北川プロSMイベント

 このブログを公開してから3ヶ月ぐらいした頃だっただろうか、SMビデオの老舗である北川プロからメールが来た。僕のブログの熱心なコメンテーターでもあったその担当者は、同ビデオ作品に古くから出演されている筋金入りのM男性だった。

 SMイベントのトークショーで、パネラーとして出演してほしい

こういう依頼を突然され、ちょっと面食らう ^^

この経緯を下記の過去ログのサイトで詳しくレポートしています。

北川プロSMイベント 体験記


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マゾヒズムに花束を!:SMを題材とするコミック作品

マンガで女王様が登場する作品、男性マゾヒズムをテーマにしているものをピックアップしています。


BdSmマンガ夜話

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SMいろはかるた

 

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SMいろはカルタ
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マゾロポリタン美術館

 この種類のイラストの作家はほとんどが匿名で、作品も偏在しています。
春川ナミオやイギリスのSardaxのようにメジャーなアーティストもいますが、その多くは謎のベールにつつまれています。


 このカテゴリーではそういう世界にスポットをあてています。

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マゾロポリタン美事術館




マゾヒズムに花束を! バナー画像(お持ち帰り用)

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星の王子さま



 サン=テグジュペリの不朽の名作がなぜSM的な文脈で語られるのか? 読まれた方も多いので意外に思われるかもしれない。もちろん特に具体的な描写はないが、あえて言うなら王子がきつねと出会うシーンに次のような会話がある。

おうじ:僕と遊ばない?僕、ほんとに悲しいんだ

キツネ:遊べないよ。あんたに飼いならされちゃいないから

おうじ:「飼いならす」って、それどういうこと?

キツネ:よく忘れがちなことだが、「仲良くなる」ってことさ。


 ここでたんに「調教」という言葉を連想される場合もあるだろう。
この後、バラの花のエピソードがあり、王子さまとバラとの関係性の中に、いつくしむ者を崇拝する心理や愛の感情といった意味で、なんとなくマゾヒズムやFemDom的な視点が喚起されるのは、これは僕特有の感じ方なのだろうか。バラの花は物語の中では擬人化によって一人の女性が象徴されており、いろいろなエピソードが伝えられている。わかる人にしか、わからないだろう。もしかして怒る人もいるかもしれない。純粋な名作を不埒な考えで汚すな、と。その気持ちはよくわかるし、そんなつもりはありません。声高に「解釈の自由」を訴える気もない。
 この作品は僕も子供の頃からの愛読書で、同じような読者の気持ちを踏みにじるようなことはしたくないのである。それだけは俺はやるまいと。
 ↑ もうやってるっての (。。)☆\バキ

 ただ、この作品は並のおとぎ話ではなく、様々な暗喩や風刺、解釈が可能なディープな世界が描かれていて、大人になってからぜひ再読してもらいたい名作。すでに多くの人にとって忘れがたい座右の書となっているはずで、ここで僕があらためてお勧めする必要など全くないくらいだが、最近、作家の倉橋由美子(僕を探しに/シルバスタイン)による「新訳・星の王子さま」(宝島社)が出版されたので、再読するにはいいタイミングだとは思う。

 大人になってから、もし初めて読むのなら倉橋訳の方が少しだけいいように思う。先に岩波の内藤訳を読んだ経験のある人は、複雑な気持になるだろう。僕は英訳もフランス語版も学生時代に読んでおり、内藤訳は何度も読んでいる。日本語訳だけを比べるとわからないかもしれないが、少なくとも英訳と比較すると、倉橋はいい仕事をしている。内藤訳と比べてどうのこうの言えないけれど、僕の好みとしては倉橋訳のほうがいい。しかし、ちょっと子どもじみた内藤訳が捨てがたいのも事実。昔から馴染んでいるだけに悩ましいところだ。

 今年になって長年にわたる岩波書店の独占翻訳出版権が切れ、この他にも池澤夏樹などが新訳を出している(集英社)
 他にも何点か出版されており、従来の子供むけ訳のイメージを脱し、アダルト向け新訳が今後どう評価されていくのかちょっと楽しみだ。

キツネ:心でみなくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは目に見えないんだよ。
One sees clearly only with the heart. Anything essential is invisible to the eyes.

*英訳も複数あり、古いペーパーバックでは次のような表現になっている。
You can only see things clearly with your heart. What is essential is invisible to the eyes.

 英語版は英検2級レベルで充分鑑賞できるシンプルさ。英文の新旧訳を読み比べるのは1級レベルのマニアックさかもしれない^^

大切なことは心でみよう。

小さな王子―新訳『星の王子さま』

八坂書房

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プチ・プランス―新訳 星の王子さま

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お大事に

 最近、親しい人の入院、退院という事態が相次いでいる。

 僕も数年前に交通事故で入院したことがありますが、こういうことって、たいていの場合突然の事態で、けっこうショッキングなものです。

 もうイキナリ 拉致・監禁 されたようなもの。病気やケガの本来のインパクトの方が大きいから見過ごされがちだと思いますが、なかなかSMっぽい状況だと思う。自由はないし病状によっては羞恥的なシチュもかなり発生することもある。点滴や注射などは苦痛を伴う、回復へのパスポートとしての快楽。看護婦さんの支配的な言動。手元にSM雑誌やそれっぽいものはいっさいないから性欲処理の手段も絶たれちょっとした妄想で下半身はすぐ反応。なんか射精管理されているような。

 包帯フェチや医療プレイなど関連するアイテムも豊富。病んでる当事者にとってはそれどころじゃないですけれど、普段健康な生活をしてきた者にとってはふってわいたような非日常的な世界。しかもそれはリアルなのである。
 
 僕の場合は、事故に関しては相手の信号無視が原因だったので、落ち度はこちら側に全くなくて「なんで僕が?」と、突然の理不尽な運命を呪う。

 どうして僕だけがこんなめにあうのよ!

 ( ↑ あんただけではないよって ^^ )
 
 もともと性格がひねくれているので、入院中はかなり屈折してしまいました。他に何もすることないから普段考えないことを考えてしまう。それは真面目に哲学的なことから、くだらない妄想まで、とりとめもないことからどんどんディープになってゆく....

 で、結局人間の運命なんてわからんものだなと。交通事故にしてもケガだけですんで幸いだったという前向きな考え方もできるわけで、もしかして死んでたかもしれないよねっていう・・・
 あるいは下半身不随で自慰すらできない身体になっていたかも、とか。

 粗食にシンプルな生活。禁欲。孤独。それまでの僕からは信じがたいピュアな環境が、悟りにも似た境地に導いてくれました。

 よし、これからはまっとうに生きよう!(それまでも、普通にまっとうに生きてきたつもりですけれども)

 とにかく健康で五体満足なことに感謝し、他人に思いやりを持って地球環境にやさしく、そして自分には厳しく生きよう。入院中の後半は、かなり本気でそう思ったものです。

 いまでも基本的にはそう思ってますが、当時の本気度からは64パーセントぐらいにダウンしてるかも。この数字の根拠は?
 
 退院する時思ったのは、いつ死んでもいいように悔いのない人生をきちんと生きようと。そして明日死んでもいいように、とりあえずはまず

押し入れの中のSM雑誌やビデオをなんとかしなくっちゃ!
(↑ なんでこうなるかね ^^)


 処分できたのは全体の3割程度(36%)
置き場所があるうちはやっぱり捨てられないや ^^
posted by homer_2006 | Comment(2) | マゾヒズムに花束を!


mixiなるもの

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 最近、というか今月からmixi なるものを始めています。これがなかなか面白そう。

 ブログやってる方ならご存知かとも思いますが、ソーシャルネットワークサイト(SNS)と呼ばれる、なんだかよくわからない招待制ブログサービスの組合みたいなもの。これは直接の友人、知人を介してしか入会できない、言うなれば全員がなんらかのつながりを持つ共同体。会員はニックネームは使えるがmixi内でのやりとりには自動的に自分のIDがつくので、自作自演やネット2重人格みたいなことはできないシステム。全ての人が誰かの紹介で入って来る身元確実なメンバーであり、マナーの悪い人は少なく、女性会員が多いのも安心して利用できるというこの仕組みにあるようだ。

 mixi内での直接の知り合いをマイミク(My mixi)と呼ぶ。僕を招待してくれたのは東京女神のミストレスで、最初僕のマイミクさんは彼女一人だけだった(普通はそうなる)

  それで、この先いったいどうなるの?

 誰もが最初はそう思うはず。いきなり転校してきてクラスに一人しか友達がいないような状態ですよ。

 マイミクつながりの日記やフォトアルバムを閲覧したり、メッセージを送ることはできるけど、これって特にどこがどう面白いのかがよくわからん。

 しばらくは「なんだかな〜」と思いつつほったらかしにしてたのだが、ある日僕を招待してくれたミストレスのマイミクさんのマイミクリスト(つまり彼女の友達の友達)に北川プロの女王様を見つけた! 女神のミストレスと北川プロは全く関わりはなく、おそらくこの二人も直接の接点はなかったであろう。

 しかし、そこから先のマイミクリストからイモヅル式にラッシャーみよし、むらけん、美人Pからスメリーさんまで、Go! Fetish! Go! の関係者が次々に現れ、本当にもうびっくり!
 
 世の中というかネットワーク社会も意外と狭いや。

 さらにmixi内の見ず知らずの方からも、「マゾ花」の愛読者です!とかメッセージを頂いたり、転校先の教室で孤立無縁かと思っていたところが、一気にクラスメイトが増えてしまった。

 みんなが友達の友達という連帯意識のせいか、コメントやメッセージのやりとりもスムーズで心地よい。とはいえ、馴れ合いつながりの保守的な雰囲気への違和感も一方ではある。表の無料ブログにある自由奔放な開放感があまりないのだが、それがいいって人もいるのだろう。実名で登録し、仕事つながりやビジネスチャンスを広げるのに利用している人もいるし、語学や自己啓発の有効な手だてともなっているようだ。

 mixi内には実に様々なコミュニティーと呼ばれるサークルや同好会があり、自分でもすぐ作ることができる。僕はさっそく「お馬さんごっこ普及振興会」と「春川ナミオファンクラブ」結成してみました。M男の集まりになるかと思っていたら、次々と女性が入会してくるのにも驚きましたね。ブログよりも交流の密度は濃く、リアルな発展性が期待できます。

 まだ全体像はつかめていないし、それほど活用もしていないのだけれど、新しいネットワーク時代のダイナミックなうねりは感じる。爆発的に普及しブームになっているのもわかるような気がした。僕がこのブログ始める前のmixi会員数は30万人程度で、この数字は当時のgooブログの会員数(約20万人)より多くて、「スゲエな〜」とか思っていたものだが、今では150万人を越えたらしい。半年もたたないうちに100万人以上もの人が新たに登録したことになる。今年になって加速度的に普及しているようだ。自分でもブログとどう棲み分けしていけばよいのか模索中ではあるのだが、今後の展開に注目したい。
posted by homer_2006 | Comment(1) | マゾヒズムに花束を!


生きる

 僕がこのブログを始めた大きな理由の一つに、いわゆる

死後のコレクション問題

というのがありました。

 団塊の世代に続くオタク世代の高齢化に伴い、今後この種の問題はますます表面化していくと思われます。昔から古本屋で一瞬大量に出回る貴重本の出所は、遺族が処分した故人の蔵書だったりするわけなんですが、これからはヤフオクなどでDVDやフィギュアなど、残された家族にとってはゴミ同然の骨董品が「1円スタート」とかで出品されたりするんでしょうか。

 今僕が一番あたまを痛めているのが、

膨大な数のMビデオ をどうするか。

 トランプ社から北川プロ、美芸会、カバリエ、セビアン、スウェーデン、シネマジック、甘美会、ブレーントラスト、プライム映像、シルバークイーン(志摩ビデオ)、妖美マゾビデオ、アダルト21、アロマ企画、パナシア、ヤプーズなど、他にも1本で消えたレーベルも入れるとタイトル数で300本を超えるんだなこれが....
 ほとんどがパッケージ入りVHSテープで、かさばることかさばること。北川プロのは超ご丁寧な分厚いハードプラスティックケース入りで、これにもホント泣かされた。いつの間にやらDVDも増えてるし、マジメにコレは深刻な問題なのです。老後の楽しみにとっておきたいけれど、自分の死後、家族や友人から「こんなの見てたの?」と思われるのはなんとなく困っちゃうな〜と。
(↑もう死んでるんだから困らないよ!)

 ま、僕のことはどう思われてもいいのだけれど、数や内容がハンパじゃないコレクションの処分に戸惑う遺族の心情を考えると、これは今のうちに少しでも自分で何とかしておかなければという気になってくる。
 それで3年ぐらい前からコレクションのダイエットを始めました。以前は8ミリビデオにダビングして、パッケージをスキャンして(一応印刷品質)保存し、比較的つまらない作品をヤフオクで売ったりしてました。昨年ぐらいからビデオ・エンコーダーが激的に安くなり、映像をMPEG保存することも可能になった。M本や女王様グラビア本も、いいとこだけスキャンして本体は古本屋にたたき売り。こうして、僕のパソコンのハードディスクにはあんな映像や、こんな画像で容量がどんどん増えていった。

 だけど、スキャンやダビングという作業はけっこう手間ヒマかかるもので、つまらん作品のためにこのような労力を費やすのがアホらしくなってきた。また、つまらんとはいえ何万も出して買ったものが二束三文で落札されるのも悲しい。それにこんな作業が長続きするはずがない。このままでは俺の人生スキャンとエンコーディングで終わってしまう。単調な作業に飽きてきて、だんだんとお気に入りの作品だけのデータ化と簡単に内容がわかるようなメモとリストの作成だけになり、そのうちに感想や詳しい解説、自分のSM論などを書くのがメインの作業になっていきます。こうして将来の「マゾヒズムに花束を!」の主要コンテンツが少しづつ出来上がっていったわけです。

 押し入れの中だとかさばってホコリをかぶっていくだけだけど、デジタルデータ化してインデックスを作成すれば、いつでも手軽に呼び出すことができる。最初はコレクションの永久保存を目指してスタートした作業が、お宝映像の整理整頓教室となり、ネットから入手していたFemDom系統のイラストや画像なども含めてまとめていくうちに、ブログブームが到来していました。
 
 死後のコレクションが無惨に処分されるのが避けられないのなら、生きているうちに同じ趣味を持つ他の人たちとそれらをシェアして、もっと有意義な活用方法の可能性がブログにはあるのではなかろうかと、そう思ったわけです。へンなへ理屈ですけれど... ^^

  40歳も過ぎると死後のことをぼんやり考えたりもします。本当はいつ死ぬかはわからない。今特に健康上問題なければたぶん70歳ぐらいまでは生きていけるだろうとほとんどの人は思ってるかもしれませんが、極端な話、明日死ぬかもしれない可能性は誰にでもあるわけです。数年前に入院した時にこの思いは切実になりました。

 平和な時代にそこそこの人生を無難に生きているけれど、残りの人生をどう生きていくのかをきちんと考えないうちに、死ぬわけにはいかないんじゃないか。最近はそんなことを考えております。

 ということで、相変わらず死後のコレクション問題は課題を残したままなのですが、Mビデオの「形見分け」が欲しい人がいらっしゃいましたら、メールでご連絡ください。遺言上に書いておきます。

 ↑そんなこと書かれたくないって(。。)☆\バキ 
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マゾヒズムの発明


 このブログを始める直接のきっかけとなった本。死後のコレクション問題とは別に、昔から自分のマゾヒスティックな性癖についてはコンプレックスというか、独特の違和感を感じていました。そんな「変な自分」になかばあきれつつも、アイディンティティとしてのマゾヒズムを真剣に考えてみたいと思っていた矢先にこの本を読み、マゾヒズムがそれほど不自然なものではなかったことを知りました。
 それと前後して今年の初め、2ちゃんねるのSM掲示板において「マゾヒズムの発明〜知的にSMを語ろう!」というスレッドを立ち上げます。折しもブログブームが到来しており、ネット上でマゾのカミングアウトをする人たちも増えてきました。自分だけではすっきりと整理しつくせないモヤモヤを他の人と意見交換することで、明快な考察が可能なのではないか、そう思いました。

 このスレッドはひょんなことから荒れにアレて、煽りも含めて反響は大きく、外国人など実に様々な人から多数の投稿が寄せられました。半年もたたないうちにレスが1000を超過し、現在もシーズン2が進行中です。

マゾヒズムの発明〜知的にSMを語ろう! Part 2

 本は難解というほどではありませんが、谷崎やマゾッホの小説を読むようなわけにはいかず、きちんと理解するのには時間がかかりました。身体と心の関係、デカルトの二元論など、哲学や心理学などの基本的な背景知識がないと少しツライかもしれません。しかし、読み応えはたっぷりで、秋の夜長にまったり読むのにはお勧めでしょう。
 
本の内容について

 時代の規範に服従しながらそれをズラしてゆく性的被虐のファンタジー。マゾッホが生きた19世紀の思想・社会状況をふまえ、マゾヒズムの誕生から、フロイト以来の精神分析による変容をたどり、今日のエロスと政治の到達点を明らかにする。フーコー以後の性/身体/権力論の最新成果。(青土社:ジョン・K・ノイズ著/岸田 秀 訳/定価 2940 円)

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このブログについて

0c18bbf8b5bcdcc4e7ffb2c2b16909bd.gif SM、あるいは範囲を広げてエロ系の個人ブログの文体における共通意識を探ってみると、そこにはある種のカミングアウト的な発言がよくみられる。普通の会話ではとても口にできないような恥ずかしい内容を、わりと堂々と、時には誇らしげに語っている。日記的なブログだから独白とも言えるが、不特定多数の誰かに読まれることも前提としており、共感が得られればコメントとして跳ね返ってくる。つまりネットワーク上で行われる新しいスタイルの会話となっているようにみえる。

 恥ずかしい内容を何の臆面もなく書けるのはネットの匿名性ゆえであろう。自分を知ってる人には内緒の話だからだ。見知らぬ誰かでも、性癖だけの部分を理解してくれる人との密なコミュニケーションはある種のカタルシス的な満足感を与えてくれる。

 しかし同系統の嗜好ならよいけど、そうでない場合はちょっと「ついていけない」表現にも時々お目にかかる。「ここまで書く?」みたいな。特にM願望を描くような妄想系ブログは、自分とツボが異なると「これは違う!」と意味もなく異議申し立てをしたくなったりするものだが、それは言わない約束になっている。人それぞれ違うのは当たり前だし、それがどんなに変態チックな内容でも自分のブログに何をどう書こうがそれは個人の勝手だ。もし不快なら読まなければいいだけのことである。読みたい人だけ読んでくれればいい。

 僕自身はあまり、自分の性癖や願望を直接的な表現で書くことはしていません。まあ、内容から明らかだとは思いますけど、ちょっとシャイとでもいうのか、しんのすけさんみたく赤裸裸には語っていないです。

 その大きな理由は、つまらない中傷や過剰な反応を浴びることを僕が好まないからだと思います。性同一障害と比べるわけにもいかないでしょうが、どうも世のマゾヒストというのは誤解されがちというか、ただたんに虐められるのが好きなんだろう?みたいに勘違いしている人がまだ多い。恥をかいたり、ばつの悪い思いをするのが好きなわけでもないのに。

 結果としてカミングアウトになってはいるのかもですが、僕としては本当の自分自身をこのブログで語っているとは思えません。まあ、もともと口べただしね...^^

だから「分かって下さいよ〜」みたいなことはあまり言いたくないのです。わかってくれればもちろんウレシいのは確かですが、誰かを「納得」させるためにやってるわけではないし、声高に何かを主張しているつもりもない。もし仮に何か主張があるとすれば、それはブログタイトルにある通りです。










【過去ログ倉庫補録】
posted by homer_2006 | マゾヒズムに花束を!


性癖の親バレ

 このブログのコアな読者のほとんどの方々が、mixi内でマイミクさんになってくれたこともあり、約一ヶ月でアクセスカウントが1000を突破しました!どこからともなく噂を聞いてはメッセージがやってくるのも、mixi内の検索機能が充実していることもさることながら、意外と僕のブログの知名度が高かったのが理由のようで、今さらながら驚いています。なんだか変に有名になってしまったみたい ^^
 特に北川イベントに出演した前後は1日のユニークアクセスだけで1000を超える日があり、とんでもない状況でした。

過去ログはどうなった?とのお問い合わせも最近多いので、昔のコンテンツを こちら で少しづつ公開していますので、よろしければどうぞ。

 僕のブログのコンテンツは言わばお蔵出しみたいなもので、ネットから入手したものもありますけど、ほとんどは押し入れから持ってきてます。親にも見せられないいわゆる「死後のコレクション」なわけですが、実は数年前に入院した時、身の回り品を病院まで届けてもらうために僕のマンションに入った妹や親にこの秘蔵コレクションの存在が部分的に発覚してしまいました。もっとも、それよりずっと以前、子供の頃に隠しもっていたSM雑誌を捨てられていたこともあり、

面と向かっては何も言われない けれど、

なんとなく僕がSMに関心があることは前々から親バレはしていたのですが。

 だから療養中ということもあり、見られた恥ずかしいコレクションについてはとやかく言われませんでした。もともと家族で性に関する会話そのものがなかった家庭だし、わかっていても口に出さないというムードは、我が家の伝統としてあったのです。親にしてみれば、自分の子供がマゾだなんて、やりきれないんじゃないかな。特に戦前に生まれて、いわゆるSMに関する免疫もない世代なわけで、僕としてはできれば知られたくなかったことです。ま、知られちゃったものは仕方がないけど。
 それより以前にこの種の話は赤の他人ともそんなに気軽にはできない気がしています。

 マイミクさんの日記などを読んでいると、最近の若い人はわりとオープンに性に関する会話を家族ともできているようでちょっと驚きました。特にSMに関する話題は、もうそれほどタブー視されていないような状況で羨ましいというか、ちょっと複雑な気持ちになります。友達感覚の親子関係とでもいうのか、「キミ」とか、ファーストネームで呼び合うような雰囲気には違和感があるんだけど、変に断絶しているよりはいいのかもしれない。子が親を殺す犯罪も多発している現代において、コミュニケーションの最も基本的なスキルが育まれる家庭という空間で、性やその他のマジな会話が交わされるムードはむしろ望ましいとも言えるのでしょうかね。
posted by homer_2006 | Comment(0) | マゾヒズムに花束を!


夫婦のSM

 このブログを読んで下さっている海外在住の主婦の方で、偶然夫の(パソコンのデータ?から)M性癖を知り、ショックを受けながらもSMのことを勉強しようとして自分でもブログを始めたという人がいました。その人は特にS趣味があるというわけではなかったらしいけれど、夫が自分に隠していたマゾ性癖について理解し、夫が望むような女王様像に近づきたいと願っているような印象を受けました。知らぬは旦那ばかりなり。だけど幸せなご主人だと思います。

親バレより怖いのが、

何も知らない奥さんに自分のマゾ性癖が発覚する

ことではないでしょうか。相手側に全くの理解がない場合は最悪のケースも考えられるので慎重にならざるを得ない。でも最近はこの奥さんのようにインターネットで情報を入手し、よその夫婦のオープンなSMライフの実態などをブログなどで知ることも出来る、いい時代だとは思います。

 その主婦の方のある日のブログにこんな記載がありました。以下抜粋でご紹介します。

 ・・・(前略)夫はSMの相手とは、哲学や芸術・文芸などの深い話をしていたようです。つまり妻であり、悩みのなさそうな私には「こんな話をしても分かってもらえない」と思われていました。
(中略)いわゆるSMプレイをやる人たちは、会話における「教養」というのはとても大事みたいです。バカじゃ出来ないよってことなのかもしれません。それくらい、心の深い部分でのつながりを見つけたくなるほどSMの世界って理解を超えたつながりがあるのでしょうか。

 私はきっとそこまで行かないだろうな。よくわかりません・・・

 SMプレイに知性や教養が絶対に必要とは言わないけれど、保安や公衆衛生、プライバシーなどの問題から、相手に対する理解や信頼が必要なのは言うまでもありません。これが「普通の夫婦の愛」とどう違うか、あるいは違わないのかということについては、それぞれ個人差があると思いますが、数ある愛の形の一つの形態の話であり、深いかレベルが高いかという話ではないと思う。あるとすれば信頼関係の深さかもしれない。「普通の夫婦」がアブノーマルな行為をしている例もたくさんあるわけだし。

 性のいとなみとしてのSMではない場合(SEXの前戯的に夜のベッドの上だけでのみSM的なセッションを行っているカップルも多い)、それはSEXと同等かそれ以上の価値を持ち、つまり相手(SMのパートナー)に対しては夫婦関係もしくはそれとは別の種類の信頼関係が成り立つことはありえると思う。つまり遊びではない。マジ。それでは一種の不倫か? 

 この種のセッションを持つことは、妻への裏切りになるのか?
 
 SM趣味のない奥さんだったら、割り切れるものなのかどうか。
 
 例えば旦那の不倫相手(SMだけのパートナー)とは、セックスなしでただ「お馬さんごっこ」に興じるだけの関係であれば、奥さんにとっては「バカな人」ですんでしまうのかもしれない。これが顔面騎乗やクンニまでやるセッションだと心境はおだやかでなかったり・・・

 ゴルフの趣味のない妻の夫が、月に一度別の女性(セックスはしない)とラウンドを回るのとどう違うのだろうか。もしも奥さんがゴルフ好きな場合は納得がいかないのは確かでしょうけど。

 だけど結局この問題は赤の他人がとやかく言える筋合いではありません。その夫婦、人間関係の歴史や内容によりけりだと思います。

 ただ、自分の知らない世界を相手が持っていることがわかった時、その世界を理解しようとする試みは、普遍的な愛、もっと深い信頼関係への1歩なのだとは言えるでしょう。

 僕としては、こんな奥さんにだったらバレてもいい!とは思いますね。自分からカミングアウトするよりもスリリングだし、偶然とはいえ知ってしまったこの状況を効果的に利用して、さらなる官能の世界へと突入して頂きたいものです。知らない振りして


「こういうのが好きなんでしょ?」 

とかなんとか小悪魔的にアプローチしてみたりなんかしてして! ^^
posted by homer_2006 | Comment(3) | マゾヒズムに花束を!


マゾ・トラウマ

 マゾになる、あるいはマゾヒズム願望を抱くきっかけというのには実に様々なものがあると思います。ひょんなことが引き金になることもあるだろうし、とても深刻な経験がもとになったり、時期も幼少期から成人してからまで幅広い。
 それこそ人それぞれで、別にどれが 「正しいマゾのなり方」 と言えるわけではないのだけれど、やはり実体験がトラウマとなるケースはインパクトが大きいと思う。しかも実際に女性に虐められるという経験は、幼児虐待にも匹敵する深刻な事態なのかも...と思ってしまいました。

 最近偶然みつけた サイト は、全て「事実」や実体験をコンテンツとしているもので、僕のように妄想主体ではなく、かなり読み応えがありました。特にギャラリーは管理人さんがご自分で撮影された映像からキャプチャしたもので構成され、ナマナマしくてリアルです。そしてどことなく微笑ましいところも救いです... ^^
 プロフ欄によるとこのサイトの管理人であるKANさんは、中学2年の時に6人の女性達に犯され童貞を喪失されたそうで、この体験がマゾとしての覚醒の原因となっている。しかしご自身は真性マゾというよりは、女性に奉仕、とくに舌奉仕をして喜んでもらうのが好きなだけで、これをして「マゾ」と自分をみなすのには抵抗があるようです。「マゾヒスト」としてカテゴライズするかできるかは別にして、「マゾヒズム」的な心理、精神構造はあるんじゃないかとは思いますけど。

 僕にはここまで強烈な、つまり童貞喪失というところまではいかなかったのですが、小学校5年生の時に同級生の女子に集団リンチみたいなことをされたことがあって少しは気持ちがわかるような気がする。一般的にはおそらく理解しにくいであろう「落ちる」という感覚も僕なりによくわかる。

 僕はSEXに対するこだわりはあまりないです。ノーマルな人なら、というか「普通の」変態さんでもSEXは人類本来の根源的な欲望だと考える人は多いと思うのですが、僕にとってはそこまでこだわる願望にはなっていません。きらいじゃないけど ^^...
 それよりもたわいのないお馬さんごっこや顔面騎乗などに心が傾いてしまうところが、マゾとしての資格にたるに充分なものがあると考えています。と、偉そうに言えるレベルでもないので自虐的に「仮性マゾ」とか自分では言ってますけどね。
 
 僕のマゾ・トラウマは段階的で、小5の時の集団リンチ事件のちょっと以前に親戚の家でSM雑誌を目撃したこと(その後自分の家の近所で偶然拾ったこと)と、一番の原体験としては7歳か8歳ぐらいの時に(詳しい状況はよく覚えてないのですが)女の子から悪ふざけで顔面騎乗されたことです。だから春川ナミオのイラストとの邂逅以前にこの行為・形態への強烈な憧憬が長らくあり、初めて春川作品を見た時のショックは今でも忘れることができません。その後中学生の頃には谷崎潤一郎や沼正三の小説などに触れ、いっぱしのマゾヒズム的概念をそれなりに会得したとような気になり、SEXを知る思春期以前にマゾとして覚醒していたことになる。これがコンプレックスともなって、その後の人生に多大な影響を及ぼして...は実はいない。性生活としてはノーマルに振る舞えるし、幸か不幸か遊びとしてのSMプレイに満足できる程度で、特に異常な行動、少なくとも犯罪にいたるほどリビドーはないですしね。(道ばたで女性に土下座して「顔面騎乗して下さい」とお願いするのは迷惑防止条例違反になるかな?)

 この歳になっても、いまだ本来的なトラウマを特定できずにいます。幼少時の最初の顔面騎乗体験にしても、いいなと思っただけで、女の子からの被虐願望までには至ってなかったと思う。様々な体験や妄想の合わせワザで、ぼくのマゾヒズム願望は形成されていったのだと今では思っています。
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SM判事の転落

 インターネット(ケータイも含む)のメリットであると同時に、最も怖いのが、これがなければ出会うことのなかった世界へ簡単にアクセスできるという点であろう。

 ちょっと前のニュースになるが、熊本地方裁判所の判事が勤務中に淫乱メール(週刊誌によっては「SMメール」という表記も!何じゃソレ ^^ )を送ったという報道がありました。
 この判事さんはSらしく、出会い系サイトの掲示板に「専属奴隷募集」なるメッセージを投稿した。それに釣られたM女性がメール調教を受けるようになり、そのうちに相手の下半身が撮影された「もっこり画像」を送られたりしたというもの。
週刊ポスト、夕刊フジ他


 なんともかわいらしい事件ではないですか。女性に送られてきた「淫乱メール」の内容といえば、

「ママ、とってもとっても気持ちいい。我慢できない。ママの上品なお口にオモラシしてもいい?」とか、「しゃがんで足を広げてごらん。純白の下着に染みが。お前の蜜だねぇ。淫乱女」( from 「週刊ポスト」12/2号)などという、コレのどこがSMなの?とも言えるような、実にたわいないレベルである。

 これが発覚したのは、メール内容がエスカレートし、変な写メが送られたり、調教代を請求されたりして、釣られたM女性が相手に不信感と嫌悪感を抱くようになり、

 人を裁く立場にあるまじき行為と判断 してマスコミにリークしたからなのだと。

 僕の印象では相手が裁判官だったことが災いし、メディアも 「SM判事」 という妙なネーミングでおもしろおかしく取り上げていたような感じだった。「SMは社会的地位の高い人間の趣味」 という伝統的なステロタイプがここにもある。相手がただのサラリーマンだったなら、この女性は告発したのだろうか?この二人は実際には会った事がなく、メールのみのやり取りで犯罪には至っていない。もっとも勤務時間中にこういうことをすれば、職務規程違反にはなろうが、事件性としては「判事の性癖」が注目されてしまっただけのように思われる。

 裁判官だって人の子。何人か検察関係者や弁護士の知り合いいるけれど、彼らが常にはマジメとは限らない。それよりも、誰しも人に知られたくない性癖はあるでしょう。しかしそれが常識の一線を超えた時、その人の職業によって問題化するかしないかが分かれてしまうのは、ある意味で差別だとも思った。

 そして、これだけSMが大衆化しているにも関わらず、依然として犯罪とリンクした見方がなされてしまうのも、理解しがたいとは言わないが、なんだか悲しくなってきます。
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MビデオとAV作品の違い

 古い友人が映像コンテンツのオンデマンド配信事業を展開中で、最近そのプロジェクトの一つが実施段階に入りました。それでとりいそぎ今年中にプロモーション用プレビューを作成せねばということで、僕のところに相談がきた。

 依頼内容は90年代のアダルトビデオの再編集!

 だいたい60分から90分の作品を、からみシーンだけ抜き出して30分程度にトリミングするという作業です。アナログのVHSやベーカムの素材をデジタルにエンコードしてからおいしいとこだけを抜き出していきます。

 僕は趣味で映像のデジタル編集をやってまして、外国製のエンコーディング用機材が一式そろっており、この環境なら楽勝の作業。それを知る友人が泣きついてきたわけです^^
 面白そうなのとギャラもよかったのとで引き受けましたら、速攻でアダルトビデオ300本が段ボール箱に入って届きました。

 実をいうと、僕は健全(?)なアダルトビデオというのはほとんど見た事がなく、初めて購入したアダルトものと言えるのがSMものでしかも男がマゾという当時としては超マイナーな作品( 「美しき女王様」)
 それ以来買うビデオは全て女王様ものばかり。コレクションの数は過去20年で300本ほどになります。偶然とはいえこれと同じ数だけの一般アダルトを、しかも大手の華やかな作品をこんなにたくさん目の前にして、 死後のコレクション問題 もクリアしてないのに、うれしいやらうんざりするやら複雑な気持ちです。終わったら引き取ってもらうからいいんだけどサ。

 とりあえずエンコードしながら10タイトルほど一気に見てみました。
 




 う〜ん... まァ、よろしいんじゃないですか ^^ あまり期待もしてなかったけど。

普通の男なら興奮する んでしょうかね、おそらく。

 確かに美人でスタイルのいい女が、オスマした普段着から淫美な姿へと変遷していくプロセス(←こういうパターンが多い)を見るのはなかかな見応えがあります。だけど、たまたまなのかもしれないけど、最初にみたシリーズの女優はほとんどがド素人。「AV女優」としては玄人でも、女優としての演技力はまったくお話になりません。演技が下手というレベルではなく、不自然以下のぎこちなさがどうも気になる。普段のセックスもあんな感じなのかね?

