人為により)絶命するにおいて受ける苦痛は如何ばかりのものか。

そして、(肉体的責めよりも高位とされる)精神的責めという見地からしても、殺人こそがその極といえよう。
なんとならば、一個の精神を、その日その瞬間より未来永劫消滅させしめてしまうのだから。

と、アンケート項目のご案内を。

貴方は唯物論者?観念論者?

ご協力賜れば幸甚である。

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林郁夫 (宗教名 クリシュナ・ナンダ) − 13人を殺しながら国家に命を保証された男

f60f24e1.jpg昨日、世間の注目の光・母子殺害事件、最高裁判決が出た。
判決内容について逐一述べることを目的としない。
また、屍姦症の典型ともいえる当該事件加害者の心理分析も、この稿の目的とはすまい。
よって、番外篇に位置する本稿である。

さて、かの最高裁判決を前に法曹関係識者たちは色々と意見を述べていた。
法廷とは刑事被告人の量刑を決める場であって、事件究明の場でもなければ、ましてや被害者の仇討ちの場ではない。であるからして、報道や被害者感情その他の状況に左右されることなく、独立独歩、公正無私の立場から判決を下すべきである…
将にそのとおり。愚見ととってもらって結構。
犯人加害者の改悛度合いは量刑に(過度に)加味するべきではない…
我が意を得たり! 犯した(とされる)犯罪を裁くのだから。
一々ごもっともな意見がブラウン管を賑わしていた。

ならばだ。
何故それを10年前、かの人物の裁判の折に述べなかったのであろうか?!
林郁夫、本稿主役の法廷の折にである。

このオウム医師は、地下鉄サリン事件・公証人役場事務長拉致事件において、13もの人命を奪った。
しかるに、確定した判決は無期懲役。いや、あまつさえ。
検察は初手から死刑を求刑しなかったのである。
人の命を救うのが仕事である医師が… 分別盛りの教養人が…
だから私、あんまりぐちゃぐちゃ言いたくない。見れば分かるでしょう?、バカバカしいですよ、こんなの! それこそ、この一言であろう。

殺人、人が人を殺す、この世の中にこれほど卑劣なことはない…
胡桃沢耕史『翔んでる警視』の主人公・岩崎白昼夢が、連載初回登場の折に述べた言葉だ。
殺人こそがサディズム暴走の極…
そして、論者も前稿で、こう論じた。

一口に刑事犯罪と括らず、人命を奪ったものとそうでないのは分けて考えるべきではないのか?
勿論前者には厳罰を。
被害者の肉体も精神も未来永劫消滅させてしまったされる被疑者なのである。

ここで留意しなければならないのは。
死刑というのは、攻守ところ代え今度は、国家権力が被告人の命を奪う行為である。
だから、万万が一にも冤罪ということがあってはならない。
逆に言うならばである。
人殺し犯人の法廷において関係者がすべきは、この一点のみではなかろうか?
被告人の改悛度だとか、被害者感情だとか、世間の関心度だとか、それが主眼ではない、主眼であってはならないはずだ。

幸い情報システム環境や技術の飛躍的な進歩によって、冤罪判決が起こりうる可能性は格段に少なくなっている。
であるなら、検察や裁判所は死刑の英断を…
被告人は、理不尽にも他人の命を奪った者である。(少なくとも一時は)自らの命をもって償わなければいけないという認識にならねば、ならさねば、道理が引っ込むというものだ。


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ある足フェチシストの実例

人殺しのトピックスが続いた。
少々軽い時事ものを挟むか。
といっても、被害者の出ている刑事事件、軽いという言い方は不謹慎であった。
とまれ、全文掲載する。

クギ付き靴で美女にトーキック…足フェチ男一発退場

 警視庁渋谷署は19日までに、JR渋谷駅前(東京・渋谷区)のスクランブル交差点でくぎを付けた靴で女性の足を蹴って傷を負わせたとして、傷害容疑で川崎市宮前区の会社員・葛西精太郎容疑者(31)を逮捕した。調べに対し、同容疑者は「スタイルのいい女性の足に傷をつけたかった」と供述。余罪もほのめかしており、同容疑者の自宅からは同じように細工された靴や多数のくぎが押収された。

 女性のナマ足を狙った、極めて悪質な“タックル”に、即刻レッドカードが突きつけられた。

 事件はW杯のピッチではなく、東京・渋谷のド真ん中にある、スクランブル交差点で起きた。

 調べでは、葛西容疑者は17日午後6時50分ごろ、信号待ちをしていた世田谷区の無職女性(28)の後ろを付け回し、つま先部分にくぎを付けた革靴で、女性の両ふくらはぎを2、3回と右足“トーキック”。約5分間に及ぶ執拗(しつよう)な“削り”で、全治3日間の刺し傷を負わせた疑い。

 葛西容疑者は女性と面識がなく「スタイルのいい女性の足に傷をつけたかった」などと供述しているという。

 足フェチ男は、革靴の右つま先には、ペンチを使って靴のゴム底から細いくぎ5本を斜めに打ち込み、1ミリほど先端が飛び出るように細工していた。同容疑者宅からは、ほかにも、同様の“特製スパイク”2足や、くぎ約100本などが見つかった。

 被害に遭った女性は素足にスカート姿で、数回痛みを感じて後ろを振り向くと、不審な動きをしていた葛西容疑者を発見。取り押さえて交番に突き出したという。

 葛西容疑者は以前にも数回、同じような行為をしたことがあると話しているといい、渋谷署では余罪を追及する方針。

 葛西容疑者の自宅周辺の住民は、同容疑者について「小さいころから『優秀なお坊ちゃま』。(都内の)薬科大学を卒業した、まじめな人」といい「最近は、庭の池で飼うコイに餌をあげていたのを見たが…」と驚いた様子だった。


過去記事で論じたトピックスが目白押しであろう?
足フェチの大半は、踏まれたい、蹴飛ばされたい、と願うマゾヒスト。この事例は少数派のサディストであった。
女性の持つペニスである足を傷つけた葛西容疑者なる人物は、男版阿部定といったとこか。
サディズムとはマゾヒズムを克服した状態、既報分析学通説の傍証としてはうってつけの事例だ。

そして、普段は温和な人物、これもまたサド男と評された歴史上の人物たちと同様である。

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小式部内侍 − 中世日本版『詩のボクシング』強者

afd533e1.jpg別ブログのテーマから輸入してみる。
小倉山百人一首こぼれ話の検証だ。

概略かいつまむに。
本稿主役である小式部内侍は、歌人として名高い和泉式部の娘である。
偉大な親を持ってしまった者の悲劇とでもいえばよいか? 小式部の歌は全て母・名高い母が代作してるという流言が飛び交った。
そこは今も昔も変わりないこと、そんな宮中が背景だ。
かかる折中納言定頼なる男性が、丹後の母からの(歌のしるされた)手紙は届いているのか、と彼女をからかったのである。
立ち去ろうとする定頼の袖を引きつかみ、小式部が即詠したとされるのが百人一首に残るこの歌だ。

   大江山 いく野の 道の遠ければ まだふみもみず 天の橋立

定頼は顔色を失うわけであるが。

さて、ここからが本ブログにおける論だ。
先程、ねたみそねみからの流言は今も昔も同じと言った。
であるのだが、詩文の応酬、一部に流行する『詩のボクシング』に関しては、今昔大いなる温度差がある。
留意すべきは、当時の歌詠みたる貴族たちにすれば、これが生活の術であったということだ。

同じく百人一首こぼれ話として、平兼盛・壬生忠見の逸話があろう。
『初恋』という題での歌合せに敗れた忠見は失意のうちに死んだとも。
貴族の歌合せは武士の武芸勝負と同じ。即ち、負ければ死…
それを頭に入れたところで、小式部内侍の行動心理は考えねばならぬだろう。

和泉式部を母に持つ小式部のことだ。当然、事後定頼がどうなるかは知っている。
もし相手が悶死するようなことになれば、これは未必の故意による殺人。
それを承知でのかの即詠は、復讐的加虐心の発露以外の何物でもない。
将しく女性型ハードサディズムと言えよう。

その後、中納言定頼なる者がどうなったかは知らぬ。
ただ、碌なことになっていないことは確かだ。なぜならば彼に関しては余り聞くことがないから。
格闘・拳闘。
そもそも発祥時に於いては、どちらかが殺されるまで闘ったという。

詩のボクシングもまた、起源はデスマッチであると伝えられる。 

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トップレスビーチの女性たち − 女性が本能的に胸を隠すという俗説は大出鱈目

f5e215cf.jpgご存知、日本では禁じられているトップレスの水着。
南欧あたりに旅行する男性諸氏の楽しみのひとつは、トップレスピーピングにあるとか。
さりながら。果たしてそれほど大仰なことなのだろうか?

ルソーの稿では、男性の露出癖がいかに多いかを論じた。
男性のみで終わらせるのは不公平である。女性に関しても論じなければならぬだろう。
結論を言えば女性にも露出願望はある。それも、コンプレックスを抱いている裸体をみられたいというマゾヒスティックなものでなく、男性のペニス露出同様、堂々能動的に自らの肉体を誇示したい願う願望が。

工場の生活を研究したイタリアのニセフォローの研究によると、夏場になると働いている娘たちは下着をつけず胸のボタンもすっかり外し足を組んだまま作業をしていたという。
これを読んだとき愕然とした。いや、我が日本においても全く同じだったと聞いていたことから、という方の意味でである。
しかも、我が国の事例は既に20世紀も後半になっていた頃の話だ。男子禁制の女の園というわけではない、当然そのあられもない姿が異性の目にとまるのである。

更にあげれば。
各位は幕張という地名はご存知であろう? そう、メッセの。
つい先ごろまであの地区は、農業の地であった。夏場になれば胸部を露出した娘たちが、少なからず見られたという。
フロイド的にみれば、女性は性器について劣等感を持っているから、むしろ他の部分を誇るのであろう。

本稿に盛り込むのは誤解を招くかもしれないが、(学校における)男女同部屋着替えについて述べよう。
いや、我が県は…
因みに論者は抵抗がない(なかった、というべきか)。
いやそれどころか、(同性の)友人たちとともに、何で男子は、ああも拘泥するのか? と密かに研究課題としていたくらいである。
往年のシュミレーションゲーム『ときめきメモリアル』の主人公が教室に忘れ物を取りにいった時に着替えをしていた女生徒たちは、
「きゃー! 覗きよ〜」
と悲鳴をあげることになっているのだが。

この設定は、男子校の出身者ばかりと伝え聞く同ゲーム製作者たちの幻想であると断言してよい。
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貂蝉 (中国・三国) − 『連環の計』にみるフェムドムの構図

9462f8bc.jpgなんでも、現地・中国では架空説・実在説双方ありとか。本日初めて知った。
論者は架空の人物とばかり(楊貴妃・西施・王昭君と並ぶ古代中国四大美人の一人 = 三ではなく四になっているあたりが怪しげだ)。
とまれ、三国志演義では前半重要局面のキーパーソンとなる貂蝉だ。

舞台は董卓が実権を握っている頃である。
衆人快く思わぬも、剛勇の呂布がボディーガードとなっている限りは手の施しようがない。
そこで、貂蝉の養父である王允は一計を案じる。
美女たるこの養女を使い両者の仲を裂く…
詳細は割愛するも、この計は見事に功を奏し董呂は相克することになるのである。
世に言う『連環の計』(別の意味もあり)

さて、この逸話における貂蝉をどう評価するかである。
哀れ、男どもも権力闘争の具とされる一輪の可憐な花、と見るか?
「帝王を股間に弄し、女の本懐、これにすぎるものはなし」の極例と見るか?
論者は断然後者だ。
なんとなれば、董卓にせよ呂布にせよ乱世バトルロイヤルの決勝リーグに進出しているだけの実力者だ。
そこに予選も経ずして参加し勝利してしまったのである。彼女の実力は並々ならぬものといえるのではなかろうか?

これは、よく言われることであるのだが。
乱世は男尊女卑の時代に見えて、実は正反対なのである。
戦時ほど、女性の力が重要になる。
簡単である。男どもは全てをおっぽりだして、命のやり取りをしているのだ。生産は誰が行う?
古今東西、戦乱の世においては女はそれはそれは大事にされた。
であるからしてまた、実力発揮のチャンスも多い。これは男女ともそうなのであるが、(戦場で殺しあうことがない分だけ)死亡率の低い女の方が、より有利なのである。
今ちょうど大河ドラマでやっている山内一豊の妻、これなどを見れば成る程と合点も行くのではあるまいか?

して、勝者貂蝉のその後である。
これについては諸説紛々。
呂布が董卓を討った時点で自害して果てたとするものもあれば、二人駆け落ちしたというものもある。
さらにその後、逃げおおせたとも曹操に捕らえられたとも。
果ては彼女を巡り、関羽と曹操が争ったとするものさえもある。
極めつけは陳舜臣『秘本三国志』… 関羽の妻になった貂蝉は熱心な仏教徒となり、今度は羽の頭痛の種となるのである。

貂蝉の評価や実在性は、『その後』をどう考える、或いはどう設定するか次第なのではなかろうか?

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一体何ゆえにファイル交換ソフトが情報漏洩の元凶なのか?

巷間、ファイル交換ソフトによる情報漏洩問題が未だにメディアを賑わしている。
何でまた未だに?!

問題になりだした折には論者においても、別サイトその他で論評のトピックスにした。
漫画的(な社会事象)であると。
そうであろう? ネットに接続している機器には秘匿情報を置いておかないこと、これだけで片付く話なのだから。
卑しくも国家権力を担う公僕が、この程度の当たり前のこともできないのが漫画的だと評した。
参考までに、他の名もなきネット民諸氏の見解も大方はこれと一致していた。(というよりも他に…)

さりながら、官僚やIT産業従事者等々影響力の大きい各位の言動は必ずしもこの限りではなかった。
即ち、交換ソフト叩きの方向に走る。
先ずは、官房長官の「ウィニーを入れないこと云々」である。
更に、ぷららネットワークスにおける遮断ソフト開発、導入検討。
こんな違法、いや違憲(にながる)行為までに発展したとなると、もはや笑えない笑い話では済まなくなる。
ずばり言えば、恣意的だ。

さて、論者のネットワーク機器の利用法である。
先ずはネットワーク接続できる環境には、個を特定できる情報や逸失利益の生ずるデータは入れてない、いうまでもなく。
それから、こまめに接続は切断する、見てないときは機器の電源自体を切断する。
いや、別に意識してそうしているわけではなく、気がつけば自然にそのようにしているのだ。
であるからして、この種の問題で悩まされたことはない。
物心ついたときから、大事なものはしまっておく、扉を開けたら閉める、電気をつけたら消す、と教え込まれてきた、その躾の賜物だろう。

言わせれば、問題を起こしている人たちは幼児期の基本的な躾をされずして育ってしまったということにもなろう。
そういった人たちが、企業人となっているのだから始末が悪い。
いや、彼らとて紙のメディアならきちんと金庫に格納し厳重なる施錠をしているであろう、そう信じたい。
電子メディアは全く異質のものと錯覚しているのであろうか? ともかく簡易施錠をしただけの状態で玄関先に放置しとくに亜流の管理状況が多々。
それに迎合する幇間オピニオンリーダーも罪が深い。

舞台裏を明かすなら。
本稿を書くきっかけとなったのは、数日前のある全国紙の記者名入記事である。
同記事は、前記安倍官房長官のウィニー発言を、正論過ぎるくらいの正論と称していた。
「交通事故をなくすためにはクルマをなくすことだ」というようなものだと。
いやはや…

くどいようだが、どうしてファイル交換ソフトの問題とする?
うん、同じ自動車でたとえ話するなら。
件の官房長官発言は、
「飲酒運転を撲滅するためには酒類の製造を中止するのが一番」
といっているに等しいと思料するのだが如何?

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江戸の伊達女 − 雪中でも足袋をはかず爪に紅を刷く

ba270a47.jpg伊達と書いて『ダテ』と読むのは何故?
そもそもは『イダテ』だったらしい。
イの字がとれてダテとなり現在に至るのだか、それはさておき。

タイトルのごとくである。
前々稿で論じた女性の能動的露出の例を、我が国江戸期に見つけた。見事に男性のフェチ心理を捉えている。
過去数回紹介しているように、男性が女性の足に偏愛するのは、足というものが女性の持つペニスであるから。
表題の女性たちもまた潜在意識下に、足を自らのペニスと理解し、それを見せ付けていたのかもしれない。非常に事例の多い男性の性器露出と全く同じ心理で。

我が国は隣国中国より多くの文化を輸入した。
が、以前一稿裂いた纏足は輸入しなかった。
して、伊達の素足と纏足との比較である。
中国纏足の例に比べ遥かに女性の能動性が高い。
(性行為における通常の心理態度である)受身ではなく、攻撃的なアピールですらある。
伊達の素足は鎖国期に生まれた純国風文化…
思えば我が国固有の文化形態は、存外女性上位なのかもしれない。

論者もまた、真冬でも素足で通す一人…


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戦場の遊び女たち − 死に行く者の命を預かった彼女らは…

2b4335fe.JPG鹿屋特攻隊飛行場の隣接女郎屋の娼婦たちでもよかった。
すばり、従軍慰安婦と言っても大きくは外れないと思う。
ただ、これらの人々を主役にしてしまうと、政治的な色合いが強くなり誤解を招く元となるので、表題のごとく論説対象を広く設定した。

さて、過去稿・戦場の女の論説対象のうち、ずばり直接的に春をひさぐ者が本稿の主役である。
ここで、少々戦場の状況について検証する必要があろう。
飛び道具を使った集団戦の時代以前は、現在の我々が思い描くほど悲惨なものではなかったということだ。
言い方が曖昧であったか? 実例をあげたほうがてっとり早い。

一例として、日本の戦国時代。
近隣の百姓杣人たちは戦があると聞くと、握り飯を持って集まりそれを見に来たという。
そして、勝敗が決するや、お決まりの落ち武者狩りである。
と、何がいいたいか? 戦時における非戦闘員というのは一方的な被害者というわけではない、ということだ。
それを刷り込んだところで、本稿俎上の遊び女たちを論じなければならなかったので、寄り道をした。

死に行く男たちは、最後に女を抱きたがる。
自らの生を残しておこうとする生物の雄共通の本能だ。
そんな彼らのニーズに応え、セックスの相手を引き受ける女性のことを下世話では『観音様』というらしい。

観音、観世音菩薩、玄奘三蔵の新訳では観自在菩薩…
原義アヴァロキティは、世の人々の音声を観じて、その苦悩から救済する菩薩である。
人々の姿に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相になるのであるが、この場合は人間の女性の姿である。
因みに英訳では the (Buddhist) Goddess of Mercy 、最初から女神と言われているこの観音様、死に臨んだ男性の目に映った本稿主役たちの姿である。

ここで、その Goddess of Mercy たる彼女らだ。
こちらの側の主観にたてば、営業活動の過程で性交渉しているだけ。
片や最後となる件の行為、片や明日以降も綿々と続けるであろう行為、あまりにも不平等な性の営みではなかろうか。
少なくても、この人たちは女神ではない。いや、それどころか。
女性側から(男性に)する屍姦とすら思えるのだ、ああ、彼女らの行為時の心理がである。

突拍子もないか?
けど、果たして彼女たちは、男たちから預かった生の証を胎内に育み世に生まれ出でされたか?
この客観的統計値をもって想定反論への反論としたい。

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アデーレ・シュトラウス − ワルツ王の"妻たち"に見る亭主操縦術

0939c18f.jpgワルツ王・ヨハン.シュトラウスUは、その生涯に3度の結婚をしたのであるが、最後の妻が表記の女性である。
いやいや、彼女自身は本ブログの話題になりそうな人物ではない。
悪女・悪妻というなら、夫を老いぼれよばわりして逐電した2番目の妻・アンジェリカあたりなのであるが。
実際ワルツ王は、アデーレ・ドイチェとの再婚により、幸せな晩年を送れたと伝えられる。

にも拘らず、何でアデーレを?
名前に聞き覚えがある方もあろう。そう、喜歌劇『こうもり』だ。
シュトラウス創作中の女性たちに被せるために、アデーレである必要があったのである。