 演技力に関する不満で言えば、普段よく見ているMビデオ作品の女王様にも言えることなのですが、こちらの方にはそういう違和感があまりない。なぜなら、演技力は未熟でも、SMプレイ内容は本物 だからなのだと思う。昔はプロではない女優的な女王様の作品もあったものですが、最近登場する女王様はほとんどがプロもしくは趣味レベルでも本格的なSMプレイの経験者であることが多い。だから内容的には(その人にとっての当たり外れは別として)「マゾ男として」見る分にはある程度満足のいくものになっている。
 ところが、健全なアダルトビデオ作品というのは普通の男向けに作られているので、マゾとして見る限り欲求不満になってしまう。というか、正直いってどうも僕は興奮できない。からみのシーンで激しく盛り上がっている部分でも、冷めた視線で見ざるを得ない自分が、ちょっと悲しい...かな?

 俺ってやっぱり、ノーマルな男じゃないんだろうな...

 マイナーなMビデオを見慣れた目には、メジャーなアダルト作品は陳腐な昼メロ程度にしか映らない。それゆえに、わりと冷静に編集もできるし、仕上がるコンテンンツのクオリティは「ノーマルな男」が編集するよりはレベルの高いものになるのかもしれない。この仕事は僕には適任だったとは言えるだろう。

 (これを依頼してきたその友人は、僕がマゾということは知らないのですが)

posted by homer_2006 | Comment(8) | マゾヒズムに花束を!


一般アダルトもなかなか...

 マニアックなネタだったから、コメント可にしてもたいしてつかないだろうと油断しておりましたら、意外と来ましたね〜。みなさまありがとうございます。本エントリーでまとめレスさせて頂きます。

Kai 様

>アダルトビデオを見たときの興ざめ (〜略〜)今はもう開き直ってしまいましたが

 結婚されて、充実された FemDom ライフを満喫されていれば、そうでしょうとも! 羨ましいです ^^

たぬきの腹鼓 様

> 30分以上続く鞭打ちシーンとか〜(略)〜5分過ぎた頃から飽きてくるとか、そんなことないですかね?

それは確かにモノによってはあるのですが、例えば owkの鞭打ちビデオは凄いですよ。ほんとに延々と鞭打ちが続くのに飽きがこない。なぜか引き込まれてしまいます。北川シリーズでは朝霧リエ女王の鞭打ちシーンも見応えがある。人によって見方や楽しみ方は異なるでしょうが、一つのポイントは「リアル」さではないでしょうか。要は本気でやってるかどうか。

南ジョウ 様

>AVで僕の感じる所は リアルさですね〜。

例えばカンパニー松尾監督のハメ撮りシーンはリアルで素晴らしいものがありました。ヤラセ的要素を極力排除した、ギリギリ本物の世界。

 ハメ撮りとは、南さんは当然ご存知かと思いますけど、男優または監督が自らカメラをまわし、SEXをしながら撮影するやり方で、そこには男と女の2人っきりだけの空間。他のスタッフや関係者は誰もいないので、女優もリラックスしてセックスする相手に身をまかすことができる。女優、というかこの場合ほとんどがずぶの素人であることが多いのですが、素のリアクションはリアルでなかなか濃いエロスが感じられるのです。カンパニー松尾の古い作品をいくつか見ましたが、最初に出演することを決意した素人の人妻に「監督の俺とやることになるんだけど、いい?」みたいに尋ねるシーンのリアクションからしてウブでこれはこれで楽しめました。つまり「素人っぽさのリアルさ」とでも言うべき迫真の演技?に萌えることが可能なわけです。

 Mビデオにもインディーズ系や一部のマニアックなタイトルの中には据え置きカメラで女王様とM男しか登場しない作品がたまにありますが、これも言ってみればハメ撮りに似た効果を出していたと思います。セビアンの昔のMビデオにこういうスタイルの作品がありました。
 
 ソフトなMビデオでも、登場する女王様とM男の関係が本物なら、見ていて何となく納得できるような気がします。

馬仙人様

>アダルトビデオ、さわりだけ見たことあるけど、男も女も変な格好してケツふって、何が愉しいんだか、さっぱりわからん。

あはは〜、確かにそうですよね。その人のツボにはまらないと、まったく無意味な映像になってしまうというのはMビデオにも言えますね。

>金払って見る人たちの気がしれませぬ。

 僕の場合はお金頂いて見るので、お許しくだされ!
しかしMビデオって高いのに、一般アダルトは買っても比較的安いんですよね。マゾであることで、少し損してると思うのはそういうところであったりします。

posted by homer_2006 | Comment(7) | マゾヒズムに花束を!


レイザーラモンHGがマゾだったら?

その昔、演劇をかじっていたころ、ダンサーの知り合いにゲイがいました。初めてカミングアウトされた時はちょっとびっくりしましたが、すでに親しい友人だったので、そのまま何事もなかったかのようにおつきあいは継続しています。僕には「そっちの方面の趣味」はまったくないですが、同じマイノリティーとしてのシンパシーはなんとなく感じていました。だからといってゲイカルチャーや彼らをきちんと理解しているとまでは言えませんけど。ま、それはそれとして。

 地上波テレビをほとんどみない僕でも レイザーラモン は何故か知ってます。今や凄い人気だそうですね。
だけど、Wikipediaの紹介ページに削除依頼が出されているのを見ると、相変わらず自分が気に入らないことは排除しようとする輩が多いということなのでしょうか...

So-net blog:備忘録:レイザーラモン住谷 HG

( ↑ 動画掲示板で、ダウンロードから表示まで約30秒かかります。ちょっと下の方にある「レイザーラモン住谷3/19-a」というTV番組からのキャプチャファイル)

 くだらないんで無理に見なくてもいいかもですが ^^ おもしろかった。

この人、さわやかに ゲイ差別緩和 に貢献しているように思うのです。

 それで思ったのですが、もし彼が、 M で、「レイザーラモン・ハード・マゾ」だったらどうなっていたか?

 お茶の間の会話に、子供たちの流行語に「ハード・マゾ」というボキャブラリーが普及し、マゾもそんなにキモイことないじゃん!てな風潮になっていたかも?と思われるではないですか。

 ホモやゲイだって昔はキモイの代名詞として、かなり陰湿に差別されていた時代があった。日本ではそれほど表面化していなかったようですが、アメリカあたりは殺人事件にまで発展していたくらい過激に差別されていた時代があります。それがこういうお笑いタレントのキャラの一つして認知されることで、人権主義者や擁護団体が長年かけて実現できなかった社会的環境を、いとも簡単に、ほとんど一瞬にして実現してしまった。これはこれでかなり凄いことなのではないか。僕はそう思います。

ウルトラン、アンパンマン、ハード・ゲイ・マ〜ン! 

とかいうギャグフレーズを子供の頃からなんの先入観もなく使っていれば、今のノーマルな大人でも抱いているような深刻な差別意識は育たないと思うのですが、甘い認識だろうか?

 子供の純真な白紙状態に、変な差別意識を植え付けているのは、大人の偏見や社会的な環境が大きい影響を及ぼしているように思うのです。


Mr.& Mrs.スミス

 昨日から公開されている映画「 Mr.&Mrs.スミス 」を見た。

 内容的にはイマイチの出来で、お正月映画としては他にも大作が用意されているから、忙しい師走にこれを見に行く必要はなかろうと思われるのだが、わざわざ公開初日に見たのには理由があった。

アンジェリーナ・ジョリーが女王様に扮してマゾ男を鞭打つシーン

があるという情報を以前からキャッチしており、これは絶対チェックせねばと楽しみにしていたのである。ハリウッドのメジャー映画が、しかも当節随一のセクシー女優が、SM、FemDom 的な描写をどうこなすのか。これは何がなんでも注目せざるを得ない。

 問題のその場面は前半に早くも登場した! いや〜素晴らしかったですね。
ボンデージルックに身をまとったアンジェリーナの不敵な笑みと妖しい表情はミステリアスに輝き、ものの見事にハマっていた。

 悪い子はどうなるの? 悪い子はお仕置きしなくちゃね

 普通だったら安っぽく響くような陳腐な台詞も、この女優が言うと実にサマになる。まともな男なら絶対に鞭打たれたいと願うに違いない。
   ↑  そんなことないって (。。)☆\バキ

少なくとも、FemDom 普及振興には確実に貢献すると思われる。

 しかしヒットはしないだろうな。残念ながら映画としてはB級。限りなくC級に近いかもしれない。ま、面白いんだけどアクション娯楽作品としてはちょっと欲求不満が残った。監督のダグ・リーマンには前作「ボ−ン・アイデンティティー」があり、こちらの方が作品的には優れているように思える。

 このシーンは、ストーリー的にはあまり必然性が感じられない。強いていえば、

「監督がアンジェリーナの女王様姿を見たかった」だけではないのか?

と思えるくらい、内容的にはあってもなくてもいいシーンである。(あればいいに決まっているが)

 メグ・ライアンとか、ナタリー・ポートマン(スターウオーズ)みたいな女優に比べると、アンジェリーナ・ジョリーはいかにも「女王様」的なキャラだとは思う。

 そういう意味ではこの監督は正しい。

 それと、マイナーでなく、メジャー作品で、きちんとさわやかに扱ってくれているのがうれしい。昨年の「キャットウーマン」に続いて、久々にエム心を刺激してくれる映画の登場に拍手を贈りたい。

 まァとにかく、あれだけの大画面でセクシー女優のSMシーンはそう滅多にお目にはかかれない。劇場で必見の作品であることは言えるだろう。


予告編 でそのシーンが一瞬見れます。(要 QuickTime


お馬さんごっこ

 このブログはたいして意味なくアドバンスにしていて、何がどう「アドバンス(進化)」しているのかよく分かっていませんでした。「アクセス解析」が売り文句ですが「何ソレ?」って感じ ^^
 そこで、最近になって気をつけてよくみてみると確かにいっぱいタブがあっていろいろな事がわかるようになっているようです。その中に「検索ワード」っていう項目があり、どんなキーワードでここにたどり着いた読者が何人いるのかを教えてくれます。

 多いのはやはり「マゾヒズム」「SM」「女王様」といったお馴染みな言葉が並びますが、中には「舐め」や「鞭打ち」といったそのものズバリな表現から、「包帯」とか「リンチ」「性癖」といった感じで、どんな世界をお求めなのかよくわからないような人も来ています。探し物は別にあるのかもしれませんけど、どういうわけか検索エンジンにひっかかり、はるばるここまで到達されている。


 ちょっとおもしろかったのは、「花束」とか「マゾロポリタン」などというキーワードで検索されている人もいました。花束はきっと別のサイトを探していたのかもしれませんけど、マゾロポリタンは僕のブログを検索しようとしたのだと思われます。
 マゾロポリタンは他にも使っている人がいるかどうか知りませんが、以前のブログで FemDomアートを紹介するカテゴリーとして僕が作った造語です。
マゾロポリタン美術館

 この言葉の響きからニューヨークの メトロポリタン美術館 を連想してくれればいいやぐらいのネーミング。テキトーです。

 いろいろなキーワードがあるなァと感心していましたが、ちょっとショックだったのは

「お馬さんごっこ」 というキーワードをみかけません。


 まあ、SM関係のカテゴリーとしてはマイナーであることはわかっていましたけど、お馬さんごっこ普及振興会としては寂しい思いです。 以前のエントリー でもちょっと触れましたが、見直されてもいいジャンルではないかと思うのですけどね。
 

posted by homer_2006 | Comment(4) | マゾヒズムに花束を!


もう師走

すでに年末進行も終了しつつある出版業界。早くもお正月号が発売されています。

今年の夏ごろ 「お馬さんごっこ」 のエントリーでグラビアタレントの山崎真実ちゃんをピックアップした時に「登場しては消えていくタイプのアイドル」かもなどと表現してしまいましたが、彼女は来年あたりからブレイクしそうな気配。いや既にもうブレイクしているのかな?

 その根拠はコミック雑誌にカバーガールとして登場する頻度。以前の真鍋かをりほどじゃないですが、けっこうな勢いで赤丸上昇中。今発売中の ヤングマガジン (2006年1月1日号!)の表紙も飾ってます。そんなこともあって普段は読みも買いもしないヤンマガですがコンビニで手にとってみました。
 
 すると、思わず「女王様が死んじゃった」という作品に目が点に...

このタイトルからは想像しにくいんだけど、ラグビー?マンガです。スポ根です。しかし冒頭のネームにはイキナリ

顔面騎乗の圧迫感 とある。

スクラムでつぶされるイメージで下着姿のお尻の下にいる主人公の名前は江武(エム)!

 ヤングマガジンは成人向けでなく一般コミック誌だと思っていたけど、なかなかシュールで意味ふめ〜 ^^ 
単発の短期連載らしいのでこれっきりになるかもと、真実ちゃんのグラビアページもあったことだし、つい買ってしまいました。

山崎真実ちゃんは、僕にとっては「お馬さんごっこ」のキャンペーン・ガールなのですが、一般アイドルとして成功してもらいたいと願っております。
posted by homer_2006 | Comment(2) | マゾヒズムに花束を!


ノーマルとアブノーマルの狭間で

 建造物の耐震データ偽造問題で姉歯建築士がどうして逮捕されないのか、ず〜と不思議に思っていたら、やはり同じような疑問を抱く人がいたようで安心しました。

なぜ姉歯建築士は逮捕されないのですか?

 Google で「姉歯」「逮捕」「なぜ」 をキーワードに検索してみたらヒットしたのですが、こんなおバカな検索ワードで日常の疑問が解けるのだから、凄い世の中になったものです。

 およそ健康と病気、正常と異常の境界線ほど明確に区別しにくいものはない。肉体的な病気でも、熱があるとか、痛みがあるから病的とはいえるかもしれないけど、それがどの段階から確実に病気だと誰が言えるのだろう。本人の自覚症状だけでは決められない。多少の痛みぐらいなら大丈夫と本人が主張しても、もしかしたらガンの初期症状だったりする可能性もある。

 心が病んでいるような人の場合などは特に、本人も周囲も長期にわたって気づかなかったりするから深刻だ。姉歯建築士が心身症とは思わないけど、彼のように一線を越えるか越えないかの瀬戸際を抱えている一般の人は多いのではないだろうか。

 同様に、変態性欲を自覚し、自分は異常だと思っていても、日常生活を健康的に過ごしている人は多い。先日、神奈川県警が児童ポルノ画像の単純所持者を摘発した際、医者や学校教員が多かったという報道がありました。(所持だけでネット送信や売買を行わない限り、現行法では処罰されない)

 外面がノーマルで健全な人ほど、陰ではどんなマニアックな変態性趣味をもっているかわからない。実際に何かやるかやらないかのボーダーラインは、常にグレーゾーンで幅があり、あいまいでリスキーなんだと思う。
 
 こう書いたからといって「僕はノーマルですよ」と言いたいわけではありません。自信を持って言えますが

僕は変態 だと思う。

 変態的な行為が好きで、実際にそれを時々(人様に迷惑をかけない範囲で)やっている。  
 まァ、それにしたって過激とは言えないレベルで、間違っても法に触れる行為ではないと思いますが...

 だけど、いつかグレーゾーンを越える時が来るのだろうか? 脳内天国では満足しきれず、リアルな行動ににでてしまう危険性はあるのかもしれない。もっとも僕の場合、土下座して「お馬さんにして下さい」と脅すぐらいで、国や政府から告発されるような筋合いにはならないと思いますが...(なるかな? ^^)
posted by homer_2006 | Comment(7) | マゾヒズムに花束を!


エゴマゾで行こう!

 一般の男性ユーザーは女性の肌に直に触れたいと思っている。これはわりとノーマルな願望でしょう。だから顔面騎乗でもお馬さんごっこにしても、まずはナマがよいというのが初期設定。そこにパンティ越しがよいとやらハイヒールのタブがついたり、革製の馬具や鞍をつけて欲しいとかいうオプションが加わると、これはフェチの要素が入ってくることになる。極端な場合は生身の身体(足や尻)でなく、下着やコスチュームだけに萌えてしまう。

 本来フェチ(フェティシズム)は物神崇拝(呪物崇拝)と訳されるように、ある特定のモノへの信仰性を意味していた。これがいつのまにやら

女の足よりハイヒールが好き!

というような変態性欲をひと言で表してしまうのが現代用語の基礎知識となっている。

足(脚)フェチにしても、ナマ脚ではなくストッキングを履いてなければダメだとか(ちなみに僕はプラス「ガーターベルト」派です)、色は黒に限るとか、赤や白がいいだのとこだわりのバリエーションも広く深い。ようするにワガママなのであります。

 さらにマゾヒズム願望のタブが加わると、それはもう常人には理解できないほど複雑なインターフェースとなり、その人のプロパティを説明するのは非常に困難であるため、しばしば「エゴマゾ」という便利な用語が用いられます。

 しかし僕の考えでは、エゴマゾも含めていわゆるマゾヒストは全て

  己の欲望に極端に忠実 なだけで別に自分勝手(エゴ)なのではない。

強いて言うなら、正直な願望の未熟なプレゼンから生じる理解不足が、相手に誤った印象を与えているのだと思う。言うなればマゾなんて全員が基本的にエゴマゾだ。またはエゴフェチなのである。

 例えば「脚を舐めたい」という願望だけであれば、特にエゴとは言われないのに、「ひざまずいて舐めたい」とか「踏みつけられながら舐めたい」という要求が加わることによってエゴにされてしまう。

 女王様側が「ただ単に舐めることが出来ればそれでいいんでしょ?」程度の理解しかないと、相手の細かい願望にまで気がまわらない。

 舐めるという行為以上に、相手が着衣でこちら全裸であるとか、命令されて行うのか、それとも奴隷の立場からお願いしてさせて頂くのか、そういった細かいシチュエーションが重要なのである。このようなこだわりを説明しても、「あんたの言う事はわかりません」となれば、残念ながらエゴマゾのレッテルを張られておしまい。分かる人にしかわからない世界をどうやって分かってもらえばよいのか。やはりクドクドと説明するしかないのか。

まず赤い下着とハイヒール、そして赤いストッキンングを履いて頂きまして、

椅子にお座り願います。そしてどうか脚を組んで見下して、命令して下さい。

 「おまえの口でハイヒールとストッキングを脱がせなさい!」と。

その後で、御足を舐めさせて下さい!

 フツーそこまでやるの? ↑ 

 .... 強気なコダワリさんならやるんだろうな。

 内気な僕には「足を舐めさせて」と言うのがやっとで、ここまで細かい段取りをセッション直前にお願いしたことはありません。しかし、できることならそこまで詰めて依頼してみたいというのが正直なところ。
 
 こだわりにかたくなにこだわる、頑固なこだわりさん。それが正しいエゴマゾの姿なのであります。
posted by homer_2006 | Comment(0) | マゾヒズムに花束を!


現代の芸者は女王様?

 公開中の話題作 SAYURIを観てきました。

 チャン・ツィイーの日舞が見事!同世代の日本人女優であれだけの舞いを踊れる人はいないのでしょうか。残念なことに、世界を舞台に通用する女優は、栗山千明みたいな例外を除いてはまだいないのかもしれない。それでもまあ、英語のセリフがくさい気もしたけど桃井かおりはいい味だしていた。パリの売春宿にもああいうタイプの女将さんっていそう(行ったことないですが)

 あの芸風は万国共通なのだろう。

 日本が舞台の、日本人が主人公のアメリカ映画。台詞はほとんど英語なのだが、ところどころ日本語(ちょっとした挨拶とか「早く!」とかいう細かい表現)が聞こえてくる。

 それから、He is my DAN-NA.(旦那)とか、日本人のキャラクターが付け焼き刃の英会話をしているみたいで、

どこかに無理がある ような気がした。

 しかしそれは最初のうちだけで(ちなみにイントロのシーンは全て日本語で英語の字幕がなく「アレ?」と思ってしまう)そういう違和感は見ているうちに消えていった。この作品が本来的に持つ虚構のイメージが、嘘をリアルに描くのに役立っていたのかも。加えて豪華なハリウッド・マジックによる映像美が些細なこだわりを吹き飛ばす。

 欧米社会から見た日本の伝統文化は、今の日本人が見てもそれなりに納得のいく描写であったように思う。もともと花街とか芸者の世界は、一般庶民にとっては最初からアナーザーワールド。どこにリアリティがあるのかなんてわからないですよ。要するに「愛人関係」みたいなものを、格調高く優雅に表現しているんだけど、いまどき制作されるにしてはかなりストレートな純愛もので、恥ずかしくも感動してしまいました。

 半玉の芸者を水揚げする旦那。これって確実に不倫なのに戦前は社会的に大目にみられていたのかしらね。「夜だけの妻」なんて映画の中では言われていたが、マゾ男の都合のいい幻想を女王様に押しつけるのとたいして変わらんのじゃないか?などと思ってしまう。しかし、プロの女王様はある意味で芸者だとも思った。まぎれもなく「芸」を売っている。

 貧困のために花街の置屋に売られてしまう娘。上流社会と下流社会のアクセスポイント。それが花街だ。現代に無理矢理置き換えると、SMクラブで遊ぶ中流サラリーマンも、自分好みのミストレスに出会ったならば、お金をつぎ込んで個人奴隷にしてもらい、リアル調教をしてもらう...などといった図式とだぶってしまった。純愛的な人間関係もあるだろうけれど、金銭の授受が伴う限り、財力にもの言わせて愛人を囲うのと一緒で、SMクラブで女王様を水揚げするのは現代のマゾ男のファンタジーかもしれない。



posted by homer_2006 | Comment(1) | マゾヒズムに花束を!


トレンド商品 Blog

 おもしろいブログを見つけました!

マゾヒズムに 札束 を!

 おそらくは 僕の熱心なファンが立ち上げたブログ で、いかにも僕が公開している別のブログのようにみせかけていますが、この僕とは全く無関係です。

 でも僕のブログとセットで読むとかなり笑える ^^  実際よくできたパロディですよ、コレ。

 電通が最近行ったアンケート調査で、

今年最も流行ったキーワードに「マゾヒズム」がランクイン していたのはこのせいだった。

というのはウソで、そうなればいいんですけどね〜 ^^

真面目な話、本当に電通さんがまとめた調査では、今年の流行商品の第1位が、iPodに代表される携帯型デジタルオーディオプレーヤー、2位がHD付きDVDレコーダー、

3位にブログという 結果がでてました。(上半期では1位だったのに!)

 ブログって商品だったの? と一瞬意外に思いましたね。無料ブログも消費者のトレンド意識の中では注目商品と言えるのでしょう。去年ぐらいまでは MovableTypeの知識が必要だったりしてマニアックな人がやるウエブ日記みたいなものだったのだが、今じゃ5分で作れて小学生でもやっている。
 「流行っている」という意味は、ブログを読む人の数以上に、開設する人が加速度的に増えたということなのです。

 インターネット初期の時代は、変態も含めて一部のマニアの自己主張の場であった個人サイトというメディアが、ごく一般の普通の人たちにも開放されたのは、無料ブログの手軽さのおかげ。特に主張やコンテンツがなくても、とにかくブログを公開してれば「かっこいい」ということになる。

そして、レベルの低い心ない人々が個人攻撃や誹謗中傷の手段として悪用 もしている。

 以前僕のブログによくコメントやTBしてくれていた方で、本人かどうかわかりませんが、「〜様にうんちを喰わされたい」というキャッチフレーズで有名な人がいました。コメントはいつも意味不明でしたが必ずこの人のサイト 「 女性にうんちを喰わされたいと夢想する人々に贈る」へのURLがついていて、最初は本当に何がなにやらワケがわからなかった。だけど、このサイトの文章をよく読んでみると、要するに

ネットにおける人格や自己主張はあてにならない

という趣旨が、わりとシリアスに書かれています。今になって思うと、このURLつきのコメントやTBをすることで、ネットコミュニケーションの危うさへの警鐘を意味していたかもしれません。他の誰でも、ここの管理人になりすまして同様のメッセージを送ることが可能なわけで、一見すると荒しのようでいて、ちょっとシャレを利かせたメッセージだったのか。最近はそんな風に考えるようになりました。

 NPOやボランティア関係で真剣にやってるブログも多数ありますが、急増しているのは暇つぶしにやってる程度のものがほとんどで、「〜札束を!」もその一つでしょう。

 ていうか、僕だって同じでよく言えば趣味ですが、いつやめたってかまわないと思っている。そんなに重要なことは書いてないし、ヒマにまかせて変態的妄想やエッチなコンテンツをこっそり同好の趣の方に紹介しているだけです。これでお金になればいいけどそんなことはあり得ないでしょ。アフリエイトもそれこそ暇つぶしで手を出してみましたが、よほど気合いいれてやらないとアドバンスの利用料にもなりませんワ ^^;

 ま、とにかく Blog は新しいコミュニケーション・ツールとして注目されています。確かにこれをやってなければありえなかったであろう出会いや貴重な体験をすることができたのは事実ですが、だからといってリアルなコミュニケーションに匹敵するほどのメリットや可能性が、巷で言われているほどあるのでしょうか。今のところはやってない人の数が多いわけだし。面白いけど、今後どうなっていくのか、チマチマとやりながら様子を見ていきたいと思います。

【2007.2.10 追記】


支配と服従 D/s

 僕は争いごとを好みません。などと書くと 平和運動 の話か?とも思われそうですが、それに多少は関連もするのかもしれないけれど、

個人的なものも含めてあらゆる対立が基本的に嫌い です。

 人のケンカもみたくない。だから、コンフリクトを避けるために必然的に自分を抑えることになります。不満はあってもそれを口にせず、相手の言う事に反発はしない。
 他の多くの人に不快感を与えるのもイヤなので、あえてその防衛策としてトップに赤字でメッセージを追加してみました。僕やこのブログへの異常な好意を寄せるストーカーさん達にも、幸福になって頂きたいと願っています。
 
 ま、それはともかくとして、こういう態度を英語では

 submissive 【形】 服従的な、従順な 

と言い、しばしばマゾヒズムとの関連で語られる。欧米でSMとほとんど同義的に用いられる D/s (Dominance & Submission)の「s」はこれの頭文字。ちなみに D を大文字で、エスを小文字で表すのは慎ましい態度の現れだとか。

 submissive な人の中には、仕方なく自分を抑えたり、不本意ながらそうしている人もいるのでしょうが、好きでそうしている人もいます。相手を立てて満足させることに喜びを見いだす。そのためには自分の気持ちや要求を犠牲にできる。そういう献身的な態度がエスカレートしていけば、マゾヒスティックな感性にも結びついて不思議はない。もちろん普段から支配的で押しの強いタイプが、夜のベッドの上でだけ submissive になる場合もあるでしょう。(ちなみに恐妻家のことを「submissive husband」と言います)

一般的に男性が支配的で、女性が服従的といった因習的偏見がまかり通っているため、これを逆転する構図が倒錯的だと言われます。

 「男のくせに女々しいこと言うな」なんていうフレーズは今でもたまに聞きますよね。あるいは「女のくせにナマイキだ」などなど。

 だけど僕は、男性が女性に服従するとか、女性に支配されることで満足を得るのが倒錯だとは思いません。話がこんがらがるけど、女性のマゾヒズムについても同様のことが言えると思います。

 男女を問わず相手のいいなりになったり自分の主張が通らないことが続くと、たいていの人ならストレスがたまるでしょう。そのストレスの量と、相手と対立関係を引き起こしてまで自分の主張を通すストレスの量を比較してみるとどうなるか。

 まっこうから対立して相手を打ち負かし、両者ともに消耗して得られる満足よりも、自分が譲歩することによって相手に与える快感と己の自虐的な満足感を得る方が、よっぽど省エネだし健全だとも思えるのです。(その反対に、相手を打ち負かして屈服させることに喜びを見いだすのもあり得るし、サディズムと関連づけられるのでしょう)

 まァそんなわけで、性格的に自分は内向的でリーダーシップをとるようなタイプではありませんが、実際には職場や人間関係によっては時には支配的になったり、場を仕切ったりとかいう状況はよくあるし、避けて通れない。そのへんは臨機応変にバランスをとってやっています。正確に言うと「支配的に振る舞う」ことをしているわけで、これはこれでストレスがたまる w....

 アメリカの心理学者Michael Babyakによると、

支配的な男は、服従的な男より平均寿命が短いそうです。

 早死にしているというレポートすらありました。支配的であるより服従的であるほうがストレスの少ない健康的な生活ができるという報告がこの研究ではされていました。支配的であることはエネルギーがいります。従順であることは、それが屈辱であるとして受け入れがたいという人には苦痛かもしれません。しかし服従することにポジティブな満足を見いだせる人は、マゾヒストとしての資質がある。そしてそういう資質は特に異常とか倒錯というものでもなく、一人の人間の属性として認められてもいいと思っています。

 健全なマゾヒズム とまで言うつもりはないですが、

「鞭で打たれたい」とか「お馬さんになりたい」だけがマゾヒズムではありません。


言葉のスピリッツ

 昨晩はむか〜し演劇やってた頃の仲間たちと久しぶりの忘年会で盛り上がり、ちょっと二日酔い気味であります。芝居をやってた連中で俳優になったのはいませんが、声優になったのが一人いる。アニメの声優ではなくCMのナレーションやローカルイベントのアナウンスや司会などで食ってる。普段はいいかげんな性格なのに言葉使いはさすがに僕なんかよりは正確で、いわゆる「問題な日本語」に敏感。時々「それってホントはおかしいよ」と注意されたりする。一応しゃべりで商売しているだけあり、うなずけることがしばしば。というか今時のキー局のアナウンサーのほうがもっとアヤシイ言葉を使っているから、彼はまともなほうかもしれない。

 例えば、よくコンビニでおつりが「320円になります」と言われるでしょ?彼によると、店員が最初に間違えて300円渡そうとして、客に指摘されて気づき、あらためて320円にして渡す時に初めて「〜になります」と使える。だから普通は「おつりは320円です」が正しい。同じ理由で「320円のお返しになります」もおかしくて、これは「320円のお返しです」となるべき。最近共通する特徴は、とにかく丁寧に表現しようとしていろいろと余計な助詞やあいまい語をつけたす傾向があり「おつりのほう320円に〜」の「ほう」もこの例だ。レストランでも
「メニューのほうは、こちらのほうになります」 とか言われて2重に気持ち悪いとその友人はぼやいていた。

 「メニューはこちらです」とシンプルに言え!  と

 ま、別にいいんだけどサ。

 言葉の使い方は誤用も含めて時代や地域によって変化するものです。世代によっても時には激しく異なるような印象を、 さくらいゆり さんの 昨日のブログ・精神的マゾか---?を読んでいて思いました。唐突に「マゾ」という表現の選択に意表をつかれました。彼女エムっ気あるのかしらね。
     (--- さくらいゆりの気まぐれワガママ好き勝手の毎日 ---)

 ま、別にいいんだけどサ。
 
 雑誌「 奇譚クラブ 」の時代は、少なくともサド・マゾなどという言葉は若い女性が口にするなんてのは考えられなかったでしょう。なんて書くと、僕もオヤジ化したな〜と思いますが、人々の意識とともに、言葉の持つニュアンス自体も変遷してるのは確かなようです。

 僕が演劇やっていた時代(1980年代)ですら、「SMっぽいの好き」とかいうアダルトビデオのタイトルにはためらいが感じられた。だからこそインパクトあったんだと思うのに、今はもうSMって言葉の持つ響きにはそれほど深刻な恥じらいがなさそう。あってもジメジメしていない。能天気な羞恥とでもいうのか。人々の意識レベルの話でなくて、言葉の持つ「スピリッツ」、言霊(ことだま)も変わってきているのだと思う。

 ライトでポップなSMもいいけど、僕の好みのSMは、ダークでアンダーな、モノトーンの淫美な世界。今の若い人たちに、わっかるかな〜... わっかんねェ〜だろーな〜(←すでに古い)
posted by homer_2006 | Comment(6) | マゾヒズムに花束を!