喜歌劇『こうもり』のアデーレは妻ではなく、主人公家の小間使いになるのだが、それはそれで論の手順。
夜会で主人公アイゼンシュタインと顔をあわせ、その旨指摘された折の彼女は、持ち前の芝居っけで切り替えし逆に主人を嘲るのだ。
そんな甲斐あってが、シュトラウスの死後に創られたバレェのこうもりでは、アデーレは主人公ヨハンの妻であるベラに昇格する。

子供の世話に明け暮れ、疲れ気味の主婦ベラ。なのに夫のヨハンは毎夜のように、こうもりの翼を付けて夜遊びに出かけている。
そこでベラは友人のアドバイスを得て謎の美女に変身。夫が酒やダンスを楽しんでいるカフィへ向かう。
そして、変身したベラはカフェで、夫を含むカフェの男たち皆を誘惑する。変身前は長いドレスで隠している脚を惜しげなく披露し、つま先で「おいで、おいで」と。
女性の足に執着する男性心理を計算尽くした誘惑法、再三論じているとおりだ。

変身ということで、喜歌劇の方に話を戻す必要があろう。
前述の夜会にはアイゼンシュタインの妻・ロザリンデも仮面を付けて参加する。
自分の妻とも気づかず、熱心に口説く主人公… これが古典的なお笑いを誘うのであるが。

ここで、以前論じたアニマ論だ。
アニマ、男性の心に住まう『永遠の女性像』であった。唯一の女性像を求め続け、世の男性は多くの現実女性を求める。
女性の場合はこの正反対だ。即ち、永遠の男性像・アニムスは(一人の女性の心中に)複数存在する、だから一人の(現実)男性に回帰する結果となるのだ。
これが性差…
下世話にも、男は女房に似た女と浮気するいうが、シュトラウスの喜歌劇はこれを伝えてくれている。

結論。
男性を支配したいと欲する女性は、ともかく結婚すること。
ワルツ王の"妻たち"から学べる教訓である。

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整形願望者という自虐マゾヒストと願望に応える者たち

昨日来であろうか? とある有名人なる人物の娘が誘拐された事件が大きくメディアを賑わしているのは。
有名人子女の営利目的誘拐…
元祖ともいえるトニー谷の例に見るように、なぜか大体は被害者の方がバッシングを受けるようである。

件の池田某(正直、論者は彼女のことは知らなかった)も多分にもれず。
本論を展開するにおいて、先ず事件についての意見を述べる必要あるのであるが。
敢えて述べるまでもないようだ。下記がそっくりそのまま愚見となっているので、全文を掲げる。


  倫理欠くカリスマ美容医・美人女医を放置していいのか

【PJニュース 06月28日】− 「医師は、医業の尊厳と医師としての名誉を重んじ、患者や社会の信頼に応えるように努めなければならない。この名誉や信頼は、医学知識や技術だけでなく、誠実、礼節、品性、清潔、謙虚、良いマナーなどいくつかの美徳によって支えられ培われたものであり、・・・」。日本医師会の「医師の職業倫理指針」には、こう書かれている。

 女子大生誘拐事件と言われる事件で、誘拐された女性の母親、池田優子医師(杏林大医学部卒)が新聞テレビで取りざたされている。民放テレビ局の報道などによると、この母親は「カリスマ美容外科医」などとマスコミでもてはやされているそうだ。本人もまんざらではないらしく、テレビ番組に多数出演し、その実生活までテレビカメラを入り込ませて、東京の超高級住宅街にある豪華な自宅、所有するイタリア製超高級車のフェラーリや、娘に買い与えたベンツを撮影させるなど、奢侈(しゃし)なライフスタイルを誇らしげにしている。

 このことが、誘拐犯人の娘誘拐の動機になったらしい。犯人は雑誌から切り抜いたこの娘の顔写真を持っていたという。たぶん、犯人には「金持ちの道楽娘」という印象があったのだろう。犯人をかばう気はさらさら無い。だが、池田医師とその娘の生活を見れば、誘拐してくださいと言っているのと同然。この娘の捜索にかかった費用は国民の税金によってまかなわれていたことも知って欲しい。
  
 また、美人女医などといってテレビ番組に頻出する西川史子医師(聖マリアンナ医大卒)はテレビ番組などで「ブスは生きる価値なし」だとか、「年収4000万以上の男じゃないと付き合えない」などと、医師としての自覚に欠ける発言を繰り返している。この方は整形外科などが専門らしい。「らしい」と綴ったのは、ネットでこの西川医師を検索すると、専門分野よりも、「ミス日本」や「ホリプロ所属」が目に付くからだ。

 日本の医療費は高騰する一方だ。保険に入っていても3割も負担する時代になった。もし、こんな医者だか、芸能人だか分からぬ輩たちの贅沢三昧の暮らしの一部に、一般市民の税金や保険金が使われているとすれば、これは大問題だ。池田医師や西川医師に、品性や謙虚といった医師倫理があるのだろうか。そして、医業に専念せず、メディア露出ばかり考えているこの2人のような医師とは呼べないような医師を、なぜ、マスコミがもてはやすのか。

 マスコミ出演にうつつを抜かせるほど、医業は安易な専門職なのであろうか。こんな輩に命を預けるのかと思うとぞっとする。少なくとも、PJ自身はこんな医師らに診断されたくはないし、こんな医師らになけなしの収入から払った医療保険金を渡したくない。破たんの危機にある日本の医療制度を、こんな自堕落な医師のために崩壊させてはならない。

 PJの知人の医師らには、こんな医師は一人としていない。みな日夜患者を思い、裕福でないとは言わぬが、質素で謙虚な生活をしている。額に汗して患者の治療に当たる医師は、医師免許を売り物にしている芸能人をどう思っているのだろうか。

 さて、日本医師会はこの顛末にどう対応するのだろう。医師免許の国家試験の見直しや、医師免許更新制度の導入は必須である。倫理観の無い者は医師にさせない、医師にさせておかない。でなければ、高い税金と保険料を払っている一般市民の安心・安全な医療制度は望めない。【了】



さて、歴史を紐解くに、「医は算術」などと医療に対して正面切っての批判がなされるようになったのは、武見太郎の出現がきっかけであろう。
かの吉田茂に可愛がられた医師であり、ケンカ太郎、武見天皇、などという異名を取り数多くの旋風を巻き起こした彼の出現が。
別タイプで旋風を巻き起こしたのが、特州会・徳田虎雄。
ともに功罪あり、こうした個性派を巡る相克の甲斐あってか、現在の医療はよりよき方向に推移してきた(欲を言ったらきりがないにせよ)。
だからこそ、一部の不心得者の出現は恐ろしい。「蟻の一穴」、「悪貨が良貨を駆逐する」だ。

更に別の金言をあげれば、「需要あるところに供給あり」…
ここで、ようやく本稿本旨に入る。
本稿における主役は、そうした医師たちというよりもむしろ、彼ら彼女たちの患者たち、いや得意先の方である。

美容整形であるか?
相当(肉体的)痛みの伴うものですよ、と申し上げよう。
ここに過去投稿で論じた林郁夫の妻・林りらの執刀例がある。
ペーパードライバーならぬ、このペーパードクターは、オウム特別手配犯第一号である松本剛の整形手術を行った。
松本は逃走期間中、いや逮捕後もしばらく痛みと出血に苦しみ続けた。世に言うオウムウォッチャーたちですら、むごい話だと顔を顰めていたのだが。

さもありなん、顔面には神経と血管が集中している。
ちょっと腫れ物が出来ただけであれだけ痛む顔を刃物で切り刻んで無事で済もう筈がない。
いやはや、何らの疾病もなく命の危険もないのに、かかる手術をされることを積極的に望む人種があろうとは!
間違いなく自虐症、それも典型例であるといえる。

いやそれどころか。
自殺願望であるとすらいえよう。
「自分を変えてみませんか?」、はい、変えてしまえば別人、そもそもの自分は死んでしまうのである。
あるがままの自分に誇りを持とうではないか、論者が折りあるごとに訴え続けていることだ。
自らの肉体に改造を施されるのは、人間ではない『ヤプー』だけ…
奇書『家畜人ヤプー』の設定で駄目を押しておこう。

最後に、話を脇役に戻す。
医師というのはサディズムの有効利用に成功した人たちであるというのが、過去稿で論じてきた分析学上の学説であった。
どうも、池田某等は…

サディズムよりも遥かに遥かにたちの悪い変態性癖である「金銭至上主義者」に変質してしまったようである。


 注* 原記事投稿は6/28にされてます
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エドワード・ジェンナー − わが子を実験台に種痘を完成させたと伝えられる医師

47cf6d37.jpg本論に入る前に、前稿の補足をしよう。『池田某』ではなく『池田優子』と書ける程度までには調べてみたので。
彼女が資産家というのは誤り。ジェンナーが息子を実験台にしたと言うのと同レベルの誤り、唯の神話に過ぎぬ。
そもそも資産家とはなんぞや? 経済学に即して定義すれば、資産所得により生計を立てている者である。
池田のみに限らず、医師というのは須らく資産家ではない。押しも押されぬ労働者である。労働階級、無産階級だ。
資産家と言うのは、職業欄に地主と書くような人たち、そして彼女は自ら「時給〜」とエムプロイーたる己を吹聴して回っている人物… そうした意味でのやっかみは不用と思料する。
広げれば、昭和以降における労働での蓄財など全くとるに足らないものだ。

「どこからどこまで人の土地を踏まずにいけた」

古き佳き時代の、こんな資産家が現代にいたとしたら、SM観はどうなるか?
例のマゾ男性向けSM創作短編集に一本アップロードしておいたことを、遅ればせながら案内し本論に入る。

さてさて、医師は医師でも18世紀は英国の田舎医者が本稿主役である。
後に天然痘撲滅で大偉人となるジェンナー。
そうか、わが子で実験したというのは誤りなのか?
いや、どうも論者には『誤り』であるとする記述が『誤りである』と言っているようには読めないのであるが。というのは「臨床実験の過程で息子に種痘している」と書かれているので。
従って便宜上、副題のごとく論を進めるので、違和感ある向きは適宜読み替えられたい。