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 お元気クリニック でおなじみの乾はるか氏とは 北川プロのイベント でお会いしました。楽屋に突然ふらりと現れ、そのイメージは「想定の範囲内」で、こういっては失礼ですがかなりマニアックな方とお見受けしました。でもお話してみると気さくなお人柄で、サインをお願いした時に「イラストも描いて下さい!」という厚かましいリクエストにも応じて下さり、打ち上げではフェティッシュ談義で盛り上がりました。
 
 パンストへの思い入れについて熱く語る乾さんは情熱的で、本当に自分の好きなものを追求するというのはこういうことなのかと感銘を受けました。僕もパンストは嫌いじゃないですが、ここまで深い愛着を持つ人は初めてお目にかかった。

 この時話に出ていた新作が最近やっと発売されましたのでご紹介します。乾さんがマゾかどうかは知りませんけど(おそらくフェチ系のマゾっ気はあるみたい)こちら側の人間にしか理解できないような細かいこだわりを、その気のない読者にもアピールできる手法で作品を描ける希有なクリエイターだと思います。

 また北川プロには次回のビデオ作品の企画提案みたいな話をしていましたが、自分好みの女王様への出演依頼がこのたび実現し、それも現在進行中のようです。

 乾はるか先生に頂いた直筆サイン ↓


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チャーリーとチョコレート工場


チョコフェチに捧げるファンタジー

 40歳すぎのオヤジが観るような映画じゃないって? 
まあ、そうかもしれませんね〜 ^^ どちらかというと子供向けになるのか。

 実は高校時代に英語で初めての読んだ原書が、 この映画 の原作「チョコレート工場の秘密」(ロアルド・ダール)だったのです。

 そんな思い入れもあって、今回のジョニー・デップ主演の映画「チャーリーとチョコレート工場」は公開前からと〜っても楽しみにしていました。

結論:ものスゴくよかった




 ロアルド・ダールと言えば英語学習に熱心な人たちにはちょっとは知れた名で、初級者向けサイドリーダーの作家としてもよく取り上げられます。僕もこの人の作品のおかげで英文を読むのがそれほど苦にならなくなったし、英語の成績も少し上がったような気がする。(「気がした」だけで実際に上がったかどうかは知らない)
 童話作家ということもあり平易な英文で書かれていて、大人が読んでも面白い。ブラックユーモアと意味深な象徴。シンプルだけど風刺の効いた味つけに特徴があり、きれいごとだけではすまされない毒気がやや不気味。
邦訳 も手頃なものが数点出ています)
 
 映画の方もそのあたりのテイストをきちんと汲んでおり、上質な仕上がりになっていました。「指輪物語」や「ハリーポッター」のように、先に優れたオリジナル原作がある場合、本と映画の評価は賛否両論となることが多いのですが、「チョコレート工場」の場合はそうはならないと思う。好みの問題とはいえ、どちらも素晴らしい。というか映画と原作がこれほど極端に異質であるのに、それと同時に不思議と調和しているようにも感じるなんとも言えない凄さがあります。監督のティム・バートンは「シザーハンズ」の時にも思ったけど、絶対どこかに変態的なフェチがはいっているような人だと思う。

 エンタテイメントとしてのサービス精神も旺盛で、チョコレートが唐突にモノリスの板となりシュトラウスの名曲「ツァラトゥストラはかく語りき」が流れてくる。なんだコレ「2001年宇宙の旅」のパロディーじゃねーか!
 わかる人がみると、それなりに楽しめるフェティッシュなこだわりがそれこそチョコレート菓子のようにいたるところにちりばめられている、本当においしい映画でした。トリビアな楽しみ方もできる何度でも観たくなる作品。

 人生って、いろいろあるんでしょう。山あり谷ありの人もいれば、平凡で退屈な人もいる。最近の痛ましい事件や災害のニュースみていて感じることは、そういうことに巻き込まれていないだけでもラッキーなんだと思えてきます。やさしい心を分ちあう。そうすればいいこともあるかも。普段は性格悪いこの僕が、そんなあったかい気持ちに(5分ぐらいだけどね)なってしまったです。
 
 クリスマスに家族で、彼女と、そして一人寂しく観ても楽しい、実に心地よい作品。

 いや〜映画ってほんと、いいもんですね!そんな気分に絶対なりますって

 
ということで。 サヨナラ、サヨナラ、  ... サヨナラ!

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女王様と私



女王様と私 歌野晶午
角川書店/1600円(税別)
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 わざわざ発売当日に買ったのに( 過去ログ 参照)、しばらく積ん読状態になっていてやっと最近読み終えました。

 タイトルからはこの「私」ってもしかして マゾ男?かと思った人、いたんじゃないでしょうか。

 内容的にはSMとは無関係で、いわゆる女王様も登場しません。ここで言う「女王様」というのは12歳の女の子で、最近の小学生は同級生や塾の講師に殺されたりと、とんでもない時代になっていることをふまえて読むとなかなかリアルな作品。そういった痛ましい事件や電車男の社会現象化など、作者の先見の明が冴えた、優れたミステリーとなっています。

 ネタばれがあるので詳しく書きませんが、ラストのオチも僕的には納得できた。このオチをどう評価するかで作品としての善し悪しの判断がわかれるかもしれませんね。でもそれを抜きにしても、今っぽい題材で巧みにまとめた現代小説としての充分な読み応えはあると思う。実際スピーディな展開に興奮し、遅読な僕にしては珍しく一気に読んでしまいました。面白かった。僕と同年代のオタクが主人公ということもあり、ついつい感情移入してしまう。

 しかし、こういう作品が出てくる背景には、ひずんだ現代社会も反映されているわけで、なんともやりきれない気分にもなります。共感できるだけにアブナい。明日は我が身か?

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Fem-Dom から FLR へ

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Happy Holiday !

 最近は宗教色をはずして「ハッピーホリディ!」などと言うんだと。何はともあれ今日はクリスマス〜...

          まァ、別にどうでもいいんだけど...

 とはいえ街には何故か女性のサンタクロースがやたらと目につく。もともと司教さんが語源(聖ニクラウス)で初期設定では男だと思ってましたが、国や地域によっては女のサンタもありなんだと。
 でも日本の場合はほとんど意味不明にコスプレ状態ですよね。 悪くはないですが ^^

 先日SMとはまた別の意味でD/sという言葉の使い方について書きました。(12月16日
同じようなカテゴリーに「FemDom」という言葉があります。このブログの読者の方ならご存知のように「Female Domination(女性支配)」のことで、以前にも紹介しました。ちょっと前までは日本では馴染みのない表現でしたが、最近はブログのタイトルにもなったりして、少しずつ普及してきているようです。

 さて、最近欧米のBlogを読んでいて、FemDomに変わる新しい表現、というのが登場してきているようです。

女性主導型関係

 FemDomと似て非なるもので、支配・服従関係ではなく、男女は平等であるべきだけど、現実には不平等なのでそれを是正するためにあらかじめ女性に優位性を与えてバランスをとろうとする考え方と理解できます。

 おそらく原始時代も含めた太古の昔から、そして確実に文明社会は、男性主導によって発展してきました。それはある意味で、身体的・肉体的な優位性を利用することで、人類が生存し進化していくための必然であったのかもしれない。この優位性に知性や政治力なども含まれるかの議論はさておき、21世紀の現代においても、男性の支配的な構造は依然として根強いものがあります。
 
 しかし、今日においてはそのような性差による役割分担は無意味であり、力のバランスを保つべきである、というのが FLRの主張です。素晴らしい思想ではありませんか!まあ、この流れを受けて女性のサンタクロースが街にあふれている、わけではないようですが...

 ますます女性がパワフルになってきていることも合わせて、意図的にパワーバランスを調整して男を弱体化していこうとする発想には、なんとなく「家畜人ヤプー」的な世界に通じていきそうで、ちょっとワクワクするものがあります。

 だけど、日本では FemDomもそれほど浸透していないし、こういう考え方はまだまだ遠い先の話でしょう。愛子様が天皇にでもおなりになられて、首相も女性がなるような時代が、いつか来るのでしょうかねェ...

  まあ、何はともあれ、みなさま、よいお年を!



posted by homer_2006 | Comment(6) | マゾヒズムに花束を!


キングコング観てきました!

 話の骨格はしっかりしている。テーマも普遍的なもの。役者もそろってるし、あとは「どう見せてくれるのか」がポイントの映画だと思っていた。

 ロード・オヴ・ザ・リングやハリポタで、小手先のCG技術がスゴいのはわかったからもういい!というバイアスがかかりながら鑑賞しましたが、いやはや恐れいりました。特撮の技術革新は、その最前線がビッグバンの膨張のようにいつも進行中のようです。コングのリアルな動作から微妙な表情まで、目つき(まさに目でものを言うという感じ)や毛の質感などのディテールとモーションキャプチャーのリアリズムには本当に舌をまいてしまうべや。その緻密さと迫力の合わせワザに目が釘付けになってしまった。

 演出がまたいい。出来過ぎの展開にはリメイクということもあり許せるのだけれど、「お〜今度こそこれヤバいんじゃねーの?」と思わせつつ、何度手に汗にぎりしめたことか。こういうのは「インディージョーンズ」以来だったような気がする。アクションシーンに興奮し、ロマンティックシーンにほろりとする。動と静のバランスも絶妙。今年最後にいい映画を観せてもらいました。

 もう一つ特筆したいことは、僕らの世代では、ウッホ♪ウホウホ・ウッホッホ〜 の歌がどうしても忘れられない。なんでかここのところが耳元でリフレインしてしまう。


大きな山をひとまたぎ キング〜コングがやってきた
こわくなんかないんだよ〜 キング〜コングは友達さ 
嵐も地震も恐竜も キングコングにゃかなわない
たたかーえキ〜ングコお〜ング 世界〜の王者〜♪

 (↑歌詞まちがってたらごめんなさい)



 というアニメソングがつい懐かしいんだけど知ってる?1933年のオリジナル版の映画よりも、こちらのほうが馴染みある人は多いのではないでしょうか?
(「親指トム」が真ん中で併映された30分番組でしたっけね)

アニメではより愛嬌あるキャラでこの記憶のある人が映画を観るとまた格別のものがあると思います。DVDではなく劇場で観ることをおすすめします。ラストはお約束どおりで悲しいけれど、お正月映画にぴったんこ。古典的名作の素晴らしいリバイバルということで、ハッピーニュームービーです!
 
 ん? マゾヒズムとどう関係あるか? う〜ん、あまり関係ないみたいです。
「美女と野獣」的な関係性に少し萌え、かもしれない。


映画「キングコング」公式サイト

posted by homer_2006 | Comment(2) | マゾヒズムに花束を!


よいお年を!

 今年もまもなく暮れようとしています。この1年を振り返るとこれまでの人生の中ではけっこういろいろとあったほうで、初恋や失恋に匹敵するほどエキサイティングなものでした。まァ、失恋はしょっちゅうなのでたいしたことないですが、ネットを通じていろいろな方ともお知り合いになれ、交流の輪が広がったのは大きな収穫でした。リアルでお会いした方々とも密度の濃いおつきあいが始まり、来年以降も充実していきそうです。社会的には暗い事件が多かった中、個人的には平穏無事に新年を迎えることが出来そうでホッとしています。

 気恥ずかしいのですが、最後に臆面もなく書きます。
皆様方の健康と幸福を心より願っています。 どうかよい年をお迎え下さい!
posted by homer_2006 | Comment(3) | マゾヒズムに花束を!


デカルトの密室


人工知能をめぐる科学情報の最前線



デカルトの密室

瀬名 秀明 (著) /新潮社




 読者の皆様に謹んで新年のお慶びを申し上げます。
というわけで、このお正月休みに読んだ本の感想などを...

 この本を読むと一瞬だがIQが上がったような気がする。「アルジャーノンに花束を!」の主人公チャーリイのように。「おりこうさん」になれた気分は心地よい。たとえ錯覚でもね ^^

 子供の頃からの大きな疑問の一つに「僕って何者?」というのがあった。おそらく誰もが抱く自我の目覚めとでもいうやつで、年がら年中そんなことを考えていたわけではありませんが...(そういう意味では「僕ってマゾなの?」という問いかけとともに変態的妄想はいつもやっていたけれど)

 大学入試の共通一次試験では比較的楽そうな「倫理社会」を選んで合格したくちですが、哲学やデカルトの知識なんてそんなレベルです。大学の一般教養でも「哲学概論」を受講はしたものの、いったいどうやって単位がとれたのか覚えていない^^

 だけど、専門書をいくら一生懸命読んでもなかなかわからないことが、ひとつの「物語」というフィルターを通すことで理解が容易になることがある。人はどこから来て、どこへ行くのか? 「デカルトの密室」ではそんな哲学的問いかけに、現代科学の最先端情報を手がかりとして解明の糸口が探られています。

 鉄腕アトムに始まり、ガンダムは言うに及ばず、日本のマンガやアニメには数多くのロボットが登場する。大雑把にはメカとしてのロボット(鉄人28号やマジンガーZ)と、心を持つアンドロイドタイプ(アトムやキューティーハニー、ドラエモンなど)の2つに大別されてきた。一番の違いは、前者は人を殺すこともあり得るけれど、後者は「アシモフのロボット原則」に従い、人に危害を加えたりすることはない。これはフィクションの世界の、しかも人間に都合のいい定義であって、現実にはどうなのか?「人工知能は殺意を抱くことが可能か?」つまり、ロボットは自分の意志で殺人を犯せるか?「人造人間キカイダー」では良心回路という名前が使われていました。

 要するにマシンに自我はありえるのか? その裏返しとして人間らしさとは何かを問うている。

 本書の魅力はミステリー仕立ての物語を通して、このテーマをロジカルに、そして雄弁に語っているところだろう。デカルトの思想や人工知能に関して、楽しみながら少しはわかった気になる。

 産業と技術の発展の中で、工業用ロボットは昔のSFレベルに追いつきつつあり、古くは電子頭脳などと呼ばれていた概念、つまりロボットの「心」は人工知能へと収斂されていく。ハリウッド映画でも、「2001年宇宙の旅」のコンピュータHALや、「ブレドランナー」のレプリカント、スピルバーグの「A.I」、ジェイミー・フォックスの「アイ・ロボット」など枚挙にいとまがない。人工知能とは意識を持つ機械。考える物質であり、呪物崇拝(フェティシズム)の究極の到達点であろう。遺伝子医療(クローン人間)や宇宙開発などと並んで、人類のこの大いなる野望、つまり人間そっくりの「モノ」をつくろうとする情熱は、人類最後の究極のフェチ願望の現れと言えるのではないだろうか。

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花と蛇

花と蛇2 パリ / 静子

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 お正月だし、普段はあまり見ないタイプの作品でも見てみようかと借りてみました。

しかし、M男の僕がこんなの見ちゃってよろしいんでしょうかね? と思いながら、ちょっとためらい気味にレンタルのカウンターに行くと、見た目は女子高生の店員(バイトさん?)と目が合っちゃったのです。



「この人サディストなのね!」 とでも思っているような目つき! 




ま、今どきの女子高生なら「花と蛇」ぐらいは知ってるのでしょうか。



違うんだよ、僕はホントはマゾなの



と思わず彼女の誤解を解きたくなる(←そんなことしなくていいのに!)





 関係ないけど、普通のビデオレンタル屋さんには、アダルトビデオがどんなにたくさんあってもいわゆる「女王様」ものはないです。だからこういうとこでマゾ男向け作品を借りて女性店員に「この人マゾなのね!」という目つきで見られることがありえない。それがちょっとおもしろくないですね。



 ついでにもっと無関係な話ですが、杉本彩さんって藤原紀香さんにも似てると思いません?


成熟した大人の女の色気が共通しているように思います。



 団鬼六さんの作品は昔のSM雑誌で時々読んでました。「夕顔夫人」とかにはたまにM男も登場していて注目はしていたのですが、「花と蛇」はM女として調教されていくプロセスを描く物語で、FemDom的な視点ではあまり関心が持てなかった作品です。最初に映画化されるにあたっても僕には関係ないよな〜と思ってスルーしてました。

 しかし、心理的なマゾヒズムを熟知している団鬼六の世界は、男性マゾヒストにも充分アピールする魅力があることは知ってましたし、去年「蛇と花 2」が公開され、いろんなメディアでかなり派手に露出してきていやでも目に入ってくる。それなりにレベル高そうな緊縛された杉本彩の写真を見ているうちにだんだんと気になってきた。でもさすがに映画館にまで行くモチベーションにまではいたらなかった。こういうのは自宅でまったりDVDで見るのがいい。んで今さらでしたが「蛇と花」1&2と2本続けて見てみたわけです。



 映像的な作品としてのレベルはどうなんでしょう。変態の世界を描くキワモノ的な評価もあるのかどうか知りませんが、僕に言わせるとかなりまともな作品でした。まあ、そういう意味からすると面白くないのですが、アダルトやポルノ女優ではない正統派がSMシーンに体当たりしたという話題性だけの作品ではなかったようです。



 普通の演技と違って、変態を演じるのってもっと難しいんじゃないかな。ていうか、バレます。この人変態じゃないって。

 第1作目の杉本は明らかにノーマルだった。去年公開された第2作目では、彼女の変態度がバージョンアップしていた。それが作品的なレベルアップにつながっているように思えた。



 変態はある日突然になるものじゃない。特に「蛇と花」の主人公の場合にはプロセスがあります。ノーマルからアブノーマルへ移行していく心理的な変遷が見所になっている。杉本彩も第1作目ではまだ様子見というかおっかなびっくり取り組んでいたみたいですが、2作目では筋金入りのマゾになってました。変態的に随分と成長したのがわかる。演技じゃ出せない部分が、わかる人にはわかるようなかたちで出ていたような気がする。






 もし杉本彩が実際にMに目覚めていないのなら、女優としての演技力が本物ということになるのでしょう。もしかしたらそうなのかもしれませんが。



 マゾヒズムに理解ある人、または自分がマゾだと思っている人はこのシリーズを見て確かめてみるのも一つの鑑賞の仕方として面白いと思います。



 杉本彩、なかなか良かったし見直したけど、個人的には次回は藤原紀香でリメイクして欲しいですね。



「花と蛇」密着写真集 官能遊戯

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タグ:花と蛇


ブログブームは終わったか?

 2006年が明けました。

 戦後が還暦を迎えた昨年は、ブログ元年とも言えるぐらい加速度的にブームに火がつきましたね。その勢いにのって自分もブログを公開したくちですが、こんなにブレイクするなんて想定外でした。個人的にはマニアックな世界だと思っていた。つまり僕の場合は、自分の恥ずかしい性癖や、本来であれば人様にお見せできない「死後のコレクション」をコンテンツにバーチャルな世界で自己完結するようなイメージでいたわけです。

 アダルト系ブログに限らず普通のブログにも言えるのは、自己満足でオッケーであること。もちろん社会的に価値あるブログも存在しますが、増殖しているのは特定かつ同系統の対象にしかアピールしないものがほとんどです。そして同じ系統であれば、それが自己満足的なものでも読み応えを感じることができる。これはしかし不思議なことでもあります。

 日本人の伝統的な美徳の一つに、自己を目立たせないのを奥床しいとする感覚があるでしょう。必要以上に自分のことを話さないのがたしなみとされています。ところがブログという場では、「必要以上に自分のこと」が語られます。これは読み手も書き手も双方が了解済みであり、それが魅力とも言えます。

 日常会話でも、自分のことばかりしゃべる人と話していると非常に疲れますが、ブログだと不思議と読めちゃうものです。最近、続々と登場するM男さん系統のブログを読んでいて気がつくのは、あっぱれ!というぐらい、ここまで書くの?的な、赤裸裸な、正直な、読んでいて赤面するぐらいマジメな態度で恥ずかしい願望や実体験を綴っていることです。この傾向は風俗嬢や女子大生のオナニー日記にはあっても、M男系にはなかったと思います。ある意味で、ブログがM男を開放したのかなという印象さえ持ちます。

 昨年も、いや2004年にも「ブログブームは終わった」などという人たちがいましたが、この勢いはまだまだ続きそうです。実際身の回りにはまだやってない人がたくさんいますし、シャイなM男のブログがもっと増えて欲しいと思いますね。
posted by homer_2006 | Comment(3) | マゾヒズムに花束を!


すすむ性癖〜エロを求めて〜

 マゾ男が女王様に対して望む本音、それはやっぱり「エロ」なのだと思う。タテマエや芸術に逃げた「エロティシズム」ではなく。

 ハッキリと言えばいいんだ。例えば「アソコが舐めたい」って。でもイキナリそんなこと言ってしまうとみもふたもない。もっとこう、ロマンティックに行きたいではないですか。そこに「顔面騎乗」などという(文学的?)表現が登場するわけである。

もちろん苦痛だ羞恥だという、ノーマルな人々には理解しがたい要素やメンタリティも関わっている部分もある。しかし、セックス自体苦痛を伴いながら快感を得るものだし、一般的に(初心者は)他人の性行為なんてものは見ていて恥ずかしい。人それぞれ快楽のツボが異なるから客観的にみると別のカップルのスタイルや体位には滑稽ともいえるくらいの違和感を感じることだってあるでしょう。言うなればセックスというのはとても個人的な「エロ」行為なのである。

 SMプレイにもおそらく同様のことが言える。同じマゾでも、顔面騎乗のファンにとっては、脚を舐めたり、乳首に針を刺されたりすることには魅力を感じない。だけどそのパーソナルな願望を実現するプロセスにおいてエロが存在しないことには満たされない。ここで何がその人にとって「エロ」と感じるかがポイントになる。それは相手のルックスや体型であったり、声や匂いであったり、または状況であったり、身につけているものの色や質感であったりする。全て個別であり、多くの人が感じるから自分も感じるというものではない。具体的に特定するのは困難ではあるけれど、あいまいに「エロ」というものがあれば、それはエクスタシー、つまり快感への扉となる。

 逆に言えばエロの扉は全てに開かれているとも言える思う。こだわりの顔面騎乗ファンであっても、針や鞭にエロを感じるきっかけがつかめれば、それは快楽になりえるのだ。

 自分がこだわるエロに変化が生じれば、性癖も変わると思う。

「ちょっとだけFemDomかな?」で触れられている「性癖はすすむもの?」というのは、一つにはそういう側面があるのではないだろうか。貞淑な妻が見られて感じるようになったりするのも、すすんだ性癖の結果といえるのであろう。あるいは従順な妻が、夫を辱めることに性的な喜びを見いだしたりするのも進化である。性癖はすすむ。そしてマゾヒズムやサディズムも進化し発展するものだと思う。
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プライドと偏見



 中年の変態おやじが見るような映画じゃないって? 言えてる ^^; ...

 「チャーリーとチョコレート工場」に続いてまたまた「らしくない」映画を見てしまいましたが、確かに今回は「衝動買い」みたいな感じです。女優の顔が好みのタイプだった。僕は知らなかったけど最近赤丸急上昇の大型新人、キーラ・ナイトレイちゃん(覚えにいくい名前だなァ ^^)知的な正統派美人で勝気な表情がグッドです。
 
 名前だけはおぼろげながら知ってはいたジェーン・オースティンの方は作品は読んだことないし、そんなに偉大な作家だとは知らなかったですね、悪いけど。
 ただ、既成知識としては「ユー・ガット・メール」でメグ・ライアンが読んでいたのがこれ(映画の中では「高慢と偏見」というタイトル)だったのを覚えている。今思えば、実にうまい伏線でした。(原作邦訳/新潮社「自負と偏見」中野好夫訳)

 偏見は prejudice 。コレは英検準1級レベルの英単語です。発音も難しい。「プライド」のようにカタカナ英語にはなりにくい。

 さて、なんでもかんでもSMやフェチにこじつけるのがこのブログだと思っている人もいらっしゃるかと思いますが、それはそれで正解です。ただ、この映画は純粋に上質な恋愛映画で、出来は素晴らしい。21世紀の今、この年齢でこういう映画に感動できる自分を誉めてあげたい気分になる(←なんで作品を誉めないんだ?)時代が時代だけに(18世紀!だからね)ラブストーリーとしてはぬるい部分もあるが、現代的にも意義ある名作です。そのことだけは強調しておきたい。今年初めて見た映画が、イキナリ今年のいち押しになってしまいました。

 では、本題。

 僕にはあまりプライドというものがないから、プライドがある人にとっては、それを捨てることがそんなに難しいものなのかしらと思ってしまいます。プライドあったらSMクラブで楽しく遊べません。自称マゾだという人も、プライドが邪魔して満足できないなんてこともあるんじゃないでしょうか?

 マゾにプライドはいらない、とは言いません。必要とまでは言わなくもあったほうがいい。あって、それを捨てざるを得ない状況に追い込まれるのがいいんだよ。プロセスが大事。

 映画でもMr.ダーシーはそのプロセスを経験します。愛の告白は文字通りのカミングアウトだから、やはり恥ずかしい。いつの時代でも一か八かの大勝負。まっとうな恋愛関係のプロセスに、ちゃんとサドマゾヒズムがあるじゃないか。

 この物語の中では男がプライドを持ち、主人公のエリザベスが偏見を持っている。

 女王様に偏見はあっていい。マゾはきもい!って、思ってればいいじゃん。

         ( ↑ こういうこじつけになるのね ^^)


 だけど、女王様が偏見をなくした時に、M男を愛することが可能なのかもしれないという希望がわく。

 「マゾヒズムに花束を!」的に解釈すると、いろいろと考えさせてくれる映画です。

 いずれにしても、たんなるラブ・ロマンスものではない、実に奥深い作品でした。日本が江戸時代の頃に、欧米社会だって男尊女卑的な封建制度がまだ残っていた状況の中で、これだけモダンで強烈な個性と近代的自我をもつヒロイン像を創り出したオースティンの偉大さでしょうか。それとハリウッド作品と違って、英国産は気品が感じられます。オールロケのイギリスの田園風景がまた美しい。映像的にも癒されます!

 カップルで見るもよし。孤独に一人で見るもよし。

1月14日から有楽座ほか全国公開中 配給:UIP映画

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心の闇

宮崎被告死刑判決に思うこと

 実際にやるかどうか。それが人生の分かれ目。子供を大人の性的欲望の対象にするというのは、普通はいけないことだと理性では判っていても、

想像するだけならいいでしょ? 


 あるいは 表現の自由 があるでしょ?

 本当にそうなのだろうか... 心の中の、あるいは脳内天国だけの妄想の自由を楽しむ人たちは、犯罪者予備軍と言えるのだろうか....

 もし大々的に世間を騒がせてしまった犯罪者(被告)の部屋に、「女王様バイブル」や「スナイパー・イヴ」とか、北川ビデオなどが山積みにされており、その写真が新聞などに載ってしまったらどうなるだろう。
 その被告はマゾヒストとして精神鑑定を受け、マゾだから責任能力がないとかあるとか議論されたりするんですかね。マゾ男性が幼女を誘拐して殺す、ましてや身体を切断して食べるなんて考えにくいですが、ロリコンアニメばかり見てるから実際に幼女相手に犯罪を犯してしまうのだというような言説に反対する立場としては、Mビデオを見ている者だって似たような事件を起こす可能性は排除できない。

 つまり誰だって、何しでかすかなんてわかんないのだ。

 出来心の人もいれば、確信的な者もいるだろう。それが心の病気と言えるかどうかともかくとして。たまたまそれが当人の性癖が関連するとしても、普遍的に断定できるものではないだろう。

 この事件以来、部屋の中にビデオを山積みにしているだけで「オタク」と見られるような風潮がつくられた。

 最近の報道でもあらためて明らかにされたが、宮崎被告の部屋にあったビデオはほとんどまともなアニメ作品で、中には宮崎駿作品も含まれていた。いわゆる変態ものはごく少数だったという。今さらそんなことを指摘されても仕方がないが、マスコミがあの部屋を撮影した時の作為とある意味でやらせ報道の影響は確かに大きかったと思う。情報化社会の名のもとに何か大切なものが失われてきたのではなかろうか。それが原因で人々の心の闇がさらに暗くなっているように感じる。

 法的にはこれで一つの区切りというかけじめがついたのかもしれないけれど、現実には何も解決していない。

 危険はすぐそこの通学路にもある。子供にGPS機能つき携帯をもたせることより他にやるべきことがあるようにも思うのだが、それが何なのかが見えてこない。

 僕だってある程度ロリコン気味だと思ってましたが、ストライクゾーンは女子高生までで、最近はもうそれぐらいではロリコンにならないらしい。(ナボコフの「ロリータ」の影響大)

 巷には小学生の少女アイドルがあふれ、若い母親も自分の娘を幼女の頃から着せ替え人形のように飾りたてる。そんなのを眺めているうちに、「最近の小学生もナカナカ色気あるな〜 ^^ 」と思ってしまう。

 だからといって僕の場合は誘拐を企てるんでなく、土下座して「奴隷にして下さい!」とか叫んでる己の姿を想像する程度なんですけどね!
  ( ↑ 充分犯罪だよ、死刑!)

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足フェチカー?



 ハイヒールは「脚」を性的に特化させるための女の身体コードなのだとか。
なんのこっちゃ? 

 そんなメンドクサイ話は置いておいて、しゃれなのか本気なのかはともかく、実際にこういうものを作ってしまう人は偉大だと思います。

 「ハイヒールに乗られたい!」とは思っても、乗りたいという願望は盲点でした。これに乗ってると、上から春川ナミオが描く巨女に踏まれてしまいそうです。

 もう一つ余計なことを思いついたのは、上の方にのってるのがおっさんでなくて女性だったらもっといいのに...

 その彼女もハイヒール履いてて、ドライバーの頭の上に足をのせてたりして!



 

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バカの壁



 養老孟司いわく:「他人と自分は違うから、他人に理解してもらえないのは当たり前」


 ベストセラー『バカの壁』の趣旨をひと言でいうとこうなる。 
ではどうすればいいのか? それは書いてない。いや「自分で考えろ」ということらしい。こんな本がバカ売れするぐらいだから、世の中バカが増えたってことなのだろう。自分も含めて ^^

「わかってもらえた」というのは勘違いであることが多い。運がよければ理解してもらえることもありえるだろうが、デフォルトでは普通理解してもらえないという前提に立つべきなのである。コミュニケーションの基本はまず他人ありき。自分との違いを認めて、他者を理解しようと努力することで道がひらける。

 ここで重要なのは簡単に「わかった」とは思わないことだ。自己チューの弊害は容易に(自分に都合よく)わかった気になってしまうことである。

 今の世の中「まず自分ありき」という方向で動いているような気がする。そうした動きに寛容な社会が、フリーターやニートを産み出し、さまざまな問題の遠因ともなっている。ブログの流行は肥大化した自己の発散の場として登場した。ネットでの多重人格やアラシ行為を行うような人々は「理解してもらえる」という期待値が高すぎるのだろう。「アキラ」(大友克洋)」の鉄雄君のように、あまりにも肥大化しすぎて自分ではもうコントロールできなくなっているのかもしれない。

 かくいう僕も世界の中心に自分がいると思っていたりする。自分を中心に世界が回っているとまでは思っていないはずだが、無意識の中では、おそらく世界の中心で愛をさけんでいるのかもしれない。

 思えばマゾヒストなんてある意味で超自己チューな人種だなと思う。献身的にご奉仕して、お仕置きされたいとか言いながら、自分の快楽追求のために支配者(女王様)を逆支配、つまりコントロールしているのだから。そして存在するはずもない「自分のマゾヒズムを理解してくれる女王様」を求めて永遠にさまよう。ちょっと現実的なマゾはこの壁にきづき、リアルでのパートナーを見つけることができるかもしれないが、それでも心の片隅ではいつか理解してもらえることを期待しているのだ。

 わかっていてもやめられない。救いようのないのが「マゾの壁」である。

 気になっていたけど今さら読むのもなんとなく恥ずかしいという人に朗報。
「バカの壁」「死の壁」に続く壁三部作の最終章が出ました。

超バカの壁

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 言ってることは一貫してほぼ変わらない。常識的なことで特に目新しいものはないが、ニートや少子化問題など最近の事例にあてはめ、よりわかりやすくパワーアップはしている。とっつきにくいトピックを親しみやすい語り口で読ませるスタイルは一読の価値はあるだろう。

 マゾの壁も打ち崩せるかも?