とまれ、ジェンナーが天然痘撲滅の大偉人であるという事実は動かしがたい。間違ってもこれにケチをつけようという趣旨ではない。
だが、医療の発見発明のためには臨床実験が不可欠になるというのまた事実、性質上その実験に人命に拘るリスクを伴うということもまた動かしがたい事実なのである。

ここに安倍英という20世紀の医師がいる。彼は安全性が確認されないエイズ治療薬投与のために殺人罪で訴えられた。
この二医師が行った医療行為の間にどのような差異がある?
片や成功、片や失敗、これは結果である。結果でなく行為自体にどのような差異があるのか? と問うている。

念には念をと言うことで繰り返すが、ジェンナーの功績にケチを付けたいわけでもなければ、司法における安部の無罪判決の積極支持が目的でもない。
両者の行為には(本質的)差異がないと言いたいのだ。

結果であるか?
雷の中で凧をあげたフランクリン。
感電死しなかったのが不思議なくらいであろう?
事実同じことをやって殉職した科学者もいることだし。
科学進歩のためには、危険が伴うのだ。また、失敗は成功の母である。
リスクを冒して進みたいと思うもよし、命あっての物種と自重するもよし、それはそれぞれの哲学次第だ。

で、愈愈核心の部分に入る。
リスクを冒し進んだジェンナーの心理である。
ここで肝心なのはケースの場合、死の危険に晒されたのは他者の命…
お分かりであろう? 医術とは人の持つサディズムの利用法の一、将しくその顕例であるので俎上にあげた。

しかも、この他者の中に自分の子供も入っているのだ。
まあ、獣であっても原則自分の身を犠牲にしても子供を守ろうとするのが本能、繰り返しているとおりなのだが。
彼の行為は少なくても、歴史をその場に戻し当時の価値観ではかれば倫理に反するもの、いや、(臨床実験に成功したことが広く知れ渡っている)現代においてすらも変態のレッテルは貼ってしかるべきであろう。
安全性の確認できていない新薬の臨床実験のために、わが子と他人様の子を使ったのだから。

こうして世に名前を残した人物というのは、一人の例外もなく変態なのである、という高橋説。


---------------------------------------------------------------------------------------------------------------【御転婆天地驚動組合】
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死の本能

殺人 〜究極にして最も純然たるサディズム …
つい先だって、6月20日の投稿である。
その後も起きること、起きること!
奈良・田原本の放火殺人、大阪の学生グループによる岡山での生き埋め殺人、そして香川の…

何ゆえに、かくもまた?
思えば、人が死について学習する機会が少なくなってしまったのが起因しているように思料する。
死についての実感がないので歯止めがなく、人を死にいたらしむるということだ。

論者自身もまた、臍の緒切ってこのかた目の前で人が死ぬのを見たことがない一人だ。
別に驚くには足りまい。論者の両親ですら同様なのであるから。
我が家において、この体験があるのは戦争を体験した祖父母の世代となる。
これが原始以来つい近代までの期間においては、全く事情が異なる。

すなわち人は、幼児期より身近な人間の死を目の当たりにする機会を有していた。
兄弟姉妹が死ぬ、(当然のこととして同居している)祖父母が死ぬ… それを実感する。
我の事情に彼の例を当てはめるのも何であるのであるが、メーテルリンクの戯曲『青い鳥』を読めば、そこらの事情は分かるであろう。
兄チルチルは自らの体験から妹ミチルに死というもの概念を正確に説明している。
が、論者、いや、両親すらもそれが出来ぬ現代なのだ。
多産多死人口構成の変化、核家族化、医療の進歩等々理由は多々あるのだが、ともかく事実として死というものを知る機会がなくなってしまったのである。

人間のみに限らず、ありとあらゆる生物には『死の本能』というのがある。
実はこの『死の本能』、大いにSMと関係がある、というよりそのものなのであるのだが、ここでの詳述は割愛して結びに続けよう。
本能のみが先走り学習する機会がなくなって来たとなれば、昨今凶悪事件に見るような歪んだ形での『死の本能』発露も無理からぬことではないのだろうか?
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日野富子 − 戦国へのプレリュードを奏でた室町の悪女

392ca5b8.jpg日本史における大物役者の割には注目度の低い女性だ。
ネット検索をかけても得られる情報は、大河ドラマで富子を演じた三田佳子のトピックスが大半、別の意味での大物役者のイメージに取り付かれる。
改めて紹介するに、室町幕府8代将軍足利義政の正室である。

ご存知のとおり義政というのは腐敗政治家の代表格、その正室して取りうる行動はいくつかの選択肢に絞られる。
して、彼女の意思決定は?
結論を言えば、富子という女性は中国三大悪女のパターンに非常に近いタイプだ。
即ち、政治に興味を示さない夫に代わって幕政に深くかかわって影響力を行使する、だが、自分が矢面に立つわけでなく、ちゃんと防波堤めいた人物を間に立てる。
ある意味、自らが尼将軍となった北条政子よりも賢いやり方かもしれない。

そして、サディズムであるか。
勿論、彼女も血を流した。お決まりの側室粛清。
まあ、お決まりである。
それよりも…
副題に掲げたごとくの行動の方が罪深いといえるであろう。即ち、管領の力を高め、唯でさえ分権型組織である室町幕府の屋台骨を危うくしたのは、他ならぬ富子なのである。
言うまでもなく彼女一人が悪いわけではない。だが応仁の乱に端を発し、家康により漸く終結する戦国時代の間に流れた血は、如何ばかりの量であろう?
掛け算である。今ひとつの乗数は、蓄財に励んだこの女性の私利私欲度。
日野富子という女性は、日本史上屈指の流血女王と言っても大きくは外れないのではないか?

戦国時代であるか。隣国中国にもあった。
だが、こちらの方はイエスキリストが生まれる前の時代だ。
我彼の年代の差分だけ、我が国の戦国時代は血の匂いが生々しい。

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孫夫人 (中国・三国)  − 三国志主役二人をきりきり舞させた弓腰姫

0510015b.jpg孫尚香というのは演劇上の名前であるようだ。
昔の女性にありがなことで、この女性もまた本名は不明である。
でも彼女に限ってはそれでも十分であろう。何せ孫権の妹であり、劉備の夫人なのであるから。

弓腰姫…
非常に武術に長けた女性であったという記載は、どの記録にも共通だ。
そして気性も激しい、そのせいで当時としてはとうがたった年齢である23歳までは縁がなかった。
縁あって劉備玄徳の後妻に納まる彼女、政略結婚である。
まあ、女傑嫌いの作者・羅貫中により演義では、つまらない人物、下世話な言い方をすれば体育会系バカに描かれる孫夫人であるのだが…
論者が見る限り、そんな人物には読めない。そこで本稿副題があるのだが…
少なくとも、後世日本の類似事例、家康後妻となった太閤秀吉の妹・旭姫とは天地の差がある。
同じ創作でも、より史実に近い形に検証して書かれている陳舜臣・秘本三国志あたりでは、彼女登場の場面は以下の如しだ。

周瑜より政略結婚を献策された孫権は、腹の皮をよじって笑い転げる。
「アレをか? 玄徳もさぞや手を焼くことだろうて」
瑜に窘められた権は妹を訪ね、嫁にいかぬかと持ちかけるのであるが、彼女の反応はこうだ。

「誰? 兄さんの部下なら御免だわ。だって謀反でも起こさない限り、兄さんより偉くなれないんだもん」
「ははは、違うよ。ちょっと年はとってるんだがな」
「どうやら劉備玄徳のようね。面白いじゃない」
「ほう… どうしてだい?」
「兄さんと劉備はいっしょに荊州を攻めたじゃない? 土地は兄さんの方が余分にとったかもしれないけど、人は皆、劉備についていっちゃったじゃないの。どんな男だか興味ある」

…絶対口にしてはいけない言葉だ。勿論後のほう。
兄がそれこそ命がけでしてのけた荊州攻略を全面否定してしまってる。人間の存在価値自体をぶち壊しているとでもいえばよいか?
偶々孫権が大笑いの直後だったからよかったものの、当時かの地の世間相場に照らせばその場で斬り殺されても文句が言えないところだ。
しかも、(政略のための重要駒であるから)絶対に斬り殺されるないと計算しての発言であることが小面憎い。
兄妹だから許される『兄いじめ』といったところであろう。

繰り返すが、論者もまた兄二人を持つ末妹…
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ゲルマン神話の創造者たち A − 雷神トールの敗北

4fa50e0e.gif北欧神話は一月前に取り上げたか。奇しくも前回と同じく、付属マゾ男性向けSM創作短編集のリンク元解析より寄稿をおもいたった。
即ち。
女子の相撲に関する関心が非常に高いようなのである。
これが、所謂MFファンということになると…
男女が肉体をぶつけ合い万人の目に勝敗が明らかに映る方法での直接対決をする、とのことでそれなりの人気があるのであろう。
まあ残念ながら、『ガールズ ビーツ ボーイズ』のSM性 の稿で結論付けたごとく、(一義的には)SMというわけではない。特に女性側の心裏は。
とはいうものの、かの神話一の勇者トールが女と相撲をとって負けたという逸話は一稿裂くだけの価値はあろう。
論を進めよう。

言いかけたように、雷神トールというのはゲルマン神話一の勇者猛者である。
日本神話で言えばスサノオ、中国四大奇書の世界なら西遊記の孫悟空、三国志の張飛、水滸伝の魯智深あたりに相当する暴れん坊である。
彼が巨人族その他と闘い、これを打つ負かしたエピソードは枚挙に暇がなし。
が、唯一…

ヨトゥンヘイム(巨人の国)訪問の折のトールは負け続け。
全てのコンペティションで悉く負け続ける。
極め付けが彼が最も得意とする腕力勝負、なんと最後の最後トールはエリという女性との相撲勝負において完敗を喫するのである。
ゲルマンの神話創部らしい徹底的な破壊・汚涜と言えよう。
経緯を掻い摘もうか。

この折の、巨人の王ウトガルド=ロキはトールら一行を(表面上は)友好的に迎える。
よって先ほどコンペティションと表現した。早食い競争、かけっこ、当初は歓待のための余興のようなところから始まった。
あるであろう? 負けているうちに段々熱くなってくるということが。
主人ウトガルド=ロキは決して勝ち誇らなかった。だが、これが…
嘲られるよりも、勝ち誇られるほうが、勝ち誇られるよりも、憐れまれるほうが、より腹がたつであろう?

事実トールも自らが酒の飲み比べに負け、更には彼の飼い猫を持ち上げることも出来ず、
「お前さんはいい飲み手だ。だが仕方ない。その体格(つまり彼らは巨人)では」
と同情され完全にきれた。

「小さくても負けはせぬぞ! (巨人の誰かと)直に戦わせろ!!」

やめとけ、やめとけ、怪我するから、という感じか?
巨人王が雷神の対戦相手に選んだのは、ヨポヨポの老婆であった。
…論者・別ブログばりの悪戯演出であったか?
でも、相撲の対戦相手とすれば、これほどの格下もなかろうて。
そして、雷神トールはエリというこの老婆をピクリとも動かすことが出来ないのである。
いくら力をこめてもこめても。ジリジリ押されたトールはついに力つき片ひざをついてしまう。

「勝負あった!」の一声。
ここでノーサイドとなった主客は晩餐をともにすることになるのだが。

翌朝別れ際、ウトガルド=ロキは種明かしをする。全ては彼の魔法…
まあ、どの対戦相手も絶対に勝てない相手であったのである。例えばこの老婆は「時」であった。
どんな屈強の戦士でも時とともに老いてしまう。老いには勝てるわけがないのだ。
訳書によっては直接『老醜』としている本もある。

一方『時代』『時の流れ』と訳しているそれも少なくない。
どんな英傑であっても歴史の流れに抗うことができない…
本論説ブログの一貫した結論と一致する。
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松本麗華 (宗教名 アーチャリー) − 一世を風靡した麻原彰晃三女

384188e0.JPG迂闊であった。
オウム真理教を取り上げながら、この女性を俎上にあげるのを忘れているではないか!
今を去ること十年ほど前、彼女が警視庁前で暴れていたのを論者ははっきり記憶している。(噂どおりの)おっかないお姉さん… 忘れるものではない。

最上御前で触れたように彼女は、兄弟のなかではっきり贔屓されていた。
アーチャリーというが正式には、『アジタナーター・ウマー・パールヴァティー・アーチャリー正大師』である。
ここで、ヒンドゥーの神々について触れておく必要があろう。

この神話の神々の特徴は、同じ神が色々な姿、化身で現れると言うことである。
主神シヴァもそうであるのだが、ここでの説明はその后である。
幾つかの姿を持つシヴァ后も『カーリー』『ドゥールガー』『ウマー』『パールヴァティー』、まあ他にもあるのだが、ここらの姿で現れる。
前二つは魔物と闘う女戦士のときの姿、後の二つは美しく優しい女神のときの姿。
松本麗華の二人の姉は、それぞれドゥールガー、カーリーという宗教名であった。
一方彼女は、いいほう2つを占有、この一事をもってしてもきょうだい内での優遇ぶりが伺えよう。
しかるに伝え聞く乱暴振りは…

・大人の信者を角材で打ち据える
・すぐ上の姉に殴る蹴るの暴行
・幼児の上腕部をフォークでえぐる
・同年代の子供を四つんばいにさせ、腹を思いっきり蹴飛ばす

ざっとまとめてみただけでもこれだけある。
いやはや…
これは原始仏教ならぬ原始サディズムの顕例ではないか?

まあリーク情報には、教団をよく思わないものの嫉みも加味されているのではあろうが。
どこまでが真実で、どこからが脚色か?
答えは藪の中。

だからこそ上述は、もはや歴史上の出来事である。

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ヒンドゥー神話の創造者たち − 女神カーリーにみるFem-Dom観

ef06296e.jpg女神カーリーは、松本麗華の稿で論及んだとおり、シヴァの后の魔物と闘うときの姿である。
カーリーとは『黒ちゃん』と言う意味、CGの如き4本腕の異形の姿である後も拘らず、現在もインドでは人気の高い女神である。カルカッタという地名があろう? これはカーリーカート、カーリーの沐場という意味だ。
本稿は、カーリー神話を俎上に論を展開する。

彼女が魔物と闘ったとき…
斬っても斬っても血が大地に滴り落ちるたびに、その一滴一滴がまた魔物となって女神に撃ちかかる。
そこでカーリーは魔物の血を飲み干し再生を防ぎ、勝利するのだ。
そして、勝利宣言… 斬りおとした生首を掲げ彼女はダンスを始める。

踊る、踊る。
勝利に酔いしれた女神は踊り狂う。
そのために大地がグラグラと揺れだした。
慌てた夫・シヴァは止めに入るのであるが、トランス状態となっている后の目にはその姿が目に入らない。
女神は衣類がはだけ殆ど素っ裸になった姿で、夫を踏みつけながら踊り続けるのである。

と、これがカーリーに関する神話なのであるが、如何であろう?
本サイトの研究課題である女性のサディズムが、生々しくも艶かしく描かれているであろう。

それを生み出したアーリア人は、ご存知、インド・ヨーロッパ語族に属する征服民族である。
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唇歯の関係たる視姦と露出

孫夫人の稿の、その後から入ろう。

かくして劉備に輿入れした弓腰姫、初夜の寝室の周りに女侍を配置し聞き耳を立てる不心得者を見張らせるのである。
蜀人の名誉のために補足せねばならないだろう。かの時代、かの国には、新婚夫婦の寝所を取り囲み聞き耳をたてる風習があったのである。
緞帳ひとつ隔てただけの場所、ちょっと物音たてただけで丸聞こえ…
随分とまた、奇妙な風習があったものだ。
他にも中国には、つい近代に至るまで種々の嫁いびりの風習があったようなのだが、そこには至らず論を続けよう。

いうまでもなく、この奇習を裏打ちするのは窃視願望、平たくいえば覗き心理である。
そしてそれが病的なものになると視姦症、早田夫人の稿で論じたとおりだ。
これは男性固有の症状? の問いの回答は後ほどするとして、先ずは高橋鐵『アブノーマル』を引用しよう。

同書によれば、この視姦症も有効利用可能であり、その利用例として、
原子学者・細菌学者・天文学者・写真家・美術家・映画監督・撮影現像関係者・婦人科医・時計その他の機械製造および修理者
等々の職業を、視姦者風の作家として、
永井荷風・舟橋聖一・江戸川乱歩・瀬戸内晴美(寂聴)・曾根綾子
らを上げている。

参考までに反対の露出症者は、芸術家(美術・文学点演劇舞踏・芸能など)・出版業者・政治家・商品製造者等々。
示唆的に言えば、吉井勇・坂口安吾・太宰治・石坂洋次郎・斉藤茂吉・三島由紀夫・石原慎太郎らの創作態度がこれに属する、としている。

さて、先ほどの問いの回答を示すか。
なにが、男性固有の症状であるものか!
おかみさん達の井戸端会議を考えるとよい。世界共通の現象であろう?
そして、それがニューメディアに発展したのが、週刊誌・テレビワイドショー…
ここでも、窃視願望者との露出症者との需給が一致した一大商戦が繰り広げられている。
いわずもがな、ここにおける担い手もまた主として女性である。

そういえば、未だ分析に至る以前に下火となってしまった畠山鈴香。
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視姦と露出、ネットにおいては?

さて、論者が住まいするのはネット巷間。
それを踏まえたところで前投稿を続けるのならである。
窃視願望の職業化に、IT関係の幾つかの職業を加えるべきであろう。
即ち、Blog運営会社スタッフ・掲示板サイト主催者・アクセス解析開発者などがそれだ。

逆に「ブロガーとは露出症者」、これは言わずもがなの常套句である。
日記などという人に見せるべき性質にないものを全世界不特定多数の閲覧のように供するのであるから。
勿論否定はしない。が、果たして一方的にピーピングされるだけの存在なのか?
お分かりであろう、NOだ。
アクセス解析でちゃっかりこちらもピーピングしているのである。

このアクセス解析というのは非常に面白い。人が潜在的に或いは顕在的にもつ窃視願望を適えてくれる。
だからこそ論者は深みにはまらぬよう、精々アクセス数の解析だけにとどめているのだが。
こんなことがあった。

あるブログの記事である。
「オランダからのアクセスがあった。一体(オランダの人たちは)何語でこの記事を読んでいるのだろう?」
論者はそれを読み、「水を挿すようですけど、それってただオランダからのアクセスを示しているだけじゃ」とコメント。
ああ、そうか、の笑い話となった、このサイトは健全だ。
世の中には、ここで引けない面々も少なくないのである。

スパイウェアを仕込む、アクセス機器にハッキングする…
あらゆる方法で訪問者を裸にしなければ納まらないようになったら、これは病的であろう。
注意願いたい。論者は倫理や法規に照らしてこれを言っているのではない。
そのようなことをしても訪問者の個人属性など判りはしない、ということも見失うほどに熱中するのが病的である、と言っているのだ。
手段と目的が倒錯した立派な変態性向たる視姦症である。

まあ、種明かしするのも馬鹿馬鹿しいことなのであるが…
違法手段まで駆使して判明するのは発信機器であり、精々またプロバイダ契約者。
決して(そもそも知りたがっている)訪問者たる発信者ではないのである。

いわゆる異常性癖は有効利用可能であり、また先祖返りの危機もはらむ。
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池田亀太郎 − 窃視趣味『出歯亀』の語源となった植木職人

f8b88979.jpg彼が若妻殺人の真犯人であったか否かはここでは論じまい。
あくまでも出歯の亀吉の窃視願望のみを論ずることとしよう。

彼は女湯の覗きの常習者と伝えられる。
病膏肓で視姦症。述べてきたように、ここで倒錯がおこる。
即ち、性対象を覗くことにより十分に性的満足が達せられるようになり、対象と性行為に至る必要性がなくなるのである。
そういった意味で、窃視願望が講じた結果、強姦に至ったと言う法廷調書は合理性に乏しいといえる。
方向性とすれば、従来衣服を着けない状態を覗いていたものが、やがては何を覗いても満足を得られるようになる、通常の心理態度から遠ざかっていくのが多数例であろう。