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罪を憎んで人を憎まず



 一昨年、株のインサイダー取引疑惑で告発された米国のカリスマ主婦にして実業家のマーサ・スチュワートは、いったんは上訴して戦う姿勢を見せたが、突然自ら罪を認めて禁固5ヶ月間の刑に服し世間を驚かせた。自分の名前を冠した会社の経営者でもある彼女が、刑務所行きを宣言した記者会見で述べた「会社と私を支えてくれる人たちのために一刻も早く復帰する」という言葉どおり、昨年出所してからは会社の株価は持ち直し、服役生活についての本も出版、テレビ番組にもカムバックするなど「スゲエなこのおばさん!」と思ったものである。

 日本ではあまり報道されなかったけれど、この人もマスコミや世論にさんざん叩かれてへこんでいた。O.Jシンプソンやマイケル・ジャクソンの例でもわかるように、アメリカンドリームと落ちた偶像のストーリーはこの国のお家芸みたいなもので、そのバッシングの凄まじさはハンパではない。

 それだけ激しく糾弾され、企業トップの逮捕と有罪判決という事態にも関わらず、マーサが引責辞任することもなく仕事に復帰できたのには、根底には「潔く罪を認めたんだから許してやろうよ」的なムードもあったように思う。まさに罪を憎んで人を憎まずである。



 今回のライブドア騒動と単純には比較出来ないのかもしれないが、なんとなく思い出されてしまった。国内における会社と個人の知名度、カリスマ性の失墜、そして告発された容疑(証券法違反)という点では似ていると思う。

 しかし大きな違いは会社の「商品」だ。マーサの顧客は主に主婦層で、商品は日常雑貨やリビング製品、ギフトや料理のレシピといった身近でわかりやすいもの。虚業ではなく、きちんとした目に見えるクオリティの高いビジネスが売りのポイントだった。

 そして何よりも彼女の親しみやすい人柄と、ちょっと近寄りがたい凛とした気高さのバランスの良さである。つまらない家事仕事のイメージに「質の高い生活を演出する」という、ちょっとした工夫で庶民が上質なライフスタイルを実現できるという付加価値を見いだしたマーサのコンセプトが株主や投資家たちにも高く評価されていた。尊敬できる人間性を兼ね備えていたのである。

 マーサが刑務所行きを宣言した時は、有罪判決を屈辱的に受け入れるという惨めなものでなく、ユーモアまで交えた爽やかな記者会見で、まさに女王としての風格と気品が感じられた。アメリカにはマーサを崇拝するマゾ男性がけっこういるんじゃないのかな。

 ホリエモンだって一部では絶大な人気と親しみやすいキャラを売っていたように見えたのだが、今のマスコミや世論の反応をみているとそうでもなかったようだ。仮に堀江容疑者がマーサのように潔く罪を認めたとしても、世間は許してくれるのだろうか。

 もしも容疑が事実であるなら、つべこべ言ってないで、さっさと謝ってしまうのもオプションの一つだと思う。

 「想定外でした、すみません」って、ネ。

 復帰するしないはともかく、それが本人にとってもライブドアグループにとっても、そしてここまで過剰にフィーバーしてしまった世間にとっても、一番の解決策のように思われる。

 その時のマスコミや世論の反応が、今度はどういったものになるのかに期待してみたい、という気がする。
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フライトプラン

お久しぶり〜のジョディ・フォスター



 映画を見る時の、見る映画のチョイスの判断基準にはそれぞれあると思います。
僕の場合その時の気分も含めて、話題性や内容、キャストや監督などいろいろな要素が複雑に混ざり合って決定されることが多い...というわけでは実はなくて、正直なところ一番大きなウエートを占めているのはやっぱり女優。極端な話、女優さんで選んだ映画はハズレでも許せる!逆に監督や内容で選んでるのに失望したら許せなかったりして。

 では好きな女優は?と聞かれると、今はそれほど夢中になっている人はいないのだけれど、そんな中で「 タクシードライバー 」の衝撃的な印象が忘れがたい ジョディ・フォスター は、同世代な人だけにけっこう気にしている一人。13歳で売春婦を演じていた彼女も43歳。あれからもう30年もたっているのか。母親役を見事に演じているあたりが歳を感じさせるけれど、まだ若い。私生活でも2児の母なのだが、父親が誰なのかは知られていない。

 そんなわけで久しぶりに彼女の新作、昨日からわりと地味に公開されている「フライトプラン」を見てきました。これは古典的なサスペンスを最新鋭旅客機という密室を舞台に、9.11以後の時代性を巧みにあてはめた力作。よくよく考えると不自然な部分もそれほど気になることなくのめり込めた。往年のヒッチコック映画を知る人ならば(特に「バルカン超特急」)楽しみも倍増するはず。ハリウッドの才女と呼ばれる知性派女優が慎重に出演を選んだ作品という触れ込みも話題。しかしストーリーや演出がどうのこうのじゃなく、全体を通してジョディの迫真の演技が全てと言えるかもしれない。さすがにアカデミー主演女優賞を2度も受賞しているだけのことはあります。

 地味ながら娯楽作品としてもおすすめ度A級レベルでした。

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不快の定義

 最近はブログもアダルトものからSM関連も含めて、数の増加に伴いその内容はますます細分化、多様化してきています。過激さも以前よりエスカレートしてきている印象。M願望にしても、自分には「そこまでできない」ような内容がけっこうある。
 基本的に不快なら読まなきゃいいわけで、他人のやることだし、別にたいしたことなかろうなどと思っていたものですが、これからはそうも言ってられなくなりそうなニュースがアメリカで話題になっていました。

 ブッシュ大統領は先月、身元を明示せずに不快な書き込みをインターネット上で行ったり、迷惑な電子メールを送信したりすることを禁止する法令に署名しました。
 これはつまり変態ブログを匿名で公開することも犯罪になる可能性を暗示する法律で、憲法修正第一条(言論・表現の自由)ともからんで現在もかなり物議をかもしているようです。

 そもそも「不快」とはなんぞや? 

「女性から鞭で打たれたい」と思うことはある人にとっては不快かもしれない。
(ていうか普通は痛いし、不快なんでしょうね、やっぱり^^)

 だからといって、そういう願望や妄想を、あるいは体験記を書くことが、犯罪になるとしたら、これはかなり深刻な問題でしょう。

 不快と感じるかどうかは人によって異なるからです。ある人にとっては快感になる。そんな曖昧なことで犯罪を定義されてはたまらない。

 表現の問題とは少しズレますが、姉歯建築士による偽装やライブドア問題でも「違法性の認識」がとりざたされていました。法律で線引きをするのはどこからどこまでなのかというのは、とてもやっかいな問題です。

 例えば、使用済み下着を未成年から買うことを禁ずる条例がある。買わなきゃいいのならもらえばいいの?または成人した女性からは買ってもいいとか?
 さらにそういう条例のない他の都道府県ではオッケーだったりする。

 法律に触れなければ何をしてもいいのか?

 結局、個人のモラルの問題から整理しないとならないような気がします。

 青少年を犯罪から守るという視点は必要とはいえ、露骨な性的描写からも法律で規制するのには違和感を覚えます。または、ある特定の人にとって「不快」という理由だけでその情報を規制してしまってよいのでしょうか。

 今のところ日本ではこの種の議論はあまり活発ではなかった。もともと米国などに比べると個人の自由や権利を尊重するようなかたちで多様な意見を持つことが難しいとされる日本社会。インターネットの普及やブログの流行が、そうした壁を崩しつつあるような感じです。

 だけど、ブログなどで個人的な体験や妄想を公開することが、その内容に関して法的な規制が可能なのか必要なのかという議論はバカげている。

 親とか学校、またはプロバイダーの自主規制ぐらいであれば納得できなくもないですが、お上にとやかく言われたくねえ!というのが本音ですね。
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ネカマ

 インターネットの世界で「ネカマ」という言葉をたまに見かけます。僕はなんとなく

オネエ言葉をしゃべるビル・ゲイツみたいな奴か?

みたいに勝手な想像をしてました。

 ビル・ゲイツは昔からコンピュータおたくの代名詞的な感じで、特にネットに限定したキャラではないから、もともと根拠のないイメージですが、このフラッシュムービーを見て、まんざらでもなかったのかもとあらためてナットクしました。

 *「ネカマ」とはネット上で女性人格を演じる男のこと




スティーヴジョブスの偽物? こいつこそカマっぽいゾ!


 ちなみにアップル関連の話題ではインテル仕様のMacが最近リリースされましたが、それをネタにスターウォーズをパロッったこれなどはなかなか秀逸。MacユーザーにとってインテルPCはダークサイドになるという比喩にも納得させられました。

 スパム・メールなど件名で「初めまして美樹です」とかいきなり「お会いしたいです」というのがたまに来ますが、それらはほとんどが出会い系サイトへの誘導やワンクリック詐欺めいたものだったりする。文体や内容から特に女性人格を特定できるわけではないのに「もしかして女の人からのメールかも...」と何となく思わせてしまう何かがネット社会にはあるような気がします。
 
     ( ↑ 女に飢えてるだけだったりして)

 





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ミュンヘン

 この映画を見るにはパレスチナ紛争や中東情勢の基礎知識が欠かせない。それらに興味がなければもともと見る気にもならないのかもしれないが、そもそもミュンヘン事件を知らない世代にとっては、高校で習う世界史的な情報だけではわかりにくい作品と言えるだろう。
 
 元来僕は、この問題には特に興味はなかった。

 政治的にも宗教的にも関心がないから、公にされている事実関係すらまともには知らない。しかしメディアに関わる仕事を長年してきたこと、一昨年から親しい友人にピースウオークに誘われ、ごく「個人的」に世界平和に関する体験をしたことなどから、ちょっと見て見ようかなという気分にはなっていた。そして、この種の問題に

関心のない者が見るべき作品 なのかもしれない、

というのが見終わった後の僕の感想である。

 正直なところ、血で血を洗うような泥沼化したこの問題は、日本人には理解しがたい世界だし、また特にそれが必要だとも思っていなかった。しかし、地理的にも民族的にも遠いからといって、全く無関係な話ではないのである。そういうことをこの映画は伝えようとしている。一応娯楽作品としての味付けもしてあるし、複雑な背景知識はなくとも楽しめるようにはなっている。(少なくとも、イスラエルとアラブが何故対立しているかを知っていることが前提)

 ただ、ちょっと気になったのは、監督がユダヤ系のスピルバーグだから仕方がないとはいえ、どちらかというとイスラエル寄りの視点。同じ題材でアラブ系の監督ならどう描くのか。そんな後味の悪さが残った。

 たまたま今、イスラム教の風刺漫画問題で抗議デモが過激に深刻化している最近の情勢にしても、報道のリソースはキリスト教西洋社会に立脚しているような気がする。この映画を見る前だったら、僕も単純に「アラブ系ってなんであんなに野蛮なのかしら?」と思ったかもしれない。

 どちらにも正義はない。いやどちらにも正義はあるのかもしれないが、そんなことを考えるのは無意味だということもこの作品は教えてくれる。

 人の心に国境はない。

憎む気持ちも、何かを慈しむ心も、人は皆同じものを持っている。


 それにしてもユダヤ問題は根が深い。靖国問題で近隣からとやかく言われるのとはレベルが違う。(←違うって)

 そういう複眼的なものの見方を、あらためて突きつけられたような気がするのでした。

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表現の自由について



 イスラム教の予言者 ムハンマド(マホメット)の風刺漫画 をデンマークの新聞が掲載した件で世界が燃えています。大使館が焼き討ちまでされるとは想定外でしたね。


 もしかしたら、イスラム教徒にはマゾヒストはいないのかもしれない。と書くとちょっと唐突?

 日本でも例えば

天皇がコケにされたような場合
を想像すれば少しはわかりやすいだろうか。

 昔の奇憚クラブの記事で第二次世界大戦中だか後に、日の丸国旗をアジアの現地女性がふんどしにしていたというエピソードが紹介されていました。事実なのか創作なのかよく覚えていないけれど、とにかく尊厳や崇拝の象徴がそういう風に扱われ、辱めを受けていることにマゾヒズム的な気持ちを覚えたというようなものだったと思います。

 羞恥プレイなどという言葉が示すように、辱めを受けて得る快楽はマゾヒズムの中でも中心的な要素です。苦痛を受けて得る肉体的な快感とは別の、精神的でよりデリケートな倒錯。(もちろん肉体的な部分と連動している場合もある)

 これはある種のタブーを犯すことによって解放される精神の自由ではないかという気がしています。言わば「禁断の果実」みたいな?

崇拝しているものが汚されることは、耐え難い屈辱でありながら、屈折した喜びにもなってしまう。

 画像チャンネルのフェチ板で去年から伸びてるスレッド M男的台詞付き画像の中でも、包茎や短小をバカにされるというものが多いですが、これなどは本来男の象徴であるべきものがコケにされることに喜びを見いだしているケース。最近は 韓国人アイドル も登場し、こんなとこにも韓流ブームが巻き起こっているのかと苦笑してしまいました。民族差別意識を持ちこむことにはちょっと危険な感じもしますが、マゾヒズムを楽しむためのユーモアとしてとらえることも可能だとは思う。激怒する人や団体はあるかもしれませんが....

 以前にも「不快の定義」というエントリーをしたのですが、表現や言論の自由という観点からいうと、意図的に悪意のあるものはやはりいかがなものかと思う。第一義的には民主主義、つまり弱者の声をアピールするためのコンセプトです。だからといってそのデンマークの新聞社が悪意的にイスラム教を侮辱しようとしたのかどうかは知りません。ただ、そのデンマーク紙ユランズ・ポステンは、以前キリストを風刺するイラストを提供しようとした漫画家に対し、その作品の掲載を断わったという。これが事実だとすればキリスト教社会からイスラム社会へのバイアスが働いていたのではないかという疑惑は残る。しかし、今さらメディアに真の公正を期待するほどのアマちゃんでもなかろう。

 いずれにしても、大使館を放火するほどのものですか?とは思う。

 キリストやお釈迦様だってこれまでに風刺の対象になってきているわけで、今特にマホメットだけでどうしてこれだけの騒ぎになるのか理解に苦しみます。僕の認識不足もあり、宗教的な感覚としては日本人とかなり異なるのかもしれませんが、もう少しユーモアのセンスというか、もしかしてマゾヒズム的な気質でもあればいいのになァと思いました。

 「けしからん」という理由だけで暴力沙汰になってしまうことが悲しいですね。


*掲載したイラストはフランスかどこかの新聞が最近掲載したもの
「まあ、おさえてマホメット君。僕たちだってコケにされてるんだからさ」とでも言ってるのでしょうか?


 さすが、おフランスのユーモアは機知とウイットに富んで お 上品ざ〜ますね!




      
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ホーキング、宇宙のすべてを語る

ホーキング、宇宙のすべてを語る

ランダムハウス講談社

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 宇宙の謎が今度こそわかります。帯にそう書いてあったのでつい買ってしまった。
子どものころから宇宙への漠然とした興味はつきないのだが、この種の本を読むのは初めてだった。

前半はとても読みやすい。特に第1章の「宇宙について考える」から第7章の「膨張している宇宙」あたりまでは文系の理解力でもワクワクしながら読める。しかし僕の頭では第9章の「量子重力理論」あたりからチンプンカンプンとなる。わかりやすい宇宙論という触れ込みだが、そうでもなかった。

しかし面白くないというわけではなく、難解ではあるが読み応えはあり、視野は広がる。

 宇宙空間は今どういうことになっているのかを考え、科学的、理論的な方法で予測していくわけだが、アリストレスからアインシュタインまでの偉大なる先哲たちの思想や理論をいくら理解したところで、結局は宇宙の本質に迫ることは出来ない、ようだ。

 例えば宇宙はいつ始まったのかを解明できたとする。ならば、それ以前はどうなっていたのか?

  無? なにも無いって、その「ない、という状態」が存在するんでネ?

 「無」とは、イッタイ何ナノか。

 突き詰めて本格的に考えると本当に悩む。発狂しそうになる。

 後半でちょっとだけ理解しやすい表現があった。

「私たち(人間)が存在するから、宇宙はこのように見えるのだ」

どんなに優れて難しい理論も、結局は人間が理解可能な範囲内の、自分たちに都合のよい理屈にすぎないのかもしれない。

人はどこから来て、どこへ行くのでしょうか....

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なんとも...

 最近、特にブログ始めた去年あたりから、どうにもやりきれない事件が頻発していますね。そんなことを、わざわざここでとりあげたくもないのですが、精神的にやはり、気になります。

 僕は助手席に乗っていた、容疑者母の娘のことが気になります。子どもに罪はないのは当たり前ですが、自分の娘の目の前で犯行を犯した母は、二重の意味で罪深い。トラウマにならないわけがない。

 こういうものを見ると少し気分もよくなるかも、という僕のお気に入り癒し系サイトをご紹介しますです。

  ↓

http://www.mariaclaudiacortes.com/

 Flash ムービーが快適に再生できる環境でないと楽しめないかもです、スミマセン!

 ちょっとインターフェースが最初わかりにくいかもしれませんが、トップメニューは楽屋のドアが3つ並んでます。真ん中のドアをクリックすると全てのムービーが自動で始まります。

 一番左側をクリックすると中に7色のキャラクターが出番を待っているという具合。持っているファイルをクリックすることでその色のキャラのムービーがスタートします! 
 英検2級程度の英単語の知識があると、よりいっそう楽しめると思いますが、知らなくても見ればよくわかる、わかりやすい!あなたのキャラのカラーは?

 Flash ムービーは、インタラクティヴィティというか、どこをクリックするかを探りあてる楽しみもあります。そういう意味でこんなのも面白いですよ。
 
 ↓

http://questfortherest.com/





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ノーマルなマゾ?

 久しぶりのエントリーでございます。新学期、春の新シーズンをむかえて皆様いかがお過ごしでしょうか?

 もともとそれほど頻繁に更新していたブログではなかったですが、まる一ヶ月以上もあいてしまうと、投稿するタイミングというかエントリーしようとする意欲を持つのに意外と時間がかかるものです。別に年がら年中SMのことを考えているわけでもないので、普段の生活が忙しくなってしまうと、つい放置状態になってしまう。それでもフェティッシュな妄想はいつでも出来るし、実際してしまうのですが、いざ「書く」という行為は、時として思った以上のエネルギーが必要になります。

 左サイドバーのBookmarkでリンクさせてもらっている他のブロガーの皆さんもそうだと思いますが、その過激ともいえる投稿内容とは裏腹に普段はごく普通の生活をしていらっしゃるのだと思います。しんのすけさんも時々言及されていましたが、見た目は「変態」とかマゾとは絶対に思えない顔をしているはず。それが本当の姿なのか仮の姿なのかという問題は置いておくにしても、日常の言動からは想像もつかないことを実は考えているということは、誰にでもあることでしょう。そしてたまに、お金と時間に余裕がある場合には、その種の妄想や願望を満たしてくれる風俗店に行ったり、サービスを享受するというのも、よくある話です。未成年者を相手にしたりするなど法に触れるのは論外として、既婚者が風俗店に行っちゃうぐらいは、奥さんへの裏切り行為とは言えるかもしれませんが、現代社会においてはまともな生活の一部と言えるのかもしれません。まあ夫婦生活のことはわかりませんけど、マゾとカミングアウトしていない旦那が、奥さんに内緒でSMクラブの女王様に鞭打たれている、なんていう図式はもう珍しくもなんともないんじゃないか。ひと昔前ならけっこうスリリングな「告白手記」のネタになりそうなお話だったのでしょうけど、変態系ブログもこれだけ氾濫しているのをみると、その程度の内容ではインパクトに欠ける。昔の「奇憚クラブ」の投稿記事を読むと、時代性もさることながら、書く人間のそういう意識レベルの違いが克明に現れていて興味深い。すでに投稿すること自体が、何か反社会的というか、モラルに反するんじゃないか、というモードで書かれていたりする。内容的には今みるとどうってことないんだけどね。人によって羞恥レベルが異なるわけですが、時代とともに文化的な羞恥レベルも変わってきていますね。

 何が言いたいかというと、僕も自分が変態でマゾを売りにしているようなブログを去年からやってきたわけですが、いろいろなブログや口コミレベルでも似たような界隈の人たちの様子を見るにつけ、

 僕ってまんざら変態でもないのかしら?

 と、つい思ってしまうわけです。誤解して欲しくないのですが、けして

「僕はまともですよ!」と 主張したいわけではありません。

 むしろその逆で、子供の頃からマゾというコンプレックスに悩まされてはきましたが、自分がマゾで変態であることにアキラメにも似た「誇り」のようなものを感じていたりしたわけです。それが、実はそれほど重症でもなく、むしろごく普通の感覚にも近いのかもしれない、という気が最近してきている。不思議なものでこんな感覚は以前はなかったことです。こういう意識レベルの変化はブログを書くようになってからで、自分の変態性というのを冷静に見つめてみる機会が増えたからなのでしょう。またネットを通じた様々なコミュニケーションの影響も大きいです。リアル社会では出会うことのなかった同好の人たちと交流できるというのは、インターネットならでの恩恵でしょうね。意味不明のアラシさんも含めて、いろいろと勉強させてもらったと思っています。

 ブログを通じて北川プロさんとも個人的なお付き合いになりましたし、交流の幅も広がりました。mixiも半分放置状態になってますが新たなコミュニケーションの可能性を感じています。
 今後もぼちぼちではありますが、このブログは継続していきたいと考えております。

 よろしくお願いします。

 ( ↑ ...とか言いつつ、更新頻度はそんなにマメにはならないであろう)

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女性が仕切る報道番組が実現?




 今朝のCNNで結構派手に報道されていたニュース。NBCの朝のモーニングショーの顔である Katie Couric がCBSに移籍し、夜の報道番組のアンカーになるらしい。米国3大ネットワークで、夜の報道番組の司会を女性がやるのは初めてのことらしく、アメリカ国内ではかなりのインパクトがあったようです。

 彼女は日本ではほとんど無名ですが数年前に TIME誌の表紙 も飾ったこともある、アメリカでは実績と知名度を持つ人気キャスター。若い頃に夫をガンでなくし、その後ガン研究基金への精力的な活動でも知られ、二児の母でもあり歳の割には童顔で美人です。
 日本でいうなら以前の久米宏や筑紫哲也さんのようなポジションに女子アナが就くようなものでしょうか(ちょっと違うかな ^^)
 
 ああいう場所での女性の役割って、昔からあまり変わってなくて、今時こんな言い方も時代錯誤とは思いつつ、依然として「添え物」的な面が残ってるような気がします。レディーファーストの国アメリカにおいてすらもそういうムードがあるらしく、長年にわたって夜の報道番組の看板キャスターは「男の世界」としての伝統がありました。そこに今回の大抜擢。CNNはどちらかというと冷めた見方をしていた印象でしたが、米国マスコミ、特に報道現場における衝撃度は大きいような気がしました。これまではなんとなく触れられることのなかった男尊女卑的なヒエラルキーが明確に浮き彫りにされたような。

 深読みのしすぎでしょうか。

 まあとにかく、この前のマーサ・スチュワートといい、先月来日したライス国務長官といい、アメリカではパワフルな女性の活躍がよく(米国内で)話題にはなりますけど、社会的な受け止め方の温度差とでもいうのか、日本との文化的な違いが際立つ部分だと思いました。
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SとMの二面性について

 僕のM性癖を知る、数少ない知人から「Sに興味はないの?」と尋ねられて少しドキッとしました。

 「う〜ん、ビジュアルとしての女性の緊縛写真とかいいとは思うんだけど、自分でやるのはね〜、あんまり好きくないかもカモ」と、その時は答えておきました。そのこと自体にはウソ偽りのない正直な気持ちだったと思うのですが、突き詰めて考えてみるとどうなんだろうか。本当に自分にS性はないのか? 女性の緊縛写真見て萌えるのって、もしかしてサディズムでネ?

 そういえばこれまでに真剣に考えたことなかったですね。

 子供の頃から自分はマゾの変態だと思いこんでましたし、そういう発想のチャンスがなかった。しかし言われてみれば中学生くらいの時は普通にスカートめくりとかして遊んでいたし、ちょっと気になるかわいいコには無意識に意地悪い態度をとったりするという「普通の男の子」がやるような行為をしていた覚えがある。

   ↑ 普通の男の子はスカートめくりなんかしないの!(。。)☆\バキ...

 まあそれはともかくとして、よく、誰にでもS性とM性はあるのだという言説も聞きます。それはそうなのかもしれない。だけど僕自身にサディズムがあるか?と聞かれるとちょっと自信ない。

 ただ、やったことはないですけどプレイ自体は「やれば出来る」んじゃないかな、とは思う。自分なりにマゾヒズムを理解しているつもりでいるし、相手がどんなM性やタイプかにもよりますが、僕のツボと同じ部分にハマるような責めとかプレイはできそうな気がします。そのことで僕が快感を得ることはないだろうけど、相手に満足を与えることは可能かもしれない。
 
 そういう意味ではまさに「サービスのS」

 あえて矛盾語法的に言うなら、マゾヒストに奉仕するサディスト的な役割を演じるわけ。何事も人に喜ばれるというのは、自分が評価されているわけでもあり、ある種の自己実現的な充実感にもつながるんで、別に悪い気はしないですよね。

 だけどこの場合、相手が喜んでいるのを見て満足するのであって、厳密にいうと相手を苦しめて快楽を得るサディズムとは本質的に逆です。あくまでもプレイの一環として、ちょっと痛いぐらいの苦痛を与えることもあるんでしょうが、相手にとってそれは快感であるハズという前提がこちらにはある。だからやはり、本質的な意味でのサディズムは僕にはないんではないだろうか。よくわかんないけど...

 まあいずれにしても、SMクラブとかに行ってまでM女を責めるなんてのはとてもやる気になれないし、絶対にしないでしょうね。

 やっぱり虐められるほうがいいや ^^ てへ!
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執事喫茶



 以前、映画「日の名残り」のことを書いた時、執事喫茶みたいなのがあったらバイトしてみたい!みたいなこと書きましたが、なんと既に池袋に登場していたようです。

 「お姫様願望」または「お嬢様願望」?みたいなものが女性にはあるんでしょうか、そこんところに目をつけたらしいですが、いいセンスだと思います。メイド喫茶を筆頭に、様々なニーズに応えるカフェや居酒屋、レストランが登場してきてましたから、いつか出てくるだろうなとは思ってました。

 だけど、まあ、男性にとってはお客として行くには、あまり魅力なさそうですけどね...。
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フェチマップ(Fetish 地図)

 *画像をクリックするともう少しクリアーな拡大イメージにジャンプします ↓ 



 先日しんのすけさんのブログ 男人受虐狂者的独白@mヲで紹介されていました
フェティッシュマップ
なるもの、確かに力作です。これは凄い!

 お馬さんごっこのところを中心に、わかるとこだけちょこっと日本語訳つけてみました。(テキトーな訳もあります ^^ 間違ってたらすみません!)

 オリジナルの全体図はこの3倍ぐらいの面積があって、20インチ程度のモニターでも表示しきれないくらいでかい!フェティシズムの世界は文字通り幅広いです。ウシプレイなんてあまり聞かないけど、どんなことやるんでしょうね ^^;
 
 いろいろな分野のフェティシズムの相関を、色分けしてわかりやすく見せてくれています。古典的なSMプレイと革フェチや鞭の位置は近いけれど、足フェチとはちょっと距離があるのにも、なんとなくうなづけるものがあります。
 エロティック・イーティングなんて、日本語でなんと言うのか知りませんが、ブタプレイと関連づけられているところが笑える。学術的に裏付けあるのかどうかはともかく、なんかそれっぽいゾ。

 英検1級レベルではわかんない単語もいっぱいあって、"MACROPHILES"っていうのはオンライン辞書にもなくて「何じゃ?」と思っていたら、オリジナルサイトでマップ上の単語をクリックすると、その説明のページに飛んでくれました。要するに「でかいことに萌えて」しまうフェチみたいなものらしいです。
 お馬さんごっことわりと近いところに「人間オウム」というのがあって、そういえば欧米のSMビデオの中でオウムさんの羽をつけられれてオウムになりきるようなプレイの映像を見たことがあるのを思い出しました。

 いや〜まったく、ホントにこの世界って、いろいろありますね〜。
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進化するコミュニケーション

 フェティシズムというのは、ある種のこだわりの自己主張。

 だから個人差もあるだろうし、一概には規定しにくいものだと思うのですが、誰にもあてはまりそうな部分での普遍化を試みて、その数や種類をチャート化したのが先日のマップでした。これには当然のことながら、無数バリエーションがありえるだろうし、ある人だけに通用するカスタマイズも可能でしょう。実際、オリジナルサイトでは、このマップは変化し進化することを想定しているようです。

 このマップをしげしげと眺めていると、「なるほど!」と思えたりする部分もあれば、「え?なんでなんで?!?」みたいなところもあります。それはまた、人によって異なってくるんでしょうね。

 例えば、愛護と虐待が相関関係にあるというのは、「かわいさあまって憎さ百倍」的な感情の説明に合理的な裏付けを感じさせると同時に、不可解な人間心理の奥深さも物語っているようにも思えます。

 人の心の中というのは、


元来が不可思議なもの

なのであって、合理的な説明などそう簡単には出来そうで出来ないはずなのに、それを承知で悪あがきのように云々カンヌン言ってみたり、考えてみたりしてきたのが哲学や心理学の歴史だったのではないでしょうか...。
 
 人間のコミュニケーションのやりかたは時代とともに変化・発展してきました。

パソコン通信などから始まり現在に至る高度情報化社会の台頭により、その手段や性質も激的なうねりをみせてきているような印象です。

 な〜んて書くと大げさに聞こえてしまうかもしれませんが、噛み砕いて言うと、例えばmixiやブログでのやりとりの中には、普段の会話ではなかなか聞けない「本音トーク」的な部分が見え隠れして、

「云々カンヌン」レベルの内容がグレードアップ

してるのではないかな? ということです。
 
 濃いですよね。 少なくとも昭和の時代より。

 そこからまた新しい発見なり意識や思考の進展が期待できるような気がしています。
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毛皮を着たヴィーナス

毛皮を着たヴィーナス

河出書房新社

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 もう今さらここで取り上げるのも恥ずかしくなってしまうくらい、有名なマゾヒズム文学の傑作。以前、たぬきの腹鼓氏のブログでも詳しく触れられていましたので、僕のしゃしゃり出る幕はないであろうと思っていたのですが、最近また読み返してみて、プチ感動してしまいました。

 古今東西の名作は、何度読んでもその都度新しい発見があるものですが、この作品もやはり奥が深い。

 初めて読んだのは十代の後半の頃。それまでぼんやりとしていた「マゾヒズム」という言葉が。明確に意識され初めた頃でもあり、なんだか猛烈に勉強してみたくなって、運命と言おうか、必然と言おうか、この作品にたどり着きました。

 谷崎の「痴人の愛」は中学の時に偶然読んだのですが、「毛皮を着たヴィーナス」は

  気合いを入れて 読んだのを覚えています。

 もうそれ以来座右の書として僕の本棚に君臨し続けております。

 普通の文学としても優れた作品です。でもそういう意味ではマイナーになってしまうのでしょうか。今時の恋愛小説にしてはインパクトに欠けるだろうし、SM文学として見ても素朴な部類に入る。だけど、マゾヒズムに少しでも関心がある人であれば、自分なりの作品世界を豊かにイメージして楽しめるのではないかと思います。
 SM的なコミュニケーションツールとしての、愛読書にふさわしい、「マスト」アイテムだと思います。

 今回読んでときめいてしまった部分は、主人公の二人、ワンダとセヴェーリンが取り交わす奴隷契約書の部分。SMの世界においては、奴隷と主人のような疑似的関係をファンタジックに想定するプレイがよく行われます。そこには明文化されていない「奴隷契約」のようなものが存在し、重要なアイテムになっている。また、プレイの一環としてきちんと明文化したものを作成し、署名/捺印したりするカップルもいらっしゃるようです。そのテンプレートをこの古典的名作の中に見いだすことができます。直接ではないのかもしれないけれど、現代にも継承されているコンセプトの萌芽がここにありました。マゾも悪くないなと思わせてくれます。

 普通の書店にたいていおいてあると思いますが、今発売されている表紙にはナゼか金子國義のカバーは採用されていません。黒地にピンク色のフォントの、どうってことないデザインになっていて、ちょっと残念です...

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ドイツ語の勉強

 今月からドイツ語の勉強を始めております。実は前から勉強したいなあとは思っていたのです。自分的にそのタイミングが来ました。...っていうか、今のところは「NHKラジオ ドイツ語講座」を聞いてるだけですけど。

 英語については、かなりNHKさんのお世話になりましたね。かれこれ十年ぐらいは聞いていたかな。毎日ぶっ続けではないですが、忙しくて2〜3ヶ月途絶えても、めげずに復活する。とにかく毎年「4月号」だけは必ず買って「よし、今年こそは完走するぞ!」と決意表明してみたり。
 ま、それだけで英検の準1級までは合格できました。
TOEICも5年ぐらい前に受けた時の最高点は760点でした。あまり自慢できるほどではないけれど、お金かけずに(途中から杉田敏先生のビジネス英語も並行してやっていましたが、NHKのテキスト代は一冊に月350円程度)ここまでこれた自分のことを、誉めてあげたい(なんちゃって)

 最近テレビでもおなじみになりつつあります大杉正明先生には当時ほんとお世話になりました。最終回は泣いてしまったです。大杉シリーズが5年ぐらい前に終了したのをきっかけに、NHKに関しては卒業しました。

 今の教材はCNNやBBCなどの、なま素材でやってます。だからもう英語の勉強はいいや、っていうわけではなくて、外国語というのはアカデミックに「語学」的要素がある一方、文化的な要素も重要です。歴史や文化的な背景知識があるにこしたことはないわけで、特にヨーロッパ文化や言葉はそれぞれいろいろなところで有機的に結びついていますから、英語以外に別の第2外国語を学ぶ意義は大きいのです。そういうことを大学でフランス語を勉強した時に学びました。(フランス語はものになってませんけど、ある意味で英語の役にたちました)
 
 なぜ今になって唐突にドイツ語かって?

 う〜ん、趣味的なものが大きいですけどね。(好きでなかったら、こんな面倒くさいことやってられませんな、実際のはなし)

 まあ、理由は大きくわけて3つぐらいあるかと思いますが、そのうちの一つはやはりSM的なモチベーションからもきてたりします。

 わかる人にはわかるでしょう... ^^ そのうちまた詳しく触れたいと思います。

 変態パワーの精神的エネルギーはバカになりません。


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牛プレイ(cow play)

 今朝はちょっと早起きして、発売されたばかりの「ビッグコミック・スピリッツ」(No.20 5/1号)を立ち読みしていて思わずのけぞってしまったのが、 コレ

 一般雑誌にしてはかなりキワドいと思いませんか? 
「プレイコミック」とか「漫画ゴラク」でなくて小学館の「ビッグコミック・スピリッツ」ですよ。画像をクリックするとフルイメージになり、これが牛の乳搾りの図であることがわかりますが、見る人が見ると、ちょっとドキドキものではないでしょうか ^^
 
 先日紹介した フェティッシュマップ に「牛プレイ(cow play)」なるものがありましたが、そうか!これのことであったか!と思わず膝ポンでした。

 ちなみに今のタイミングで小学館の オフィシャルサイトにいくと、まだ 先週号 が掲載されてますが、この「肉体は凶器だ!!!」というコピーまわりもなんとなくフェチっぽいセンスを感じるし、表紙のモデルさんもどことなくS女っぽい雰囲気があります。

 大手出版社でM気のある編集者が多いのは小学館だと以前聞いたことがあるような気がしたが、やっぱりね〜...

 この巻頭グラビアを見てそう思いました。


  別にいいんだけど...


 このグラビアを担当した編集者は絶対にマゾだと思う。

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謙虚なドイツ語?