実は論者にも少々嫌な思い出がある。
小学校のころであろうか? 木造の離れの雨戸に穴が開けられるという事件が起こった。
最初は虫か何かの仕業と思っていたのだが、どうも不自然だ。いぶかっているうちに警察が覗き事件の犯人を検挙したという情報を得た。
なんと、それなりの地位のある人物だったのである。
断っておくが、論者宅の被害は、離れの雨戸だ。穴をあけて覗いたとしても、女の裸体を覗けるわけではないのである。
つまり、この犯人氏、ともかく覗けさえすれば視野に何が飛び込んできても満足だったのであろう。
もし、これが浴室であったら、さぞやトラウマとなって残っていたことであろう。今思い出してもぞっとする。

と、ここまでは序論である。
実は本稿で論じたいのは、(裸体を)見られる側の女性の心理だ。
論者は先ほど、もし入浴を除かれたとしたらトラウマとなって残るほどの嫌悪感を催すと言った。
全く、そのとおり、一片の偽りもない。劣情を持って他人のあられもない姿と覗き見るなどという行為は破廉恥極まりないことだ。そのような行為をする男は、同じ人間として心から軽蔑をする。
だが、一方…

トップレスビーチの女性たち の稿において論者は、男女同部屋着替えに抵抗がないとも発言している。
それどころか、(合宿や修学旅行の際)混浴しても構わないとすら思っていた。
はしょったか? 順を追おう。

我が母校は伝統校だ。先輩たちの修学旅行のエピソードも多々ある。
まあ、公立校の修学旅行だ。その予算で泊まれる温泉宿の設備など押して知るべし。
(今では考えられないことだが、)その昔は、男湯女湯の別がないところに泊まることも少なくなかったとか。
で、いざ混浴風呂を前にしたとき…
平気で入るのは、むしろ女子の方なのだ。男子は大概部屋に篭ったっきり。
ある学年のときは、気の毒がった女子がいっしょに入ろうよと男子を誘いに行ったとか。

旅行のオリエンテーションでこのエピソードを聞かされたとき、自分たちも件の先輩たちと同じ行動をとるだろうな、との結論に至ったのが論者を含むところの女子班であったのである。
風呂に入るときは裸になる必然性がある。同じ異性に裸を晒すのであっても、劣情を持って覗かれるのとは天地ほどの差があるのだから…

これもまた本音。今でも混浴OKと思っている論者だ。
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シャルル・ペロー − かの童話作家にみる17世紀欧州・サド花流考察

921a3354.jpg青髭でもよかった。
或いは、ペロー自身でも。
だが、ここは最も著名な赤頭巾の童話で論を進めるとする。

過去数回論じているように、よくよく読めば童話とは非常に残酷なものである。
とりわけ肉食人種主流のヨーロッパにおけるそれは。
殺したり殺されたり、食べたり食べられたり。
赤頭巾もその例外ではない。

先ずは、ヒロイン赤頭巾自身が生還できるというストーリーは、後の世のグリム兄弟の加筆によるものであることはご存知か?
ペローのそれも含め以前に書かれた赤頭巾においては全て、彼女は狼に食べられてしまいました、でエンドである。
もっともグリムの生還ストーリーにしても、狼の腹を裂くなどという残酷な話であるのだが。

幾つかそのほかにも。
赤頭巾が騙されて、おばあさんの血と肉をワインと干し肉として食べるシーン…
我が国のかちかち山にもある、このシーンはペローが削除したようだ。
同じく、ヒロインが一枚一枚服を脱いでは暖炉に放り込むというシーンも。
まあ、サロンの女性たちに読ませるために書かれたものである故、生々しい民話どおりにはできなかったのであろうが。
逆算的にいうなら一事が万事、中世欧州の民話伝話というのは非常に残酷なものであったという証である。

それにしても、何故に子供向けに残酷憚が語り継がれてきたのであろう?
赤頭巾のことで言うなら、その使用目的は戒め。
思えば。
かの地の母親たちは娘が年頃になると、この話を聞かせたのであろう。
軽々に知らない男について行くと、こんな目にあうのよ、用心、用心、と。

童話が神話と化してしまった現代IT社会に、ご用心。
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


趙群の母 (前漢) − 孟母に比肩する? 紀元前中国の教育ママ

8c99c9a6.gifさて昨今の社会情勢であるが。
相も変わらず親子の確執に起因する刑事事件が多発している。痛ましいことだ。
ジャーナリズムは、これを教育の問題であると位置づける。「子供の"将来"を云々」と。

だが、言わせれば。
そんな大仰な言葉が必要なのであろうか? これは単に『学校の問題』と標記すべきと思料する。
そう、精々人が学校の庇護下にある、人生4分の一分程度の期間にしか効をなさない問題に過ぎない…
と、言われ続け育てられてきた論者は、すっかりその考えだ。これが幸か不幸かは、まあ、残りの4分の三で検証できることだから、ここでは論を波及させまい。

少なくても、殺し合いをするまで拗らせるのは愚のきわみであることには論はなかろう?
まあ、奈良の事件こそ男親がシテであったものの、大半のこの手の事件は女親がキーパーソンだ。
女性は、頭と子宮を二心とする楕円思考をする… 山田みつ子の稿であった。

論は転じて紀元前150年のころの大陸。趙群の父・趙属は一代で財をなした人物だ。
彼が成金となったのは酒類の製造が悉くあたったからである。とりわけ夏の清涼飲料。
そうなると、妻、すなわち趙群の母は、人が変わる。成り上がり者のおかみさん−虚栄心の塊のような女となる。
かつては夫とともに埃まみれとなり働いていた彼女は、さっぱり額に汗することもなくなり、ただ着飾ってばかりいるようになった。
そして、子供に題目のように聞かせる。「お前は誰にも負けない子だよ」と。

そんな彼女が唯一した店の仕事が、清涼飲料の配達であった。
子である趙群を伴い、上得意である有力者連中を訪う。
そう、この時代に清涼飲料などを飲することができるのは有力者くらい。
とびきり上等なお客には手土産を持参することもある。そして、

「これは私の息子です、宜しく」

これが肝心。
趙群は母に尋ねた。売上代金よりも高価な土産を持っていくのは何故か、と。
いや、母親の魂胆など承知のうえで意地悪く聞いたのである。彼は、こんなことをする母親が好きではなかった。

さてさて、英才教育の甲斐あって、かの息子は…
長じて、後世に名を残す侠徒となるのである。

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阿部進 − カバゴン vs ママゴン 二大怪獣激闘に考察する漫画文化論

63cc3467.jpg女性の持つ攻撃性を母親の支配欲に投影し、教育ママについて論じた前稿である。
ブログ趣旨とは離れつつあるも、続けることとしよう。

そもそも教育ママなる言葉は、戦後日本の産物であろう。
下敷きとすれば、進駐軍の持ち込んだデモクラシー。
これが日本固有の精神主義と結びつき、「人間は誰しも平等に機会を有する、だから刻苦勉励すべし」
という思想となる。
事実これをスローガンに日本は奇跡的な復興を遂げた。
そして「もはや戦後ではない」とまで言われるようにまでなると、余裕が出来、虚栄心が目覚める。
前稿ヒロインと全く同じ心理で生まれてきたのが、教育ママなる人種と言えよう。

噛ませ犬と言ったら語弊があるかもしれないが、かかる(学校)教育法に一石を投ずる、という持論を引っさげメディアに現れいでたる教育評論家が、本稿の阿部進、愛称カバゴンである。
昭和40年前後であろうか? はからずも世は怪獣ブーム、それに擬えた副題のごとき形容がされた。
で、彼の業績のうち本ブログとしてスポットライトをあてるのは、漫画普及の功績である。
人は(漫画普及の)功労者として、ときわ荘の漫画家たちを思い浮かべる。が、教育畑の人間の推挙なくしては文化として市民権を得るまでには至らなかったと思料する。

「漫画なんか読んでないで勉強しなさい!」
教育ママの常套句以前にである。
未だ父親の地位が健在であるころは、先ず男親からゲンコを食った。
であるからして、子供たちは隠れて漫画を読んでいたものだ。(見て見ぬふりはあるにせよ)
それが、教育者のお墨付きの下、堂々読めるようになったのである。
ある意味、文化革命と言っても過言ではない。

ないのであるが… と続けるのが論者の常套、本稿も同じくである。
先に出してしまえば、今となってみれば、やはり漫画とは隠れて読むべき性質のものであった、というのが論者の結論だ。
何事にあれ、一旦権威権力を有してしまったものは必ず堕落する。
実のところ、これは昨日某所できつめのコメントをしたこと(の続編)なのであるが…

某所で糾弾したのは、大手出版漫画担当の特権意識である。集英社…
集英社といえば、何回か俎上にあげている弓月光や一条ゆかり、土田よしこらが執筆していた『りぼん』を抱える、少女マンガ名門中の名門だった。
それが、今の現場の面々の鼻持ちならない言動は!
将に水滸伝の舞台となる中国宋代の腐敗役人そのものにも似る。
断っておくが論者は、掲示板サイトの情報を鵜呑みにして批判をしているのではない。
全て検証済みの情報にて発言していることを付け加えておこう。

そういった感情を全て別にしても、漫画というのは褒められた媒体ではないと思える。
詩・小説、絵画…
文中絵あり、絵中文あり…
文字なら文字、絵なら絵で表現するべきなところを、両方使うのは反則にして掟破りと考えるのだ。
それでいて、俳画のように相乗効果めいたものは特に感じられない。

ここで注しておくべきか。
論者の頭にある漫画とは、原点であるポンチ絵、一枚もの漫画ではない。ストーリーものといわれる冗長なやつだ。
現代漫画の主流である劇画、漫画なのに笑えもしないあれは一体何なのか!?
一口で言えば、物心両面での無駄遣いといえる。

具体的に言おう。
横山三国志、実に六十余巻。
文庫本にすればたったの8冊の吉川英治三国志がここまで膨れ上がってしまった。(それも割愛箇所多々)
逆のケースをあげれば、手塚治虫『火の鳥』のノベライズがあろう。
失礼ながら大したことのない物書きの人たちが、手塚ライフワークと言われる漫画をうまく文章にまとめてくれている。
これが力ある作家ならば、作者意図を一冊にまとめあげてくれるかもしれない。
世界的な画家なら一枚の絵にも…
いずれにせよ、シリアスな場面でひょうたんづきが降って来るとか、「川上タケルの巨人クマソ」とかいうような直ぐに陳腐化するギャグだとか、頼朝義経兄弟に電話会話させて笑いをとりにいくだとかいったの演出をせずとも、意図は伝わるのである。

冗長メディアとでも表現したらよいであろうか? こうした漫画の宿命たる『両面無駄遣い』のために、伝え手の表現力は伸びない。
そして、受け手の鑑賞力はいつまでたっても鍛えられないのである。お仕着せメディアの代表例。
言ってみれば漫画風情が大ヅラをこくことにより、いつまでもいつまでも離乳食ばかりで通常の食物を摂取できない成人のごとき人間を育ててしまうのだ。

恥の文化… 「ネクタイしめた大人が電車の中でマンガ本広げている日本」

さて、江川ヤプーと呼ばれる、家畜人ヤプーの漫画化が継続している。
一体あれは何巻までいくことやら?