 語学としてのドイツ語を勉強するのはまったく初めてなので、初歩的なことでも新鮮な感動があります。

 ドイツ語の一人称は ich と表記しますが、英語の「I」と違って頭文字は常に小文字なのだそうです。これに対して二人称の Sie は必ず頭文字は大文字になります。
 
 これには「へ〜!」と思いましたね。「80ヘエー」ぐらい。

 英語の場合「I」は、文章のどこにあっても必ず大文字で表記することにはなってはいるのですが、海外のFem-Dom 系の文章を読んでいると、M男性はあえて小文字を使う傾向があります。(普通のアメリカ人でも、E-mailなどのカジュアルな場合では小文字を使っている人を時々みかけますが、教養のある人はけしからんと言うし、公文書ではNGです)

 これはおそらく、へりくだっていることを暗示しているのでしょう。特にM奴隷が女王様宛に書く場合ではたいてい小文字になって MistressのMは常に大文字です。


 以上のことから、なんとなく、ドイツ語というのは英語より謙虚な言葉なのかもしれないと感じます。自己主張の度合いが強い英語と比べてドイツ語はつつましい。文法的な規則または慣例の違いというより、国民的、文化的な差異のような気がして、面白いなと思いました。

 いろいろな意味で、外国語を学ぶと視野が広がります。英語だけでも自国の文化を相対的にみるきっかけにはなると思うので、母国語の勉強を先にしっかりとしておくという前提でなら、小学校での英語学習はまんざら悪くもないかなと思います。「将来のため」とかいって自分の見栄のために無理矢理母親が習わせるくらいなら、「学校でしかたなく」程度の方が害が少ないでしょう。

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mixiのコミュニティ

 爆発的に参加者数が急増中の mixiですが、「ナニそれ?」っいう人に説明は難しい。基本的にBlogと似たような世界ですが、明らかに異なります。僕も最初のうちはブログ同士の交流に特化した、限定的な空間だと思ってましたが、そこには広大な宇宙が広がっている...

 まあそれはともかく、そこに会員同士で構成される「コミュニティ」と呼ばれる、ある種のサークル活動みたいなシステムがあります。
mixiの会員であれば誰でもすぐに入会したり作ったりできますが、そのコミュを作った管理人が参加者を選別することが可能。入会は承認制だが内容はオープンにできる、などといったオプションもあります。

 実に様々なコミュニティが存在し、タイトルだけ見ていても飽きない。
ちょっと面白そうなやつでメンバー数が多いものをピックアップしてみると...
(かっこの数字は参加者数)

人飼い
(715)
あなたは人を飼いたいと思いませんか?
あなたは人に飼われたいと思いませんか?
そんな願望や欲望を持った、「人飼い」な人のためのコミュニティーです。実現している人も、そういう過去をお持ちの人も、ぜひどうぞ。
太もも以上・お尻以下
(361)
脚フェチ??? お尻フェチ???
その間の微妙な所が好きですw
SMってなんだと思いますか?
(848)
初めてSMを体験したのは18の時でした。それから3年間、SMという行為が持つ意味を、それが私にとってなんなのかをずっと考えてきました。ただ、一人で考えていると段々と思考が偏ってきてしまうので・・・(^-^;
皆さんの意見も伺えればいいな、と思い自らコミュニティを作成してみました。
あたしがブってあげるわよ
(639)
「誰か俺をブってくれー」 「そんなにブたれたけりゃ、アタシがブってあげるワヨっ!!!」「いくわよっ!!!  それっ!!!」
Fetsih イベントに行き隊
(764)
CYBERJAPAN,TORTURE GARDEN,TOKYO PERVE,KITTY FIRE 2099 (crazy88),ボンテージ,ラバー,エナメル,コルセット,SM,緊縛,ストリップ,コスプレ,キャットファイト,ウェット&メッシー,ゴールデン街,2丁目,レズビアン,ゲイ,ニューハーフ,ドラァグクィーン
・これらの単語にピピッと来たアナタ
・男のスケベ心に起因するエロではなく、女性が憧れるエロティシズムの世界に惹かれるアナタ
・そんな人達のための、お出掛け中心主義のコミュです。
倒錯とフェティシズム
(500)
芸術という枠に収めきれない、溢れ出るフェティシズム。それに突き動かされた作家達の、作品と人物について語るコミュニティです。クロソウスキーの言葉に何かを感じた方、どうぞご参加下さい。
Mの集い場
(416)
基本はMのためのコミュですが、視野を広げよう!ってことで制限はしていません。とにかくSMが好きな人。Mな人。Sな人。まだ自分がどっちなのかわからない人。SMに興味がある人。これもひとつの快楽です。今まで、興味の無かった人も覗いてみませんか?みんなでお話していくうちに、きっとなにかが見えてくるはずです。たぶん。コミュを通して、パートナーさんが見つかる。なんてのもいいかもしれません。ただし、そのあたりは自己責任でお願いしますね。誹謗中傷以外なら、どんなことでもいいと思います。小さな疑問。不安。情報交換。いろんなことができたらいいなと思います。
エナメル部
(345)
ファッションエナメラー、エナメルプレイヤー、ボンデージ等なんでもアリ。エナメルな脳髄の方おいでませ。


 そのものズバリのタイトルもあります。

M(マゾ) (5130)
緊縛 (1251)
 (444)
女王様とM男 (481)
精神的マゾヒズム (1728)

モロに願望重視そのものタイプ

顔面騎乗されたい・したい (1372)
ペニスバンドで犯す!犯される!(492)
羞恥プレイが好きな私 (1470)

あと、ちょっとアブナいのとか....

拷問・殺人方法あれこれ (1273)
出血・流血 (429)
医療用具萌え(781)

 作家名でファンクラブ的なものも多いですね。

谷崎潤一郎 (2606)
沼正三(364)
館 淳一(80)

 去年僕が立ち上げた「春川ナミオ同好会」や「お馬さんごっこ普及振興会」はまだ人数は少ないですが、毎月コンスタントに入会希望者が入ってきております。

 とまあ、これはごくほんの一部で、実に多種多様な趣味・嗜好・こだわりでもって、ダイナミックなコミュニケーションが展開されています。これはハマりますよ、実際。ツボがわかってるもの同士の濃い触れ合いは、そこらへんの馴れ合いとは一線を画している。

 当然まともな、というか変態ワールド以外のものもたくさんあります。

「風の谷のナウシカ」のコミュでは、 「日常会話でつかうナウシカ台詞」というトピックがあって、書き込みは447もありました。

「味はともかく、長靴いっぱい食べたいよ」とかいうのが大マジメに紹介されている。楽しそうですけど、オタッキーですな〜 ^^

 もっとマニアックでマイナーなものもあるのだれど、それなのに参加者、投稿数が多く、クオリティの高いところが凄い。マナーの悪い発言はないし、アラシさんの入り込む余地もなし。そこが一般のブログやBBSなどと大きく違うし、急成長の理由なのでしょう。

 NHKラジオ講座のコミュなんかもありました。(早速ドイツ語講座のコミュに参加しました)

 本当にもう、なんでもありますね。
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M男ブログ

 宮沢賢治は子どものころから大好きな作家ですが、このような評価をしたことはなかったですね。

目からウロコというか、確かにマゾのブルース聞こえてくるような気がしませんか?

 しんのすけさんのブログは僕がブログをやる前からず〜と愛読していました。いつの頃からかコメントを受け付けない設定になっていますので、この場を借りてコメントさせて頂きます。

 数あるM男さんのブログ中でも男人受虐狂者的独白@mヲは素晴らしい!

 まず文体がとてもカジュアルで特徴的なのですが、キワドい内容もこのマイルドな語り口ですんなりと受け入れられます。きっとマゾでない人にも共感される可能性が高いのではないでしょうか。M男であれば多少ツボが違っていても「あるある、その感覚」「わかるかもしれない、その気持ち」といった前向きな姿勢で楽しめるし、視野が広がる書き方で、毎回読み応えのある構成になっています。
 ただ、しんのすけさん自身も自虐的におっしゃっておられるように、ブログというのはまともな内容であっても「公開自慰」的な動機で書かれているものが多いです。僕のもそうですが。

 「見られるのを前提にするオナニー」=「読まれるのを前提に書く日記」

 快楽としてはほとんど同じアナのムジナと言えるでしょう。

で、マゾであれば、「バカなことほざいてケツカル」と思われても感じてしまう。

 嘲笑とはなんと眩しいものだろう。(三島由紀夫「金閣寺」)

 
 他人のオナニーを見る趣味はないですけれど、その人が本当に気持ち良さそうに逝くところを見れるとしたなら、それはそれでいいのかもしれない。だからしんのすけさんのブログを読んでいると、共感できると同時に、実に奔放に気持ち良さそうに表現されているのが羨ましくも感じられるのです。そもそも嗜好やフェチ度、女性の好みのタイプが僕とほぼ同じなのでよけいにそう思います。

 しんのすけさんの偉大なところは、自己満足的な自慰行為に終わらず、エンタテイメントとしてのサービス精神も忘れていないところ。お役立ち情報や関連リンクも充実していて、読み手を意識したフォローが、さりげなく巧みに提供されていますね。

 末永く続いてほしいブログです。


O嬢の物語

O嬢の物語

河出書房新社

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 ざっくばらんに言うなら、無垢な女性がサディストたちの餌食になりながら、マゾヒズムに目覚めさせられていく過程が描かれており、S男性なら言われなくても読みたくなるようなお話。そしてこの作品は、澁澤さんが熱心に絶賛していたこともあり、日本では仏文学愛好者の間で比較的よく読まれてきた。今さら僕みたいな知性と教養もない、しかもへたれM男の立場でなんだかんだ言える筋合いのものではなかろう、というご指摘はごもっともだと自分でも思います。

 だけど、マゾ男だからこの作品を読んではいけない!などとは誰が言えましょうや! ましてや理解できないなどとワッ!!!

 ついリキんじゃいましたが、とにかく、普通の女性が巧みにMに目覚めさせられていくプロセスは、SMとは無縁の一般読者にも、この世界の精神的理解の裨益となるはずと思うわけです。それ以上に、マゾヒズムを理解し愛するM男性にとっても、エレガントな感動が味わえる作品であることを強調しておきたい。

 ここには「鞭で打たれて喜ぶ変態マゾ」という通俗的な偏見はない。背徳的だが美しい愛の世界であり、クオリティの高い恋愛小説として読めます。

 ただ、発表された1954年(昭和29年)当時の日本には、澁澤龍彦以外にこの偉大な作品を正当に評価できる人はいなかった。全世界でセンセーションを巻き起こしていた「O嬢の物語」の作品世界が、この国で一般的に受け入れられるには、あと20年を要したのです。

 1974年「エマニエル夫人」の監督によって映画化され、エロティックな文学作品のひとつとしても広く世に知られるようになります。ここでようやく日本でも、SM文学のバイブル的ステータスを獲得するものの、依然として「S趣味のある男性向けポルノ」といった見方がやや優勢なのかもしれない。もちろんそのような楽しみ方も妥当だし、否定はしませんが、作者のポリーヌ・レアージュは、どちらかというと女性読者を意識してこの作品を、O嬢を描いているように感じます。「恋愛の過程で貴女にマゾヒズム願望が芽生えたとしても、それは普通の愛情表現となんら異なるものでありませんよ」というメッセージが受け取れます。これは FemDom 願望を抱くM男性の心にもしみる言葉です。僕としても自分のマゾヒズム願望の本質的な部分と重なり、「毛皮を着たヴィーナス」と並ぶ座右の書となっております。

 男女を問わず、読み手がSであろうがMであろうが、普遍的に優れて上品なマゾヒズムの入門書という位置づけで評価したい作品です。


【アフィリエイト文責】

homer_2006@goo.jp
僕の実名住所等はメールにて確認ください

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奴隷契約書

 なんとも甘美なる響きのするこの言葉。「奴隷」というフレーズだけでもビビッとくるものがありますが、それに「契約書」という3文字がつくと、自分の中のマゾモードにがさらにパワーアップしてきます。

 知る人ぞ知る甘美会と呼ばれるSMサークルでは実際に会員同士で奴隷契約書のようなものを作成し、実践しているようです。その契約書のサンプルを 家畜人の森 の中で見ることができます。ここの「奴隷契約書」のページでは先日もご紹介しました「毛皮を着たヴィーナス」の中でワンダとセヴェーリンが取り交わす内容が紹介されています。作者のマゾッホはご存知のようにマゾヒズム文学の金字塔を打ち立てたのみならず、自分の作品世界を後に実人生でも追体験した希代な作家。おそらく現代のSMプレイにおける奴隷契約的概念のテンプレートがこの時に完成したと言えるのでしょう。
 
 だからなのかどうか、奴隷契約書の多くは「奴隷側」の視点から、マゾヒズムを満足させる方向で草稿が書かれているような印象です。例えば、 Shadow M というサイトでも「奴隷規約」として奴隷宣言や奴隷契約書のサンプルが紹介されていました。これもマゾ男性が作成されたものです。

 一般社会では、法律や契約書というのは弱者を守るために、支配する側の特権的で恣意的な影響を排除する機能を持たせるのが普通です。しかし「奴隷契約書」というのは、弱者である奴隷の立場をより不利に、よりみじめなものにするために存在している点でおもしろい。おそらくサディズムの視点から作られた奴隷契約書もどこかにあるのでしょうが、M奴隷側が自ら自分のマゾヒズム願望を満たすために作成する、または契約をお願いするパターンが多いような気がします。こういうのを読んだり、書いてみたりして興奮してしまうのは、マゾヒズムを理解出来る人だけでしょう。たとえ本来、身も心も女王様に捧げる決意は当然マゾヒストとしてはしているのだけれど、あらためて意識的に確認する作業は、マゾヒズムという精神的な礎なくしては出来ない。もしもノーマルな人がこういう奴隷契約を結ばなければならない状況に陥れば「冗談じゃない!」と不快感が先に来るのでしょうか? 最初はイヤだと思っていても、美しい女主人との契約にだったら、奴隷契約を結んでもいいじゃないかと思える日もくるのではないでしょうか。
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SMにエロスは必要か?

 このようなタイトルは、できることなら、僕が考え出したと思われたい。
残念ながら、似たような議論は昔からあって、しかもテンプレートと思われる素材に三島由起夫の「芸術にエロスは必要か」という小論もあります。

 エロスというのはいつでも物議をかもすもの。SMとの関連で言うと例えばフェティシズムなどと一緒に議題のテーブルによくのる。

あるいは、例えばメイド喫茶にエロスはあるのか? などなど。

 エロサイトにある一つの確立したジャンルとしてSMが存在するからといって、SMにエロスが必要かどうかは一概には言えないと思う。マニアックに言うなら、エロにこだわらない愛好家もいるのだ。エロスを超えた、究極のこだわりの世界がSMにあるように思えてならない。

 これが、SMに興味も関心もまったくない人にとっては、たんなる悪趣味な世界に映るのであろう。かろうじてエロスを感じるところに、許容範囲の限界ラインがあるのかもしれない。


 巷に多くある「エロス論」によれば、まず「性欲を喚起」する何かがエロにはあるらしい。だとすれば、鞭で打たれて怒る人にとっては、SMにエロスは存在しないことになる。(わざと極端に言えばですが...)

 打つ側にしても、無実の人を鞭打つことに何かためらいがあるとすれば、そこにエロスの介在する余地はないであろう。
さらに言えば、マゾだからといって全てのM男が鞭で打たれて勃起するかといえばそうでもない。へたすると縮みこんじゃったりなんかして。


 これは要するに、人によってはエロスの判断規準が異なるということであり、もともと明確に定義できるようなものではないということではないだろうか。勃起すればなんでもエロスと定義してもいいけど、それだけではないような気もする。

 しかしとにかく、エロスとはなんだかよくわからないけれど魅力的なものではある。禁断の世界でもあり、宗教的には冒涜とみられる場合もあるのだけれど、芸術の世界では不可欠な要素として昔から重要なテーマとして用いられてきた。エロスが芸術として創作活動に関与するならば、SMにもそういう面がありそうである。

SMはアートだ! なんていう人もいるしね。SMはエロだとか、エロでないとか、いろいろなことを言う人がいますが、その人が納得、満足できるのであれば、あとはどうでもいいんでないかい? と思う今日このごろです。

 SMクラブなどでなおざりに行われるプレイに、はたしてエロスはあるのだろうか。人はエロスを求めてSMクラブに行くのであろうか? 

 少なくとも言えるのは、何かを期待して、ロマンを求めていることだけは言えそうである。
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女王様系雑誌

 今の世の中にはいつのまにやら「女王様系雑誌」というのが存在します。これは女王様が読むものでなく基本的にM男性向けに編集されている。(だから厳密にはM男系雑誌とでも呼びたいところですね)

 昔はM男の手記などが中心だったような気もしますが、最近はS女性の記事やインタビューも多くなってきています。

 先日三和出版から発売された「DVD女王様バイブル vol.1」に、ヤプーズマーケットが特集されており、代表の浅野なつみさんの記事を興味深く読んだ。この人は二十歳ぐらいまではノーマルなセックスを普通に受け入れていたそうですが、つきあっていた男性に顔面騎乗を頼まれてS女に目覚め、「監禁」というキーワードにこだわるようになっていった経緯が語られています。人それぞれ、いろいろなきっかけでSMに目覚めるものですが、浅野さんの場合は出会ったM男性の影響もあって、自分の目指す方向を着実に実現していき、それが世のM男性の理想ともリンクし作品化されたヤプーズ・シリーズはヒットしました。ジャンルとしてはスカトロ系の、監禁・調教ものと言えると思いますが、一つのカテゴリーにおさまりきらないマニアックなこだわりは、幅広いM層の支持を得ているようです。僕も初期の作品を数本買いましたが、とにかくパワフルだなあと思いましたね。ウソがない。表現に妥協がないというか、「やらせ」っぽくないんですよね。そこらへんが従来のMビデオや女王様系作品と一線を画していた。

 これはむしろ北川プロが得意としていたスタイルだったのだが、面白いことに最近の北川シリーズは、凝った仕掛けと演出で作品づくりを意識しているような傾向がある。乾はるか氏の起用やINBIシリーズのソフト路線を見ていると特にそう感じる。これを日和見とか妥協という人もいるようだが、多様化したM男性市場に対応した戦略なのであろう。よく比較される北川シリーズとヤプーズだが、ヤプーズにしたって元をたどれば北川プロのDNAを受け継いでいるプロダクションであり、好みやスタイルの違いこそあれ、どちらがどうとも言えるものではないと思う。
 
 ちなみにこの女王様バイブルには「北川プロの研究」というもう一つの特集ページがありまして、なんとここの記事は

  僕が書かせて頂いております。

 昨年のイベント参加が縁で原稿執筆を依頼されました。

 さりげなく (←どこが!)宣伝してみたりして ^^/

 DVD付きで税込み価格 3,900 円というのは、ちょっとビミョーなお値段かもしれませんね。だけど2時間ものMビデオを買うと思えば安いような気もする。「素人S女」が、読者応募のへたれエゴMフェチ男性をイジメルという、最大公約数的な内容も、現代M男気質を的確にマーケティングしていると言えそう。本体のグラビアもなかなか迫力あります。

 僕が関わったからといって プッシュするわけでは、ありますが、 それを抜きにしてもまあまあの内容だと思います。

 マゾ花筆者の記念すべき紙媒体デビュー号ということでもありますので、もの好きな方は買ってみて下され!

posted by homer_2006 | マゾヒズムに花束を!


ダ・ヴィンチコード

 公開からほぼ一ヶ月たっているので、もう見た方もたくさんいらっしゃるでしょう。ご覧になった方なら、このブログでとりあげるぐらいだから、「あのシーンか?」と想像がつくかもしれません。

 そう、例の「自己鞭打ちシーン」です。

 敵役となる修道僧(「悪役」とは書けない気がする。善悪の問題を超越しているような気がするので)が、イエスの十字架像を前に儀式的に自己を鞭打つシーンが2〜3回あります。

 物語的にも重要なシーンで、狂信的な修行僧の信仰心の強さ、深さ、そして屈折性もが表現されていたように感じました。ここを見るだけでも、この作品の価値はあるでしょう。

 これを見て、つくづくマゾヒズムとは殉教の精神でもあるのだなあと感心させられました。

 ヴァチカンにあるサン=ピエトロ大聖堂に奉られているペテロ(ピエトロの英語読み名)は、わざわざ迫害されるに決まっているローマにまでやってきて捕まり、処刑されるわけですが、その時イエス様と同じ磷つけでは恐れ多いから、もっと苦しい「逆さ磷つけの刑」を自ら望んでそうされたと伝えられています。こうなってくるともう、苦痛とか快楽を越えたレベルの、純粋に崇拝するもの造の同化というか愛というか、つまり殉教になるのでしょうね。信仰心の薄い僕にはちょっとわかりにくい。頭ではなんとなくわかるような気もしますが、身体ではわからんでしょうね。好きな人と受けた同じ苦しみを味わいたい、とは思えないから。

 「好きな人からだったら、苦しめられたい」とは思うかもしれないけれど。ま、これが通俗的なマゾヒズムでしょう。

 物語は、レオナルド=ダ・ヴィンチが問題提起したのかどうか、絵画作品などに「表象」されている「解釈」をめぐる謎解きを縦軸に、そして歴史的な言い伝えを横軸として、様々な項目が複雑にからみあいながら進行していきます。ま、宗教の話は別にしても、よく出来たサスペンスとは言えるし、何かと物議をかもしているとはいえ、一つの娯楽作品として評価して欲しいですね。ネタ的には宝物のてんこもりで、その多彩さ、深さだけでも凄まじいものがある。

 ダン・ブラウンの原作小説が話題(問題?)になり、映画化以前からこの件は物議をかもしていたわけですが、2000年の時を越えたスキャンダルという意味で、人類史上永遠のトピックと言えるのかもしれません。
 純粋なフィクションとしてみれば、1級レベルの作品なので、お薦めです。鞭打ちシーンも、ある意味では美しく描かれており、感動的ですらありました。
 なんかやってみたくなったりして。

  ( ↑ こんなこと書くと敬虔な信者から後ろ指さされるんでしょうな)


団鬼六さんと

激ヤバ画像につき… -僕をクリックすると見られるYO M男の分際で、なんと団鬼六さんとお会いする機会に恵まれました。言わずと知れたこの世界の巨匠。最近は杉本彩の「蛇と花」のヒットで、SMのポップカルチャー化に多大な貢献をしている団氏。70年代には幻の「SMキング」などの編集も手がけていた重鎮中の重鎮であります。松本清張にも似た風貌とその名前から、どんなにとっつきにくい人なんだろうかとビビリながら話かけましたが、実に気さくなお人柄でとても和んだ会話を楽しむことが出来きました。奥様も同席されていたのですが、体調を崩され、まもなく入院する予定であったそうです。見た目はパワフルでお元気そうでしたね。

 それにしても、こんなにSMの話を楽しそうにする人を僕は見たことがない。実にあっけらかんと「浣腸」とか「緊縛」とかのキーワードが飛び出します。この人は本当にSMが心の底から好きなんだなあ〜というのがわかる。それでいて、「SMというのはあっけらかんとしていてはいかん」ともおっしゃる。どこかに抑制があって、「見たい」とか、「したい」という衝動にブレーキがかかるところがよいのだという意味深な発言には感銘を受けました。インターネットやパソコンなどはほとんどおやりにならないそうで、僕がこういうブログをやっていることを言うと「いつでも連絡して下さい」と名刺まで頂きました。

 以前から聞いてみたいと思っていた「奇譚クラブ」時代の須磨利之(喜多玲子)との交遊についてもいろいろとお伺いしたのですが、やはりSMがまだ市民権を得ていない時代に、地味に活動を続けていたパイオニアのひと言ひと言には、重みと深みがありました。


注* 原文には激ヤバ画像があります。ネット倫理を考慮し、元記事CG部加工の上転載しました。


恥の文化

 先日お会いした団鬼六さんと話していてつくづく思ったのは、真のSM愛好家は、やはり昨今のSMの大衆化についてはあまり好ましいとは思っていないのかなァということ。SMやフェティッシュ系のイベントなども全国的に開催されるようになり、以前とは比較にならないほどあっけらかんとしたムードになってしまった。それはそれでいいのだけれど、なんとなくブームにのっかかるように軽〜くSMのことを語ってよいのだろうか?という、ある種の違和感みたいなものがどこかにある。

 浣腸プレイというのがあります。「奇譚クラブ」的に昔からよくあるパターンは、緊縛した女性に我慢させておいて、最後の最後に「お、お願い...おトイレに行かせてちょうだい!」とかなんとか言わしめるような、そこはかとないイメージが、最近の雰囲気だと、もう開き直っちゃって「私の排泄シーンをみてちょうだ〜い!」とでも言わんばかり。

 恥じらいというか、ためらいというか、そういう美学が失われつつあるような気がします。
posted by homer_2006 | Comment(5) | マゾヒズムに花束を!


SM観の東西格差

 日本文化について「恥の文化」という表現をしたのは、「菊と刀」のルース・ベネディクトという人です。彼女は武士道など、伝統的な日本の価値観や美意識を分析・考察し、どうやら日本人は西洋人に比べて、 「恥ずかしい」という気持ちに弱いらしい、と気づいた。

 すなわち日本人にとっては正義より名誉が優先され、面子や世間体が大事なのである。

 これに対して西洋人は罪の意識に弱く、つまり神との関係性、宗教的戒律とか良心といったものを重視している。罪の文化とも言われるこれら西洋的な道徳規準はしばしば、東西文化の差異、日本人とのモラル意識の違いに反映されていると指摘されます。

 これらはそのまま東西のSM観にも反映されていそうな気がする。

 西洋のSMの王道は、「ダ・ヴィンチコード」にも出てきました鞭打ちに代表されるお仕置きです。いけないことをしたので鞭で打って下さい!

 そのようなイメージに対して日本の伝統的なSMには、お仕置きや折檻という意味あいよりも、「ハズカシメる(辱める/恥ずかしめる)」といった責めに重きが置かれていたのではないか。女性緊縛図とか伊藤晴雨責め絵などを見ていると、痛みとか苦痛よりは

 「恥ずかしい格好で縛られている姿を見られるのがイヤ〜」

 といった感じがします。まあそれほど単純に分類や比較はできないでしょうけど、ざっくばらんには言えると思う。

 何を「恥ずかしい」と感じるかにも個人差があります。人前で話すだけでもう恥ずかしいと思う人もいる一方で、電車や街中で大声で携帯電話で話して恥ずかしくない人たちもいる。恥の文化は言ってみれば人目を気にする文化であり、罪の文化は神の目を気にする。

 戦後から高度経済成長を経て、あらゆる点で西洋風に急成長してきた日本は、宗教的なことは別にしても、伝統的な恥の文化が失われつつあり、道徳観も西洋風に変化してきたように思います。

  そして、SM観も西洋風になってきたということなのでしょうか。

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ミッション インポシブル 3

 「おはようフェルプス君」 う〜ん、懐かしい!

ず〜っと昔、テレビドラマの頃から好きで、音楽が印象的。SMプレイをする時にこれをBGMにすれば、どんなご命令にも従うことが出来そうな気がしませんか?  オフィシャルサイト に行くとそのBGMが流れて、今まさにそれを聞きながらこれを書いておりますが、お気に入りの Femdom系サイトなどを観ながらこの音楽を聞くのもまたよいものがあります。

 マゾヒストにとって、ご主人様からのご命令に不可能なものはありえないのですが、一般的には「実行不可能な任務」となってしまうのでしょう。「跪いて脚を舐める」なんて行為は、妄想として好きでも、経験がない人にとっては、初めて実際にやるには勇気がいると思う。最初はやっぱり恥ずかしい。自分で望んでおきながら、ためらいがある。その羞恥心がまたアンビバレントな快楽へと結びついてもいるわけでマゾヒズムというやつ本当にややこしい。だけど一度でもやってしまうともうハマりこんでやめられなくなる。そして慣れてくると平気になってきて、今度はさらに一段階進んで、もっと恥ずかしい行為や過激な願望実現へと向かうのです。

 ところで、こじつければこれはフェチな映画ともいえる。スパイ映画って小道具フェチにはたまりませ〜ん!ていう感じではないでしょうか? 実に様々な新兵器やアイテムが登場してましたが、変装に使うマスクをパソコンでスキャンしてプリントアウトするみたいな感覚で作成していた部分にはプチ感動してしまった。インクジェットプリンターで立体像に塗料が高速で吹き付けられて行くシーンはもう現実のテクノロジーなのでしょうか。凄い...
 
 こういう映画には必ず拉致・監禁や拷問シーンが登場します。トム・クルーズの拘束姿もなかなかセクシーでしたね。こういうのを見ちゃうと僕も

「うおおおお、縛られて鞭で打たれてえ!」 などと衝動的に思ったりしますよね
  ↑ そんな人いないって (。。)☆\バキ)

 今回はボンドガールみたいなセクシーな女性やお色気シーンはほとんど見られなかったけれど、手に汗握るアクションシーンはなかなかでございました。娯楽大作としてはおすすめであります。
posted by homer_2006 | Comment(0) | マゾヒズムに花束を!


児童虐待とSM

 事故で水死したと思われていた女の子が実は母親に突き落とされたらしいという報道には胸を痛めずにいられませんでした。子供はもちろんかわいそうなんだけど、我が子を愛せない母親にもまた悲惨なものがある。

 この事件では児童虐待の疑惑もとりざたされていますが、未成熟な親による子育ての放棄、または手抜き、そして無関心は、幼い子供の心に暗い傷跡を残す。そうした子供が大人になってから、安定しない精神のよりどころとして宗教活動などに走るといったこともあるようです。

 話が飛躍すると思われるかもしれませんが、マゾヒズムもこの流れから考えることが可能であるということを、今井一夫さんのホームページで知り、興味深い視点だと思いました。

 この人は趣味的に(もちろん双方合意の上で)M女性を緊縛し、その写真や体験記録などを紹介されているのですが、このサイトにある「マゾヒズムの真実」というページのエッセイは読み応えがあります。児童虐待の話から始まって、マゾヒズムの快楽は自由意志からの開放にあるというラインは実に説得力があり、「O嬢の物語」や精神医学を根拠にマゾヒズムの真実を解き明かそうとする。今井さんは、幼少期に虐待された経験を持つM女性とのプレイを通して、不安定な心を束縛してくれるマゾヒズムの功罪について述べ、そうしたトラウマを持つ相手の存在や価値を承認する癒しのプレイを通してM女性に満足感を与えることができる緊縛を提唱されているようです。そのためには、成熟した、自立した「S男性」としてのスキルが求められる。

 僕にはS趣味はないので、いまいちピンとこない部分もありますが、趣味的に健全(?)にSMプレイをされている方々には一読をおすすめしたいです。特に心の傷などないとおっしゃる方も、無意識にどこかで痛めている部分があるかもしれないアブノーマル趣味の人にとっても、心にしみる表現がある。

 僕には幸いなことに親から虐待された経験はありませんでしたが、忙しい親からの無関心に多少は心のダメージを受けていたのかもしれないなと、ふと、思いました。深刻なレベルではなかったはずだけど、自分のマゾヒズムの起源の一端とは言えるのかもしれない。

 そんなコト言っちゃって 「ただのスケベな変態なんだろ!」と指摘される方、それも真実です。

 僕はここで自分のしょうもない変態性を否定も正当化もするつもりはありません。 
 
 ただ、自分のマゾヒズムの本当の起源は、どこかで書いたかもしれないですが、子供の時に拾った雑誌「奇譚クラブ」に掲載されていた 春川ナミオ の衝撃的なイラストなのです。

 これが具体的なトラウマであることは間違いない。だけど、まだセックスも自慰も知らない時期になぜあれが「イイ〜」と思えたのか。ソレがナゾです。同じ雑誌に女性の緊縛写真も載っていたのに、そちらの方にはほとんど興奮しなかったのですから。

 やっぱり先天的に マゾ で児童虐待とは無関係 なんでしょうね。

 小学生にSM雑誌見せる親はいないでしょう。だけど、僕は忘れもしない小学生3年生の時(おそらく8歳〜9歳?)の時に「奇譚クラブ」に出会ってしまった。

 それは、児童虐待にも匹敵するインパクト

があったとは言えなくはないのかもしれない。

  ↑  なんだかんだ言って、やっぱ正当化してるって!  (。。)☆\バキ)
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無邪気なエム心

 いや〜、いい時代になったものです。著作権とかいろいろな問題がとりざたされるインターネット業界ですが、個人的に楽しむだけならこれほど素晴らしい環境はないと思いますね。昔夢中になって見ていたアニメで、家庭用ビデオがようやく我が家にもおでましになった頃には再放送してなくて、悔しい思いをしたことがありました。今なら見ようと思えばソレなりになんとか見れるんでしょうけど、それでも、時々な〜んかね、無性についつい

見て見たくなる ヤツってありません?

 例えば こんなの とか。

 *お使いのPC環境やOSのバージョンによってはムービーが再生されないかもしれません...

 アニメやコミック作品で、こども心を刺激する要素に、

ヒロインとなるキャラクターの「女王様度」というのがあると思う。(← そんなのあるわけないでしょって (。。)☆\バキ)

 別にマゾの人でなくても、ヒーローやヒロインに対する純粋な気持ちの延長線上に、偶像崇拝的な思い入れが芽生えてもおかしくない。フェチとかコスプレなどにしても、原体験はアニメにあったという人は多いのではないだろうか。

 女性キャラや女の子が悪役をやっつけるシーンに、普通に感情移入する一方で、なんだか意味不明な、もやもやとしたときめきというものがありました。

 「キューティー・ハニー」の場合は、敵役のパンサークローが完全に女王様系キャラとして登場していた点でも画期的でした。



 ← 今でも本屋さんで入手できるのでしょうか...
Amazon にはなかったみたいですが...

 「SFコミックス」という分類もおもしろい。同じ永井豪の「あばしり一家」では「爆笑コミックス」というネーミングが使われていました。
 この頃の少年チャンピオンにはジョージ秋山の「ゴミムシくん」など、どう考えてもSMコミックスでは?と思える作品がありました。

 最近たまたまNHK-BSでやっていた ヤッターマン の特集を見たのですが、ドロンジョ様の「やっておしまいー!」というフレーズにも、潜在的にM心を刺激されていたように思います。

 「サイボーグ009」の003とか、 「ラ・セーヌの星」 のシモーヌとか、こんなかわいい女の子に虐められてみたい!という気持ちって、大切にしていきたいです。

   ( ↑ なんのこっちゃ ^^ )



 注* 確かに個人として楽しむ分には問題ありません。
が、↑のようにHPにアップロードしてしまったら、これは話が別となります

………
………


わああぁぁぁぁ!!! 秋田書店様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!



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みだらな行為

 ず〜っと昔から気になっていた表現「みだらな行為」とは、具体的にはどのようなことなのでしょうか。

 萩本欽一が主催する野球球団の選手で、お笑いタレント山本圭一さんが試合遠征中にファンの少女と 何か やったらしい。。

 吉本興行が「反社会的」で許されない行為ということで山本さん(まだ逮捕も起訴もされてないから「さん」づけですね)を解雇した。これを受け、欽ちゃんも球団を解散するという。

 なんでそお〜なるのっ?

 「反社会的」というのなら、もしかしてSMプレイでツか? いや違うでしょう。もしSMプレイならもっと刺激的な報道になって叩かれるはず。

 おそらく普通のエッチだったのではないでしょうか。

 17歳の女の子とノーマルなセックスをしただけではないのか。ただ、相手が未成年というだけで「反社会的」となってしまう。もちろん倫理的には許されることではないし、許してやれとも言わないけれど、ちょっと量刑不当というか、少なくとも欽ちゃんが責任とるほどのことではないのではないでしょうかね。
  
 「欽ちゃんのそこまでやるの?」って感じです。

 だってさァ、今の段階では任意の事情聴取で、まだ犯罪には至ってなくて、事実関係もほとんど明らかになっていない。いわゆる淫らな行為自体(本番)が成立していなかった可能性だって残されている(未遂)

 もっと穿った見方をするなら、少女側にはまったく問題がなかったのか? 中学生ならともかく、もしかしたら性体験も豊富なイケイケ少女なのかもしれない。売名目的で被害届けを出したのかもしれない。人気が出て来たタレントを破滅させる陰謀なのかもしれない。

 そもそも「淫らな行為」って、顔面騎乗を頼んだ だけだったのかもしれない(それはないか...ナ)

 もちろんいたいけな少女で、山本さんがやりすぎて、トラウマになったとすればかわいそうな事件です。

いずれにしても、もっと具体的な事実や証拠が固まってからでもよかったのではないだろうか。

 僕の個人的な印象では(新聞しか読んでないけど)直前まで打ち上げか何かで二人は同席していたわけで、無理矢理どこかに連れ込んでレイプしたわけではないらしい。吉本興行もイキナリ解雇はないだろう。クビにするにしても、本人の言い分を聞いてからでも遅くはないし、欽ちゃんの勇気ある決断にしても、早急すぎたように思う。

 あまり芸能界に興味ないし、「極楽とんぼ」の存在も知らなかったから、見当ちがいの意見なのかもしれません。

 それにしても、ヘアヌード全盛のこの時代に「淫らな行為」という戦後統制下の自主規制まがいの表現は、どうにかならんものですかね。本当にナニやったのかが気になります。もし和姦ぐらいで、相手の少女もまんざらでなかったということであれば、せめて「不適切な行為」ぐらいにしておいて欲しいものです。
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性欲とSMの関係について

 セックスとは「淫らな行為」になるのでしょうか? 未成年相手だとしても、そこに愛があれば、神聖な行為ともなりえるのではないかと、そのようにも考えています。

 別にどっちでもいいです。僕はどちらかというと、セックスよりもSMが好きという人間だから。魅力的な女性に出会うと、おつきあいしたいと思う前に、跪いて脚を舐めてみたい!とか思ってしまう。
(それでもやっぱり、未成年を相手にしては、いけないことだとは思う)

「よし口説いてみよう!」などというほどの勇気があったなら、「僕の女王様になっていただけませんか」とか「奴隷にして下さい」とお願いすることだろう。

 しかしそれは現実的ではないし、もちろん言ったことはない。ただ、一番最初になに思うかというと、つい性欲よりもマゾヒズム願望の方が優先的に、というかもう本能的に脳裏に浮かんでしまう。

 これって、やっぱりおかしい?んでしょうね。(← ビョーキだよっ ^^)

 フツーの人間として、つまり人として、生殖的なものよりも、アブノーマルな性欲、セックスに結びつかない欲求の方を求めてしまうのは、精神医学的にも問題があるとする学説も昔からあるようです。そういう意味では、罪深いのかもしれない。

 まァねェ〜... 性欲がないわけではない。

 男としてムラムラするもの はありますよ。

 セクシーな女性のダイナマイトボディーを見て純粋に「いいなァ〜」とは思う。だけど、それは美に対する視点であって、矛盾するようだけどそれほど いやらしい視線 でもなかったりする。少なくとも僕の場合は、必ずしも性欲やセックスに直接結びついてはいない。もちろん性欲と結びついたSMもあるでしょうし、それはそれでいいと思う。

 正直言うと自分でもよくわかりませんが、性欲とM願望は別物ですね、たぶん僕にとっては。さらに、マゾヒズム願望を刺激してくれる要素は、ごく限られた対象に向けられるのです。
 
 例えば、フィギュアスケートのミキティーは可愛いとは思うし、女性的な魅力を否定しませんが、彼女とは寝たいとは思わないし、虐められたいとも思わない。しかし荒川静香ちゃんにだったら、鞭で打たれたりしてみたい、とか思ってしまうわけです。(←バカだよね、実際... ^^)

 この場合、顔つきとか総合的なキャラクター(この場合氷上でのパフォーマンス性や体格など)が決め手となります。

 よくマゾヒズムで誤解されやすいのは、「あんたはマゾなんだから痛いのが好きなんだろう?」とかいう安っぽい台詞があるけど、これは本当に滑稽に聞こえる。

「あんたには頭だってなでられたくないですよ」と言いたくなります。

 いくら美人で魅力的でも、その人のマゾヒズム願望を満たす要素がその女性になければ、与えられる苦痛は快楽に転化しない。そもそも苦痛は快楽とはなりえないし、そう思えるのは精神的な側面がとても大きい。宗教の、殉教的なマゾヒズムは別にしても、変態性快楽至上主義のマゾヒズムには非常にデリケートな、メンタル的な要素があると思われます。

 性欲の場合は、相手は誰でもいいからとにかくすっきりしたいという純粋な欲求がありえる。身体だけが目当てみたいな。SMにもそういうのはあるけど、変態性マゾヒズムの場合には、「この人にだったらもうナニされてもいい!」と思えるぐらいの「愛」や「崇拝」の気持ちと結びついていると思われ、簡単に言ってしまえば、好みのタイプに虐められたいということになるのだと思います。

 なに言ってんだか ^^...

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The Art of Sardax



 読まずに積ん「読」のも入れると、毎月平均して30冊ぐらいの書籍を購入している(漫画本含む)

 まぁ、買ってるだけできちんと読んでるとは限らないから、この程度で「趣味は読書」と書くのはおこがましいと思うけれど、本を読むのは好きです。とりあえず買っておけばいつか読むだろう、ぐらいの気分で衝動買いも多い。それにしても十年ぐらい前までは多くても、新刊本は月にせいぜい10冊ぐらいだったように思う。置く場所もないので、適当なところで見切りをつけて友人にあげたり古本屋に売り飛ばすのですが、毎年ラックや本棚を新調しております。雑誌などは捨てるけど、長い目で見ると確実に増え続け、もうマジでスペースがない!!!かなりヤバい状況です。去年 死後のコレクション問題 について書きましたが、書籍にも同じことが言える。

 ただ、ここ数年で購入数が増えた背景には、Amazonなどネット買いが増えたからです。「ネット衝動買い」が急増しました。特に本屋さんでは買いにくい本、入手しづらい洋書とかバンバン買っちゃってます。街で品切れでも、または絶版本でも、ネットだと意外と容易に手に入る。いい時代になりました。

 「読む」というより、「手もと置いて置きたい」というタイプのものがけっこうあります。そんな感じで Art of Sardax を最近入手しました。随分前に発売されていたのでご存知の方も多いでしょうが、待望のSardax氏の最新画集です。ネットではおなじみのFemdom Art が、上質の紙に印刷されているというだけで、なんだか感動してしまいます。やはり、手に取ってページをめくるのってよいものです。クリックしてモニターで見るのって、どこかバーチャルな感じがしますからね。

 ネット買いの難点は全てクレジットカード決済で、実際に自分の財布から現金を出して買うのと違い、歯止めがききにくい。海外の場合送料もバカにならず、今月は1万ぐらい買ったかな〜とか思っていると、いきなり書籍費だけで2万も3万円も引き落とされたりしてショックが大きいです。それほど読んでるわけでもないのに...

 SMクラブに1回行けたじゃん!とか思ってしまう、貧乏性なのでした。
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奇譚クラブ

「奇譚クラブ」とその周辺

河出書房新社

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 前著 「奇譚クラブの絵師たち」でも当時の裏話を生き生きと綴っていた濡木痴夢男の新刊。この人は「奇譚クラブ」の熱心な投稿作家であったが、「奇ク」の編集者で絵師でもある須磨利之(喜多玲子)に誘われ、「裏窓」の編集者となった人。その後、緊縛写真の縄師としても活躍し、戦後のSM文化を裏から表から産み育てた。他にも河出文庫から何冊か出ていますが、今回の新作は「奇ク」を狂言まわしとした戦後SMのガイドブックとしても読める、とても興味深い内容になっています。

 「奇譚クラブ」は今でも古本屋などで入手可能で、ヤフオクでもわりといい値段で取り引きされております。僕はたまたま小学生の時に道ばたに束になって捨てられていた数冊を拾ったのが運命的な出会いとなりました。ここで初めて春川ナミオなどのイラストに衝撃を受け、この雑誌をきっかけとして、当時自分の中に芽生えつつあったマゾヒズムを明確に意識することになりました。世の中にこういう世界があることを知り、なかば安心した思いが忘れられません。中学生の頃には今でいうアニメおたくのように、SM雑誌の収集に情熱をそそいだものです。子供だから街の本屋では買えないし、もちろんお金もありませんから、郊外の住宅地を歩き回り、ゴミ捨て場に古雑誌が捨てられているのを見つけては、まるで ホームレスのおじさん のように物色し、SM関係の雑誌をかき集めて家に持ち帰ったものです。当時は「SMキング」「SMコレクター」「SMフロンティア」「SMマガジン」「SMセレクト」といった、誌名に「SM」を付けた雑誌の発刊ラッシュのような時期で、買ったはいいけど家の中での処分に困った人たちが、けっこう投げやりに捨てていたのでしょうか。郊外のゴミ置き場にはたいていエロ系週刊誌の陰に隠れたかたちで、こういったSM雑誌もよく捨てられていましたね。

 「奇譚クラブ」には時期にもよりますが、総じてグラビア写真が少なく、読みもの中心でした。しかしイラストにFemDom系のものが多く、特に春川ナミオ以外にも男性マゾヒズム願望を満たすような作品が掲載されていたのが印象に残っています。他のSM雑誌が女性緊縛写真やS男性向けの構成がメインだったことを思うと、「奇譚クラブ」はバランスがとれていたように思う。そのページに掲載されている小説や記事とは関係なしに時々登場する「イメージギャラリー」という読者投稿のコーナーがあり、そこには「犬女」などで知られる室井亜砂路の作品も見られました。岡たかしや飯田ひろくにとかがM男ものをよく描いてました。四馬孝や杉原虹児といった大御所もこの頃から登場しています。

 戦後のSMを語る上で欠かすことの出来ない貴重な資料としての「奇譚クラブ」ですが、僕にとってもエム心の故郷のようなものなのです。


【アフィリエイト文責】

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僕の実名住所等はメールにて確認ください

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心の問題

 マゾヒズムには大まかに言って、自己に向けられる「被虐願望」と、他者に向けられる「崇拝願望」の2種類があり、それらが微妙にミックスしたかたちで現れる場合が多いようです。一番典型的な例が、崇拝する女性から虐められたいというもの。好きでもない女性から虐められたいとは普通は思わないでしょうが、マゾヒズムには屈折したかたちでいろいろなパターンがあるようで、一概にはなんとも言えない世界。
 
 似たようなことがフェティシズムに言えて、例えば靴やストッキングを履いているのが誰かという問題を越えて、靴そのものに愛着を持ってしまう場合もある。全ては本人の心の問題であり、その本人ですらきちんと理解しているとは限らない。なんでかわからないけど、こだわってしまう。そうした、他の人にとっては意味不明なこだわりを、理解できないまでも、認めるというか、尊重する態度は大切なことだと考えます。


 最近誰かさんが「心の問題」とかいうようなことをおっしゃっておりました。

それはご自分の心の問題だったような印象でしたが、個々の人々、つまり相手方の心の問題にも触れて欲しかったように思います。
 
 対象がなんであれ、レスペクトする気持ちは尊い。例え邪悪なものに対しての忠誠や尊敬の念でも、本人にとっては純粋で不可侵な心の問題と言える。

 ただそれが、周囲に与える影響によって、社会的な判断は分かれるでしょう。自己のこだわりを尊重するのと同じぐらいのレベルで、他者のこだわりや心の問題を意識することが、この複雑な現代社会を賢く生き抜いていく知恵のような気がします。


鞭の似合う女王様

 板についている とはまさにこのことだ。

 ダンスの振り付けが「女王様と鞭」というモチーフでここまで見せつけてくれたことはかつてなかったのではないだろうか。SMを連想させつつもいやらしくなく、パワフルかつ上品なセンスで素晴らしい!

 音楽的にもいいカンジ。昔のマドンナやマイケルのプロモーションビデオ(MTV)を思い出してしまう。詩も心にしみる。



 ↑ アクセスにちょっと時間がかかり、前ふりもやや長いが、最高にごきげんなMTVに仕上がっている。

 とにかく、浜崎あゆみのファンならずとも、彼女に鞭打たれたいと願わずにはいられなくなる。

 いったいなんなのだろう。とにかく存在感がずばぬけている。女王様にはこういう威厳というか、誰がみてもそれとわかる貫禄が必要で、平凡な女性にただたんにボンデージ衣装をつけて鞭を持たせるだけではサマにならない理由がここにある。

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金魚マゾ

 これは「救いようのないマゾ」という意味だそうです。

 まったくマゾヒズムという習性は、自分でも救いようがないものだよと思う。いったいどうして、このような願望が存在し得るというのだろう? 
未だに不思議でしょうがありません。

 こんなマゾな自分が言うのも変な話ですが、

誰がどう考えたってそうでしょ?

 様々な好みの種類(痛いのが好き、恥ずかしいのがいい、舐めたい、踏まれたい、等々 etc...)があるとはいえ、基本的に地球上に存在する生き物として、こんなおバカなこと考えているヤツって、人間だけ。
 (他の動物さんの意見を聞いたことはありませんが ^^ )

 しかも、普通の性欲よりも強い願望としても成り立つメンタリティには、この世に生きるものとしての根本的な存在意義すら問われるのではないか、などと時々悲観的な気分にもなります。

 これは、「宇宙の果てにはいったい何があるのだろう?」という普遍的なナゾと同じくらい、僕にとっては重大な疑問なのである。

 だけど、いつもは面倒くさいから、そんなこといったって、

好きなものは好きなんだからいいじゃん!

と、半分開きなおることにしている。

  「マゾヒズムの発明」とか、ミシェル・フーコーの難しい著作を読んでみても、なんとなくわかったような気がしてわからないのがマゾの心理。

 これを追求することは、結局「人間とは何か?」という問いかけにもなってくるのである。

 マゾヒズムが救いようがなくて、無様でミジメでもうどうしようもないのに対して、サディズムの方はかっこいい。心理的にもまだ説明がつきそうな気がする。(←説明できないけどね) 

 だって「救いようのないサド」という表現は、どこか不自然な気がしませんか? サディストって、例えば縄師さんとか緊縛師、そして女王様も含めていわゆる「S側」の人達って皆さんとてもスタイリッシュでクール。

 サディズムとはまた違うのかもしれませんが、憎たらしくてきらいなヤツをぶん殴ってみたいという気持ちは理解できる。これと同じようなベクトルで、可愛さあまって憎さ百倍的に、本当は好きな人を虐めてみたい、という、いわば愛し方の種類としても、まあ、納得はできる。

 でも、僕は本来暴力そのものが嫌いでして、女性から暴行を受けるのが好きというわけではありません。SMプレイのジャンルに「格闘技系」みたいのがあるけど、あれはちょっと勘弁してほしい。
(好きな方には申し訳ないけど、プロレス自体があまり興味がないもので)

 もっと僕が好きなのは、美しいものを崇拝する気持ち のようなもので、その相手にのみ服従し、その美の前においてのみ恥ずかしい姿をさらすことが出来る、という感じです。だから公開羞恥プレイのようなのは、ちょっとイヤかな。

 ま〜、偉そうにナンダカンダ言ってみたところで、僕がキンギョマゾであることにかわりはないのですが...


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考えるマゾ



 僕は小学生の頃からすでに、好きな女の子から虐められてみたい、とかいう(かわいいレベル?)の妄想を抱いておりましたが、それと同時に、自分がどうしてそんな奇妙な幻想を抱けるのかが不思議でした。自分自身が理解できない。子どもの頃はそんな自分がが嫌いだったのでけっこう劣等感がありましたが、大人になってからは開きなおることができました。変態な自分がいとおしくさえ思える。ただ、たんに変態である、変人であるということで納得すればいいのだが、ではなぜ変態なのか?という疑問は相変わらず残るわけです。

 だから、大人になってからSMクラブに行けるようになって、「鞭で打って下さい」と

お金を払ってまで お願いしてしまう行動力の源とはいったいなんなのだろう?

 というようなことも考えるようになりました。自分でも「よくやるよ」って思う。はては、ここではとても書けないくらいチョー恥ずかしいことをしてくださいなどと臆面もなく言えてしまう自分が、とても不思議。恥知らずな自分がまた心地よい。バカだよね。
 そうでない人もいるからには、その差はなんなのか。個性とはまた別の差異のような気がするわけです。

 画像は女の子に虐められる男の子をテーマにした作品を発表している伊藤一蔵氏のサイト Girl Beats Boy より




 注* リンクの場所を一蔵氏・非営業時代のサイトに変えて掲載しました。提携業者以外の宣伝をするものなんですので。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ネット業者・伊藤一蔵商店 様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
こっちだけ商売してしまいましたぁ!

阿漕な僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
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エムマニア

激ヤバ画像につき… -僕をクリックすると見られるYO
 たまにはブログらしく日常の身近な出来事を書いてみよう。コンビニでこのお菓子のパッケージが目に飛び込んできた。よく見るとそれは「ミルクマニア」と書かれているのに僕はそれを

「Mマニア」

 という視覚情報で受け取ってしまいちょっとびっくりした。そして苦笑いしながら、普段チョコレートなんか買わないのに、つい衝動買いしてしまった。

 別に年がら年中マゾヒズムのことについて考えているわけではないのだが、己の性癖の深刻な影響がこういうところにも現れてくるのでしょうか。ほとんどビョーキですね。

 このチョコは美味しかったです。


注* 原文には激ヤバ画像があります。ネット倫理を考慮し、元記事CG部加工の上転載しました。
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足フェチの秋


 
 なんだか最近、女性の脚(足&あし)を意識した映画のポスターやチラシをよく目にするような気がするのですが、僕が足フェチだから気になるだけでしょうか。


 すらりとのびた長い脚に、キュッとしまった細い足首、そして美しい稜線を描く魅惑の太ももは、まさに歩く芸術品と言えましょう。

 僕は以前ダンスを習ってました。ダンサーの脚の張りの良さは、触わらなくても見ただけでわかる顕著な特徴があります。きちんと訓練を積んだダンサーの脚には、そういうことをやっていない女性の脚と比べると一目瞭然の違いが見られる。
 
 ダンスの上手い下手は、技術的なこともさることながら、身体づくり的な要素も重要です。激しい動きや複雑な振付けに耐えられるよう、毎日きちんと体をほぐし、ストレッチをしているからこそ血行もよく、みずみずしい肌の艶と健康的な弾力性が自ずと得られてくる。その美しさは脚フェチでなくとも目が釘付けになるくらい。脚のラインやかたちだけでなく、中身の充実した脚には憧れてしまいます。




「キンキ」(= kinky) とは、カタカナ英語としては日本ではあまり馴染みがないかもしれませんが、「性的に倒錯した」という意味です。邦訳するなら「変態ブーツ」となるわけで、これじゃお客さん来れないだろうとそのままのタイトルになったのでしょう。でも脚フェチを誘うデザインのポスターですね。


 これはちょっと以前に街を歩いていて思わず携帯のデジカメで撮影したもの。


     ↓


 
 タイトルは確か「トランスポーター」だったと思う。チラシをゲットすればよいものを、このポスターは特大パネルになっていて、そばに行くとこの脚もとにいるような気分になって、ついアオリの構図で撮影してしまいました。下から眺めるとなかなか迫力があり興奮しました。
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ご聖水とお小水の違い

 久しぶりに風邪をひいてしまいました。たいしたことはなかったけど、気管支炎らしく、喉もいたくて咳がとまらないので、病院に行きました。
 受付をすませてしばらくすると「これにお小水を」と看護婦さんに言われてカップを渡されたが出ない。「今はダメですね、でません」と言うと、ではこちらへどうぞと診察室へ案内される。診療と点滴が終わってからもとの受付窓口の場所に戻ってきた時に、急にモヨオしてきたので、

「診察が終わった今頃のタイミングで ご聖水 出してもしかたがないですかね?」

と思わず言ってしまっていた。

 熱でぼ〜っとしてなのか、 「小水」と言うべきところを 「聖水」と言ってしまったのだ。

 言った瞬間に気づいてから「しまった」と思っても後の祭りである。

ところが、相手の看護婦さんは知ってか知らずか、特に気まずいリアクションをするでもなく、かすかに微笑みながら「あ、今からでも遅くはありませんよ、検査しますのでどうぞ」と、また何事もなかったようにカップを手渡してくれた。
 
 別にご聖水が飲みたかったわけではない。無意識におしっこのことを聖水と言い換えていた自分は、やはり根っからのマゾ男なんだな、と思った。

 それにしても冷や汗のシチュエーションでした。マゾのカミングアウトにも等しいうっかりミスだけど、このような言い間違いするMッ気のある患者さんは、意外と多いのかもしれない。だから看護婦さんも「あ、この人マゾで聖水マニアなのね」と思って、慣れっこになっていたのだろうか。
タグ:花束
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M男洗脳アニメ

 去年の今頃だったか、PCゲームの調教もので 男がマゾという設定がなかなかないよね〜 というようなことを書きましたが、そこで見つけた「ディシプリン」というゲームがアニメ化され、DVD になっていました。もうかなり前のことみたいですが、全然知らなかったです。レンタル屋さんで見かけて思わず借りてきてしまいました。




 お話は聖アルカディア学園という女だらけの学校に編入した男の子が、女の子たちに翻弄されるという内容なのですが、主人公(?)の早見拓郎は特にマゾというわけではありません。しかし学園を支配している森本レオナをはじめとする登場する女の子はけっこうサディスティックなキャラで、あの手この手で早見を虐めてくれます。ペニスや挿入というリアルな描写が多く、どちらかというと(というか誰がどうみても)まっとうなアダルトもの、つまりセックスをメインとした内容で、そこにやや変態チックなからみがあるだけで、SM的な匂いはあまり感じられないかもしれない。しかしながら、コレってけっこうM男が見てもかなり満足できそうな印象でした。ストーリー的には部活動の勧誘合戦みたいな構成をとりながら、官能と倒錯の世界をさわやかに描く、まさに青春学園もの。マゾでなくとも、男ならこのようなシチュエーションに憧れるはず。こういうアニメ作品を中高生の時に見れば、まともな男子生徒が自然にマゾ男へと洗脳されてしまいそうな感じがしますね。

 ディシプリンの元のゲームのことはよく知らないのですが、この世界では「マゾゲー」といって、マゾヒズム願望を叶えてくれる内容のゲームが一つのジャンルとして成立しているみたいです。
 ある方からメールを頂きまして、 こんなマゾゲー があるよと教えてくれました。



 けっこう面白そうなんだけど、やっぱりマックじゃプレイできない! なんでやねん!!?


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M女の遺伝子



 PCゲーム同様、アダルトコミックでもM男性市場はあまり大きくありません。女王様ものも最近でこそ時々みかけますが、数はやっぱり少ないですよね。

 三条友美のほとんどの作品は、内容的にはS男性向けで、劇画としてのレベルは高いと思いますが、M男性が見て面白いかどうかはビミョーなところ。
 ただこの人の作品ではいつも、「マゾヒズム」というものがある種の狂気として描かれている点で興味深く読めます。性癖とか趣味でなく、もうクレイジーな世界としてのマゾヒズムがここにあり、まともな理性で楽しむようなSMプレイとはほど遠い。このM女の「遺伝子」というタイトルにも、ちょっと惹かれました。

 マゾヒズムが「狂気」であるならば、それは精神病疾患のような遺伝子などにも原因があるのかもしれない。狂気とまでいかなくとも、Mッ気とかSッ気とかいうのは、気質の一種としても分類され、親の性格や生活環境から取得されうる類のものなのかもしれない...などということを考えさせられるのです。

 何かのきっかけでMなりSなりになるにしても、そのきっかけを受け入れるための素地みたいなものが、もともと全ての人類のDNAに植えつけられているのかもしれない。だとすれば、マゾヒズムもサディズムも、その人が左利きか右利きかと同じようなレベルで議論されてもよいのではないでしょうか...な〜んちゃってネ!

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ファンタジー

 子どものころ、きれいな女の人がトイレに入るところを目撃して、幼心に「あんなに奇麗な女の人でもウンコするんだろうか?」な〜んていうきわめて古典的な想いを純粋にしてたりしたものですけど、その時でもそのウンコを「食べたい」とまでは思わないんじゃないですかね、いくらマゾでも。

 いや、思う人もいるのかもしれない。

子どもの頃から既にそこまで思うことが出来るのは、なにかのきっかけがあるというよりは、もしかしたら、「Mの遺伝子」(この場合はスカの遺伝子か?)のようなものがあるのかしらと、ふと思ったりもする。

 ウンコはイヤだけど、おしっこならまだいいのか?

う〜む...どうでしょう。「汚さ」という点では、おしっこの方が少し(清潔とは言わないが)、ウンコほどは汚くはない、とは言えるかもしれない。だから飲めるのか?というのとはまた別問題ですが、「黄金」よりは「ご聖水」の方がやや抵抗なさそうとは言えると思う。ノーマルなご夫婦さんでも、奥さんにおしっこかけてもらって喜んでる旦那の話(←SMと比べればかわいいもんだ、という意味でノーマル)が、昔の投稿雑誌に載ってました。愛する人のものならば、唾でもおしっこでも尊いという気持ちは、「普通の」マゾヒズムよりは理解しやすい気もするけれど、ただウンコまで尊いと思えるかどうかで、ひとまず線引きができそうな気がします。

 線引きと言っても、変態とノーマルの境界線ではありません。そんなラインは存在しないと思っていますが、おしっこなら飲めても、ウンコは食べられない、とかいうようなラインがなんとなくありそうな気がします。少なくとも、僕の中にはありますね。

「家畜人ヤプー」のような作品世界を、脳内で受け入れることは可能であっても、現実にあのような世界で暮らす、または実践するというようなことは、ほとんどの人にとっては不可能だと思われます。ただ想像するだけで楽しいっていうのはある。幻想として憧れ、ファンタジーに浸る喜びは、変態であろうとなかろうと(たまには)あるでしょう。
 
 ところが世の中には、あそこまで過激な肉体改造はしないまでも、似たようなところまで追求しようとする人たちが現実にるわけでしてね。

 一過性の「プレイ」としてではなく、現実の日常生活にまで倒錯した快楽(苦痛)の世界を追い求める人々。ボディーピアスやタトウゥーなどもその世界の一歩手前のような気がしますが、スカトロも、本当に食べちゃう人はもう、あちらの世界に逝っちゃってるんじゃないかっていう...。

 聖水ぐらいまでならね、ま〜なんとか勢いでいけちゃう気もするのですが、大きいほうは考えるだけでもためらわれます。よく「脳内スカはオッケー」なんて言う人もいるみたいですが、いったいどこまでがオッケーなのか...

 でも、何事も経験で、死ぬ前に一度くらいは経験してもいいかな?とは一瞬(ほんと一瞬ですが)思ったりもします。
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イジメ

 マゾだから苛められたいと思ってるでしょうって? 

かわいい同級生からなら虐められてもよいかな〜と、昔は思ってました。

 だけどイジメはよくないです。よくないことだけど、昔から子ども社会にはあったことだし、大人の社会にだって村八分も含めて、ある程度の組織やコミュニティでは、避けては通れない社会的通過儀礼みたいな面もある。集団の中で味わう孤独や疎外感は、人生の肥やしになるのである。死ぬほどのことはないんじゃないかな。

 自殺されたら、親のせいとか学校のせいとか、何かへんなムードが蔓延している印象ですが、どこかおかしい。

 一番の問題の本質は、やっぱり自殺する本人にあるだろうし、本人にしかわかり得ないことの方が多いと思う。自殺するほどまでの痛みや悩みは、第三者に予測も理解もできるものではないのではなかろうか。

 イジメをとりまく環境がいくら健全であったとしても、自殺する人は死ぬ。また逆に、たとえ不健全であったとしても、自殺しない人は死なない。

 今の子どもたちは、あまりにもカンタンに人を殺すし、自殺もする。その原因はいろいろ考えられるだろうが、原因を特定する根拠も薄いのに、その原因に責任をとらせようとする態度は、ある種の責任逃れみたいな気もする。


美脚の誘い

 相変わらずコンスタントに新作をリリースしている北川シリーズだが、過去20年間の膨大なアーカイブから、脚フェチにマトをしぼった抜粋編が発売された。

これは凄い。

 過激なハードプレイがウリの北川作品と思いきや、

こんなにフェチでソフトなシーンもあったの?

と驚いてしまう。そういう部分だけを丁寧に抜き出して、女王様別に構成してくれているので、誰にも必ずハマるシーンが見つかる。ありとあらゆるバリエーションのお宝映像の中からレベルの高い場面が厳選。これはただたんに脚を舐めるとか踏まれるとかいったありきたりのダイジェスト版ではなく、各女王様ごとに実に多彩でエキサイティングなプレイの数々が巧みに編集されている。各作品本来の持つパワフルさに加え、構成の妙といった隠し味がまた美味しい。脚フェチマニアならずとも垂涎の一作。

 次々に登場する有名女王様の美脚は官能的であると同時にもはや芸術的な域に達している。きれいな脚は見ているだけで幸せな気持ちになれます。むろん目的は達成されるべく、下半身をも満足させてくれる内容になっているのは言うまでもない。

 正直に言います。感動しました。興奮しました。逝かせて頂きました!!


注*  元記事にある画像とリンクは割愛してあります。
「イジメ」の記事にお褒めを頂いたばかりのところに、またこんな変態エロ商業サイトの第三者的謳い文句の宣伝記事を書いてしまいました。
ちょっといいことしても、後が続かない人なんだなあ、僕チンて。
せめてバランスをとるために、北川プロへの否定的な記述でも添えましょう。

ここの社長も、使えもしないくせにネット好きでして。blogで盛んに日記書いてますよ。
前は、ウェブリングでやってたんですけど、規約違反で削除されてしまい引っ越したんですけどね。
その引越しちょっと前に、事務所電話番である女事務員を女王様扱い (しかも、「どうか、私めの卑しい口をお手洗いに見立て排便なさってくださいませ」のクチ) する電話がよくかかってくることを書いていた記事がありました。
その記事へのコメントです。

>やはり、受け手を選ぶメディアですか?
>そうお考えになるのなら、ネットというマスのメディアを駆使してのプロモーションは如何なものかと思います。
>ここをご覧下さい。
>http://balder.prohosting.com/gtwy/cgi-bin/vote/log.cgi?room=251&pm=500
>執拗に貴女の名前を挙げる輩がいますでしょう?
>投票対象は「ネット人格」なのにねえ。
>記事中言及されていた架電者しかり。
>こういう仮想と現実の区別のつかなくなってしまった狂人を作ってしまった責の一翼は、貴社にもあります。
>ひとこと言わせていただきました。

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中国にSMはあるの?



 しばらく中国に行ってました。ある仕事の取材で、北京に3週間、上海に5日、瀋陽に3日ほど滞在してました。

 中国はいまやインターネット先進国ですが、今回は個人的にはほとんどする暇もなくて、人に直接会ってどっぷりと話を聞くという極めてアナログな仕事です。ネットで情報収集するということはなく、もっぱら足で稼ぐといった感じで、久しぶりに泥臭い、土臭い仕事をしたなあという感じ。やっぱりナマの人間関係というのは疲れますな。特に外国人相手だと余計に神経を使いますから。

 だけど、同行した韓国人の若い通訳は、靖国問題については何も知らなくて、日本で何故あれだけ騒いでいるのか理解できない、などと言って僕を驚かせてくれました。世代や人によってこれも様々なんだな〜と....