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      【資料】
タグ:http://blog.livedoor.jp/fem_dom_2006/ サディズムに花束を! サディズム 教育ママ 阿部進 カバゴン 怪獣 漫画 ときわ荘 集英社 集英社の鼻持ちならない言動 りぼん 弓月光 一条ゆかり 土田よしこ 水滸伝 三国志 横山三国志 吉川英治 手塚治虫 火の鳥 恥の文化 家畜人ヤプー 団鬼六 デモクラシー 攻撃性 ブログ 母親 非合理な母親 進駐軍 精神主義 刻苦勉励 スローガン 復興 もはや戦後ではない ヒロイン 怪獣ブーム マンガ 教育者 文化革命 ポンチ絵 川上 巨人 コミケ 江川達也 マンガ本 著作物 地下サイト 管理人 パクリ 漫画家 伊藤一蔵 UU 食い物 狐と狸の化かしあい 狐と狸 SM 北川繚子 女郎様 風俗店 コンパニオン 女郎 女王様 女王 無恥 末世 ラッシャー三好 銭湯 高速道路 マジックミラー エロ本 ビニ本 破廉恥 記事 経営者 文化人 三つ子の魂百まで このごろ都にはやるもの 奇譚クラブ フェティッシュ イベント 美学 毛を吹いて傷を求む 同人 同人誌 川柳 麗羅 レイラ 三山のぼる 山田ゴメス 北川プロ 美味しんぼ 課長島耕作 山口六平太 奴隷 M男 射精 マニア ビジネスジャンプ 著作権 小学館 秋田書店 講談社 武士道 菊と刀 ルース・ベネディクト 価値観 美意識 正義 名誉 世間体 罪の意識 ダ・ヴィンチコード 鞭打ち 宗教的 戒律 折檻 携帯電話 携帯 高度経済成長 戦後 道徳観 西洋風 SM観 韓国 カルト 朝鮮 れっど&ひひる 教祖 広告塔 チョン・ミョンソク 少女漫画家 鄭明析 摂理 東京都千代田区一ツ橋2−5−10 山下秀樹 有限会社コミケット 米沢嘉博 ラッシャーみよし カルトの巣窟・集英社漫画担当 トキワ荘 漫画的 藤井真也 小畑健 捏造本 キョウコ女王様 山崎早智子(蝶々)& 藤井真也 出版業界の恥さらし犯罪カポー 山崎早智子(蝶々) 蝶々 山崎早智子 キョウコ chochochan 株式会社集英社 gooブログ goo
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平田恵里香 − 『くまぇり』の名で自らの全てをネット露出した放火魔ブロガー

6512f552.JPG今この瞬間は、瞬時にして過去となる。
かの会田美喜のことも畠山鈴香のことも、そのようにして過ぎ去った。
そして、また歴史には新たなページが書き加えられる。
而して本稿がある。事情で消された彼女のサイトが未だ検索キャッシュで拾えてしまえるくらいに近しき過去の出来事である。

奇しくも、「ブロガーとは露出症者」と論じたばかりだ。
芸能関係者とは露出症を高度に発展させ職業化したものであるということも。
タレント志望である平田恵里香の、ネットにおける露出はそれ自体は問題はない。
職業として目指したものも正解だ。
だが露出したものが許されざるものだった。
自ら犯した放火(の仄めかし)、そしてその裏にある彼女の性向…
八百屋お七の稿で論じたことそのものであるが故に結論のみにとどめよう。
放火マニア、汚涜症の一種にして、大元の括りはサディズム…

自ら投稿ジャーナリズム各位。
「ついにここまできたか」の論調は正しい。
だからこそ、「夢に行き詰まりストレスが溜まり…」の出来合い結論で片付けるのはやめて欲しいのだ。
ストレスが溜まった人間のうち一体が何人が、火付けをしたというのか?
事件を起こした彼女の心裏を掘り下げ、この切り口から、一人の女性の暴発したサディズムが惹起した社会不安を報道しなければウソであろう。
今でこそ軽く見られがちなもののかつては人殺しより重い、問答無用で火あぶりの刑に処せられた犯罪なのである。

そして、ネット関係だ。
彼女は積極的に露出した。こうして顔写真が意図も容易に入手できてしまう。
この恐ろしさだ。
仮に平田が罪を償い戻ってきたとしても、彼女の顔は広く知れ渡るところになっているのである。
「便利イコール危険」、ネット関係従事者は言うべきこの言葉を、なかなか発せようとしたがらない。

論者が代行する。
「ネット上に軽々しく顔写真を晒したら、取り返しのつかないことになりかねませんよ」

 注* 2枚のCGのうち下のほう及び下記資料は、7/11に投稿された原文にはありません。

その1  その2  その3  その4  その5  その6  YouTube  番外




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『サディズムの先祖返り』と『犯罪適齢期』

このタイミングで挟むのがよかろう。タリウム少女の話だ。
昨年10月31日のことであったか? 静岡県伊豆の国市の高校1年生女子生徒が、母親にタリウムなどの毒物を与え殺害しようとした事件が発覚したのは。
これなどは、是が否にも本ブログで論題とすべきトピックスである。

先ずは。
毒を盛るというのは、女性が得意とする攻撃法だ。
古今東西枚挙に暇がなし。
更に。
視姦と露出、ネットにおいては?  の稿の結び…
「いわゆる異常性癖は有効利用可能であり、また先祖返りの危機もはらむ。」
将しく、その典型だ。
即ち、彼女は化学に興味を示し研究対象を攻究することにより持ち前のサディズムを有効利用しだしたのであるが、惜しむらくはプロセス段階で『先祖返り』、道を踏み外してしまったのである。
一稿使って書きたいのであるが…

いかんせん情報が集まらなすぎる。
そのために彼女の心裏まで踏み込んだ考察に至ること適わず、こうして社会事象のカテゴリとして寄稿せざるを得ないのである。
集まらない原因は言わずもがな、現行社会制度、未成年の犯罪についての報道自粛傾向によるものだ。
まあ、これについては少年法立法趣旨にまで踏み込んだ論説をする積りはないのだが、ただ一点だけ。

前稿の平田恵里香は1985年10月5日生まれの二十歳だ。
もし、平田がものの9ヶ月も後に生まれていたのであるとか、逆に犯行が9ヶ月前であったとしたのなら?
そら恐ろしい話だ。さしずめ論者の記事などは即刻削除、いや、それでは済むまい。しかるべきお上の部署からお咎めを喰っていたであろう。
何せ、未成年被疑者の実名を晒すのは極悪行為なのである。

お分かりであろう?
19歳11ヶ月と20歳0ヶ月とどう違いがあるのか? もっと言うなら16歳(タリウム)と21歳(生き埋め)との間に引くべき年齢境界線などあるのか? といっているのだ。
まさか「何事も若いうちにしておきなさい。…犯罪も」という訳でもあるまいに。

そうした意味においても、『くまぇり』はバカなことを仕出かしたものだ。
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柴田勝家 − 主筋の女性を嫁に迎えた男の泣き笑い

018acce1.jpg国営放送大河ドラマである。
直前回の『功名が辻』は、北ノ庄落城の場面であった。
既に、お市・淀の方の母娘に関してはそれぞれ一稿を裂いて論じた故、本稿主人公は勝家としよう。

既論のとおり、かの母娘はともに臣下にあたる男に嫁いでいる。
いわば、女性上位の嫁入り…
本ブログとしては歓迎すべきことに、本年の大河においてはこのあたりを強調した演出となっている。
そう、柄本明扮する秀吉は永作博美扮する茶々が現われたる折、庭先にまろび落ち土下座をして臣下の礼をとった。

勝野洋演ずる柴田勝家が大地真央・お市を娶る場においても類似であった。

「お市様には、ごきげんうるわしゅう…」「勝家、私を貰うてはくれぬか?」

城入りの折には平伏し上座を勧める勝野勝家。
両名の最期となる直前回放送では逆転し、「殿」「市」と呼び合う(かの地かの時代における武家の)通常夫婦となっていたのが印象的であった。

ここらが、本稿をお読み願うにあたり留意願いたい点でもある。
つまり、勝家は婿入りしたわけではないのだ。織田家の養子となり織田勝家として家督を継いだわけではない。
あくまでも、お市が臣下に下ったわけなのである。
言ってみれば、(勝家の視点からすれば)女房の七光りでによる出世狙い…
して?

お市の稿で述べたように、家庭人としては大々成功。
夫婦仲睦まじく三人の養女たちとは実の父娘のごとくで、幸せな晩年を送ることのできた勝家である。
お市にすればそれでよいのだが。
勝家には天下取りの宿願があったはずだ。敗死で「我が人生に悔いはなし」ということはあるまいて。
どうも男とっては、お市は『サゲマン』であったようだ。

歴史は巡る。のちに淀の方となった茶々もまた…
この母娘を見る限り、「嫁は下から貰え」の格言が正しいと実感される。
『功名が辻』の主人公は山内一豊の妻・千代、この女性はどこの馬の骨かわからないといっても過言でないほどの下級の出。
それがうまく夫を"支配"し、土佐藩主の地位にまで上らしめた。

乱世は駆け上るためには先ず、夫婦間での下克上があることが前提となるようだ。

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朱雲 (前漢) − 折檻の語源となった晩学の士の行動とは?