 こだわる人は気にするし、こだわらない人にとってはどうでもいいこと。それが戦後の平和ボケした一般ピープルの常識のようです。国を問わず。日本も中国も、そして韓国や他のアジアの国の人々にとって、過去の悲惨な歴史は、「どうでもいいこと」と感じている人が多数います。それがけしからんという人もいるんだろうけど、「どうでもいいじゃん!」と思っている人にとってそれは、全然関係ないもんね!という態度があからさまに感じられて、ヤレヤレという気持ちで帰国しました。僕の知り合いには、声高にいろいろなことを主張する人がけっこういるので、何も主張しない無関心な人々というのも新鮮に感じられました。

 けっこう激務で、体力的にかなりマイってしまって、瀋陽で中国式マッサージのお世話になりました。「水流派」という本格的なヤツで、90分で200元(約3000円)という価格破壊的なお値段にしてはよかったです。
 そのマッサージの女の子(19歳!若い)の話せる日本語が「痛い」「気持ちいい」「ありがとう」の3つしか知りませんとか言われてしまって笑ってしまった。これって、何かマゾヒズムを連想する3大用語かも、とその時思って吹き出してしまった。SMのことはほとんど考える余裕もない一ヶ月だったので、何となく懐かしい気持ちになりました。この娘が日本語がわからないのをいいことに、もまれながら、「あ、気もちいいです女王様」とか言ってみたりして。これはかなり勇気がいるのですが、旅の恥はかきすてで、思い切って(小声で)言ってたりしました。

 ちなみに中国にはSMクラブは、僕の知る限りなかったみたいです。風俗営業自体が違法で闇やウラではあるのかもしれませんが、かなり取り締まりが厳しいようです。

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立ち読みのススメ



 毎日必ずといってよいほど、本屋に寄って立ち読みをする習慣がもう30年以上続いている。本を買うという目的とは別に、立ち読み自体が最近はメインの行動になりつつある。以前は面白そうな本はとりあえず買っておいて家に置くことが多かったけど、後で読もうなどと思っていても、ほとんど読まずに「積ん読」になってしまうことは過去30年の実績が証明している。もう置き場所もないし、せっかく買ってもヤフオクで二束三文で叩き売りするのも飽きてきた。それくらいなら、気合いを入れて「立ち読み」すればよいのでは?と、本当に最近思う。これまでなんと無駄金をどぶに捨ててきたんだろう。
 しかし本を買うという行為は、その本をきちんと読まなくても無駄とは言い切れない面もある。手もとにあるだけで、いつでも参照できるもんね、という余裕は捨てがたいものがあるのである。
 立ち読みはほとんどもう趣味ともいえるほど病み付きになっていて、最近は深夜のコンビニでの週刊誌の立ち読みの頻度がここ数年激的に増えました。気がつくと1時間ぐらいは平気で読んでますね。よく読むのはダカーポ、SPA、ビックコミック系、ジャンプ系、サンデーマガジン系のコミック雑誌と、最後にアダルト系を物色し、今週はFemdomっぽいのがないかな〜などと期待しつつパラパラとめくります。ちなみにサウナに行くと「週刊朝日」とか「週刊現代」、ポスト、新潮、文春という、自分では絶対に買わないような雑誌を読む事になります。そういう場所には必ずこのテの雑誌が当たり前のようにおいてあって、パブロフの犬じゃないけど、いつのまにか風呂上がりにはいわゆるこの種の「オヤジ系週刊誌」が読みたくなったりする。
 
 さて、マゾ男向け、または女王様系作品は登場してこなかった青年雑誌にまたまた期待のコミックを見つけました。以前から注目はしていたのですが、毎号連載しているわけではなく、ちょっとためらいがちに登場してた感じもするのですが、この扉ページには度肝を抜かれました。ここまであからさまにFem-Dom系をアピールしたのは、ビジネスジャンプでは三山のぼるの 「麗羅(レイラ)」以来ではなかろうか。内容もなかなか斬新で、まっとうな作品としてきちんと成立しているし、Fem-Dom的エロスもしっかりおさえられており、僕のツボにはハマってます。興味のある方はぜひチェックして下さい。
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「女王様」のプロトタイプ



 あの格好って、いったいなんなんでしょうか?と思うことが時々あります。毎度ワンパターンというか、自分でも結構好きなくせに、時々そこはかとなく違和感みたいなのを感じることがある。

 おそらく日本で最初にこの種のイメージが紹介されたのは、「奇譚クラブ」経由で米国の伝説的なボンデージ雑誌「Bizarre」に掲載されていたものが起源ではないでしょうか。それ以前からもプロトタイプの存在は西洋にも確認できますが、一般大衆に広くこのイメージが広まったのはこのメディアの影響が大きかった。事実、戦後の日本にまで伝播し、アンダーグランドではあったものの当時はマニアックに支持されていたようです。    
  ジョン・ウイリー エリック・スタントン 、Bill Wardなどによるフェティッシュな写真やイラストには、現在に継承されている女王様プロトタイプのルーツが見られます。マリーアントワネットやエリザベス女王のような、最初から権威ある女性ではなく、ごく平凡な女性でもそれを身につけることによってある種の権威というか、凄みとでも言うのか、とにかくその格好だけでもう跪いてしまいたくなるようなインパクトが求められる要素があると思う。
 
 黒や赤の下着をベースにタイトなコルセット、ストッキングにガータベルト、そしてハイヒールやブーツ。これら典型的な女王様的なるコスチュームは、ノーマルなセックスとは一線を画する行為へとスムーズに移行するための儀式的なアイテムとして、たんなるファッション以上の意味合いがあったと思われます。

 元来日本には、欧米ほど洗練されたアブノーマルなサブカルチャーが発達していなかったか、あるいはあったとしても、それをマスレベルで普及させようとする動きがなかったため、戦後の「奇譚クラブ」に代表されるカストリ雑誌が紹介してきた欧米的な女王様的イメージが、一気に人気を得て(?)普及促進していったのだと思われます。

 僕は、子どもの頃からただ単純に、もう無条件に「かっこいい!」と思ってました。
(なにしろ「奇譚クラブ」を初めて読んだのは小学生5年生ぐらいの時だったもので)

 長年刷り込まれてしまったプロトタイプの影響からの脱却は、難しいものがありますね。
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快楽なくしてなにが人生

快楽なくして何が人生

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  団鬼六氏とは昨年お会いしたことがあります。透析をしないと命があぶないという状況なのにそれを断っているという状況でした。文豪的な巨匠というイメージを抱いていましたが、なんとも気さくなおっちゃんという印象で、末期の腎不全を煩っているとは信じられないパワフルなSM談義に花が咲き、とても貴重な一夜を過ごさせて頂きました。

 その時にも話に出ていた、半生記みたいな書き下ろしを出すというので、楽しみにしていたのがこれです。団氏の作品は昔の奇譚クラブで読んだ程度で、僕は単行本を買ったことはありません。普通のM男性は読むことはあっても本を買うことはないんじゃないかな... 
 この本を読むと、世間一般に流布している「団鬼六」とは全く別のイメージに驚くかもしれません。彼の初恋と失恋のエピソードは、あまりにも劇的ではありますが、SMとは無縁の、なんとも純粋、なんとも滑稽な、人の人生なんてわからんものだというか、とにかくメチャメチャおもろいでんがな!!(←なぜか突然関西弁)

 団鬼六という人の作品世界を知っている人にとっては必読の書と言えるばかりでなく、一冊の人生指南書としても、ごく一般的にもお薦めできる本です。
 ノーマルであろうと、アブノーマルであろうと、快楽追求というテーマにおいては本質的な違いはない。快楽を求めるのは人間としてまっとうな行為なのだと、今さらながら納得させられてしまいました。あまりにも追求しすぎて犯罪になってしまうのはまずいけど(ていうかヤバいけど)、愛し合ってる者同士、あるいは一時だけとしても双方合意の上での行為で、人様に迷惑がかからない程度の変態行為はヤバくもなんともないんですね。



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人間テーブル

 以前はそんなこと考えたこともなかったのに、ふとしたきっかけで奇妙な妄想に陥ってしまうようなことがあります。どこでみたか忘れましたが、おそらくアメリカのボンデージ雑誌かなにかの一コマで、裸の男性が四つん這いになってガラスの天板を背中に乗せて「人間テーブル」になっている図。


 初めてこのイラストを目撃した時は、なんだコリャ?みたいな感じで、面白いとは思ったものの、さほど僕の心の琴線に触れることはありませんでした。しかし最近、なんだかとてもストイックなマゾヒズム願望が満たされるような気がして、もしかして自分はこういうのやってみたいかも、と思うようになってきました。そういえば数は少ないけれど、「人間家具」というカテゴリーに分類される、立派(?)なアブノーマル変態願望の一つで、Femdomシーンにおいては昔からしばしば登場している図でもあります。

 
 これは独りでやってもつまらない。
      (↑そうでもないかも...^^)

 やっぱり、できれば2〜3人のミストレスに囲まれて、彼女たちに世間話でもしてもらいがら、無視されているんだか、虐められているんだかわからない、ビミョーな羞恥心が刺激されるような感覚がポイントと言えましょうか。
 
 人間椅子もいいけれど、こちらは顔面騎乗とも連動したアクティブでスケベな感じがして、どちらかというと若い人向けだという印象なのに対して、人間テーブルの方にはどこか静的で、奥行きの深い情緒があり、熟年向けというような気がする。わかる人にしかわからない、みたいな。ま、マゾヒズムを理解できる人でも千差万別ですから、意味不明であるという人もいると思います。一般ピープルにはもっとわけのわからない世界なのでしょうか。

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風俗資料館の蔵書販売

 風俗資料館が、保管スペースの合理化のため、その貴重な蔵書の一部を愛好家のために期間限定で販売をしています。重複している冊子が整理された結果として放出されるもので、マニアにとっては千載一遇のチャンスかもしれません。古本屋での相場よりは安めでリーズナブルな価格設定は、館長であり、往年の「風俗奇譚」の編集長でもあったT氏の心意気が感じられます。
 かくいう僕も、ず〜と探し求めていた「奇譚クラブ」の伝説的なバックナンバーを入手することができました。この雑誌が一般的な風俗雑誌から、マニアックなSM専門誌に生まれ変わる契機となった1952年の7月号です。
 この号には、喜多玲子の名前ですばらしい責め絵を描いた画家としても知られる伝説の人物・須磨利之が編集者として参加しており、巻頭グラビア「女天下時代」を担当しています。まだ沼正三のデビュー前で、この翌年から「あるマゾヒストの手帖から」の連載が須磨編集の元で始まったのでした。日本のFem-Domメディアの方向性を決定づけた画期的な企画が初めて実現されている雑誌と言えます。
 男性マゾヒズムをこれほどあからさまに特集として打ち出したスタイルは当時としては異例だったに違いありません。もしかすると風俗誌史上初の企画だった可能性もある。ただし、表2(表紙の裏ページ)と目次の裏には女体緊縛写真とイラストが載っている。
 須磨利之の構成と筆による巻頭グラビアに続いて「女の奴隷・マゾヒスト群像」(高取辰治)というコラム記事が鮮烈だ。「恋の僕」というサブタイトルで「恋する者は奴隷なり、囚人なり、義勇的使僕なり」と、マゾヒズムの本質をつく表現がいきなり登場し、マゾッホやアリストテレス、ルソーの紹介を通して男性マゾヒズムに関する歴史と考察が淡々と語られていく。上品な筆致で通俗的な雑誌記事とは思えない読み応えを感じました。 

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温故知新

 昭和27年(1952年)に発行された「奇譚クラブ」を読んでいて、もう50年以上も昔の雑誌なのにあまり違和感を感じないのは何故だろうか? ...

 ふと思ったのは、ブログとよく似ているなァ〜と。

 ほとんどのブログは、インターネットに公開した日記のようなものですが、本来日記というのは、心の奥の秘め事が書かれる恥ずかしいものだったはず。少なくとも昭和の時代までは。後から自分で読んでも恥ずかしくなるようなことを、昔は書いていたんだと思う。ところがブログは、見ず知らずの第三者に読まれることを前提に書かれている。もちろん知り合いに読まれること(mixiみたいに)もあるだろうが、人に読まれることを想定して書くというのは、「奇譚クラブ」の告白手記と同じ系列、似たようなモードで書かれていると言えるでしょう。

 縛られたいだの浣腸されたいだの、鞭で打たれたいといったアブノーマル願望は、50年前も21世紀の今もたいして本質的な違いはないみたい。ただその表現形式はかなり変化してきています。「奇譚クラブ」の時代は、まさに告白手記といった表現がはまるような、人生で一大決心をして投稿してみました!という深刻な雰囲気が感じられるのに対して、今のブログのほうはもっと軽いノリで、あまり恥ずかしがっているムードがない。「奇ク」の時代のほうが、抑制された味わいがあって、読んでいてむしろ興奮してしまうのです。SMやマゾヒズムに関するブログは随分増えてきているし、読んでいて面白いとは思うけど、あけっぴろげすぎてなんだか「奇ク」のほうが新鮮に映ります。
 
 しかし、普通だったらやはり人には言えない恥ずかしいことを書くという快感、ある意味で露出趣味的な快楽をどちらも追求している、とは言えるのかもしれません。
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トレヴァー・ブラウン展

 前のブログでも紹介したことのあるトレヴァー・ブラウンの展覧会が大阪で開催されています。この人は在日イギリス人で、その筋の人たち(フェチアート系)にはとっても有名で、僕も大好きな作品が何点かはあるのですが、いまいち自分の趣味とは異なるような気がするアーチストです。どちらかというと女性緊縛図、それもロリータ系の美少女ボンデージものといったジャンルを得意としており、Femdomとは反対のベクトルではありますが、サドマゾヒムズ的な視点からは楽しめる要素もあり、独特な感動を与えてくれます。

 また、現在発売中の「SMスナイパー」3月号にも関連情報とともにトレヴァー氏のインタビュー記事が掲載されており、興味深く読みました。

 

 この人はもともと日本文化を愛するまっとうな英国紳士で、その作風にはどこかオリエンタルなムードを感じます。コミック作家の池上遼一とか叶精作のタッチに似ているような気がしません?

 世界的に今の日本は、京都奈良の伝統文化ではなく、アニメや美少女キャラに代表されるサブカルチャーで注目を集めており、トレバー・ブラウン氏も自分の芸術的テーマを実現するためにわざわざ来日したとのこと。その集大成が今回の個展で見ることができそうです。

トレヴァー・ブラウン展
大阪・サブタレ二アンズで3月9日まで開催中

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サブカルチャー

 僕の大好きなブログに「サブカル雑食手帳」というのがあって、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、たいへんためになる高尚な筆致でサブカルチャーに鋭いメスをいれています。筆者の下等遊民さん(このネーミングも素晴らしい!ホントは高等遊民のくせに ^^)が、僕とほとんど同じタイミングで団鬼六の「快楽なくして何が人生」を読んでいたということが最近判明し、ちょっとうれしかったですね。

 さて、「サブカルチャー」という言葉は1980年代にもてはやされた言葉・概念ですが、それ以前にはなかったかというとそうではありません。言葉そのものの起源は古く1950年にまで遡ります。意味するところは、ざっくばらんに言ってしまえば、メインではないサブ、つまり文化の主流(メインストリーム)から外れた副次的(サブ)ということで、いつの時代にもあった大衆文化であると同時に、マイノリティー、あるいはカウンターカルチャーであったと言えるでしょう。
 ただし、欧米と日本ではその表すところのニュアンスがやや異なるようです。

今の日本では「オタク文化」と言うほうが通りがいいみたいだし、そのきちんとした定義は難しいです。

 SMをサブカルチャーという人もいます。それもおそらく正しいのでしょう。

 また、ホモや同性愛の意味で「さぶ」という用語も使われるので、ゲイカルチャーの一種とも言われます(←これはウソ)


 昭和20年代の「奇譚クラブ」を読んでいると、これはまさに戦後のサブカルチャー雑誌だよなァ〜!と思いました。文化の王道が文学や芸術、演劇(能・文楽など)、俳句や短歌であった戦前の日本において、この媒体はサブカルチャーの古典的な資料だと言える。風俗雑誌もカストリ誌を含めて無数にあった時代でしたが、性(セックス)の王道からも外れた異常性欲、アブノーマル願望は、サブカルチャーのテーブルにも上らない蔑まされた項目であったはず。ましてや「SM」というわかりやすい概念やキーワードもまだ輸入されていない時代のことです。表現的には稚拙で未熟な面もあるのですが、この雑誌から沼正三や団鬼六らがデビューし、次世代のサブカルチャーが再構築されていったことを思うと、貴重な媒体だったと思うのです。
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NOVA美人講師殺人事件

 この事件、あまり興味はなかったのですが、イギリスでの反響が相当大きいようで、知り合いの英国人もただならぬ関心を示し、僕が以前NOVAに通っていたことこともありましてネホリハホリと聞かれて困ってしまいました。もう10年ぐらい前のことですが、報道されているNOVAの体質というか、やり方にはなんなく思いあたる節があります。

 僕はもともと英語をよく使う職場にいたので、今さら日常レベルの英会話を習う必要はありませんでしたが、雇用保険の関係で授業料の8割がキャッシュバックする制度を利用してちょっとやってみようと思ったのです。というのは口実で(実際20万円ぐらい戻ってはきたのですが)本当の動機はブロンドの白人女性に跪いてみたいという「ヤプー願望」みたいなものがありまして、特殊な依頼内容を英語やスラングでどう表現したらよいのかを知るために、下ねた会話からこの種の情報が得られないかと思ったのです。これが正直な話で、事実、駅前留学3年後、ニューヨークのSMクラブでめでたくプレイ体験することができたのは以前のブログで書きました(削除されちゃったけど)

 それはともかくとして、NOVAには様々な国々から幅広い年齢層の講師が来ており、若い人が多い中で40代〜50代の中年男性講師もたくさんいました。
 大都市の場合あちこちに分校もあってVoiceと呼ばれるフリーカンバセーションルームにはチケット制で自由に出入りできるシステムです。ただし、レギュラーのレッスンだけは所属する本校で受けなければならず、担当する講師はだいたい決まってきます。そして若い女性の生徒さんにはイケメンの男性講師、僕のようなおっさんには若い女性講師がアサインされることが多かったようです。生徒のモチベーションを高めるためとはいえ、いわばキャバクラ状態にしておくこのやり方には結構露骨さを感じたものです。


 初心者にとって外国人と英語で会話するのは最初はプレッシャーを感じるものですが、慣れてくるとけっこう楽しいものです。日本語だったらつまらない天気や趣味のトピックも、英語だとなんだかかっこいい。しかも美人でスタイルのいい白人女性との会話は、それが営業スマイルとはわかっていてものぼせてしまうのは無理のないことかもしれない。個人レッスンを依頼して親しくなったような気がしても、それは相手の講師にとっては金づるでしかなく、親しくなった気がするだけで実際はなんとも思われていないことが多いと思う。以前知り合いの外国人に、僕が下手な英語をしゃべると、「日本語では知的レベルの高い会話ができるのにとたんにアホに見えるヨ」と冗談まじりにバカにされたことがある。その時は自分の知性が誉められたのか、英語力をバカにされたのか複雑な心境でしたが、よくよく考えるとムカつくジョークだと思う。プライドを傷つけられたような気がした。かといって殺意までは抱かないですが、逃走中の容疑者も、もしかしてそんな感じで過ちを犯してしまったのかな、とも思う。
 まちがっても色恋ざたの殺人事件ではないでしょう。被害者にはフィアンセもいたんだしね。恋愛感情のもつれ以前の、たんなる勘違い野郎による衝動殺人。そんな感じでしょうか。異文化コミュニケーションに失敗しての顛末だったとしたら、なんとも不幸な事件であります。

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春川ナミオ

 オンライン辞書の「 ウィキペディア (Wikipedia)」というのは、ある一定の規則を守れば誰でも自由に記事や項目を書き編集できる、リナックスみたいな開放性がウリのフリー百科事典です。巷で出版されている普通の百科事典には掲載されそうもない様々な項目があふれかえっております。

 アダルト系の用語も豊富に掲載されており、 マゾヒズム なんてのもきちんと解説されていました。
 
 実は 春川ナミオ の記事は、僕が一部を執筆しているのですが、最初おそるおそる書いてみたところ、実にカンタンに記事がアップされたのにはちょっと驚きました。そして一夜明けると、その内容はさらに加筆・修正され、僕が書いたオリジナルの内容は保持されつつ、より読みやすくかつ正確な文章に仕上がってました。誰か(あるいは複数の校正者)が手を加えたのでしょう、なんだか上等な文章教室のような感じで感心してしまった。それよりなにより、描かれる内容やテーマゆえに、作品もファンも不当な扱いを受けやすいだけに、まっとうな評価がなされるあたりにもプチ感動してしまったのです。誰だかわからないけど、春川ナミオの理解者が他にもたくさんいるということがわかって嬉しかったですね。
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昨日はこどもの日でしたか...

 僕は子供の頃からマゾでした。

 ジョン・K・ノイズの「マゾヒズムの発明」を待つまでもなく、日本でもこの種のアブノーマル願望や性癖の起源に関する考察はしばしば行われていました。例えば1960年代に田沼醜男がマゾヒズムの発生について歴史人類学的なコラムを発表しています。(「奇譚クラブ 」1962年5月号〜マゾヒズム天国〜)
 この人は「顔面騎乗」という言葉も発明したとも伝えられている人で、この時代に精力的な執筆活動をしていました。
 
 彼によると、古代から人類の弱肉強食という闘争の過程から、適者生存の淘汰の原理を引き合いにして、制服された民はその後の数世代にわたって奴隷として生きのびるためのDNAが形成され、支配され屈辱の中で生存する知恵が遺伝的に受け継がれていったという。これが原始的なマゾヒズムの発生というのですが、なんとも説得力がありそうでなさそうな、真面目に書いてるのかジョークなのかはよくわかりません。

 これより少し以前、1952年の風俗奇譚2月号の中、瀧村常次による「サディズム、マゾヒズムは果たして先天的異常性欲か?」という記事ではもう少し学術的・精神医学的な考察がなされていて、ここでは必ずしも先天的なものではなく、後天的な性癖と結論づけられています。

 いずれにしても、マゾヒズムやサディズムという不可解なるものの起源を辿ろうとする試みは、創作活動と同様に継続的になされていたようです。当時の投稿小説などを読めば、こういう性癖を持つ人々の共通の好みや願望は自ずと理解でき、ある種の普遍的なものさえ感じるのですが、一般社会では公に認められない忌まわしい世界というレッテルや偏見が今以上に強いプレッシャーとしてあって、その表現スタイルには独特の抑制が働いているような気もします。

 戦争体験や特殊な事情により倒錯的な異常性癖が身に付いてしまったという場合はともかくとして、平成の平和な時代にもポピュラーな意味でSMが普及し、アンダーグランド感がなくなりつつある現代において、個人におけるマゾヒズムの発生はどのように説明されるのでしょう?
 セックスや性的願望よりも強いリビドーでマゾヒズム願望を満たしてくれる行為に憧れてしまうのは何故なのか。それはいつから始まったのか。わかりやすく言うなら、きっかけはなんだったのだろうか...

 きっかけなどなくても、そうなってしまう世の中なのか、自分を納得させることのできる明解な答を模索しているところです。

 どうでもいいか、そんなこと ^^...

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妄想が現実となったあの日

 僕は子どもの頃からマゾ気質を自覚してはいましたが、それがいったいなんであるのかを明確に理解したのは小学生の時に奇譚クラブを拾って読んだ時です。

(↑「明確に」というほどきちんとわかったわけではなかったかもしれませんが)

 そして中学生ぐらいの時に様々なSM雑誌を読みあさるようになり、いわゆSMクラブなるものの存在を知ります。当時(1970年代)はまだ秘密クラブ的な趣で、今みたいにきちんとした営業をしていそうなところはありませんでした。黎明期のSMクラブは、おそらく商業的に成り立っておらず、したがって個人の趣味的なレベルで活動していたのでしょう。
 いずれにしても子どもが行けるはずもなく、いつか大人になったら行ってみたいな〜と、自分の中で妄想を膨らませて青春時代を過ごしてきたわけです。わけがわからなかったモヤモヤした願望を実現できる場所あるということを知ってウレシかった。

 東京の大学に進学した頃にはSMもややポピュラーになっていました。しかし、年齢的に行けるようになったからといってすぐに行くほど心の準備が出来ていません。お金はあっても、なにぶんウブな田舎者ですから、いざとなると勇気が出てこない。結局初めてSMクラブの門を叩いたのは就職が内定した大学4年の時です。

 六本木の高架下の電話ボックスからおそるおそるダイヤルした指が震えていたのを今でも覚えています。行くと決心しただけで心臓の動悸も激しくなり、めまいで倒れそうなくらい興奮(下半身のほうでなくて)していました。何をどう言って、どのような会話で予約が完了したのかも全く覚えていません。

 プレイ的には、何がなんだかワケがわからないうちに、あっという間に逝ってしまったようでした。何か悪いことしてしまったような、後味の悪さが残る、ちょっと情けない初体験。それでも長年夢みていた妄想のいくつかは実現されました。ほとんどビョー的に憧れていた「お馬さんごっこ」と「顔面騎乗」を、当時の女王様は優しくしてくれたのです。何とも夢のような不思議な体験...

 この時の、性的な興奮とは異なるエキサイティングな気持ちが忘れられません。それまでは内なる精神世界だけで描いていたマゾヒズムの願望を、演劇的とはいえ現実に体験することが出来た喜びはひとしおです。セッションの内容的な満足度よりも、何かを成し遂げたという充実感のほうが大きかった。

 なんだか偉そうに聞こえるかもしれませんが、本当に未知なる世界に踏み出したという感激の方が凄く印象に残っています。何しろ十年以上も思い憧れていた世界でしたから。もちろんSM的な感動もあったのでしょうが、そちらのほうはよく覚えていないし、いわゆるSM的には失敗に終わっていたような気がしています。
 
 たかがSMクラブにいったぐらいで、バカだよね、自分。

 でも、いい経験として想い出に残って、ラッキーだったと思うし、この時お相手して下さった女王様には今でも感謝しているのです。
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「刺青」再び

 しんのすけさんのブログがさきごろ移転しまして、ますます充実しておりますが、つい先日TATTOOの話題に触れておられましたね。SMにからんだこのトピックでは谷崎潤一郎巨匠の「刺青」がバイブル的に有名なのですが、前に

「無垢な娘が刺青を彫られることによって女王様になる」


 というようなことを書いたことがあったのを思い出しました。入れ墨でもタトゥーでも、何がどう違うかは置いておいて、とにかく「非日常」というキーワードがあるからこそ、一般的市民には畏敬でもあり魅力でもあり、恐怖でもあり、官能でもある、ということは言えると思います。僕もしんのすけさんと同様、日本人の身近な知り合いには(職業女王様を除いて)実際に彫ってる人を知りませんが、もしかしてつきあってる彼女が(いないけどネ)そんなこと言い出したらリアクションに困ると思う。だけど、おつきあいのある女王様(いないけどサ)ならきっと賛成するかもしれない。ただし、センスのいい、美しいものに限りますけど。

 基本的にはその人の個性の一部となるのか、ただのファッションなのか(ファションも個性だけど)、よくわかりません。でも刺青には女王様キャラを増幅する独特のオーラがあるようには思います。つまり刺青を彫る前と後で、人格的にも変わってしまう何かがあるような気がする。そこのところは谷崎の「刺青」でも描かれているのだけれど。やる人は、もうやる前からそのような資質というかDNAがあって、彫られる、つまり肉体的に変化することで、突然変異的にその「何か」が開花するものなのかもしれない。

 そうでない場合もあるでしょう。この人それがなければただの人じゃん、てなヤクザさんもいそうです。彫ってハクがつく場合もあるでしょう。

 ま、だけど自分では絶対にやらんわな。いくらマゾでも。基本的に針とかボディピアスとか、本当に痛いのはイヤなのです。「肉体改造」系はマニアックに人気がありますが、僕はダメですね。

 マゾだからやるとかどうとかの問題でもなさそうでございますが、少なくとも健全な青少年の世界ではなさそうじゃございません?
 つまり、小学生児童がマゾでも誰も文句は言わないけど、そのガキんちょがタトゥーなんぞを入れたらヤバクね? 
 
 てかですね〜、アメリカの人気アニメ「ザ・シンプソンンズ」の再放送を最近何気に見ていましたら、ホーマーの息子バート(ズプリングフィールド小学校4年生)がタトゥーを入れるエピソードがございまして(結局高額払って消すことになる)、

やっぱスゲーなアメリカって国は!って思いましたですNE。


 ... って、ちょっとしんのすけさん風に締めてみました^^ ごめんさい!!

       (ってか、あまり上手くいってもないないけど)



「ザ・シンプソンンズ」はスカパーのFOXチャンネルで現在第4シーズンが毎朝オンエアー中!
 以前のwowowのホームページも現存しております。



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マドンナの人間馬ショー




 かねてから見てみたいと思っていた マドンナの人間馬ライブ・ショー が You Tubeにて紹介されていました。

 男性ダンサーがはみや轡を付けて馬に扮し、マドンナが乗馬鞭を打つステージは、これはもう、

誰がどう見てもアレでしょ!

 という世界なのですが、ほどよくスタイリッシュな演出の舞台には、それほど過激ないやらしさも感じられず(見る人によって印象は異なるとは思われるが)この程度ならばまあ、上品な部類に入るのではないでしょうか。

 すでに完璧なまでにフェティッシュな構成に加えて、洗練された振付のダンスが素晴らしい!男性ダンサーのビミョーに馬っぽい動きがなんとも言えずカッコいいのです。思わず真似したくなるんですけど、これは農耕民族の日本人にはマネできない芸当なのかもと感心させられる。乗馬文化?みたいな、根本的にしっかりとした伝統が西洋にはあるのでしょうね。 

 谷崎の「痴人の愛」に出てくるお馬さんごっこが、いかにもバタ臭く感じられてしまうのですが、これを機会にpony play、つまりお馬さんごっこが世間的に認められて、グローバルな意味でFemdomカルチャーの普及促進に拍車がかかればよいなと思ったりしている次第です。

 一般の人が見てもこのクリップは面白いし、出来もよろしいと思います。そこに見知らぬ世界の扉を開くきっかけがあって、こういうのよいかもね!と思って頂けるのではないでしょうか。

 ちなみに、マドンナの初期のMTVに マテリアルガール というのもあるのですが、彼女にはミストレス的な魅力がデフォルトで備わっていたのだと思います。
 
 それにしても、いい時代になったものですね。(← You Tube のことNE)

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メイド検定

 英検1級に挑戦し続けているので、検定という言葉になんとなく弱い僕なのですが、こんな検定が登場しましたね。
メイドさんの能力向上を目的としているそうですけど、なかなかよいアイデアだと思います。

 メイド喫茶は秋葉原だけでなく日本全国のあちこちに出現しつつあり、最近は台湾や韓国にも類似店が誕生しているんだとか。日本では半分冗談みたいなメイドカルチャーですが、そもそもは19世紀の英国ビクトリア朝時代には働く女性の職業として定着していた由緒正しい歴史があるわけで、そうした背景のもと、新しいコミュニケーション産業としてのポジションを獲得しつつあるのかなという印象ではあります。

 メイド喫茶で働く従業員の中には

「奉仕精神に憧れてメイド服を着た」

という女の子もいるそうで、人材的には今の世の中では希少価値的存在。変態マゾ男の分際で僭越とは思いつつ、メイド文化普及促進を願っております。

 これから当然の成り行きとして、マゾヒストの僕としては「奴隷検定」とかいう世界を連想しちゃいますね。そのためには、「奴隷喫茶」のようなものが必要となる。
よく「奴隷喫茶」というと「人妻奴隷喫茶」みたいに、やっぱりこの世界の常としてお客が男という設定になりがちだと思われますが、そうではなくて、執事喫茶のように女性がお客様として行き、従業員は全てM男性でお客に奉仕するというもの。そういう場所で働くM男の技能検定を開発しなければならない。しかしこうなると「ミストレス喫茶」という名称のほうがわかりやすいか?
 奴隷喫茶というネーミングだとM男が客として行く場所となり、従業員の女性は女王様として振る舞い、客が金を払って奉仕するというSMクラブみたいなものになってしまうのかも。

 そうじゃなくて、女性客が店に入ってきたら、

「お帰りなさいませ、女王様」

とお迎えするわけ。

 女性客が席に着いたなら、直ちに土下座して脚または履いている靴にキスをする。そして鞭を手渡して打ってもらう。

「お許し下さい女王様」

などと言って今度はメニューを手渡してコースを選んでもらうわけよ。こうなると、やっぱ「ミストレスカフェ」(すでにサイト名としてはあるけど)とか女王様喫茶になりますかね。だけど、僕としては「奴隷喫茶」という響きに何故か萌えてしまう。

 まあ、名前的にはどちらがどっちでもいいけど、あまり現実味はないですかね。あったとしても商売にはならないでしょう。マニアックな趣味の世界で終わりそうですが、まだ前例がないだけにビジネスチャンスはあるかも? 