漢書かの畠山鈴香が新供述をはじめてるとのことだ。今朝ほど来、ちょっとした旋風が起こっている。
本サイトでもそれとなく触れてきたかの水死事件(事故?)であるが、おぼろげながら全容が見えてきたような気がする。
勿論断言は出来ぬ段階であるにせよ、鈴香には『娘殺し』の称号を付しても差し障りのない現況にはなった。
即ち、欄干に乗せた手を滑らして川に転落してしまったとしたなら、過失致死。
全く知らぬところで彩香が川に転落したとしても、助けを求めようとしなかったことで、保護責任遺棄。
…なんともやり切れぬ話だ。

副題に付した折檻という言葉は、新聞の社会面で時折目にする。
即今は(女の腐ったののような弱虫)父親の例も増えてきてるにせよ、大概の場合その行為者は母親だ。自分が腹を痛めた子を虐待する…
そう、折檻ではない、虐待である。そこには(折檻に内包される)戒めの要素はないのだから。
ただただ自分の癇癪をより弱いものにぶつける…
これもまたなんともやり切れない。
鈴香が娘に対してした仕打ちがいかなるものであったにせよ、教育的な意義のある折檻という言葉を使って報道がされないことを願う。

さて。
前漢の朱雲は、元々は任侠であった。
これは古今東西共通のことであるのだが、アウトローというものはあるときを境に急激に紳士になってしまうものだ。
彼もまた例外ではない。簫望之という文士に弟子入りし学問を志すのである。
して、望之という男、それなりの学者であるのだが、残念なことに道ではなく栄達のために学を使おうとするタイプだった。
果たして足元を掬われ、自決させざるを得なくなる。
その折に朱雲に言い残したこと、「我が敵は丞相」

丞相…
三国志を読んだ方なら先刻承知のことと思う。
臣下としての最高の地位、今で言うなら、総理大臣と大将を兼ねたような職位である。
これは元々前漢の制度であり、後漢になってからは一人に権力が集中しないようにと廃止されていたものだ。(三公になっていた)
まあ、簫望之もまた丞相を目指していた一人である。
要するに「今の世の中が悪い」といった意味合いの繰言で「我が敵は」と言い遺したのであるのだが、直行型の朱雲は額面どおりに受け取ってしまう。
ひたすら丞相という敵を討つべく学問に励むのである。

その甲斐あって、文官として成帝の御前で意見を延べる機会を得た。
朱雲は滔々と述べる。「いま朝廷の大臣は〜」
漢書の朱雲伝によれば、彼はその弾劾文を次の言葉で結んだ。

「臣願わくば、尚方斬馬の剣を賜り、佞臣一人断ちて其の余を遒擦鵝・ラ

どいつもこいつもろくでなしだが、代表格一人を斬り殺して、残りのものの見せしめにしたい、その為に宮廷秘蔵の名刀をお貸し下さい、と願い出たのである。
誰を斬るのかと皇帝は尋ねる。
いうまでもなく丞相の名をあげる朱雲。

時の丞相は張禹であった。
成帝の学問の師匠である。帝位についたばかりの皇帝は、高齢を理由に固辞する師匠に無理無理を言って側近になってもらっていたのである。
野心もなにもない純然たる学者…
その老人の首を刎ねるというのである。
果たして皇帝は激怒した。

「身の程もわきまえず、よくも宮廷で朕の師父を辱めおった! 死罪だ、容赦はならぬぞ!」

引きずり出されそうになるも、宮廷の欄檻にしがみ付き、朱雲は叫ぶ。

「おお、死にましょうや! 臣はあの世に行って竜逢や比干と遊ぶことができれば満足です。さりながら、陛下はいかが遊ばしましょうや?」

竜逢とは夏の暴君・桀王を、比干は殷の紂王をそれぞれ諌めて殺された人物である。
つまりは、成帝をこれら暴君と同列に…
この暴言に、いよいよ力を込めて彼を引っ張りだそうとする近衛衆だが、朱雲もまた必死でしがみ付く。
ついに、欄檻はポキリと折れてしまった。

檻を折る…
このように、折檻というのは本来、臣下が皇帝に、子が親にといったように、下のから上への直諌を意味した。
ところが日本においては、その正反対に上から下に、という意味に用いられるようになってしまったのである。
そう、先ほど述べたように、親が子に、というような意味に。ちょっとした逆転である。

上から下へ…
再三触れているように、女性というのはより弱いものに対して、そのサディズムを爆発させる。
それしかはけ口がないというなら、限りなく悲しいことだ。

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勧善懲悪はサディズムには馴染まないはずなのだが

所謂SM創作と呼ばれるもので特に女性がSになるものの場合である。
時折、「正義の○○女、悪漢を懲らしめる!」といったようなストーリーで描かれたものを見出すことができる。

確かに、女性の嗜虐は復讐的加虐が多いのであるが…
これを正義と称するのは如何であろう?
虐、シイタゲルの字と馴染まないように思えてならない。

まあ、それ自体は大した話ではないにせよ、曰くの『誤ったSM理解』に至る曲がり角にはなっている気がする。
と、本日は全くの私的事情で時間を裂くに困難な状況、ここまでとしよう。詳述は後日折を見て。

今少々筆を進め、連絡事項を。

  人の性は善か?悪か?

例によって例のごとく、『内容』欄で大ポカをやってしまった、このアンケート項目に協力賜れたら幸甚である。

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畠山鈴香 − この女性の心裏を『サディズムに花束を!』は憎む

畠山鈴香、おもしろ動画「娘を突き落とした」… ついにこの言葉を耳にする瞬間が来た。
古今東西様々な人物たちの行動心情に比類し、畠山鈴香のことを(も)暗示し続けてきた本ブログにすれば来るべき時がきたといったところである。
この瞬間到来を予想しつつも、敢えて『彩香事故死』を前提に書いた記事もある。外れてマヌケにならないことを悲願しつつ…
今更でもあろうが論を展開するに先立ち、被害者二児に衷心よりの哀悼を意を示す。

昨日のことであるが、昔の事件につき伝聞する機会を得た。
妻のほうが10歳以上も年上の夫婦が起こした誘拐事件があったそうだ。
この事件の折にも捜査が進むにつれ、新事実が発覚する。自分たちの娘は殺していた!

その際においても、手を下したのは年下夫だ。
妻は可哀相に思いつつも反対することができず、せめてもと(最後に)素麺を食べさせていたという。
鈴香が直前彩香にピカチュウの人形を買い与えたのは、これと同じく最後の親らしい愛情だったのだろうか?
だが、鈴香は直後に自ら娘に手を下す。
自分が腹を痛めた子供を惨殺した。

惨殺…
何をもってこの言葉とするかは色々である。
前段での用例はひとつには、殺害相手に対する背信度の甚大さからだ。
人形を買ってもらって喜んでいた。最後まで母親を信じていた。
その娘を川に突き落とし、その心情の一切を未来永劫この世から消し去ってしまった。
惨たらしい話ではないか!?

確かに子殺しなら他にも例を見る。
本日の新聞社会面にも、ちょうど母が娘を転落死された愛知・豊田の事件が隣接している。
しかし、これは無理心中のしそこないだ。
鈴香のように、その後もしゃあしゃあと社会生活を営み、あまつさえ人殺しを重ね、こと(事実上の)連行の時に至っても尚また画像のごとき自若とした態度をとり続けた者は、一線も二線も画したところでの評価がされてしかるべきであろう。

そして惨殺といった理由の今ひとつには、殺害した相手が死に至る際の距離の近さだ。
これは先に発覚した後のほうの殺人を含めてであるのだが。
つい今しがたまで、目の前で息をしていたものが物言わぬ存在となる…
自らの手で他の生命を消し去ったことを実感する、と表現すれば伝わるか?
論者自身も調理や昆虫採集でこれを体験し、これにある種の快感を見出したことを、勇気を持って告白した。

だが、畠山鈴香という人物が"惨殺"したのは、アサリやセミではない。
紛れもない同類生物、それも自分の子供と他人様の子供なのである。
法律や社会制度などといったケチくさい基準を遥かに超えた規範で判断しえたとしても、なおまた許されざる行為なのではなかろうか?
言いかけたように、その不可思議かつ許されざる行為のモチベーションたり得たのは、サディズム心理…

サディズムに花束を!
大いなるアイロニーを込めた付題をしている本ブログ…

畠山鈴香のサディズムを憎む。

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アリ・ファミリーの女性たち − 往年の拳闘王が引き連れていた彼女たちに考察する強女論

f8b6f45d.jpg三女レイラ・アリはプロボクサーとして活躍しているのであるが、本論は父親である"The Greatest"モハメド・アリの時代である。
その時代においては、少なくても日本においては女性がボクシングをやるということなど、想像しがたいことであった。どうか、その歴史背景をおいて読まれたい。

さて、アリの戦績については、ここで行数を裂くには及ぶまい。
裂くべきは、その遠征先における彼の行動だ。
宗教の関係もあろう。人種の関係もあろう。アリはどこに行くにも非常に多くの取り巻き連中を引き連れていた。
ファミリーというべきか? 当時の言葉風にグルーピーというべきか? 多くの女性も含まれる。
勿論彼女たちの『主たる役割』は夜のお相手なのであろうが、ただそれだけにとどまらなかった。

つまり、彼女たちは体格もよければ腕っ節も強い。
ある意味、チャンピオンのボディガードも兼ねていたのである。
強引な取材を試み、ポカリとやられた記者も少なからず。
つい先日、露鵬にやられた毎日新聞は相撲協会にあて正式に厳重抗議をしたそうだが、そこは冒頭申し上げたかの時代かの価値観のこと、かかるぎくしゃくもなかったようである。

人により色々な着眼があろう。
まあ、強い女、がキーワードとなることは、最大公約数になろうが。
で、本ブログは…
強女(腕力)は、女性上位・女性支配には結びつかない、という何時ぞやの結論に結び付けたい。

掲示板群サイトで得た情報に、目から鱗の思いをしたことがある。
女性が強くなったらどうなるか? こうなる。 の注釈文を添えられた画像ファイルのアドレス。
クリックしてみるに、男性の乗った古代ギリシャの(人力)戦車をアマゾネス風の女性が引いているCGが出てきた。

さぞやモハメド・アリも、取り巻き女性が引っ張る戦車に乗っかり、楽チンチンな思いをしていたことであろう。

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