 誰かやってくれませんかね〜。
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しょうがない発言


 マゾヒズムという性癖は変態的でありながら、それでいてどこか普遍的なものにも感じられます。こんなことを言うと、自分のしょうもない性癖を正当化するかのように聞こえるかもしれませんがそうではありません。例えば、こちらはサディズムの話になりますが、子どもの頃、好きな女の子につい意地悪したくなる気持ちというのは、それほど特殊とは言えなかったでしょう。むろん、好きなのであれば、親切にするのがノーマルであるというのであれば、好きな相手に奉仕したいとか、奴隷になってみたいと思うのは、これはこれで自然な流れだと思うのです。このような気持ちが直接マゾヒズムやサディズムに結びついているとは言わないまでも、何らかの関連性はあるのでしょう。愛情表現の極端に発展したかたちが、支配したいとかされたいという心理とともに、精神的に辱めを受けたいとか与えたいとか、肉体的苦痛を受けたいとか与えたいとかいった感情に結びついていくように思われるのです。

 もっとも、その気がまったくない人には、やはり理解できないことなのかもしれない。マゾヒストの立場から言えることで、そうでない人にとっては意味不明に聞こえるでしょう。立場やものの見方の異なる人との相互理解には難しいものがあります。相手にわかってもらえないことが明らかな時は「しょうがない」ものだと思うしかない時もあります。

 説明が難しい抽象的な気持ちを「しょうがない」という表現で片付けることは容易ですが、それではなんの解決にもなりません。無理に正当化はしないまでも、この言葉を使わずに個人的な気持ちぐらいは表現してみたいものだと思っています。
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改正DV防止法 

 最近の「夫婦けんか」とは、どうなっているのでしょうか。

 先日成立した改正DV法の中で「言葉の脅迫でも保護対象に」なるというあたりが少し気になりました。ちょっとした口争いでも家庭内暴力になりかねない感じですね。

 夫婦どころか肉親同士ですら殺して死体をバラバラにしちゃう昨今、家族の絆っていったいどうなっちゃっているのだろうか?という思いがします。

 家庭内のことまで法律で守らなければならないほど世の中、というよりは家の中が荒んでしまっているということなのでしょうか...

 幸運にも、Femdom な夫婦関係を築いている場合であるならば、DVではなく「通常の」変態プレイになるわけで、マゾヒスト、つまりサブミッシブな夫にとってこの法律はあまり意味がなさそうですが、ノーマルな夫婦関係のプロセスの中で、カミングアウトし、Femdomな夫婦関係に移行したいと願っている男性にとっては脅威となるかもしれません。

 妻が、夫のその性癖を受け入れることが出来ない場合、それは精神的苦痛となり、法律の保護対象になってしまう可能性があります。以前なら「バカ、変態!」で済むところが、犯罪者になってしまう。これまでマゾヒストは社会的には受け身的弱者で、少なくとも犯罪者になる可能性は低かったのですが、今回の改正DV防止法はマゾヒストですら取り締まりの対象ともなってしまうわけです。

 例えばよくあるケースが、夫が妻に奴隷宣言をしようとする場合などです。

       ↑ レア・ケースだっちゅうの! (。。)☆\バキ


私は人間としての尊厳を捨て、基本的人権を破棄し、

自らの意志により女王様の奴隷となることを誓います!

 こういう素晴らしい文言を口にしただけで、その気がまったくない妻にとっては言葉の暴力として聞こえてくるのでしょう。

 「やだ〜キモイー!」とかなんとかで許してもらっちゃって、告発はしないで欲しいですけどね。


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クラフト・エビング

 マゾヒズムという言葉の起源が 「毛皮を着たヴィーナス」の作者マゾッホであることはよく知られていますが、その名付け親ともいえるクラフト・エビングの名は意外と知られていないのかもしれません。

 この人は19世紀後半に活躍したドイツの精神医学者で、フロイトより以前に性的倒錯に関する研究をしていました。彼は当時の西洋においてほとんど犯罪視されていた同性愛を病理学的立場で擁護し、学会から総スカンをくらっていたのか、その先駆的、革新的な功績がしばらく黙殺されてきたような印象です。さらに彼は、宗教的精神、特に殉教の心理をヒステリーやマゾヒズムと関連づけたことで物議を醸し、カトリック教会からも反感をかっていたようです。

 日本では明治時代に彼の代表作ともいえる「変態性慾心理」が出版されましたがすぐに発禁本となりました。その後大正デモクラシーの時代の波に乗って「変態」という言葉が日本で初めて流布されるきっかけとなりました。今でも翻訳本が入手可能ですが、理論的な解説部分がカットされ、患者の臨床例やポルノティックなエピソ−ド集のような構成になっていて、著者本来の主張が歪められたかたちになっています。この書物は当初一般読者による俗物的な読み方から遠ざける意図でラテン語で著されていましたが、日本では不幸にも低俗な読まれ方が先行してしまったようです。 

 エビングの考察は、純粋に学術的な視点から行われており、同じ文脈からマゾヒズムやサディズムについても語られています。百年以上も昔の因習的偏見がはびこる世の中で、実に勇気ある研究と主張をしていたものだと感心させられます。異常性欲の詳細な分類と目録を作成するプロセスの中で、同時代の著名な作家であったレオポルト・フォン・ザッヘル・マゾッホの名前から「マゾヒズム」という言葉を世に送り出しました。症例や現象としては紀元前から人間の営みとして記録が残る「マゾヒズム」という概念を、わかりやすく命名し記述した功績ははかりしれないものがあります。

 いや、それよりなにより、変態性欲や倒錯を、人間固有の普遍的な側面として扱おうとする姿勢に共感するとともに、感動すら覚えるのです。
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出会い系

 ウンザリするのも飽きるほど、スパムメールはやってくる。まともにつき合ってはいられないけど、その多くは出会い系がらみのものらしい。よくは見てないがタイトルから類推すると、ノーマルな交際からアブノーマルなものまで幅広い需要にマーケットは拡大していく印象。ある意味でSM系なども充実していそうだ。

 その一方で、昔からある伝統的結婚相談所みたいなサービスも増えてきている。システム的には出会い系と大差なさそうだが、最終目標は「結婚」というところが、一夜だけのアバンチュール(←死語?)が目当てのものよりは、多少「うさんくさくない」ように感じる。

 きちんと利用され、成功をおさめている例も増えてきているようですが、僕のようなオールドタイプには何となく敷居が高い。やはり道ばたで偶然出会う(←そんなことあり得んのに!)ことに期待を持つというか、ロマンを感じてしまうわし。

 無理してネットで出会うことに違和感を感じてしまうのだが、きっかけとして割り切り、知り合ってから信頼関係を深めるプロセスが一般化しつつあるのかもしれない。

 だけど、過疎化の進む農村じゃあるまいし、今の世の中そんなに出会いのチャンスってものが減ってるのだろうか? 

 街角の公園や現実の青空の下でのナチュラルな出会いの可能性を、もう少し信じていたい。

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昔のMTVの過激さの限界



 マドンナほど洗練されてはいませんが、 Mel Brooks の古いMTVの中に、少しだけ、Ponyplay(お馬さんごっこ)ぽいスタイルの振付けをみつけました。ナチスをイメージした悪趣味な映像ですが、コミカルでなかなかよいです。

「ずしり」っとはRideingしていないところが、控えめというのか、時代ですかね〜^^

 最近はインターネットでもうかなりドギツイ映像に見慣れてしまったせいか、この程度だと甘っちょろすぎますな。BDSM的に見ても微笑ましいレベルだけど、80年代のKinkyワールドはこのレベルだったのかもしれません。
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濡木痴夢男



濡木痴夢男のおしゃべり芝居

 このホームページのなんともカワイイ名前は、本人が抱く演劇に対する憧憬からつけられたものらしい。実際に落語や講談などもこなしてしまう芸人としての 濡木の横顔が、ここで明らかになりつつあります。僕も以前芝居をやっていたことがあるので、なんとなく共感を覚えるのですが、SMと演劇は、実は深い関係 があるのです。

 濡木痴夢男は、戦後SMメディアの生き証人として、今も精力的に活動を続けている数少ないアーティスト。古くは「奇譚クラブ」の投稿家からスタートし、その後SM雑誌の先駆けとして登場した「裏窓」の編集に関わる経緯は、以前このブログでも紹介した 「奇譚クラブ」とその周辺 という、濡木氏自らの著作で詳しく描かれています。

 この業界では言わずと知れた著名人ではあるのですが、1970年代初頭、華やかな表紙に彩られたSM雑誌が百花繚乱のごとく発行されるようになった背景には、

濡木らパイオニアの布石があったればこそという事実 が、

もう少し強調されてもいいような気がします。緊縛グラビアの縄師としても活躍する一方、ビデオ監督などもこなすマルチな才能はその後の80年代に花咲く SMポストモダンの台頭をも後押しすることにもなりました。戦後しばらくはアンダーグラウンドだったSMサブカルチャーから、よくも悪くもポピュラーな風 俗産業にまで発展した全てのプロセスに深く関与してきた重鎮の一人と言えるでしょう。

「紙フェチ」と自称する濡木は、もっぱら紙媒体、つまり雑誌や書き下ろしの出版物でしかこれまで作品を発表していませんでした。(最近は紙芝居の絵なども描いて東京で上演もされたという)
 
 その彼が、ついにというかやっとというべきなのか、

 インターネットの世界でも己の世界を語り始めたようです。

 まもなく80歳になろうという老体に鞭打ち(本人はマゾではないらしいが)、使ったことのないパソコンを駆使(?)し、ネット向けに重たい口が開かれたことには、驚きと歓迎の思いを込めて祝福したい。

 この芝居はまだ開幕したばかりで観客数が少ないみたいだけど、バカ受けするほどメジャーな興行成績を目指しているわけでもないらしい。わかる人にしかわからない、シブい小劇場を見守るような気持ちで応援しています。
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紙フェチ

完全総括SM手引き書 (カニ心書シリーズ)
長池 士
リヨン社

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「紙フェチ」というのはいい表現だと思いました。

 濡木さんは活字中毒とほぼ同じ意味で使っているのでしょうけど、ネット・フェチの対極に位置づけられると、郷愁的にアナログ世代には受け入れやすい印象があります。

 子どもの「活字離れ」とか、最近の若い人が本を読まなくなったなどと言われていますが、彼らは携帯やネットでテキストは読んでいるわけで、岩波文庫のコンテンツをPDFでモニタで読むのは活字中毒とは言えても、紙フェチとは言えない。

 う〜ん、自分でも何言ってんだか、意味不明です...

 僕もどちらかというと、紙フェチで、脚フェチで、下着フェチで、早い話がたんなるスケベオヤヂなわけですが、紙のぬくもりというか手触りがなんとも言えず好きなんです。それにあの匂い。朝一番に読む新聞の匂いとか。本来フェチ(フェティシズム)とは物神崇拝と言われるように、何かの対象物が与えられるべきで、ネットフェチとなると、具体的な対象が実在しないバーチャルなものだけに、よけいに屈折しているような気がします。

 まあ、紙フェチがより健全だと言うつもりもないのだけれど。

 ネットでSM関連のコンテンツをよくブラウズもする一方で、紙の本もよく買います。だけど、一般書籍とは買う場所が異なります。ていうか、僕が購入意欲をそそられるSM関連の書籍は、濡木痴夢男の著作物(河出文庫など)は例外として、例えば紀伊国屋書店とかにはおいてないから買えない。新宿のカバリエとか、六本木セビアンあたりになるでしょう。

 先日、いわゆる普通の本を買うために紀伊国屋書店でぶらぶらしていた時のこと。中公新書や新潮新書とかの並びのコーナーに新刊として平積みで「SM手引き書」というタイトルが一瞬目を引きました。ん?何かの間違いでは?

 はじめは、マイクロソフトの新しいOSか何かの解説書か?と目を疑った。もう一度見つめてみる。

「SM手引き書」
 キャプションに「人間の本能から派生する性生活の視野を広げ、充足感を愉しむ」とかなんとかあって、明らかに、これはもうアレでしょう。しかし、マジですか?コレ。

 すぐそばには養老孟司の「バカの壁」や渡辺淳一の「鈍感力」といった書籍も見える。そんな場所にこんな本。

 著者は長池士。あまり詳しくは知らないけど、SMサークルAMSの代表だ。こりゃ本格的だ。欲しい! だけどここは紀伊国屋書店だぞ。買うのか? セビアンでも売ってるだろうか...

 今さら恥ずかしがる歳でもないし、買ったですよ。
(どさくさにまぎれて渡辺淳一の「鈍感力」や斎藤孝の「コメント力」など他に数冊混ぜてカウンターに。「SM手引き書」単独で買えないところが、やっぱり甘いか)

 いや〜、わかりきったことが平易な文章で書かれてるので、いっきに読ませて頂きましたです... が。

感想としては、ま、今さら「手引き書」読むまでもなかったかな〜ワシ...えへへ、という感じなので、あまり詳しくは書かないけど、ただ、男性マゾヒズム的視点がほとんどないのが不満といえば不満。内容的に悪くなかっただけに残念です。
 
 最初は真面目に読んでたのに、20ページめぐらいに

「彼女をSMの世界に引きずりこみ、愛奴として調教し、育てていきたいと考えている君に、その手口、手法を解説していくことにしよう」とか書いてあって、

いらんっちゅ〜の!

 むしろその逆で、どうしたら彼女に女王様になって頂けるか、そういうノウハウでも書いて下さ〜いイイイっちゅーうの!!

 しかし、ま、SMの主流派というのか、男がSで、女性がMというくくりの中では、一般教養としてのSMを偏見なく受け入れられるよう良識的には書かれているので、初心者にはためになるとは思いました。M男の僕が特に積極的にお薦めできるような内容ではないのですが、一歩距離を置いて冷めた目で読む分には面白いと言えるかな。

 ただ、本当のビギナーや若い読者に、これだけでわかったようなつもりになられても困るんですけれどNe。
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読書の秋

 ブログとかのコメント欄に、もうちょっとこう、何か気の利いたコメントを書いてみたいと思い、「コメント力」という本を先日買ったんですよ。ところが、この本は随分前に読もうと思って既に買っていたんですワ!!

 自宅の本棚の脇に積ん読状態になっていたことをすっかり忘れてしまっていたのです。

 僕はいつもまとめて何冊か一気に買うので、こういうことが時々あります。ていうか3〜4回めぐらいか。初めてこれをやってしまった時はショックでした。

 ボケたんか俺?  

 同じ本が2冊家にあるのも気持ち悪い。新刊はヤフオクで売れたのですが、文庫はなかなか売れないです。

 いつか読もうと思って買った本の半分は、結局読まなかったたり、読んでもつまらなかったら途中で辞めちゃう。そんな感じの乱読・積ん読が僕の読書スタイルなのですが、くやしいから「コメント力」は一気に読みました。おもしろかったし、ためになりました。

以前この著者の「声に出して読みたい日本語」を読んでいて気に入り、斎藤孝という名前はチェックしてました。だからその頃に1冊目の「コメント力」を買ったんだと思う。
 文章教室っぽいすぐれた著作がたくさん出ていますし、同じちくま文庫から「段取り力」とか「質問力」といった「〜力」という本も出ています。

 これらは全て読みましたが、論旨が一貫していて実に読みやすい文章を書く人です。文字通り「声に出して読める」文章だと思いました。

 さて、今日から9月。読書の秋にはまた購買意欲がそそられ、無駄に何冊かだぶって買わないよう気をつけたいと思っています。
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須磨利之


 戦後の混乱期、まだその方向性が見いだされずにいたSM文化のベクトルを、ある意味で決定的に方向づけた人物が、「奇譚クラブ」の編集者として知られる須磨利之だ。

 生年は定かではないが(1985年に亡くなっている)、第二次大戦に出征していること、「奇譚クラブの人々」(河出文庫)に「72年の生涯を閉じた」という記載があることから、少なくとも大正時代に生まれた人だ。親は京都で大きな印刷会社を経営しており、わりと裕福な環境に育つ。実家の蔵には春画や縛り絵などが豊富にあり、当時の若者の目にはまず触れることのなかったアブノーマルな世界を見つめながら思春期を過ごした。本人いわく、若い頃から緊縛に興味があったという。幼少の頃、母親が全裸で縛られて叔父に折檻を受けているシーンを目撃してしまったエピソードも「奇譚クラブの人々」で紹介されている。

 こうして培われた感性により、まだその概念が日本に存在すらしなかった時代、すなわち誰にも理解不能だった得体のしれない 「SMのようなもの」が、須磨の頭の中で芽生えていたのである。(SMという言葉が人口に膾炙する以前は、同意語的に「縛り」や「緊縛」という表現が使われていた)

 この芽が敗戦の混沌の中、徐々に花咲いていくことになる。

 九死に一生を得て復員してきた須磨は

生きて帰ったら女を縛ったりして好きなことをして暮らす

と決意していた。(それにしてもスゴイ決心だなあ〜 ^^ 帰還兵は偉大です)

 しかし元来はフェミニストである須磨にとって、いわゆるサディスティックな気持ちから女を縛りたいと思っていたわけではなかったようである。戦時中ならいざ知らず、いくら紳士的に趣味的にといったところで、そういう行為は狂人か犯罪者のするものというご時世。出会い系などなどあるわけもない。仕方なく、遊廓で行われていた見せ物的なお芝居で、女が縛られるシーンを演出し、女優を縛ったりする舞台監督兼「緊縛師」として日銭を稼いでいた。これは飛田遊廓で「縛られ女郎ショー」として上演され、責め絵の巨匠として知られる伊藤晴雨も来ていたらしい。
 その傍ら、大阪で出版されていたカストリ誌「奇譚クラブ」の編集に参加することになり、今でいうグラビアページに初めて女性緊縛写真を登場させたのも須磨である。「奇ク」の発行人で経営者でもあった吉田稔は元新聞記者で、前例のない「女の縛られた写真」を誌面に載せることには否定的だった。公序良俗に反するというよりも、売れるとは思っていなかったのである。しかし戦友でもある須磨の提案と説得に折れ、本邦メディア史上初の女性緊縛写真が「奇ク」に載った。それと前後して、日本画家でもある須磨は挿し絵として女性の緊縛イラストを試験的に描いていた。一説では伊藤晴雨の弟子とも伝えられる須磨の「責め絵」は、喜多玲子のペンネームで次々と発表され、大反響を得る。吉田の予想に反して、女性緊縛図は大衆の支持を受けたのだった。

 こうして戦前までは得体の知れなかった何か、大雑把には「あぶ(=アブノーマル)」とういうくくりでしか理解されていなかった「SM」に明確な具体性が与えられた。

 すなわち緊縛の美学という新しい主題が意識されるようになり、その美の信奉者の数は「奇譚クラブ」を媒体として日本全国に増えていったのである。

 女性を縛るという観点からSMを定義した須磨だったが、彼自身にはマゾヒスティックな面もあったようだ。
 男性マゾヒズム願望を初めて大々的に取り上げた1952年の奇譚クラブ7月号「 女天下時代 」という巻頭記事も須磨の手によるものだった。

  (この項続く...)



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アイ・コンタクトの快楽

 相手の目を見て話すのが苦手です。

「お願いする時は、私の目を見て言いなさい」

 大学生の頃、生まれて初めてのSMプレイで、26歳のクラブ女王様がこのように命令されたのが、とても印象に残っている。



そんなこと言われても出来っこない。打ち合わせの時でさえ、まともに顔を見れずに、うつむいてしどろもどろ、やっとの思いで話していたのに。

 プレイ自体は虚構の世界ではあるものの、「見られている」というその時の状況は、まぎれもない現実であり、それまで妄想の中にしか見ることの出来なかった、本物の女性からの視線にさらされているという事実が、この上ない興奮を呼び起こし、相手の目を見ることができないくらいのプレッシャーを感じていた。

 この「他者に見られている」という感覚が、言うまでもなく羞恥の本質だ。

 当時の僕は二十歳代そこそこの、社会的に自立もしていない、何もわかっちゃいない若造であった。

 それに元々アイ・コンタクトの苦手な、シャイな性格である。>_<

全裸で縛られたうえに、これからとても恥ずかしい、 あんなこと や、 こんなこと をさせて頂こうという時なのに、ただ単純に「見られている」というだけでなぜこうもエキサイトするのだろう。恐る恐る見上げると、まるで女神のように微笑んでいる女王様がそこにいる。ああ、これからこの女神様のような女性に、鞭で打たれ、家畜のように扱われるのか...

 良識的なSMプレイは、演劇的な空間で行われる言わば ヤラセ の世界。シナリオの代わりに、事前にお願いした依頼内容をもとに鞭で叩かれるというような動的なアクションの連続だ。しかしその狭間において、ふとした沈黙の中に現れる侮蔑とも哀れみとも知れぬ視線の中に、虚構を越えた静的なリアリティを感じる。

 真性S女であろうとなかろうと、職業女王様としてはつかの間のお芝居でやっているセッションの最中で、一瞬「この人バカみたい!」とか「変態でかわいそう...」といった気持ちにウソはないだろう。その嘲りは本物だ。

 「嘲笑というものは、何と眩しいものだろう」 (三島由紀夫「金閣寺」)

 演技中に出現するリアルなエモーション。これこそがSMプレイの醍醐味であり、高いお金を払う価値がここにある。

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春日ルミ

日本の ベティ・ペイジ

「戦後、女と靴下は強くなった」という有名な、今はすたれた表現がある。その意味するところはともかくとして、戦前の女性は弱かったのだろうか?

 国威宣揚の名の下に、本来はオトナシかった大和撫子(ヤマトナデシコ)が国防少女となって鬼畜米英と戦う。そんなイメージをも抱くのですが、戦後生まれの僕にはどうもピンきません。 

 卑弥呼やクレオパトラなどのような権威としての女王様ではなく、性的な、いわゆるSM的女王様イメージの我が国における萌芽は、いったいどこらあたりにあるのだろうか。少なくとも昭和の初期に「大和撫子が殿方を鞭打つ」なんていう光景は考えられなかったはず。誰かの想像力の中にあったとしても、現実にもお芝居の中にも存在していなかった。

 ただ、敗戦の混沌の中から、まだその言葉すらなかった「SM的なる」女王様像が、戦勝国である欧米の影響を受けつつ、徐々に形づくられていったのではないかとは推察される。

和風女王様のルーツ

 1954年(昭和29年)の「奇譚クラブ」7月号に、春日ルミというモデルがグラビアを飾った。日本のメディアに初めて登場した女王様キャラクターとしては一般的にこの人が知られている。(「奇譚クラブ」にはそれ以前、森山美歌という伝説的な女王様も登場していた)
 
 それまでも海外SM小説の挿し絵や、須磨利之の手によるイラストなどで女王様的イメージはかろうじて描かれてはいたが、日本人女性によるビジュアルな女王様像というのはこれが初めてだった。

 今からみると、下着姿で棒のようなものを持って立っているだけの、どうってことのない図。だが「奇譚クラブ」の読者にとってはこれだけでもう充分。すぐ次のページには、黒タイツ姿で首輪を付けた男性を足蹴に、そして男が縄で縛られその上に座っている彼女の写真が続く。典型的な大和撫子風の顔立ちの中に(ちょっとケバいような気もしますが)明らかにみてとれるサディスティックな表情は、それまでフラストレーションのたまっていた「奇譚クラブ」のM派読者たちにとって垂涎の的となった。待ち焦がれていた初の和風のミストレスの降臨は大きなインパクトをもって当時の日本に受け入れられ、全国に熱狂的な彼女のファンを生み出すと同時に、マイナーではあったが男性マゾヒズムというものにもメディアの光が差し込むようになっていく。

 春日ルミはその後もしばしばグラビアや手記のかたちで登場し、日本家屋を舞台に当時の現実味ある(少し貧乏臭い)背景の中で女王様を演じた。手記を読むと、彼女は実際にサディスティックな性格らしく、当時の日本人女性としてはありえない「変態女」をカミングアウトした画期的な女性としても評価されるべきかもしれない。演じていたのではく、地でいっていたのだ。

 いずれにしても、春日ルミの登場により、それまでの日本ではっきりとはしていなかったリアルな女王様像が明確に浮き彫りになったという功績はかりしれない。

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マゾ力

 過去にこんな言葉はなかったと思う。自分でもやや意味不明ながら定義を試みてみると、マゾヒスティックな願望を満足させるための能力、とでも言えるのだろうか...

 例えばSMクラブでの女王様は「支配者」という名の「奉仕者」と言われる。個別で多様なM男のリクエストを理解してプレイを行うからだ。この時、M側がきちんとしてほしいことを言えればよいが、恥ずかしがって肝心な部分をあやふやにすることもあるかもしれない。または見栄はって出来そうもないことまで言ってしまったりとか。この程度のマゾ力では、満足のいくセッションを期待するのは難しい。

 初対面の相手とプレイをこちらの希望通り行うために、あるいは相手にとっては苦手なプレイをさせるためのかけひきとか、あの手この手で充実したセッションにもっていくための能力。女王様から自分の思い通りに虐めてもらうスキル。これがつまり

「まぞリョク=マゾちから」

 というもので、耐性やマニア度の問題ではなく、どちらかというとまっとうなコミュニケーション能力の範疇に入るものだと思う。いやひょっとすると究極のコミュニケーションと言えるのかもしれない。

 例え首尾よく依頼内容をズバリ言えたとしても、相手にきちんと伝わっているかが問題だ。誤解される可能性だってかなりある。結果が全てであり、わかってもらえなければ意味がない。

 幸いにも相手が経験豊富なベテラン女王様であれば、M側の気持ちを理解し、言わなくてもこちらの要望を汲み取ってくれる器量も期待できるだろうが、よくわかってない「なんちゃって女王様」や「勘違いミストレス」だったりすると最悪である。下手すると命がけだ。相手のレベルがどうであれ、NGプレイやセーフ・ワード(責められる側がこれ以上は無理と思われた時に言ってプレイを中断するキーワード)などは確実に伝えておく必要がある。

 また、相手のポテンシャルが低くても、こちらのアプローチ次第では上手くセッションをリードすることも可能なわけで、このあたりが真のマゾ力の真骨頂と言えるだろう。

 マゾ力とは、ある意味では言葉の表現力とも言えるが、口で言わなくてもわかってもらえるような関係にまで発展させていく総合的でインタラクティブなコミュニケーション能力なのである。
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沢尻エリカとSM



 今日発売の「週刊現代」は、思わずSM雑誌か?と思ってつい衝動買いしちまったよ、コンビニで。

 「週刊現代」なんて、こう言ってはなんですが普段あまり読まんし、絶対に自分では買わないタイプの雑誌で、たまにラーメン屋とかで暇つぶしにパラパラめくる程度。それなのに思わず買ってしまっただけのインパクトはあると思いませんか?この表紙!

 沢尻エリカは二十歳そこそこの若さでこの女王様度は激ヤバです。んでもってこのブーツに網タイツ姿。僕はこれに弱い。彼女のお馬さんになってみたい!

 ところで、目次を見てみると....

「37歳」被害者がSMキャラで書き込んだ6通のメール (p.182)

 ・・・というのが、目をひいてしまった。

 この事件は北海道で起きた出会い系サイトがらみの母子殺傷事件なのだが、ガイシャの女性が殺される直前に、「(わたしは)SMビデオに数回でた本格的な女王様です。初心者やご興味のある方からハードの方まで、全てに対応できます」という書き込みをしていたというのだからびっくり! 生活保護を受けながら幼い長女を育てつつ、出会い系サイトを利用してM男から生活費を稼いでいた矢先のトラブルに巻き込まれたのか?という見方がされており、容疑者はM男かも?という疑惑も浮上する。

 もしかしてマゾヒストが犯罪を犯してしまったのか?と思うと、ちょっと悲しくなるのですが、沢尻のグラビアは表紙のトリミングからも明らかなように、かなりMモード全開の編集者による構成だと思われるのである。


 どうでもいいか、そんなこと^^

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Helmut Newton



 パリのホテルで、全裸の女性が靴だけ履いて、首輪に繋がれている。いったいどのような物語がこの部屋で展開されるというのだろうか?

  ヘルムート・ニュートン は「ヴォーグ」に代表されるようなわりと上品なメディアに、鞭やハイヒールといったSMを連想させるシンボルを意図的に構成してみせた初めての写真家である。フェティッシュな形式美による場面構成には、そのものズバリの描写はないものの、見る人が見れば、どうしてもこれはエロティックな想像力を働かせざるを得ないような独特のスタイルで見る者を魅了する。

 やはりホテルの一室で、乗馬用の鞍を背中につけた女性がベッドの上で四つん這いになっている。これは誰がどうみてもかなりマニアックな「お馬さんごっこ」の世界に決まっている。しかし、不思議といやらしさは感じられず、かといってまったくエッチでもないかというと、そうでもなかったりして。ビミョー。

 そこはかとなく見る人の感性でどのようにでもエロティックに、あるいは上品にもなってくれる柔軟でスタイリッシュな作品性がこの人のウリだと思う。

 あるいは、ゴージャスでグラマーな女性が首輪をつけた犬を、そのリードを引っ張って見下ろしている作品。これなどは、僕は自分がその黒い犬になったつもりで見てしまい、どうしてもそっち方向の想像をしたくてたまらなくなる。(いったいどっちの方向なんだか ^^)

 デビッド・ボウイやアンディ・ウオホールのポートレート写真など、マトモな作品も有名だけど、そのマトモと思われている被写体の多くは、実は世界的な変態だったりもする。
 なんといっても映画「愛の嵐」でナチスの軍帽をかぶったユダヤ人女性を演じた 女優シャーロット・ランプリングのヌード写真が僕には忘れられない。

 ベルリンで1920年に生まれたニュートンの国籍はオーストリア。1950年代からパリで活動し国際的なカメラマンとしての経歴をスタートさせる。既存のモードを打破しようとする過激さの中に、どこか退廃的なエロスを感じさせる作品を発表して当初は物議をかもしたらしいが、70年代以降、マリークレール、エル、プレイボーイ誌などでも活躍し、この世界の押しも押されぬカリスマ的アーティストとして君臨した。


 日本ではヘアヌードが解禁になった90年代に石田えりの写真集を撮り下ろして話題にもなった。

 2004年に交通事故で亡くなった。

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喜多玲子



 喜多玲子とは往年の「奇譚クラブ」の名編集者として知られる須磨利之の別名。竹中英二郎や高月大三というペンネームも使っていた。須磨は当時大阪で発行されていた「奇譚クラブ」を去り、東京で「裏窓」を発行後、美濃村晃という名前でも小説や記事を書いたり、誌面の企画や構成、グラビアの緊縛師などといったかたちで活躍し、1970年代のSM雑誌ブームを支えた。

 この頃発行されていたSMセレクトは、他のSM雑誌と比較すると、ややM男性向けの記事や写真にウエートがおかれていたように思う。カラーで女王様とM男系グラビアがしばしば掲載されたほか、須磨が喜多玲子の名前で発表したイラストの中にも、鞭を持った女性が男を虐めるという作品がみられた。奇譚クラブ時代にはモノクロの挿し絵だった喜多玲子の筆致が、カラーで再起動する。



(SMセレクト 1971年8月号より)

 S男性が主な読者層であるメディアで女性緊縛図を描く一方、このように男性マゾヒズムをきちんと満足させてくれるイメージもしっかり提供してくれていた。須磨のバランス感覚というべきか、M男性へのやさしい気配りと言うべきか。実際のところ須磨をよく知る関係者からの伝え聞くところによれば、この人にはMッ気もあったらしく、執筆された原稿からもマゾヒストでなかったら書けないような心情も吐露されている。

 そうはいっても、喜多玲子といえばやはり女性が責められる「責め絵」ということになり、 責め絵集 なるサイトもあるくらいで、ファンは多いようである。

 責め絵の巨匠・伊藤晴雨は喜多玲子(=須磨利之)の師匠筋にあたるのだが、伊藤の画風よりはモダンなタッチに加え、「責め」つまりサディズム側の視点からよりも、マゾヒズムをよく理解した筆致が、より多くの、マニアックな支持を得た理由ではないだろうか。女性緊縛図を見て喜ぶS男にも、自分と置き換えてマゾヒスティックな妄想をかきたてるM男にも、充分堪能することが可能な世界が描かれている。
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「土下座」考



 ウィキペディアによると、土下座とは「日本の礼式のひとつで、極度に尊崇高貴な対象に恭儉の意を示したり、深い謝罪、お願いの意を表す場合に行われる」とある。確かに英語には直訳の単語が見当たらないし、様式としては日本独自の行為・文化なのかもしれない。しかし西洋社会になかったかというとそうでもなく、イスラム教の礼拝では土下座よりも激しく平伏するようなモーションで行われている。何かに対して畏敬の念を現したり、崇拝、感謝、恐れといった表現形式には、跪いて手をつき、お辞儀するように身をかがめるという行為は、洋の東西を問わず世界的に行われていたであろう。国王や君主の前で土下座のようなスタイルで服従の意を示す臣下や兵士たち。ただ、日本の場合は、土下座への意識的な抑制が、つまり土下座することを恥とする文化が独自に発達していたような感じがする。

 武士にとっては恥をかくくらいなら死んだほうがましという風習があって、死にも匹敵する「恥をかく行為」すなわち土下座することで自分の過ちや罪を許してもらおうとする意識が生まれたのではないだろうか。近年は、土下座さえすればたいていのことは許されるような雰囲気もあるようだが、ある意味で土下座が大安売りされているような印象ではある。本来土下座は、よほどのことがない限りしてはならないはず。そのよほどことを、最近の政治家や企業の経営者はしているのかもしれないが...

 ただ、現代社会においては、まともに、そして平和に暮らしていれば、日常生活の場で土下座するチャンスは一般庶民には滅多にないだろう。それこそSMクラブで女王様にご挨拶する時ぐらいではないだろうか。それだって今では平凡なサラリーマンのストレス解消の手段としてもはや普通のレベルだったりして。
 
 いったいどこまでが「普通のレベル」なのかは意見のわかれるところだろうが、まあ、乳首に針刺したり、スカトロまでやっちゃう人に比べたら、女王様の前で「土下座」するなんてママゴトみたいなものだと思う。

 ただ、ヤラセ的にやる土下座にも、やはり神聖な気持ちで恭しく、そしてしっかりとした「羞恥」も感じていなければ、「正しい土下座」とは言えないような気がする。あまり軽い気持ちで土下座はしたくない。土下座に対して失礼になる。そしてその崇高なる対象にも。

 土下座の伝統を正しく守り、後の世にも継承してゆかねばなるまい。滅多にできない、ステキなアクション。それが土下座の魅力である。
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